その朝はやってきました。
人生初めての手術!
ドラマなどで見た事あっても、それがよもや自分に起こるとは。
その朝、手術当日朝の入院日記にはこんなことが書いてありました。
*****
今日いよいよ手術です~
もう未知の世界。
1つ言えるのは、温存でも<局所麻酔:日帰り>じゃなくてよかったっていうこと。
回復的に無理でしょ、っていう
ちなみに私のいる大部屋 人の入れ替わりがハゲしい。
(その下にベッドと移動の図が書いてありました)
*****
・・・。
コワイとか、不安とか、っていうより、何がなんだかって感じだったんでしょうね。
ハイ。
それでもちょっと自分神経質になってるのかな・・・と思ったのは、
看護師さんが早めに(?)術衣をもっていらしたとき、ギリギリまで着替えたくないって思ったこと。
それと心配でなんどもお手洗いに行っちゃったこと。これから動けないなら・・・とか心配になりました。
そのうち家族が来て、貴重品などを渡して、手術室へ。
あの、ドラマでよく家族が手術室前のソファで心配顔で待っていて、
ドア上の赤いランプが消えて「手術が終わった」みたいになって、
家族が立ち上がって、先生が中から出てきて「無事終わりました」
みたいなものを思ってたんですが、違うんですね。
警察の取調べでカツ丼が出るっていうのと同じくらい違ってました。
私の手術した病院ではなんと手術室が30もあり(その全てが同時稼動するわけではないですが)入口は外玄関と中玄関みたいになっていたわけです。
で、家族は外玄関の前でバイバイ!となり、
私は中で待っていた手術ご担当の看護師さんたちに「こちらですよ」みたいに、案内され、中へ・・・。
そこは、大通りみたいな廊下があって、左右にばーっと手術室が列になっていました。
ある種、壮観!
それでそれぞれの手術室の上にまさにあの赤いランプが付いてたり、消えてたりしていました。
ちなみに私の手術した病院は朝イチの手術は朝8時半から。
ということで、私の手術<午前10時から>というのは2枠目くらいだったんですね。
なので、その大通りみたいな廊下に行ったときには、
すでに赤ランプ点灯中の部屋もいくつかあったような気がします。
手術って結構朝早くからやるものなんですね。
そして私は左列の何番目かの部屋に入室。
そこはほどよい狭さ(広さ)の手術室で、真ん中に手術台がありました。
で、看護師さんが「手術台に上って下さい」と。
ハイ、ここもドラマと違うポイント。
私、麻酔を他でやって、手術室には意識無くストレッチャーで運ばれて、誰かが手術台に乗せてくれるのかと思っていました。
でも実際には、自分で上がるんですね、元気な患者だと。
内心驚きと緊張のまま、仰向けに。
すると、麻酔の先生が左腕をしばって左手の甲にプスリと麻酔のための点滴の針をさしました。
「だんだん眠くなりますよ」みたいなことを言われたような言われないような。
手術室にはたしか男3名、女3名、計6名の人がいました。
主治医の先生
助手の先生 (アイソトープ注射してくれた人でした)
麻酔の先生
看護師さん3名
そういった人が私をぐるりと囲んで・・・と思ったら、主治医の先生の姿が見えなくて、
モーローとしながら「あの、xx先生は?」といったら、
看護師さんや麻酔の先生が「何か、伝えたいことが?」みたいに真剣に。
そこで私は「よろしくお願いしますって・・・いいたくて・・・」といいながら意識を失ったのでした
周りの看護師さんたちは「なーんだ」みたいにちょっと拍子抜けというか、和んでいたような気がします。
そして意識を失う直前、主治医の先生が左前方の壁際にリラックスして(?)白衣でよりかかっていたのを見たような気がします。
甘えん坊?気質の私としては、主治医の先生にも覗き込んでもらって
「xxさん、大丈夫、僕がしっかり切りますよ」って言ってほしかったなあ。
でも先生はクールにややかっこよく、壁際でリラックスなさっていたのでした。
うーん、つれない
次の記憶は天井だったかなあ。。。
「終わりましたよ」って言われたような。
でも、そこが回復室なら、そこから病室に移動したはずなのですが、その記憶は今では全く思い出せません。
はっきり意識が戻ってきたのは、病室で酸素マスクや点滴をつけていて、ベッドサイドに家族がいるあたり。
家族の話では、
手術は最長3時間、といわれていたが、実際には1時間35分くらいで終わったこと。
センチネルは2つとって、その両方にがん細胞はみつからなかったこと、など。
そのあとはグッタリだったのですが、
家族がいてくれたので、なにくれとなくどうでも良いことを話したり、
寝ている私をカメラで撮影してみたりなど、夕方までついてくれて、気がまぎれました。
手術前には、手術後はぐったり寝てるだけだから、家族は帰っていいと思っていましたが、実際には眠れなかったので、話相手をしてくれて本当によかった。
でも、何を話したかあんまり覚えて無いんですよね。何時間も話したのに。
唯一覚えているのは、テレビ誌に載っているドラマ評を読み上げてくれてたこと。
そんなホンワカな感じがありがたかったんですね。
そして家族は夕方には病院を後にし、私一人の時間がやってきたのでした。
それは実は、私の予想を超えるなかなかにツライ一晩となったのでした。
遅くなりました。この続きはまた今度です。
今日も読んで下さってありがとうございます
人生初めての手術!
