乳癌になりました。

病院&病気ビギナーの初めての乳癌体験記

退院までのあれこれ

2011-11-27 | セカンドオピニオン~初めての手術入院まで
手術から2日目の朝。

主治医の先生の診察。

いろいろ質問考えていったものの、結局は病理結果が出ないとこういったことを聞いてもまだ意味ないなあ・・・と自分で気づいてしまい、傷を見ていただいて、退院後のアポをとらせていただいてさらっと終了でした。

「退院まで、もう先生とお会いすることはないんでしょうか?」とたずねると

「そうですね」と。

実際、そのあと退院するまでの間に、お会いしたのは、先生の部下(?)である若い先生たちだけでした。

ちょっと寂しかったなあ。

でも、きっとそういうものなんでしょうね。


そしてその際に、退院日もあっさり決まりました。

本当はその翌日、すなわち手術から3日目に退院してよかったようなのですが、その朝だと家族がこれなかったので、翌々日、手術から4日目に退院となりました。


それからやることって基本ないんです。

でも、こんなに大手をふって一日中寝ていられることなんてそうそう無いな、

栄養管理もされたゴハンも出てくるし・・・。

ということで、しっかり休ませていただくことにしました。


で、シャワーのお許しも出たので、お風呂場(シャワー)を予約。

その時点で、やっぱり傷跡を見ることはできてませんでした。

ものの本によると、初めて傷を見るときは、病院に入院している間がいいと。

確かに、精神的なショックであろうと、純粋に傷についての質問であろうと、一旦退院してからだと、なかなかプロに相談しづらいもの。

それなら、シャワーを浴びて、徐々に慣れながら、何かあったら看護師さんに相談しようと思いました。

ホント、ごはん以外のこの日の予定は、3つだけ。

■朝→診察(5分くらいで終了)
■午後→初シャワー
■夕飯後→友達がお見舞い

あとはSATC見てはウトウト・・・という一日でした。


その翌日。(手術から3日目。)

私の場合、ドレーンはなかったので、傷口に水(体液?)などがたまっていたので、午前中にレジデントの先生が水を抜いて下さいました。

またもそれ以外、お風呂しか予定のない一日。

正直その前の日あたりから、やや自分の時間をもてあましていた私。


そんな私を同部屋のお2人の患者さんが相手してくださいました。


お1人は、私より前から入院されている方。食事制限があってお菓子など食べられないそうで、私にお菓子をくださいました。

どうやってお返ししよう・・・食べ物などではいけないし・・・と考えた結果、その方が「足がむくんで、マッサージの方を呼びたいけれど呼べない」ということを知り、足をさすらせていただくことにしました。

足をさすりながら、海外で訪れた町のお話などきかせていただきました。

抗がん剤でつらい治療のさなかなのに、笑顔のたえない素敵な方でした。


もうお1人は、私より後に入院されてこられた方で、同じ主治医の先生だったので、向こうから声をかけられ、手術についてなど、質問されたのがきっかけ。

その方はアクティヴに病院内をいろいろ歩かれたようだったので、むしろ、その方と一緒に、病院内の患者用のスペース(散歩スペースや図書室など)を歩いて、「こんな場所あったんだわ!」と驚き。

