乳癌になりました。

病院&病気ビギナーの初めての乳癌体験記

放射線治療、終了しました!

2012-03-23 | 手術後の日々
こんばんは

今週月曜に放射線治療、終了いたしました

長かったような、短かったような5週間でした



ということで月曜晩から湯船にもしっかり肩までつかってます!

うれし~い


しかし、氷をあてるのは続いています

そして月曜晩から「軟膏」をぬれるようになったのですが、

それにより新たなる「軟膏」問題が!


変色している、塗るべき範囲というのは結構広いんです

なので、そこに軟膏を塗る、イコール、洋服に軟膏がバッチリ付いちゃう!


しかも、お風呂でも4週間くらいは放射線を当てたほうの胸はこすってはいけないので、

泡をたくさんたてて、そーっとなでる感じ


しかしそうすると、ベタっとした軟膏がとれる感じがしないんです

なので、3回も4回も泡立てては様子を見たり・・・ 


洋服に~というのは、急遽ユニクロでブラトップを買い足してしのぐことにしました。

紐のストラップのものだと、患部にあたって痛いので、

タンクトップなら肩紐の部分が幅が広いもの

ないしTシャツのほうがよさそうです

私は必ず上のサイズを買っています (ぴったりサイズだとやや患部にはキツイので)


そうそう、やっぱり胸はヒリヒリ少し痛いのですが、そこで大活躍しているものが!

それは手術前に買った「ガーゼの寝巻き」です (私のはネグリジェタイプ)



ガーゼがとにかく肌触りが優しいんです~ ふんわりふんわり・・・



買ったときは、手術後の傷に優しいかな?と思って買いましたが、

放射線治療で敏感になっている胸にもとにかく優しくて、

個人的には今、これを買った自分を自分でほめてあげたい気持ちです

私にとってはお高かった買い物でしたが、買ってよかったよかった

ご興味のある方は「PG GAUZE」で検索してみてくださいね



今後は、ちょっとしてから放射線科の先生の診察


あれ?外科の主治医の先生は?と思って放射線科の事務の方に質問したら

「確認しますね」と


訊いてよかったです  訊かなかったら、そのまんまだったかも


で、外科の先生の予約も入れました


放射線科の先生の診察とどちらが先でもかまわないようです



とりあえずは自分の「胸」と向き合う日々でございます


放射線科の女性技師さんがおっしゃっていた「4週くらいはいたわって」

というのを守って、これからの4週を胸ケア強化期間としてケア予定!



そういえば、放射線の治療中に思ったこと

部屋の電気を暗くするときじゃなく、明るいときに放射線が照射されてました

事前のイメージでは暗闇に緑のライトが~などと想像していたのですが、

ホンモノの放射線は全く見えないもんですね!(←当たり前。。。)


あと、患者さんを和ませるためか、

ホテルのラウンジで流れるみたいな音楽~イージーリスニングがかかってました


確かにあの状況で歌謡曲、とか、ジャズ、とかだと

気持ちのもっていきどころが難しいですもんね?


この続きはまた今度です~

おやすみなさい














続・放射線治療

2012-03-14 | 手術後の日々
ご無沙汰しておりました。

みなさまお元気ですか?


さて、放射線治療、全25回のうち、22回が終わりました!

で、実際胸はどうなっているかといいますと。


本日時点で言えば、やっぱり日焼けしたみたいに右胸全体が色が変わっていて、

マジックの赤もあって、赤茶色みたいな??

で、表面の水分がなくなって、カサカサしてます。

昨日くらいから、かゆみを感じるようにも。


この色が変わっている部分が見事にマジックで線を書かれている中に

きちーんとおさまっているんですよね。

ミリ単位で印をつけていただきましたが、やっぱり正確なんですね。


治療は、技師(?)の方と位置あわせをしてから放射!となるわけですが、

相変わらず、上半身裸で横たわり、蛍光灯が煌々と付いている中で、

胸をあーでもない、こーでもないと見られるのには慣れません。。。


しかも技師は女の人だけでなく、男性も。

それも仕方ないかなあ・・・と思ってきましたが、

どういう理由なのか、最近男性技師がもう1人増えまして、男2女1、計3名様。


治療が冬~春でよかったです。

マスクしているので、まだ恥ずかしさも若干抑えられるといいますか。



ちなみに、最後の放射線治療が終わった日の晩から軟膏を塗ってよくなるそうです。

軟膏には金属的な成分が入っていて、それが放射線治療中はダメなんだそうで。

あ~早く塗りたいな!!


