物事を測る判りやすい指標に、「数字」がありますね。
私事で言えば、代表作でもある「THE RID.-Final Mission-」がふりーむ!で10,000ダウンロード越えを果たしたほか、
それに付随するように「Precious Melody」と「クロネコノリボン」も、それぞれもうすぐ4,000ダウンロードに到達するまでになりました。
非常にありがたい事であり、大きな数字に膨れ上がりある種の達成感を得ました。
しかし、このダウンロード数は飽くまで指標の「ひとつ」でしかありません。
ダウンロードされたゲームがどれだけの人に面白いと思われ、気に入ってもらえたかはまた別の話になります。
RID.、PM、クロネコは多くの方々にダウンロードされたのは事実のようですが、
果たしてそれに比例して数多くの方々に「楽しい」「気に入った」と思っていただけたかどうかは……正直自信が無いですね。
この理屈はTwitter(X)をはじめとするSNSでのフォロワー数や、YouTubeチャンネルのチャンネル登録者数にも
当てはまる部分があると思います。
数多くのフォロワーや登録者数があると、パッとその数字だけを見てその人が「スゴイ」「立派」「有名」等という印象を受けがちですが、
果たしてその数字に見合ってその人が本当に「立派」なのでしょうか?、
SNSやチャンネルを通じて「立派」で「面白い」「素晴らしい」何かを提示出来ているのでしょうか?
実際に「面白い」「素晴らしい」物をやコンテンツを示して、それに比例する形でフォロワー数・登録者数が伸びて行ったのなら
その人は間違いなく「立派な」人でしょう。
しかし、稀に数字だけが先に伸びて行く例もあるようで、その場合はたまたま運が良かっただけか、
それともその人の別の側面にフォロワー・登録者が喰いついた可能性も否定出来ないわけで……
まぁ、これ以上は恐ろしいので書かないでおきますが。
なお、これまた稀にフォロワーさんやチャンネル登録者数の「数の多さ」でマウントを取ってふてぶてしい態度を取る人も居るらしいのですが、
そういう人たちは「数の暴力」を体現している人たちだと思って知らぬふりをした方が良さそうですね。
数字は上述通り、指標として判りやすいものですが、
だからとて数の多さばかりに捕らわれていると、近い将来とんだしっぺ返しを喰らうことにもなりかねません。
僕も気をつけないといけませんね。ゆめゆめ自重いたします。
では今日は最後に、作成中(公開予定無し)作品のスクショをば。
おんにゃのこの寝間着姿って、ええよね(何が)。
これが……
こうなる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます