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ぼんじゃいこ

今日の出来事や、ふと気になったことをチンタラポンタラ書きとめようと思います。

マックグリドル

2007年05月06日 | きょうのつぶやき
皆さんはもう「マックグリドル」食べました?

あの意味ありげなCM。
いったいどんなんやろう???って思っていたんですなぁ。
私の周りの人達の評判は賛否両論。

「うん、アリやで!」
「いやぁ~甘すぎる。」
ってな感じ。

休日の朝食にごくたまに近所のマックに出かけるんですが、
いつもはベーグルサンドをチョイス。
ですが、今回は思い切ってマックグリドルに挑戦。

うんとね、バンズのところが、
シロップが浸み込んだパンケーキのようなもので、
それに具が挟んであるって感じ。

だからパンケーキ好きにはいいよ。
パンケーキだけだと物足りない人にもいいよね。
ただ、本当に甘い。
私はあの甘さはアリだと思ったけど、
とにかく栄養を感じさせる心遣いは相変わらずないって感じで
野菜生活ジュースで補う?補える?って感じではありました。

4月で一番面白かった所 NO1 野江のガレージ

2007年05月01日 | きょうのつぶやき
一ヶ月あったお休みも終わりとなり復活。

なかなかどうして、めちゃんこ充実した一ヶ月でした。
いたるところに「4月暇やから遊んでぇ」なんて
言いまくってたもんで予定の多さに首が回らない時もありました。

それに加えて貧乏性だもんで
もっともっと予定を入れたてて、
自分をこれでもかぁと追いつめた一ヶ月となりました。

これって本当に自分の為になってるんか?
と振り返ってみても、かなり疑問には思っているのですが、
あまり深く考えるのはやめておこう。
考え直しただけでもしんどくなる。

ただ、体は正直で、
扁桃腺がついに腫れだす感じがしだして、
昨夜は栄養ドリンクを飲んで寝るっていう禁じてをもって
本日の出勤日に備えるってことになってしまいました。
ちょっと反省かもね。

いやぁ~色んな物も食べたし、
色んな人とも会い色んな所へも出かけましたが、
忘れられない一番面白かった場所。

友人に面白いところがあるからってんで連れて行ってもらいました。

友人の先輩がもつガレージです。
友人が前から言ってたワーゲンバスを見てみたいなぁってのと、
友人の面白い先輩にも会って見たかったので
思い切って行ってみました。

これが、想像以上に面白い人で面白いところでした。

友人の先輩で私にとっては初対面だったので
何かあっては困るということもあり
「今日はちょっと飲まんときますぅ」って最初に言ったもんの
そんなこと言ったかいのぉ?とオトボケ顔で相手の目をクラマスほど、
乾杯から最後まで浴びるように飲んでしまいました。
自分のこと、たまに理解できません。

きっとあの場の雰囲気が私のスイッチをオンしてしまったのだ。
だって目に映るもの全てが面白いし。
とにかくすんごい空間。
久々に異次元にぶっとんだ。

祝・退院!

2007年03月21日 | きょうのつぶやき
本日、無事に母が退院しました。
病院滞在日数は結局15日。
先生が言ってた範囲の中では短いほうで、
私としては長かったような短かったような。
でも私の出来る範囲のことは全て出来たんで
変てこな達成感がありました。

母はこれからしばらくは自宅療養に入ります。
次回の外来時に手術で摘出した部分の組織検査結果の話があり、
それによって今後の治療が決まるようで、
それを聞いてから職場復帰するという予定をたてました。

今後の治療とは、抗がん剤の治療の有無やその方法です。
それまではしばらくお休み。
充分体を休めてもらい回復して欲しいと思います。

今日のお迎えには弟カップルと私達夫婦で。
2週間分とは思えないような大量の荷物を抱えて病院の外へ。
久々の外の空気だった母は「気持ちいいぃぃぃ」と叫んでいました。

その後、上本町の都ホテルへ向かい、退院祝いの会を。
私達からのプレゼントのつもりだったのですが
結局母から「色々と支えてくれでありがとう。」と
プレゼントされることになりました。

