最近、高齢者や知的障害のある人のケア施設(5か所)において音楽を用いるセッションを見学する機会がありました。
私自身は、介護を現場で担当したこともなく、ソーシャルワーカーでもありません。
間もなく70歳になるということと音楽にはこれまで縁のない人生を送ってきたという点からこれらの施設を訪問した感想をまとめてみます。
【名前】
多くは、「音楽療法」といわれます。私は反対です。「療法」ってことは、医学的な意味をもっていますね。何らかの事を行えば、事態が改善する・・そういう雰囲気があります。
でも、認知症の場合がそうであるように、放っておいて事態の悪化するのを少しは食い止めるということはありますが、残念ながら現状では治ることはないです。
奈良で実践をされている西村さんは「音楽ケア」という名前を提唱されています。「音楽療法」のもつ問題点を少し緩和していますね。私のこのブログで「音楽ケア」というカテゴリを用いているゆえんです。
もう少し、ピッタリのものがないか?と思いますが、「音楽療法」ではまずいのではないか?ということだけで先に進みます。「音楽リクリエーション」というところもありましたがなるほど、と思いました。
【方法】
多くの場合は、音楽演奏に素養のあるかたあるいは人前でしばしば音楽を演奏してきたという方に1時間程度その場をあずけて、自由に時間を過ごしてもらう・・というものでした。詳しくは書けませんが、5つの見聞のうち、「音楽療法」を学んだ人が行ったものが3つ、音楽の演奏実績のあるかたのセッションが1つ、スポーツとの併用からアプローチするものが1つです。
【効用】
音楽療法をキーワードとして日本語で書かれた20近くの博士論文の内容をみると、ほとんどが医学、看護学、心理学の方法によって、「音楽療法の効用」を測定・計量しています。
先に述べた理由によって、音楽を用いることによって認知症のかたの症状の改善が著しくよくなる・・ということは残念ながら現状では期待できないので、身体的・精神的に「効果がある」というアプローチには賛成できません。
*診療報酬の算定基礎となる点数表に「音楽療法」を計上するためには、効用の明確な指標を必要としているという発想ですが、これはそのセッションを一定の資格者にゆだねるという評価方法を導入することで対応できないでしょうか?
では、どんなことを目標にして音楽が用いられているのか?
音楽をセッションにもちいることで、認知症の方自身はもちろん、グループで行うという意味で認知症の方相互の人間関係に関して、音楽を用いない普段のときには発見できない新しい事実・関係が観察されることがある。その観察された事実を参考にソーシャルワークの用語でいえば、アセスメントをするわけです。
音楽に接することで、これまで発見できなかったそのかたの特性、好きなこと・嫌いなこと、意外なライフヒストリーなどを発見することができ、そのことを以後のケアに活かすことができる。
【実践結果の蓄積と体系化】
最近における社会福祉学や介護福祉学の専門雑誌や学会要旨集などをみても「音楽療法」「園芸療法」などを正面からとりあげた研究は極めて少ないですね。あったとしてもほとんどは「効用があったか」という問題意識で行われています。
毎日のように、全国の高齢者や障害者を対象とした施設において音楽を用いた実践が行われているのに比べて、その活動内容を記録し、蓄積したものが少ない。
外国の理論や方法をそのまま紹介する講義。それを国家試験の内容として出題している現実を反省する必要があると思います。
【人生と選曲】
♪ギターを無視してそれまで寝ていた方(男性)が「浜千鳥」をうたうときには声を張り上げていた。
♪美空ひばりの演歌を持ち歌にしていた方(女性)はまったく楽譜・歌詞をみていないが目が全然みえないということだった。
どのような曲が好きか?