あと、洋服問題ですが、気になって女性技師さんに

「夏に治療を受けられる方は?」と伺ったところ、

色の濃い、襟ぐりの浅いTシャツ、というのが多いそう。ですね、ですね。


しかし、現在治療中の胸は、皮膚もよわっているので、下着にも注意が必要。

ホントは下着ナシ!でいきたいところですが。。。


さ、今日もこれから氷で胸を冷やす時間です~~


ではこの続きはまた今度です


放射線治療、プチ情報

2012-02-24 | 手術後の日々
こんばんは


続・放射線治療のプチ情報です。


■所要時間?

実際の施術は5分~10分ですが、私の通っている総合病院ですと、同じ時間に3名の患者さんが予約、というシステムなので、タイミングによってはかなり待ちます。あと、週に1回は施術後に先生の診察があるので、病院についてから病院を出るまでざっくり先生の診察が無い日は1時間、診察がある日は1時間半みています。

ということで、通っている病院の規模や予約システムによってだいぶ違うかもしれませんね。

■続・氷をあてる話

施術しない土日もやったほうがよいそうです。あと、一日2回(各15分ずつ)なら、何時にやってもokとのこと。



先生いわく「10日過ぎればあとは、あっという間だから」と。



そうなのかしら??何はともあれ地道に通い続ける日々はまだまだ続きます~


今日はちょっと遅いので、この続きはまた今度です~


おやすみなさい




放射線治療、始まりました。

2012-02-22 | 手術後の日々
すっかりご無沙汰しておりました

ワタクシ、現在、放射線治療真っ最中でございます。



実は、12月の下旬から2月までほとんど動きがなかったのです。

そもそも、放射線の先生のアポイントがなかなかとれず、初顔合わせが12月末。

そして放射線治療がスタートできたのが2月中旬。

1月に手術したガントモも現在放射線治療中とのこと。

手術時期が2ヶ月も違うのに、なんと放射線治療は一緒の時期になるとは。



で、先週より毎日地道に通っております。

治療開始の前週に、放射線をあてる場所を決める検査が2回ありました。

胸に油性マジックでマークをつけ、小さいシール(しっぷみたいな)をペタペタ貼っていくのですが、これが私は苦戦しました

みなさんは、裸のわき腹にマジックで文字を書かれたことがあるでしょうか?

くすぐったいのなんの。で、微妙に動いちゃうと、それでとまっちゃうんです。

放射線治療はミリ単位で場所を決めているので、呼吸一つで違ってしまうと。


仕方ないので、自分は今森の中で熊と遭遇して、死んだフリをしている・・・動いたら熊に襲われるので、絶対動いてはいけない・・・などと妄想してみましたが、、、。


先生に「みなさん、平気なんでしょうか?」とおききすると、「中には笑っちゃう方も」とのこと。

てことは大半のみなさんはこれにポーカーフェイスで耐えている!!



ということで位置決めにややてこずったものの、無事放射線治療がスタート。

上半身裸でバンザイをした姿で台の上に仰向けにねっころがって、そこに機械で放射線を患部であてるのですが、

まったく明るい部屋でそのような格好で、男女2名の技師さんに、「ああでもない」「こうでもない」と位置をなおされるワケで、最初はやっぱりちょっと違和感が。

確かに治療で何人となく胸は見られてきましたが、ちょっと期間があいていたせいなのですかね。

でもさすがに毎日やってますと、だんだん平気を装えるようになりました!


ちなみに、胸にかかれたマーク、まあ、すごい。町の地図みたいです。赤とか青とかであっちこっち線がひっぱってあって。で、反対側の胸にもちょこっとは書きます。


これから放射線治療を受けるみなさまにプチ情報を。


■位置きめの検査の日にマークをつけますので、その日以降は、マジックの汚れが付いてよい下着、洋服にすること。(油性でも服とすれて、色がうつります)
お馬鹿さんの私は、白いワイシャツを着ていってしまい、脇の下などが青くなってしまいました・・・・。

■意外とマークは上のほうにもくるので、胸の開いた服は着れません。
一度鏡を見てびっくり。胸の真ん中、やや上にあったマークがまるまる見えてました。
周りのみんなは何だと思ったでしょうね???

■もちろんワンピースなども避けましょう。上半身裸になる必要があるのでワンピースだと全部脱いじゃうことに。


あと、私の担当の放射線の先生は毎日2回、氷で胸を15分ずつ冷やすようにと。

「美容のためだから」とのことだったので、忙しさにかまけて最初の3日間やってなかったら、かなりのけんまくで怒られました

しかも「保冷剤でも良いですか?」とおききしたら「普通の氷だっていってるでしょ!!」と。(←ちなみに男の先生です。。。)

分かりませんが、確かに数回経た今日現在、なんとなく放射線治療を受けている右胸がヒリヒリしてきたような気がします。

すごーくライトなヤケドみたいなものなのかなあ・・・。

真冬の今、毎朝・毎晩氷をあてるのは正直けっこう大変ですが、がんばらねば・・・・ふう。


という近況報告でございました。

それではまた!