「あまり食べ過ぎないようにね!」って事前に話していたんですが、
普通にお食事をされておりました。
「やっぱ病院で食べるよりも美味しい!」って話していました。
あんなに食べて大丈夫だったんだろうか・・・

お食事が終わり、皆で当面のお買い物を済ませやっとお家へ。
「やっぱお家はいいなぁ~」だって。
そうだよね、どんなリゾートホテルだって
家のベットに勝るものはありませんもんね。
ゆっくり思いっきり眠ってね。

家に着くなり皆でお掃除したりお片づけして早めに退散しました。

私もホッとしたのか、家についてしばらくしたら
思いっきり眠りこけてしまいました。
さて、明日からは今まで撮りためてたドラマ見なきゃ。

退院日が決定!

2007年03月17日 | きょうのつぶやき
母の退院日がついに決定しました。

昨日の先生の往診によると
先生曰く月曜には退院できるよってことだったそうですが
月曜は平日だし、昨日やっと縫い目を留めてたホッチキスが取れたようで、
正直そんな急いで退院したところで家での休息が必要。

それならば3食掃除に看護付きで、
もしも何かあったらすぐに対応してもらえる病院に
もう少しいさせてもらおうということで
水曜にしました。

当初予定では2週間~20日ということだったんですが
その予定内での退院です。
あの先生を選んで本当に良かったです。
退院後はしばらく自宅で休養し
体力を回復してから来月に仕事復帰するというスケジュールが出来ました。

ということで、母もついに禁断の質問を先生に
「何でも食べてもいいですか?珈琲も飲みたいんですけど」
と尋ねたようです。

食事は入院している間は病院のをってことだったんですが
珈琲についてはアメリカンを薄めてなら飲んでもいいと許可も。
でさっそく私に
「来る時にヨーグルト系のデザート買ってきて!」って
リクエストが入りました。
スイーツ食べたいって言ってましたからねぇ。
でも、こういうリクエストに答えてあげれるのが嬉しかったりする。

仕事あがりに立ち寄れるところと言えば
上本町の近鉄だけだったんで、
その中でカップ系で一番良さそうだった
モロゾフの期間限定の「さくらんぼプリン」と「サクラゼリー」を。

私は昨夜は飲み会だったので、
母の夕食に付き添って一緒にデザートだけ食べました。
サクラは私にはちょっとあっさりしすぎてましたが
さくらんぼプリンは美味かったです。

そして、昨夜は完全普通食の夕食デビューでした。
メインがビーフカレースープっていう、
いきなりヘビーな洋食ではありましたが、
点滴がとれた今、食事でも体力つけないとダメなんで、
がんばって食べてました。

しっかりと食べ切ったのを見届け、
私は旅行会社時代のかわいい後輩達とのお食事会。
精神的にもすべて落ち着ききった状態だったんで
本当にのんびりと楽しめました。

術後初めての夕食

2007年03月13日 | きょうのつぶやき
今日もバイトあがりに母のところへ。

今日は個室から大部屋への移動をお願いされたらしく
午前中は看護士さんと大移動をしたそうだ。

リハビリをかねてお片づけは自分で行い、
ついでにお洗濯をしたり、
明日手術を控える同室の方に
色々と体験談を話したりして過ごしたようです。

そして一番驚いたのは
ついに今日からお食事がスタートだと。

主治医からは術後5日後ぐらいからって聞いていたので、
金曜からだとちょうど5日、ビンゴである。

私達家族がずっと心配している、
切断して接合して結腸をとめてあるホッチキスのところは
無事なのかどうかってこと。
でも食事してよいってことは接合完了ってこと?
たかが5日しか経ってないのに?
何の根拠で食事OKなのか私は疑問ではありますが、
先生がいいって言ったのだから信じようっと。

母は昨日よりもまたもや元気な様子で、
今まで点滴をぶら下げた棒を両手でもって
ゆっくりと歩いていたのに、
今日は片手でしかも普通の速度で歩いてました。
人間の治癒能力ってやつはすごいもんです。