・育った時代、世代。(明治・大正・昭和)(映画、テレビ、カラオケ、携帯)
・育った地方
・個人的な環境・仕事(イギリス国家をうたった人は商社の仕事で若いころイギリスにいた)
あるひとがどのような機会に音楽を知ったのか
それは千差万別ですが、セッションの記録を重ね合わせることによって、その人にとっての音楽、あるいは音楽を通して知るその方の人生を知るきっかけがふえる。
症状に合わせて投薬する
その方の音楽人生に合わせて選曲する
グループとしての選曲
さまざまな工夫がされていますが、これ以上の紹介は施設が特定されそうなのでここまで。
【展開】
民謡になると、一気に場の雰囲気が変わりますね。盆踊り状態になる。
自分は口を開かないが、音楽の場にいて、目を閉じてうっとりしていたり、足で小さく答えていたりというそういう参加の方ももちろん沢山おられますね。
・認知症のように、これまでの医学的な対応では限界がある場合
・さまざまな「療法」群を統合的にとらえる視点
・音楽のセッションで得た個別の情報・アセスメントの活かし方
などが研究課題になると思います。
そのうえで、そのような活動を介護報酬ではどのような位置づけを工夫できるか。
*ブログのカテゴリ「音楽ケア」 47件
*Social Care Worker のカテゴリ031 music th. 50件
に掲載の記事を参照ください。
*写真は、加計呂麻島で。「徒然なる奄美」 2010.12.22付の記事からお借りしています。
私自身は、介護を現場で担当したこともなく、ソーシャルワーカーでもありません。
間もなく70歳になるということと音楽にはこれまで縁のない人生を送ってきたという点からこれらの施設を訪問した感想をまとめてみます。
【名前】
多くは、「音楽療法」といわれます。私は反対です。「療法」ってことは、医学的な意味をもっていますね。何らかの事を行えば、事態が改善する・・そういう雰囲気があります。
でも、認知症の場合がそうであるように、放っておいて事態の悪化するのを少しは食い止めるということはありますが、残念ながら現状では治ることはないです。
奈良で実践をされている西村さんは「音楽ケア」という名前を提唱されています。「音楽療法」のもつ問題点を少し緩和していますね。私のこのブログで「音楽ケア」というカテゴリを用いているゆえんです。
もう少し、ピッタリのものがないか?と思いますが、「音楽療法」ではまずいのではないか?ということだけで先に進みます。「音楽リクリエーション」というところもありましたがなるほど、と思いました。
【方法】
多くの場合は、音楽演奏に素養のあるかたあるいは人前でしばしば音楽を演奏してきたという方に1時間程度その場をあずけて、自由に時間を過ごしてもらう・・というものでした。詳しくは書けませんが、5つの見聞のうち、「音楽療法」を学んだ人が行ったものが3つ、音楽の演奏実績のあるかたのセッションが1つ、スポーツとの併用からアプローチするものが1つです。
【効用】
音楽療法をキーワードとして日本語で書かれた20近くの博士論文の内容をみると、ほとんどが医学、看護学、心理学の方法によって、「音楽療法の効用」を測定・計量しています。
先に述べた理由によって、音楽を用いることによって認知症のかたの症状の改善が著しくよくなる・・ということは残念ながら現状では期待できないので、身体的・精神的に「効果がある」というアプローチには賛成できません。
*診療報酬の算定基礎となる点数表に「音楽療法」を計上するためには、効用の明確な指標を必要としているという発想ですが、これはそのセッションを一定の資格者にゆだねるという評価方法を導入することで対応できないでしょうか?
では、どんなことを目標にして音楽が用いられているのか?
音楽をセッションにもちいることで、認知症の方自身はもちろん、グループで行うという意味で認知症の方相互の人間関係に関して、音楽を用いない普段のときには発見できない新しい事実・関係が観察されることがある。その観察された事実を参考にソーシャルワークの用語でいえば、アセスメントをするわけです。
音楽に接することで、これまで発見できなかったそのかたの特性、好きなこと・嫌いなこと、意外なライフヒストリーなどを発見することができ、そのことを以後のケアに活かすことができる。
【実践結果の蓄積と体系化】
最近における社会福祉学や介護福祉学の専門雑誌や学会要旨集などをみても「音楽療法」「園芸療法」などを正面からとりあげた研究は極めて少ないですね。あったとしてもほとんどは「効用があったか」という問題意識で行われています。
毎日のように、全国の高齢者や障害者を対象とした施設において音楽を用いた実践が行われているのに比べて、その活動内容を記録し、蓄積したものが少ない。
外国の理論や方法をそのまま紹介する講義。それを国家試験の内容として出題している現実を反省する必要があると思います。
【人生と選曲】
♪ギターを無視してそれまで寝ていた方(男性)が「浜千鳥」をうたうときには声を張り上げていた。
♪美空ひばりの演歌を持ち歌にしていた方(女性)はまったく楽譜・歌詞をみていないが目が全然みえないということだった。
どのような曲が好きか?