退院前に行くことができてよかったな~と思いました。

同じ入院でもキャラクターによって過ごし方はやっぱり違うんですね。


入院最後の晩。

翌朝、私は退院。となりの彼女は朝手術でした。

「夜景見に行こうかと思うんですが、もしよかったら」とお声をかけたところ、「ぜひ!」ということで、夕食後に2人で病院内で夜景がきれいに見えるところにいきました。

そこで別の入院フロアーから同じように夜景を見に来ていた2人の女性と一緒になりました。

そのお2人が、窓の外を指差して「ほら、あそこにクリスマス・ツリーが」と。

その方向を見ると、夜の街の中、建物の間にちょこんと白く光るクリスマス・ツリーの上半分が見えました。

「ああ、ほんとだ、クリスマス・ツリーですね。早いなあ。もうそんな季節なんですね。」

「ほんとですね。」

そこはお見舞いの方との談話スペースだったので、それから4人でその部屋のソファーに座って、しばらくお話を。


病気のこと、退院のこと、たわいもない話題。そんなに長い時間じゃないのに、なんだか4人の間にも不思議な親しさがありました。

同じ入院仲間、という連帯感なのでしょうか。

ただ、患者同士の会話は、楽しい反面、私には自分自身に反省することになるものでもありました。

患者同士でも病状の深刻さは人それぞれ。自分の思わぬ発言で他の人を傷つけたくない、と思ったら、入院中、なんどか自分で自分の発言を振り返ってひやりとしたり、反省したことがあったのです。