おやすみなさい















乳癌の病理結果を解読してみよう ~非浸潤癌の例

2011-12-22 | 手術後の日々
ご無沙汰しておりました。

今日は病理結果のお話。

患者会でも、いろんな方の乳癌ブログでも、みなさん病理結果や、用語にお詳しい。

正直、私ぜんぜん分かっていませんでした

なので、先生から手術前のときに生検の病理結果をいただいても、よくわかっておりませんでした。

まったくのボンヤリ、いやボンクラです。


しかし、今度いただくのは手術でとられた私の「癌」そのものからのデータ。これこそ本番なわけで、病理結果にもうちょっと詳しく向き合おうと決心しました。

といいつつ主治医の先生に「話が長い(質問が多いともいう)」といわれた私。

その部下の先生がご説明くださるとはいえ、そのトラウマが忘れられず、


また嫌われては困る

話をなるべく要領よくする

事前に下調べしてなるべく質問は減らす


ということで、事前に調べてから向かったのでした。

しかしネット上の情報は私の検索方法がいまいちなのか、難しかった~。

すごく入口だけ、か、今度は学会論文まで行き着いてしまって。



さて、そんな試行錯誤の結果、先日、若先生(←と呼んでみました)との病理結果についてのQ&Aから得た知識を私の記憶&アレンジで書いてみると下記のとおりに。

たぶん、ご覧になって「この人バカなんじゃないの!」とみなさまが思われるような質問コミです、あらかじめ。




Q 病理医は<切り出し所見担当医><診断医>両方なの?

A ハイ、そうです


Q 大きさ、病変 の数値の読み方を教えて下さい(と絵を描いてもらいました)

A 大きさは <横x縦x厚み>の順で数値が書いてあります
  検体(切除材料)が実際に切った大きさで、病変がその中にあった癌の病変部。
    

Q DCIS(=非浸潤癌 ductal carcinoma in situ) のどのタイプ?
    コメド型・ふるい型・乳頭型・低乳頭型・充実型など
     (コメド型だとやや悪性度が高い=浸潤癌になりやすいらしい)

A コメド壊死物が見られるので、コメド型と思われる 
  でもあなたの場合心配しなくていいでしょう
     

Q 同じくDCISのどのタイプ?
    腫瘤形成型・乳管内進展型・微小がん巣型

A これはエコーでわかるので(といってエコーをご覧になり)腫瘤形成型ですね


Q ADH(=異型乳管過形成 a typical ductal hyerplasia) 相当の病変が外側断端近くまで見られる とは?ADHは高い頻度で浸潤癌になる可能性があることも?

A ADHとは上皮変化しているところが多い ということ
  ADH状のものは放射線治療でなくなる

  外側断端 の外側とは、体の外側ということ、右胸だったら右わき腹に近い方


Q 異型度が高い=悪性度が高い  異型度が低い=悪性度が低い ということ?
  グレード1,2,3というのはこの異型度(悪性度)のこと?

A そうです しかしDCISはグレードはありません


Q ER(90%)=Allred score : PS(5)+IS(3)=8
PR(70%)=Allred score : PS(5)+IS(2)=7

の意味を教えて下さい

A ER=エストロゲン受容体のこと
  PR=プロゲステロン受容体のこと

  いずれもホルモン療法が有効かどうか判断するための数値

  1%でもあればホルモン療法を行う 90%とか70%は非常に高い
  (ホルモン療法有効)    

  PS=proportion score 何割染まったか 1~5の5段階 
  IS=intensity score どれくらい強く染まったか 1~3の3段階

  ということで、上の例は非常に強く出ている=ホルモン療法向き?
  
  でもあなたはホルモン療法やらないので参考値にすぎませんが


Q Ki67陽性細胞 5% というのはどう判断すれば?
    Ki67陽性細胞 → 細胞の増殖に関与するたんぱく質の量。
    この値が高いと悪性度が高いとされる。(細胞増殖マーカー)
   
A 14%がボーダーラインといわれています 5%は低い


Q HER2:3+ (DCIS のため参考値)とは?

A ハーセプチンが有効かということ 
  DCISでは使用しないので、参考値にすぎない、ということ

Q 厳重な経過観察とは?

