虹のある星

おバカに真剣、じゅんめんの自由帳

Daydream Believers

2007-09-11 23:53:07 | じゅんゾーン
アーティストの友人であったり、同業者であったり・・・、などの理由で、ライブにご招待されたり、楽屋に入れてもらったりする人がいるのは、みなさん、ご存じかと思います。
その様子が、招かれた人のブログ等で紹介されていることに対して、私は、楽しそうだな、と微笑ましく思うことはあっても、不快に感じることはありません。
むしろ、普段、私なんかが決して垣間見ることが出来ない楽屋裏を覗けて、ありがたいくらいに思っています。
しかし、必ずしも私みたいな人ばかりではないのですねぇ・・・。
それは個人の感覚の問題だから、私が「こう思えばいい」とか、「そんなふうに感じなければいい」とか言っても、どうにもならないけど、もっと楽しんじゃえばいいのにな、と思います。
招いた側のアーティストのファンからは疎まれ、かといって、顔を出さなければ礼を欠くことになるおそれもあり、板挟みになった人たちは本当に大変だな、と思います。
じゃあ、ブログに書かなければいいのか、といえば、それこそ現実逃避だと思いませんか?
夢を見ていたい、夢を壊さないで欲しい、と思うなら、壊されるような情報は見ないことにするのが一番ですよ。

私が「兄貴」とか「き~ちゃん」とか気安く呼ぶことに対しても、不快に感じてる人がいるのかな?
でも、今さら「KOJIさん」とか「喜平太さん」とか言ったら、本人たちに気味悪がられるよ。

話は微妙にズレますが、やっぱりアーティストとファンとの間に線引きは必要なんだろうなぁ。
普通の対人関係でも同じことが言えると思うけど、ある程度、境界線をはっきり示してくれた方が付き合いやすいよね?
言われなくても察すべき、という考えがあって世の中は成り立っているのかもしれないし、実際、私の周りには、そんな大人な人たちが多いけど、何も言わないで他人にわかってもらおうとしてるだけじゃ、腹の探り合いに終始してしまって本当の交流なんて出来やしない。
お互いがどんなに気をつけていても妄想や誤解は生じてしまう。
「この線からこっちに入って来るな。」その一言がないために、事態がややこしくなっている場合もある。
この記事は、別に特定のアーティストについて書いている訳ではありません。一般論として、です。
夢を見ている人のために、白馬の騎士であり続けるのか?
一人の人間として本音をぶつけ合うのか?
コメント
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