それでも、そういった患者さんたちとの出会いや会話は、自分の心の中に深く残るものとなりました。


最後の晩は入院してから一番眠れなかった。

いろんなことが心の中をぐるぐると。窓の外の光がほんの少しさす暗い中で、ノートに書いたメモの一部。


****

病院は人生の交差点

私より病状が重い方たち。そんな中で皆さんよくしてくださってありがとう。

自分の今後。再手術になるリスク、放射線治療のこと。再発・転移への不安。
でもそのすべてをいっぺんに考えるのは無理。

世界がおだやかでありますように。

クリスマス・ツリーが見えた。

あたたかいメール。

お昼寝したからなかなか眠れない。

向かいの人のクリスマス・リース。

****


そして手術から4日目の朝。

朝食後、9時前に病院を退院しました。

手術の助手や何かをやってくださったレジデントの先生たちにもちゃんとお礼いえなかったなあと思っていたら、その朝にも回診があったので、ちゃんとお礼言えてよかった。

主治医の先生にはまた今後もお会いできるかもしれないけれど、こういった入院中のほかの先生たちはもう会わないのではないかと思っていたので。

看護師さんはホントにいろんな方がいらっしゃったので、結局最後の日にお会いした方だけ、お礼をいうことができました。



ちょうど私が病院を出る前は、前の日に病院内を案内してくれたとなりのベッドの方が手術に行く直前でした。


術衣を着た彼女と両手で握手して「がんばってね」「がんばるわ」と挨拶をかわしました。


彼女は私のことを見て元気が出たといってくれました。こんなにすぐ元気になるんだなと思ったと。



そして、私は退院したのでした。


実質6日間。短かったけれど、いろんなことを考えさせられた時間でした。

特に「家族」の大切さはひときわ身にしみました。



おそくなってきました。この続きはまた今度です。


今日も読んで下さってありがとうございます

































初めての手術後の夜~手術翌日

2011-11-27 | セカンドオピニオン~初めての手術入院まで
というわけで、朝手術を受けたその日。

夕方には家族に帰ってもらいました。

ずっといてもらっても悪いな・・・というのもありましたし。


その晩は・・・・。

実は正直大変でした~。そうとう辛かった~。二度と味わいたくないくらい。


しかしその原因は手術の傷じゃなかったんです。


それは腰痛。


とにかく腰痛がヒドい。

家族がいる間から腰痛がキテたので、そのときは横を向いて、家族に腰をポンポンたたいてもらったりしてました。

家族が帰った後、腰痛はとにかくヒドくなり。

身動きができない。

右胸を手術した私としては、体の右側を下にできないから、体の左側を下に横になるか、仰向けになるしかない。


夕方、手術のときの助手の先生が傷を見にいらっしゃり、そのあと、主治医の先生が。

主治医の先生は傷は見なくて、

「xxさん、傷の具合はいかがですか?」

とおっしゃるので、

「ああ、傷はともかく腰痛がヒドイです」と答えたら、

「ああ、そう、アハハハハ・・・」と笑いながら行ってしまいました。

私はモーローとしながら「どうして笑ってるのかな・・・」と若干憤慨しながら、去り行く先生の背中につぶやいていたような。

先生からすれば、「手術の傷」より「腰痛」を気にしてる時点で「大丈夫だな」というご判断になったんでしょうね。


手術前に綿密に(?)痛み止めのことを伺っていた私。

もちろん病室に移動してすぐに看護師さんに「点滴に痛み止め入れてください」と依頼。

なので、傷の痛みは大丈夫だったんです。


でも、痛み止めって腰痛には効かないんですね・・・・。痛みの種類が違うっていうか。



手術後すぐは、体温も下ってとにかく寒くて、電気毛布をかけてもらってガタガタしていた私ですが、晩になると熱もあがってきまして。

鎮痛のお薬と眠くなるお薬を点滴に入れてもらったのですが、隣のベッドの人のうめき声がけっこうなもので、眠れず。

隣のベッドの人は、シロウトの私でもわかるくらい、私よりずっと深刻そうなので、文句も当然言えず。

腰痛と熱に耐えながら「万が一次回こういうことがあるなら、この一晩だけは個室にしてもらいたい&腰痛対策考えたい」と考えていました。

正直あんなにナースコールするとは!

一晩で3,4回お呼びしてしまいました。

ナースさんにいらしていただいて、布団の位置を変えたりして、なんとか少しでも腰痛を~というのと、お水は翌朝まで飲めないものの、先生から「氷はOK」というお言葉があったので、カラカラの口を潤すため、「氷」をお願いしたりいたしました。

このナースコール。

実は、ガン患者の先輩と、医療関係者の友人のアドバイスのおかげで、勇気出しておせました。

2人とも「痛いとか苦しいとか、遠慮せずに、ナースコールするのだよ」と。


その晩はホントに10分、15分ごとに目が覚めて、

「朝6時になれば起床、なんとか早く尿管を抜いてもらって体を起こして座りたい」と願いながら耐えました。

本来は尿管を抜くのは、朝食後、すなわち9時頃の予定だったのですが、やっぱり尿管抜いて無いと、座れないので、私としては一刻も早く座って腰痛を軽くしたい!!と。

6時になり、看護師さんがいらっしゃったところですぐ相談。

すると、なんとか、朝食前、8時頃に抜いていただいてベッドのリクライニングをたてて、座ることができました。

座ってだいぶ腰が楽になりました~。ふぅ。

朝食は気分が悪くて殆ど食べられませんでした。そして脳貧血起こしたので、朝食はほどほどに、うとうとしていました。

その後、看護師さんがいらして体を拭いていただいて術衣からパジャマに着替え。

右腕を動かすのがこわかったので、お願いして髪の毛も2つに結んでいただきました。


やっぱり身支度が整うと、気持ちって落ち着くものですね

そうして、点滴をコロコロひっぱりながらもとの大部屋にリターン。

ベッドの背をたててもらって、よりかかってうとうと。

やっぱり疲れていたり(夕べ眠れなかったので)、熱が出たりしてましたが、その頃にはかなり落ち着きました。


夕方になって点滴が外れたら、さらに一段階元気に。

で、夕食後にガン友がお見舞いにきたときには、さらに元気に。

まさか手術翌日の夕方に友達と談笑できるくらい回復しているとは!!


その後、就寝時間近く、テレビを見てすっかりくつろいでいたら、肩をたたかれて振り返ったら、主治医の先生がいらしててびっくり。

イヤホンしてると人の気配って気づかないものですね。完全なフイうちでした。

そして「明日朝8:30、治療室いらしてください」と。


そんな感じで手術当日の晩~翌日は過ぎていったのでした。


手術前日の晩に戻ってから、手術翌日の晩までは無我夢中、というか、わわわーっと過ぎていった感じです。


この続きはまた今度です。

今日も読んで下さってありがとうございます