さて、今日の写真は記念すべき本日の回復食です。
メニューは
お粥のお汁だけ・かぼちゃの煮物のお汁だけ・オレンジジュース
なんとも淋しい飲み物ばっかの食事ですが、
手術の1日前から食事をしていないんだから
文句を言ってはいれません。

「おめでとうぉ!記念写真なぁ」と
私もハシャギ、オレンジジュースをかっこよく持って
ニッコリとポージングする母でありましたが、
食べ初めて「うぅぅ、美味しくない」と。

こんなに久々でも美味しくないってどんなんやねんと思い
一口づつ頂きましたが、
私はそんなに不味いと思わなかった。
やっぱり私は味音痴なんだなぁ~

結局、かぼちゃの煮汁は完食しましたが、
お粥のお汁は半分残しており、
オレンジジュースは冷たいので常温になるまで待って
ゆっくり飲むということでした。
食べながらってか飲みながら
「離乳食でこんなんをかなちゃんに食べさせててんで。
 改めて食べるけど、美味しくないもん食べさせててんなぁ。」
とつぶやいておりました。

明日は水曜日。
水曜日だからなのか知りませんが、
お見舞いラッシュのようで
母の働く病棟と士長さんや兄夫婦や
そして彼氏も来るらしく、
彼とは8日ぶりの再開になるそうです。

日中、お見舞いに来られる方々の対応が出来ないので
母に全てを任せる形になってしまうのですが、
それもリハビリです。
どんどん動いたほうが良いってことのようなんで
明日また報告聞くのを楽しみにしておくことにしました。

今日は母に顔のパックシートを大量に持っていってあげました。
「退院する時は入院した時よりも綺麗になっちゃおか」作戦です。

手術から2週間後に、
摘出した結腸やリンパ節を病理検査等で色々としらべ
はじめて癌のステージが決まります。
そのステージによっては抗がん剤の治療が必要となるのですが、
多分、必要になるでしょうということでした。

どんな結果が出ても
一緒にがんばっていこうと思います。

手術が終わりました

2007年03月10日 | きょうのつぶやき
無事に手術が終わりました。
5時間かかりましたが、それも予定時間どおりでした。

手術は腹腔鏡でリンパ節の部分を切り取り、
その後おへその下だけを開腹して
結腸の一部を切り取るという方法をとった為、
通常の開腹手術よりも時間のかかった手術でした。

ただ、この場合だと、
通常の開腹よりも傷が少ないので
離床が早いということだったのでこれを選んだ訳です。

手術が終わるまでは不安一杯だったんですが、
今までの疲れがたまっていたのか
すっかり母の個室で眠って待っていました。

手術の終わりを知り、
手術フロアーにある説明室に入り待つこと数秒。
主治医が颯爽と入ってきました。
「予定通りの手術で輸血も必要としませんでした」
と聞き、ほっと胸をなでおろしました。

その後、サブの医師が手袋を真っ赤に染めて入ってきて、
切断したリンパ節と大腸の一部を披露してくれました。
まっピンクの大腸の一部に
見た感じからして、ものゴッツウ悪そうな色をした部分があり
それが癌だということでした。
うん、本気で嫌な感じの色でした。

その後、母の目覚めを待つまで少し時間がかかるということだったんで
休憩室で叔父達と「良かったなぁ~」とお茶していると
「お部屋に戻られましたよぉ」と。
「エッ?もう?」と驚きましたが、
一刻も母のそばに居てやりたかったので
小走り病室に戻りました。

部屋に入ると「おぅ~」と
おしゃべりもしている。
少しボーっとしてそうでしたが、
特に顔が真っ白な訳でもなく、
少し寝起きって感じがした。

鼻には胃液を吸い上げる管や、
口には酸素マスク。
あとは尿とりの管と
背中の麻酔と点滴と、
色んな物がぶら下がってはいましたが、
特にドラマで見るような、
心電図はありませんでした。