・育った時代、世代。(明治・大正・昭和)(映画、テレビ、カラオケ、携帯)
・育った地方
・個人的な環境・仕事(イギリス国家をうたった人は商社の仕事で若いころイギリスにいた)
あるひとがどのような機会に音楽を知ったのか
それは千差万別ですが、セッションの記録を重ね合わせることによって、その人にとっての音楽、あるいは音楽を通して知るその方の人生を知るきっかけがふえる。
症状に合わせて投薬する
その方の音楽人生に合わせて選曲する
グループとしての選曲
さまざまな工夫がされていますが、これ以上の紹介は施設が特定されそうなのでここまで。
【展開】
民謡になると、一気に場の雰囲気が変わりますね。盆踊り状態になる。
自分は口を開かないが、音楽の場にいて、目を閉じてうっとりしていたり、足で小さく答えていたりというそういう参加の方ももちろん沢山おられますね。
・認知症のように、これまでの医学的な対応では限界がある場合
・さまざまな「療法」群を統合的にとらえる視点
・音楽のセッションで得た個別の情報・アセスメントの活かし方
などが研究課題になると思います。
そのうえで、そのような活動を介護報酬ではどのような位置づけを工夫できるか。
*ブログのカテゴリ「音楽ケア」 47件
*Social Care Worker のカテゴリ031 music th. 50件
に掲載の記事を参照ください。
*写真は、加計呂麻島で。「徒然なる奄美」 2010.12.22付の記事からお借りしています。
2つの
追加のコメントありがとうございました。
現状は
ただ「音楽の時間」
という程度で、その間はスタッフは休めるのからありがたい
というところもあると聞きました。
ご指摘の点は
これからの克服課題ですね。
と思いますが、交代勤務の中での情報の共有はどうしてもきちんとした記録がなければ
口頭だけの申し送りでは人の主観が入ったり、正確な伝達ができないと思うからです。
だから、一人のスタッフからの情報だけでお音楽療法をするのではなく、
きちんとした公の情報から、利用者の情報を得てその人にあった音楽を提供してもらいたいと思います。
そして新たに知り得た情報も他のスタッフへ教えていただきたいと思います。
病院でしたら、他科へのコンサルテーションという形でスムーズにできそうですが、
そのような連携をとることが施設においてはとても難しいと感じています。
どんな音楽のどんな場面でどのような反応がみられたのか、
それをきちんと記録して残していかなければ他職種スタッフとの情報共有にはつながりません。
逆に、音楽療法の先生たちは施設の記録を読んで音楽を処方されているのか、
どのくらいそのような先生がいらっしゃるのか、
とても興味のあるところです。
コメントありがとうございました。
「音楽療法」と
「音楽レクリエーション」
を使い分けているのは
見識ですね。
コメントを読んで
音楽や園芸や化粧や
さまざまな手法による活性化が
ケアと連携していく
「ケアスタッフの一員」
としてのセラピスト
というイメージもわきました。
チームとなれば
情報の共有がスタートですから。
無資格の以前音楽教室の先生をしていたことのある方の行う
「音楽レクリエーション」と使い分けています。
音楽を聴いて自分のその時代を振り返ることで脳の活性化を期待できることと、
ちょっとした楽器を用いて音を奏でることでの関節、筋力などのリハビリ効果もあると思います。
その人にあった音楽であれば、きっとデータで表すことのできる効果があると思っています。
ただ、もう一つの課題としてその時の状況をきちんと記録に残して介護士などの他職種スタッフに
伝達することができているかどうか、だと思います。
そうしなければ「療法」の意味はなさないですよね。
コメントありがとうございます。
私の「高齢者福祉論」で
Bさんの音楽療法のテーマを
お聞きしたのが
私にとっての「音楽療法」の
話の始まりでしたね。
西村さんのブログ「音縁」
ともつながりました。
これが
のちにQさんの「園芸療法」
との出会いにつながったことを
考えると
多くの友人たちと離れて
鹿児島に来た私には
新しいテーマのヒントがありました。
私はいつも、一つの考え方に囚われてしまい、そこで起こっている数々の現象を体系化出来ていないことに気がつきました。一つ一つの意味は分かっているつもりです。しかし、それがバラバラになっている。
そこから、見えてくるものと向き合おうと強く思いました。
大切な御示唆を頂き、有難うございました。