フィリピンの思い出1-3  スローモーション③止 - 改訂版 -

2009-10-31 01:05:13 | フィリピン

  を見ると、次の物乞いがやって来るのが見えた。老人と見間違えるほど体がしなびたその物乞いの男は、若い女に片腕を組まれながら私の車に近づいて来る。そこで、私はいつものように片腕のこぶしをウインドガラスの横に持っていき、中指の第二関節の背でガラス面をノックする準備をして待っていた。
  すると、その物乞いのうしろからひとりの少年が歩いてくるのが目に入った。小三か小四ぐらいの歳だろうか、着古して虫食いの穴も分かるようなTシャツに、これも洗濯しすぎて色あせた半ズボンにゴム草履を履いた格好の典型的な物売りの少年であった。顔には鼻と口を覆うようにタオルを巻いているのだが、それを完全に首まで落としたままにしている。片方の腕で手作りらしい長方形の木製の道具箱を抱え、区切られた枠の中には封のされたタバコのパッケージが5つほど入れてある。もう1箱、封をきれいに開けてタバコが1本ずつ取り出せるようにしたものも入れてある。どこにでもいるタバコのばら売り少年であった。
   彼はおそらく近所のスラムに住み、収入のほとんどない親の代わりに小学校の授業が終わったあとの時間をタバコ売りをして家計を支えているのだろう。フィリピンの公立小学校は半日交代制で、午前のクラスと午後のクラスに分かれているので、今日も午後から深夜過ぎまで半日以上は排気ガスにまみれて道路に立ち続けていることだろう。
   その彼は、普段ならマレー系の子供独特の愛くるしいほどの輝く瞳と笑顔を見せているのだろう。しかし、仕事中は他の物売りの子と同じように瞳はメトロマニラの街灯のもと鈍く光るだけで、顔も能面のように無表情のまま、物乞いの男の横をすり抜けようとしていた。
  少年はまっすぐに前を見て物乞いを見ようともせずにそれを追い越そうとしていた。物乞いはというと、ただ弱々しく片腕の肘を直角に曲げて手を前に差し出し、摺り足でゆっくりと歩いている。
 と、その時、まさにその出来事は起こった。突然、少年が鳥のクチバシのように自分の小さな指先で物乞いの手の甲を素早くコンコンとつついたのである。すると、すかさず物乞いは手の甲を返し手のひらを少年のほうに差し出した。少年の指先からコインがひとつ載せられる。すばやくそれを受け取った手は閉じられる。少年からも物乞いからも何ら表情の変化はないまま、まるでふたつの無機質な手のやりとりだけが一瞬行われ、一瞬のうちに離れていった。
   とたん私は脳に一瞬閃光が走ったのを憶えている。と同時に、目の前で起こったその一連の動作が、まるでスローモーションのようにゆっくりと私の頭の中に映し出されていった。私のノックしかけていた片腕もゆっくりとバックシートの上に落ちていき、体もスローモーションのようにバックシートの背もたれに引き寄せられていった。
  まわりの音が消えた。聞こえ出したのは私の心臓の音だけだった。バクッ、バクッと胸を打つ。苦しくてたまらない。心が痛くてたまらなくなった。動き出した車の振動が背中をつつく。私は何も反抗する力もなく、車の振動に深く身をまかせるだけだった。身体自体が重りになって私の心に覆いかぶさってきた。その晩の記憶はそれだけしかない。
  無宗教の私には、フィリピンのカソリックがどういうものかよく分からない。長い歴史の中で培われて来たものだから、分かるはずがないのだ。しかし、この出来事で、私はフィリピン人にとってのカソリックの存在理由というものが少し分かった気がしたのだった。
  そして、これが、いつまでも私の脳裏に焼き付いて離れない大切な記憶なのだ。

  
 
   


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