少し皆とおしゃべりしたあと叔父達は退散しました。
その時叔父に
「人口何億人いても、僕にとっての妹(母のこと)は
 一人だけだからね。何かやることがあればすぐに頼るように」と言われました。

母には二人の兄が居るのですが、
言い方は違うんですが、
それぞれから母のことをお願いされました。
心底心配で心配で仕方ないようでした。
私にとってかけがえの無い存在である母は
同じように大切な妹でもあり、
色んな人に愛されてる人なんやなぁと羨ましく思いました。

さて、二人っきりになってから
手術の時の話題なんかをしたりして過ごしました。
なんだかんだダラダラと話してるときに突然
「ひやっ!おなら出た!」と叫んだ。

おならは2日後ぐらいかなぁと聞いていたのでビックリです。
術後2時間しかたっていないのにおならが出るとは超人です。
その後嬉しくっておならが出た時間をメモっていたんですが、
あまりにも出るので途中でやめました。

その後弟が8時過ぎにやっと到着し少し皆と過ごしてから
私は泊まるつもりでしたが
「個室はお化けが出るかもしれないから帰りなさい」と言われたので
そのまま弟カップルと三人で飲みに出かけました。

実はその前日も大ちゃんと焼き鳥屋さんに飲みに出かけており、2連ちゃん。
最近精神的にやられていたので
大正漢方胃腸薬を飲みながらの飲み会です。
関目高殿のそばのかなりエエ感じの料理屋さんに連れて行ってもらい、
大好きな白子ポン酢も頂ました(やっとですが今日の写真です)

その後ええ気分のまま家に帰り爆眠。
翌日、私の目のケイレンはスッカリなおっていました。
精神的なストレスって本当にすごいんだなぁと体験しました。

その後も順調で、
今ではスッカリ、点滴と麻酔の管だけになり、
寝巻きからジャージに着替えていました。

衣装だけでもジャージになると
ものごっつう快復したように思えました。

この土日を母の個室で過ごしてきたわけですが、
トイレに立ち上がる時にサポートしてあげたり、
お布団かけてあげたり、
音楽かけてあげたりと、
生まれて初めてちゃんと親孝行してあげれてる気がします。

意地っ張りでプライドの高い人なんで、
親孝行しようとしても「いらん!」と跳ね除けられていたんですが、
今回ばかりは私も役立っている感じで、
ちょっと嬉しいです。

結婚して今までの何十年、
子育てに仕事にと本当に、何日もゆっくりと過ごすことがなかったようなんで
この機会に入院ですがゆっくりと過ごして欲しいなぁと思います。

ご飯が食べれるようになったら、
ママの大好きな上太巻き買っていってあげよう!

初病院食

2007年03月08日 | きょうのつぶやき
昨日から母が入院しました。

いやぁ~昨日はとことん病院にいました。
本当、病院で働いてる人ってのはスゴイなぁと
関心した一日でした。
きっとこれからもっと関心するんだろうけど。

昨日は当初私一人の予定だったんですが、
先生からの手術の話もあったので、
大ちゃんが急遽仕事を午後から切り上げてくれて、
母の兄弟もかけつけてくれました。

一人で聞くつもりだったので
これにはかなり心強かったです。

先生からのお話は16時からの予定だったのですが
急遽オペが入ってしまい
結局お話が聞けたのが2130!
さすがに疲労を隠せない感じではありましたが、
麻酔科の先生と外科の先生からのお話を
じっくりと聞く体力は残っていたので
気持ちも楽になりました。

それにしても先生っつうのはすごい。
朝からオペづくしで、
突然のオペも入ったもんだから
私達のところへ来たとき、
手袋で蒸れていたのが、
いつもより手が白かったように思います。

母は「先生、胃が疲れてたのか、いつもより息が臭かった」と
とんでもない感想を説明のあと漏らしたのにはビビリましたが。

今日の写真は
昨夜の夕食の写真。
母にとっての初めての病院食です。
私を始め4人に見つめられての夕食だったので
イマイチ食べ辛そうでした。
しかし、この夕食をもってしばらく夕食は食べれない母。
本日の昼食をもって、最低でも5日間は絶食らしい。
すごい期間の断食です。かわいそうに。