A ADHがあるから、定期的に検査していこう、ということ



あ、上記はシロウトのうろ覚えメモなので、不十分だったり、間違っていることもあるかもしれません。

あくまでもご参考程度で、皆さまは必ずそれぞれの主治医の先生に直接おききくださいね。



正直、DCISだと必要ない項目もいろいろ。

でも今後また病理を見るときに、一度ちゃんと聞いておくと役にたつような気がしたんですね。

あと、ここまで来てやっと患者会でみなさんが何を話しておられたのか、少し分かるようになりました。

ふ~・・・。ビギナーには遠かったです、ここまでも。

そういえば、主治医の先生がおっしゃってたのですが、乳癌の結果は<白か黒か>じゃなくて<グレーか黒か>だから、黒じゃない場合も、グレーだから検査や治療はするんですよ、と。

確かに。

ひらたく言ってしまえば乳癌患者じゃなくても誰でもグレー。

で、私たち乳癌患者はそのグレーが若干濃いのかな。



最後に。

私がプチ・トラウマからめちゃくちゃ早口?でポンポン質問してなるはやで帰ろうとしたら、

若先生が「ギモンに思うことは残しちゃいけないんです。遠慮せずにどんどん質問してください。僕でよければいつでも説明しますから」と。


だそうです、みなさま! ホッとしました~



遅くなりました。

この続きはまた今度です。

おやすみなさい~


  












手術から1ヶ月。今の私は・・・

2011-12-16 | 手術後の日々

昨日、昼間は普通に働いてました。

でも、職場の仲の良いコに、あかりさんのことを伝えたら、不覚にもまた涙が。

まるで友人が亡くなったような悲しさで、正直、今まで、実生活で会っていない人の死がこんなに悲しいのは初めてです。

乳癌という同じ病気を持っているからかなあ。
自分で思っていたよりもずっと、あかりさんのことを親しく思っていたようです。

しばらくこの寂しさは続きそうです。



私の近況をご報告しますと・・・

実はおとといは、手術からちょうど1ヶ月でした。

そして職場復帰して3週間ちょっと。

もう何事も無かったように毎日が来ています。

手術後、手術した右胸はやっぱりなんだかずっと痛くって、ちょっと心配になりました。

階段下りたりするときの振動での痛みと、なんとなくの鈍痛のようなピリっと感のような。

お風呂ではいまだに触るのがちょっと・・・で、たくさん泡をたてて、そーっとそーっと
なでている程度です。

ガマンできないほどの痛みではないのですが、ちょっと気になるというか。

あと、最近気づいたのは、何かに気をとられていると痛みを忘れているような。

なのでかなり気の持ちようかもしれません。私の場合は。


病院の先生いわく、手術すると、神経の関係で、痛み的にやや敏感になることはママあることだそう。

確かにネット上でもいくつか似たお悩みを拝見しました。

しかし対処方法は「自然に治る」および「痛み止め」だそうなので、ガマンすることにしました。

日が経つにつれ、少しは痛みも少なくなってきているような・・・


傷をふさいでいた「ボンド」(見かけはセロハンテープみたいです)を湯上りなどのはがれやすいときにツメではがしてとっちゃったほうがいい、と先生に言われ、手術から2週間くらい後に、勇気を出してはがしましたが、かなり勇気がいりました。

あと、脇のセンチネルの後の傷跡は何かチクチク、トゲみたいなものがあって、着替えたりするときに痛くて気になっていたので、先生に相談したところ、「縫った糸の端が出てたんですね」とチョキっと切って下さって解消されました。




手術が終わってから、この1ヶ月の間に病院には3度いきました。

最初は主治医の先生の診察で、傷を見ていただく。(病理の結果は間に合わず)

2度目は主治医の先生が同じく傷を見てくださり、そのときには病理の結果を教えていただきました。

グレードがつかないほどの早期、非浸潤癌でした。

病理結果に「厳重な経過観察」と書いてあったので、ドキっとしましたが、

先生いわく「それはよく書いてある決まり文句だから」と。

そうなんでしょうか・・・?


しかしそこで主治医の先生にちょっとショックなことを言われ、3度目は違う先生の診察&説明でした。

ちょっとショックなこととは、端的にお話すれば・・・

「僕もみなさんの担当をずっと続けるのは無理だから、どんどん担当を代わろうかと思って」


(!!!)


「あなたは話が長そうだからxx先生に説明してもらいましょう」


(!!!)


え、先生に嫌われちゃったの!?というショックと、この先生だから、と思って決めた病院選びなのに、こういう風にハシゴをはずされるってこともあるんだ・・・というショックと。私がしょんぼりしていたせいか、