ドラマなどで見た事あっても、それがよもや自分に起こるとは。
その朝、手術当日朝の入院日記にはこんなことが書いてありました。
*****
今日いよいよ手術です~
もう未知の世界。
1つ言えるのは、温存でも<局所麻酔:日帰り>じゃなくてよかったっていうこと。
回復的に無理でしょ、っていう
ちなみに私のいる大部屋 人の入れ替わりがハゲしい。
(その下にベッドと移動の図が書いてありました)
*****
・・・。
コワイとか、不安とか、っていうより、何がなんだかって感じだったんでしょうね。
ハイ。
それでもちょっと自分神経質になってるのかな・・・と思ったのは、
看護師さんが早めに(?)術衣をもっていらしたとき、ギリギリまで着替えたくないって思ったこと。
それと心配でなんどもお手洗いに行っちゃったこと。これから動けないなら・・・とか心配になりました。
そのうち家族が来て、貴重品などを渡して、手術室へ。
あの、ドラマでよく家族が手術室前のソファで心配顔で待っていて、
ドア上の赤いランプが消えて「手術が終わった」みたいになって、
家族が立ち上がって、先生が中から出てきて「無事終わりました」
みたいなものを思ってたんですが、違うんですね。
警察の取調べでカツ丼が出るっていうのと同じくらい違ってました。
私の手術した病院ではなんと手術室が30もあり(その全てが同時稼動するわけではないですが)入口は外玄関と中玄関みたいになっていたわけです。
で、家族は外玄関の前でバイバイ!となり、
私は中で待っていた手術ご担当の看護師さんたちに「こちらですよ」みたいに、案内され、中へ・・・。
そこは、大通りみたいな廊下があって、左右にばーっと手術室が列になっていました。
ある種、壮観!
それでそれぞれの手術室の上にまさにあの赤いランプが付いてたり、消えてたりしていました。
ちなみに私の手術した病院は朝イチの手術は朝8時半から。
ということで、私の手術<午前10時から>というのは2枠目くらいだったんですね。
なので、その大通りみたいな廊下に行ったときには、
すでに赤ランプ点灯中の部屋もいくつかあったような気がします。
手術って結構朝早くからやるものなんですね。
そして私は左列の何番目かの部屋に入室。
そこはほどよい狭さ(広さ)の手術室で、真ん中に手術台がありました。
で、看護師さんが「手術台に上って下さい」と。
ハイ、ここもドラマと違うポイント。
私、麻酔を他でやって、手術室には意識無くストレッチャーで運ばれて、誰かが手術台に乗せてくれるのかと思っていました。
でも実際には、自分で上がるんですね、元気な患者だと。
内心驚きと緊張のまま、仰向けに。
すると、麻酔の先生が左腕をしばって左手の甲にプスリと麻酔のための点滴の針をさしました。
「だんだん眠くなりますよ」みたいなことを言われたような言われないような。
手術室にはたしか男3名、女3名、計6名の人がいました。
主治医の先生
助手の先生 (アイソトープ注射してくれた人でした)
麻酔の先生
看護師さん3名
そういった人が私をぐるりと囲んで・・・と思ったら、主治医の先生の姿が見えなくて、
モーローとしながら「あの、xx先生は?」といったら、
看護師さんや麻酔の先生が「何か、伝えたいことが?」みたいに真剣に。
そこで私は「よろしくお願いしますって・・・いいたくて・・・」といいながら意識を失ったのでした
周りの看護師さんたちは「なーんだ」みたいにちょっと拍子抜けというか、和んでいたような気がします。
そして意識を失う直前、主治医の先生が左前方の壁際にリラックスして(?)白衣でよりかかっていたのを見たような気がします。
甘えん坊?気質の私としては、主治医の先生にも覗き込んでもらって
「xxさん、大丈夫、僕がしっかり切りますよ」って言ってほしかったなあ。
でも先生はクールにややかっこよく、壁際でリラックスなさっていたのでした。
うーん、つれない
次の記憶は天井だったかなあ。。。
「終わりましたよ」って言われたような。
でも、そこが回復室なら、そこから病室に移動したはずなのですが、その記憶は今では全く思い出せません。
はっきり意識が戻ってきたのは、病室で酸素マスクや点滴をつけていて、ベッドサイドに家族がいるあたり。
家族の話では、
手術は最長3時間、といわれていたが、実際には1時間35分くらいで終わったこと。
センチネルは2つとって、その両方にがん細胞はみつからなかったこと、など。
そのあとはグッタリだったのですが、
家族がいてくれたので、なにくれとなくどうでも良いことを話したり、
寝ている私をカメラで撮影してみたりなど、夕方までついてくれて、気がまぎれました。
手術前には、手術後はぐったり寝てるだけだから、家族は帰っていいと思っていましたが、実際には眠れなかったので、話相手をしてくれて本当によかった。
でも、何を話したかあんまり覚えて無いんですよね。何時間も話したのに。
唯一覚えているのは、テレビ誌に載っているドラマ評を読み上げてくれてたこと。
そんなホンワカな感じがありがたかったんですね。
そして家族は夕方には病院を後にし、私一人の時間がやってきたのでした。
それは実は、私の予想を超えるなかなかにツライ一晩となったのでした。
遅くなりました。この続きはまた今度です。
今日も読んで下さってありがとうございます