今日、仕事上がりに覗きに行ってきたのですが、
下剤等を飲んでいたので少々疲れていましたが、
私が病院にタップリ置いていった
原田宗典の本を読みまくっていたらしく、
病室で笑い転げていたそうです。
明日も三冊持っていってあげよっと。

さて、いよいよ明日の朝、オペです。
明日はかなり長い一日になるだろうなぁっと覚悟してます。
なので私用に、巨大玄米オニギリを4つも作ってみました。

明日は朝一なんで、母を手術室に見送った後は
大部屋から個室への引越しとなります。
これは母の為でもあるし、
そばにつきそう私の為でもあります。

明日も午前中は私一人の予定だったのですが、
いとこや親戚のおばさんが一緒に居てくれるそうなんで
かなり心強い。

当初、出来るだけ周りに甘えず、
なるだけ一人でやろうと思ったのですが、
やっぱりイザってなると心細いのなんのってです。
自分ではまだまだやれるモードだったんですが、
目の上のピクピクと胃痛がストレスを物語っているので
ここは周りの援助は受け入れて甘えようモードに突入です。
さて、明日に備えて眠るとするのだぁ

リラクゼーションポイント 愉快館 IN 土居

2007年03月06日 | きょうのつぶやき
左目の上のぴくぴくがどうしても気になる。

今日は久々の5日ぶりの仕事でしたが、
職場でもどうしても気になる。
ピクピクなるんだけど、
とくに他から見てピクピクってなるわけではない。
だけど、自分では「いつか顔が歪むのでは・・・」とも思うし。

職場の人に聞くと
「ストレスやなぁ、それは。」と。
職場で家庭の医学の本を見ても
「ほっといたら治る。」と。

そうやねん。わかってるねん。
でも気持ち悪いねん。

昨夜に少し私が感じるストレスを
仕事の忙しい大ちゃんに漏らしてしまったので、
今日は仕事をどっさりと持って帰ってきたもんの、
早めに帰宅をしてくれました。

そんな大ちゃんに甘えついでに
「目の上のピクピクが気持ち悪いねん。」と訴えてみた。

大ちゃんも「ストレスやでぇ」と。
でも「駅前のマッサージ行っておいでよ。」と提案してくれました。

そうなの。
土居の駅前に数ヶ月前に出来た
リラクゼーション&整体「愉快館」ってやつ。
じつは大ちゃんが仕事が忙しくって
ついに肩がこりすぎて首が・・・ってなってから
ちょいちょいと通っているのです。

土居の商店街には
整骨院がめちゃめちゃある。
大ちゃんは腰のマッサージをかねて
整骨院は何ヶ所か通ってはいたのだが、
周りの声がうるさいのが嫌で行くのをやめていたのだけど、
ココはヒーリングミュージックがかかっていて、
アロマの香りたっぷりで、
すんげぇ癒されるから行ってみたらいいよっていうことでした。

これまでにも何度も薦められていたけど
自分でストレスたまってるなぁって感じていなかったので
特に興味もなかったのですが、
さすがに目がピクピクしだしたので、
ここはワラをもすがる気持ちで
夕飯のあとに大ちゃんに予約してもらって行ってみました。

ボディリラクゼーション30分プラス、
頭皮マッサージ15分受けてきました。

本気で気持ちよかったです。
今まで結構、アロママッサージやエステ系と
色々とやってきてもらってるんだけど、
今日の人はすんごく手のひらが温かくって、
揉まれる度に癒される。
あ、男性なんだけど、まったくイヤラシサなしなんで
安心して受けれるし、強さもほどよい。

とにかく、私はこの目のピクピクが消えるまで
リラックスを求めてちょっと通ってみることをここに宣言するのだ。

検査結果出ました

2007年02月17日 | きょうのつぶやき
先日、母の病理検査の結果が出ました。
やはり予想していた通り、悪性であることがわかり、
正式に大腸がんであることが決まりました。

ここ数週間、大腸がんについて色々と勉強してきました。
とにかく、なんで大腸がんになったのかが知りたくて。
原因がわからないと、
今後の治療もそうですし、
色んな意味で理由はコレ!ってのが知りたかったのです。

そもそも、大腸がんになる大きな理由としては
肉食であることと、遺伝性なのが代表的のようです。

しかし、母はお肉は付き合いで食べる程度で、
どちらかと言うと、お肉は好きではないほうでした。
なので、肉食が原因で発病したのではないと。

続いて遺伝性な点から言うと、
親族に大腸がんになった人がいる場合、考えられるようで、
これまた親族にそのような人がいないので遺伝でもないと。

で、色々と調べているうちにある本に出会いました。
その本に書かれていたのが、
ストレスからくる癌。

ストレスからくる癌で代表的なのが、乳がん・大腸がんと肺癌(←多分)。
乳がんの場合、右と左にできる癌によって
ストレスの原因も別れるようで、
その本には右は心のストレスで、左は肉体的疲労からだそうです。
乳がんになった人が周りにいないので、
これが当たっているのかはわかりませんが、
大腸がんの場合、
S字結腸にできる癌の多くはストレスが原因らしく、
S字内でも直腸に近いほうとそうでないほうによって、
面白いほどストレスの原因が違うようです。

そうなのですね。
多分、私が思うところストレスが原因やと思うのです。
そのストレスの原因とできた所がビンゴなのです。
出来る時期はストレスを受けて2年後にできるようです。

うちの母はちょうど4年前に
熟年離婚といわれるやつをやっちゃいました。
ポリープが癌化してしまっていたことを考えても、
きっかけが離婚だったように思います。

母の性格上、他人に頼ることが嫌いなんで、
一切の援助も受けず、一人でやってきたわけで、
それに素直に体が反応したのではないかと思うわけです。

この結果を母に知らせたところ
「うん。初めて納得。その通りやわ。
 これで原因がわかってスッキリした。」とのことでした。
私もスッキリした瞬間でした。

原因がわかったので、
母と私達家族はストレスの原因をどうやって
取り除いたらいいのかを考えて実行しないといけないと思います。
逆に言えば、何をしたらいいのかが、
わかって本当に良かったなと思う瞬間だったように思います。

これも違う本で読んだのですが、
癌に限らずですが、
病気になっても、治療の全てをマル投げして医者に頼るのではなく、
まず、どうして自分は病気になったのかの原因を理解し、
自分自身でも回復する方向に持っていくことが大切だと書かれてました。

確かにです。
突然癌化する細胞に対して、
出来たら切ってもらうの繰り返しでは人間成長がないってもんです。
これまた違う本ですが、普通に暮らしてても、
細胞の癌化というのは誰しも起こっているのだけど、
それを攻撃する免疫力で癌を退治していると。
だから免疫力が低下すると、
たとえば、突然アトピーやアレルギーになったり、
水虫になるそうで、
それは免疫の低下と血流の滞りによる原因が考えられるそうです。
(全てがその原因ではないかも知れませんが)

これも、めっちゃビンゴで、
昨年から母は突然アレルギーになっり、これまた水虫になったのです。
当たりすぎてて怖いのですが。

母や私たち家族にとって、
この病気がいいチャンスになるのではないかと思うのです。

何も言わない母のSOSを始めて知ることが出来、
母自身も「大丈夫だよ!」って言ってる裏がバレのだから、
どんどん甘えていってもらいたいなって思うのです。

とにかく、癌が見つかったので、
これから他に転移していないかの検査があります。
これが来月にならないと始まらないのです。

この数週間、ただ何もしないで過ごすのも
ちょっと気持ち悪いので、
母にはこれから入院するまでの間は、
しっかりと免疫力をアップさせるように、
まずは玄米食からスタートさせるつもりでさっそく私愛用のを送りました。
あとは性格改善やなぁと思うのですが、
こればっかはちょっと難しそう。

「いつまでもあると思うな親と金」です

2007年02月08日 | きょうのつぶやき
やっと気持ちが落ち着いたのでブロリます。
ちょうど一週間前です。
母とデートの約束していた時に知りました。

昨年、母が会社の健康診断で始めて引っかかったこと。
秘かに検査をしていたこと。

で、その日の待ち合わせ時間が迫った時に
電話がかかってきて、「日赤に付き合って欲しい。」と。

理由も聞かされず病院へマッハで向かいました。
あの気持ちは思い出しても恐ろしく、
電車で半泣きになりました。
とにかく、ただ事でないということだけは分かっていたので不安で不安で・・・

会うなり「どないしたん?」と尋ねると、
実は大腸に大きなポリープが見つかったということでした。
その為、処置が必要となるので、
かかっていた病院が日赤を紹介したということでした。

正直、大腸とは、下腹部辺りニョロニョロしたやつのことやろう?とか、
ポリープって良く歌手とかが「喉にポリープ出来た」とかいう
ただのデキモンやろう?とか
まったくもって想像の範囲を超えていたんで報告を聞いたところで
どう対応していいもんやら?って感じでした。

ただ、その後、診察室に一緒に入って先生の話を聞くと、
ポリープってやつは、成分によっては癌であるというとこを知りました。

あれから1週間。
色々と考えてしまう毎日でした。

この一週間で大腸ってどこにあるんや?から
大腸癌のことなど、本を読んだりしてちょこっと勉強してみました。

それに今月は、色々と予定を入れていた関係上、
母のことをカミングアウトしておかなければならない状況になり、
その友人らには事情を話したのですが、
周りの友人3人ものお父様方もポリープや大腸癌の手術経験者であると知り
こんなになってる人がいるなら安心やぁと思う反面、
先生が「大きいポリープで根が深そう。悪性の可能性がありますよ。」
と言ったことが気がかりでならない。

最高の結果から最悪の結果までを考えて、
もう一度最高から最悪の結果を考えてって、
この1週間はこれを何度も繰り返した気がします。
で、考えた結果、結局とにかく前に進むしかないと。

これ、自転車と一緒なんですよね。
自転車は自分でこがないと前に進めないわけです。
すんごい坂があっても、自分の力でこがないと進めないんです。
自転車を降りて押してもいいと思うんです。
で自分の力で登ったあとの爽快感はやった人しか分からんっちゅうかぁ。

ちょっと違うかも知れませんが、
とにかく、私が空想を繰り広げたところで
どうこうなるわけでもなく、
とにかく今は気持ちを支えてあげると。
それだけであとは自分で頑張ってもらうしかないんですよね。

今まで、お金は使えばなくなるというのは分かってますが、
親は居て当たり前的な存在でした。
私の意識の中では、母は40代前半ぐらいにしか思ってなかったかも。
この状況になって親は確実に老いてるんだなぁと実感しました。
そう、1週間前はちょうど母の58回目のお誕生日だったんですなぁ。

とんだ誕生日になってしまわれたんですが、
これをキッカケに親子で一皮剥けたらなぁって思います。

で、今日はやっと検査の日です。1週間ってこんなに長かった?
私は付き添いだけですが、
母は今頃検査の為の絶食に耐えながら
「痛いの嫌やなぁ・・・」とか不安な気持ち一杯なんやろうなぁとか考えちゃう。

で、結果は来週です。
タイムマシーンにでも乗って結果を知りに行きたい気分です。

この1週間もきっと長く感じるだろうなあ。
でも、この間にもうちょっと大腸の知識を増やして、
先生の話をちゃんと理解して聞けるように勉強しておこうと思う。

父親は居ないし、弟は千葉やし、大ちゃんは仕事忙しいし、
できるのは私しかいないこの状況。ありえないなぁと思ったけど、
このピンチを私が成長できるチャンスやと思って乗り切る覚悟です。

母が完治したら、ハワイに連れて行ってあげよっと。