「とりあえず、放射線治療が終わったあとの診察は僕がやりましょう」となったのですが。アワレに思われたのかなあ・・・。

その日は診察は朝だったのですが、一日中、ドーンと落ち込みました。

でも、晩に、ふとしたことで発想の転換が出来てすっかり元気になったのです。

「新しい先生のほうが話しやすくてイイ先生かもしれないし」と。


ということで、嬉しいんだか、悲しいんだか、複雑な気持ちのまま3度目の診察に向かったのでした。



この続きはまた今度お話しますね。

おやすみなさい










片野あかりさんのこと

2011-12-14 | 手術後の日々
今日、とても悲しいことがありました。

私が愛読させていただいた乳癌患者の先輩、片野あかりさんが今朝お亡くなりになったと、あかりさんの妹さんのツイッターへの書き込みで知りました。

正直、ショックで、泣けて泣けて。

もちろん再発後、状況がなかなかに厳しいことはあかりさんのブログのコメントにもにじんでいたから、心配はしていたものの、早すぎます。

ホントに寂しいです。毎日あかりさんのブログを見るのが私の日常だったので。

あかりさんのブログにはかなり励まされたり、貴重な情報を教えていただいたりしてました。

本当にありがとう、あかりさん。

いつか、あちらであかりさんと会いたいです。それまでこちらでもうちょっとがんばってみるね・・・と思いました。



そして自分もブログちゃんと更新しなきゃとあらためて思いました。

あかりさんのブログほど誰かのお役に立っているとは思わないけれど、

もし読んで下さっている方に1人でも2人でも、乳癌で悩んでおられる方がいらっしゃって、こんな患者の例もあるんだと、何かのご参考になれば・・・


乳癌ブログって、おそらくかなりあると思うので、その中ではかなり「へなちょこ版」ないし「こまかい版」しかも「緊張感いまいち版」だと思いますが、

こんな感じの患者もいるのね~って思って読んでいただけるなら・・・


私もあかりさんのように、乳癌患者としてのありのままの気持ちを伝えていきたいし、お役に立つ情報もお伝えしたいです。(あかりさんには到底およびもつきませんが)


実はただいま絶賛仕事増量中!で、正直最近ぐったりでブログを更新できておりませんでした。そしてしばらく仕事は増量続いちゃいそうなので、ちょっと更新頻度はスローかもしれませんが、ときおりのぞいてみていただければ嬉しい限りです。

この続きはまた今度です。

おやすみなさい











退院までのあれこれ

2011-11-27 | セカンドオピニオン~初めての手術入院まで
手術から2日目の朝。

主治医の先生の診察。

いろいろ質問考えていったものの、結局は病理結果が出ないとこういったことを聞いてもまだ意味ないなあ・・・と自分で気づいてしまい、傷を見ていただいて、退院後のアポをとらせていただいてさらっと終了でした。

「退院まで、もう先生とお会いすることはないんでしょうか?」とたずねると

「そうですね」と。

実際、そのあと退院するまでの間に、お会いしたのは、先生の部下(?)である若い先生たちだけでした。

ちょっと寂しかったなあ。

でも、きっとそういうものなんでしょうね。


そしてその際に、退院日もあっさり決まりました。

本当はその翌日、すなわち手術から3日目に退院してよかったようなのですが、その朝だと家族がこれなかったので、翌々日、手術から4日目に退院となりました。


それからやることって基本ないんです。

でも、こんなに大手をふって一日中寝ていられることなんてそうそう無いな、

栄養管理もされたゴハンも出てくるし・・・。

ということで、しっかり休ませていただくことにしました。


で、シャワーのお許しも出たので、お風呂場(シャワー)を予約。

その時点で、やっぱり傷跡を見ることはできてませんでした。

ものの本によると、初めて傷を見るときは、病院に入院している間がいいと。

確かに、精神的なショックであろうと、純粋に傷についての質問であろうと、一旦退院してからだと、なかなかプロに相談しづらいもの。

それなら、シャワーを浴びて、徐々に慣れながら、何かあったら看護師さんに相談しようと思いました。

ホント、ごはん以外のこの日の予定は、3つだけ。

■朝→診察(5分くらいで終了)
■午後→初シャワー
■夕飯後→友達がお見舞い

あとはSATC見てはウトウト・・・という一日でした。


その翌日。(手術から3日目。)

私の場合、ドレーンはなかったので、傷口に水(体液?)などがたまっていたので、午前中にレジデントの先生が水を抜いて下さいました。

またもそれ以外、お風呂しか予定のない一日。

正直その前の日あたりから、やや自分の時間をもてあましていた私。


そんな私を同部屋のお2人の患者さんが相手してくださいました。


お1人は、私より前から入院されている方。食事制限があってお菓子など食べられないそうで、私にお菓子をくださいました。

どうやってお返ししよう・・・食べ物などではいけないし・・・と考えた結果、その方が「足がむくんで、マッサージの方を呼びたいけれど呼べない」ということを知り、足をさすらせていただくことにしました。

足をさすりながら、海外で訪れた町のお話などきかせていただきました。

抗がん剤でつらい治療のさなかなのに、笑顔のたえない素敵な方でした。


もうお1人は、私より後に入院されてこられた方で、同じ主治医の先生だったので、向こうから声をかけられ、手術についてなど、質問されたのがきっかけ。

その方はアクティヴに病院内をいろいろ歩かれたようだったので、むしろ、その方と一緒に、病院内の患者用のスペース(散歩スペースや図書室など)を歩いて、「こんな場所あったんだわ!」と驚き。

退院前に行くことができてよかったな~と思いました。

同じ入院でもキャラクターによって過ごし方はやっぱり違うんですね。


入院最後の晩。

翌朝、私は退院。となりの彼女は朝手術でした。

「夜景見に行こうかと思うんですが、もしよかったら」とお声をかけたところ、「ぜひ!」ということで、夕食後に2人で病院内で夜景がきれいに見えるところにいきました。

そこで別の入院フロアーから同じように夜景を見に来ていた2人の女性と一緒になりました。

そのお2人が、窓の外を指差して「ほら、あそこにクリスマス・ツリーが」と。

その方向を見ると、夜の街の中、建物の間にちょこんと白く光るクリスマス・ツリーの上半分が見えました。

「ああ、ほんとだ、クリスマス・ツリーですね。早いなあ。もうそんな季節なんですね。」

「ほんとですね。」

そこはお見舞いの方との談話スペースだったので、それから4人でその部屋のソファーに座って、しばらくお話を。


病気のこと、退院のこと、たわいもない話題。そんなに長い時間じゃないのに、なんだか4人の間にも不思議な親しさがありました。

同じ入院仲間、という連帯感なのでしょうか。

ただ、患者同士の会話は、楽しい反面、私には自分自身に反省することになるものでもありました。

患者同士でも病状の深刻さは人それぞれ。自分の思わぬ発言で他の人を傷つけたくない、と思ったら、入院中、なんどか自分で自分の発言を振り返ってひやりとしたり、反省したことがあったのです。

それでも、そういった患者さんたちとの出会いや会話は、自分の心の中に深く残るものとなりました。


最後の晩は入院してから一番眠れなかった。

いろんなことが心の中をぐるぐると。窓の外の光がほんの少しさす暗い中で、ノートに書いたメモの一部。


****

病院は人生の交差点

私より病状が重い方たち。そんな中で皆さんよくしてくださってありがとう。

自分の今後。再手術になるリスク、放射線治療のこと。再発・転移への不安。
でもそのすべてをいっぺんに考えるのは無理。

世界がおだやかでありますように。

クリスマス・ツリーが見えた。

あたたかいメール。

お昼寝したからなかなか眠れない。

向かいの人のクリスマス・リース。

****


そして手術から4日目の朝。

朝食後、9時前に病院を退院しました。

手術の助手や何かをやってくださったレジデントの先生たちにもちゃんとお礼いえなかったなあと思っていたら、その朝にも回診があったので、ちゃんとお礼言えてよかった。

主治医の先生にはまた今後もお会いできるかもしれないけれど、こういった入院中のほかの先生たちはもう会わないのではないかと思っていたので。

看護師さんはホントにいろんな方がいらっしゃったので、結局最後の日にお会いした方だけ、お礼をいうことができました。



ちょうど私が病院を出る前は、前の日に病院内を案内してくれたとなりのベッドの方が手術に行く直前でした。


術衣を着た彼女と両手で握手して「がんばってね」「がんばるわ」と挨拶をかわしました。


彼女は私のことを見て元気が出たといってくれました。こんなにすぐ元気になるんだなと思ったと。



そして、私は退院したのでした。


実質6日間。短かったけれど、いろんなことを考えさせられた時間でした。

特に「家族」の大切さはひときわ身にしみました。



おそくなってきました。この続きはまた今度です。


今日も読んで下さってありがとうございます

































初めての手術後の夜~手術翌日

2011-11-27 | セカンドオピニオン~初めての手術入院まで
というわけで、朝手術を受けたその日。

夕方には家族に帰ってもらいました。

ずっといてもらっても悪いな・・・というのもありましたし。


その晩は・・・・。

実は正直大変でした~。そうとう辛かった~。二度と味わいたくないくらい。


しかしその原因は手術の傷じゃなかったんです。


それは腰痛。


とにかく腰痛がヒドい。

家族がいる間から腰痛がキテたので、そのときは横を向いて、家族に腰をポンポンたたいてもらったりしてました。

家族が帰った後、腰痛はとにかくヒドくなり。

身動きができない。

右胸を手術した私としては、体の右側を下にできないから、体の左側を下に横になるか、仰向けになるしかない。


夕方、手術のときの助手の先生が傷を見にいらっしゃり、そのあと、主治医の先生が。

主治医の先生は傷は見なくて、

「xxさん、傷の具合はいかがですか?」

とおっしゃるので、

「ああ、傷はともかく腰痛がヒドイです」と答えたら、

「ああ、そう、アハハハハ・・・」と笑いながら行ってしまいました。

私はモーローとしながら「どうして笑ってるのかな・・・」と若干憤慨しながら、去り行く先生の背中につぶやいていたような。

先生からすれば、「手術の傷」より「腰痛」を気にしてる時点で「大丈夫だな」というご判断になったんでしょうね。


手術前に綿密に(?)痛み止めのことを伺っていた私。

もちろん病室に移動してすぐに看護師さんに「点滴に痛み止め入れてください」と依頼。

なので、傷の痛みは大丈夫だったんです。


でも、痛み止めって腰痛には効かないんですね・・・・。痛みの種類が違うっていうか。



手術後すぐは、体温も下ってとにかく寒くて、電気毛布をかけてもらってガタガタしていた私ですが、晩になると熱もあがってきまして。

鎮痛のお薬と眠くなるお薬を点滴に入れてもらったのですが、隣のベッドの人のうめき声がけっこうなもので、眠れず。

隣のベッドの人は、シロウトの私でもわかるくらい、私よりずっと深刻そうなので、文句も当然言えず。

腰痛と熱に耐えながら「万が一次回こういうことがあるなら、この一晩だけは個室にしてもらいたい&腰痛対策考えたい」と考えていました。

正直あんなにナースコールするとは!

一晩で3,4回お呼びしてしまいました。

ナースさんにいらしていただいて、布団の位置を変えたりして、なんとか少しでも腰痛を~というのと、お水は翌朝まで飲めないものの、先生から「氷はOK」というお言葉があったので、カラカラの口を潤すため、「氷」をお願いしたりいたしました。

このナースコール。

実は、ガン患者の先輩と、医療関係者の友人のアドバイスのおかげで、勇気出しておせました。

2人とも「痛いとか苦しいとか、遠慮せずに、ナースコールするのだよ」と。


その晩はホントに10分、15分ごとに目が覚めて、

「朝6時になれば起床、なんとか早く尿管を抜いてもらって体を起こして座りたい」と願いながら耐えました。

本来は尿管を抜くのは、朝食後、すなわち9時頃の予定だったのですが、やっぱり尿管抜いて無いと、座れないので、私としては一刻も早く座って腰痛を軽くしたい!!と。

6時になり、看護師さんがいらっしゃったところですぐ相談。

すると、なんとか、朝食前、8時頃に抜いていただいてベッドのリクライニングをたてて、座ることができました。

座ってだいぶ腰が楽になりました~。ふぅ。

朝食は気分が悪くて殆ど食べられませんでした。そして脳貧血起こしたので、朝食はほどほどに、うとうとしていました。

その後、看護師さんがいらして体を拭いていただいて術衣からパジャマに着替え。

右腕を動かすのがこわかったので、お願いして髪の毛も2つに結んでいただきました。


やっぱり身支度が整うと、気持ちって落ち着くものですね

そうして、点滴をコロコロひっぱりながらもとの大部屋にリターン。

ベッドの背をたててもらって、よりかかってうとうと。

やっぱり疲れていたり(夕べ眠れなかったので)、熱が出たりしてましたが、その頃にはかなり落ち着きました。


夕方になって点滴が外れたら、さらに一段階元気に。

で、夕食後にガン友がお見舞いにきたときには、さらに元気に。

まさか手術翌日の夕方に友達と談笑できるくらい回復しているとは!!


その後、就寝時間近く、テレビを見てすっかりくつろいでいたら、肩をたたかれて振り返ったら、主治医の先生がいらしててびっくり。

イヤホンしてると人の気配って気づかないものですね。完全なフイうちでした。

そして「明日朝8:30、治療室いらしてください」と。


そんな感じで手術当日の晩~翌日は過ぎていったのでした。


手術前日の晩に戻ってから、手術翌日の晩までは無我夢中、というか、わわわーっと過ぎていった感じです。


この続きはまた今度です。

今日も読んで下さってありがとうございます












初めての手術

2011-11-26 | セカンドオピニオン~初めての手術入院まで
その朝はやってきました。

人生初めての手術!

ドラマなどで見た事あっても、それがよもや自分に起こるとは。

その朝、手術当日朝の入院日記にはこんなことが書いてありました。


*****

今日いよいよ手術です~
もう未知の世界。

1つ言えるのは、温存でも<局所麻酔:日帰り>じゃなくてよかったっていうこと。

回復的に無理でしょ、っていう

ちなみに私のいる大部屋 人の入れ替わりがハゲしい。
(その下にベッドと移動の図が書いてありました)

*****


・・・。

コワイとか、不安とか、っていうより、何がなんだかって感じだったんでしょうね。

ハイ。

それでもちょっと自分神経質になってるのかな・・・と思ったのは、

看護師さんが早めに(?)術衣をもっていらしたとき、ギリギリまで着替えたくないって思ったこと。

それと心配でなんどもお手洗いに行っちゃったこと。これから動けないなら・・・とか心配になりました。


そのうち家族が来て、貴重品などを渡して、手術室へ。


あの、ドラマでよく家族が手術室前のソファで心配顔で待っていて、

ドア上の赤いランプが消えて「手術が終わった」みたいになって、

家族が立ち上がって、先生が中から出てきて「無事終わりました」

みたいなものを思ってたんですが、違うんですね。

警察の取調べでカツ丼が出るっていうのと同じくらい違ってました。


私の手術した病院ではなんと手術室が30もあり(その全てが同時稼動するわけではないですが)入口は外玄関と中玄関みたいになっていたわけです。

で、家族は外玄関の前でバイバイ!となり、

私は中で待っていた手術ご担当の看護師さんたちに「こちらですよ」みたいに、案内され、中へ・・・。

そこは、大通りみたいな廊下があって、左右にばーっと手術室が列になっていました。

ある種、壮観!

それでそれぞれの手術室の上にまさにあの赤いランプが付いてたり、消えてたりしていました。

ちなみに私の手術した病院は朝イチの手術は朝8時半から。

ということで、私の手術<午前10時から>というのは2枠目くらいだったんですね。

なので、その大通りみたいな廊下に行ったときには、

すでに赤ランプ点灯中の部屋もいくつかあったような気がします。

手術って結構朝早くからやるものなんですね。


そして私は左列の何番目かの部屋に入室。

そこはほどよい狭さ(広さ)の手術室で、真ん中に手術台がありました。

で、看護師さんが「手術台に上って下さい」と。


ハイ、ここもドラマと違うポイント。


私、麻酔を他でやって、手術室には意識無くストレッチャーで運ばれて、誰かが手術台に乗せてくれるのかと思っていました。

でも実際には、自分で上がるんですね、元気な患者だと。


内心驚きと緊張のまま、仰向けに。


すると、麻酔の先生が左腕をしばって左手の甲にプスリと麻酔のための点滴の針をさしました。

「だんだん眠くなりますよ」みたいなことを言われたような言われないような。


手術室にはたしか男3名、女3名、計6名の人がいました。

主治医の先生
助手の先生 (アイソトープ注射してくれた人でした)
麻酔の先生
看護師さん3名

そういった人が私をぐるりと囲んで・・・と思ったら、主治医の先生の姿が見えなくて、

モーローとしながら「あの、xx先生は?」といったら、

看護師さんや麻酔の先生が「何か、伝えたいことが?」みたいに真剣に。

そこで私は「よろしくお願いしますって・・・いいたくて・・・」といいながら意識を失ったのでした

周りの看護師さんたちは「なーんだ」みたいにちょっと拍子抜けというか、和んでいたような気がします。

そして意識を失う直前、主治医の先生が左前方の壁際にリラックスして(?)白衣でよりかかっていたのを見たような気がします。

甘えん坊?気質の私としては、主治医の先生にも覗き込んでもらって
「xxさん、大丈夫、僕がしっかり切りますよ」って言ってほしかったなあ。

でも先生はクールにややかっこよく、壁際でリラックスなさっていたのでした。

うーん、つれない



次の記憶は天井だったかなあ。。。


「終わりましたよ」って言われたような。

でも、そこが回復室なら、そこから病室に移動したはずなのですが、その記憶は今では全く思い出せません。

はっきり意識が戻ってきたのは、病室で酸素マスクや点滴をつけていて、ベッドサイドに家族がいるあたり。

家族の話では、

手術は最長3時間、といわれていたが、実際には1時間35分くらいで終わったこと。

センチネルは2つとって、その両方にがん細胞はみつからなかったこと、など。


そのあとはグッタリだったのですが、

家族がいてくれたので、なにくれとなくどうでも良いことを話したり、

寝ている私をカメラで撮影してみたりなど、夕方までついてくれて、気がまぎれました。


手術前には、手術後はぐったり寝てるだけだから、家族は帰っていいと思っていましたが、実際には眠れなかったので、話相手をしてくれて本当によかった。

でも、何を話したかあんまり覚えて無いんですよね。何時間も話したのに。

唯一覚えているのは、テレビ誌に載っているドラマ評を読み上げてくれてたこと。


そんなホンワカな感じがありがたかったんですね。

そして家族は夕方には病院を後にし、私一人の時間がやってきたのでした。

それは実は、私の予想を超えるなかなかにツライ一晩となったのでした。


遅くなりました。この続きはまた今度です。

今日も読んで下さってありがとうございます