
おはようございます、ゴールデンウイークの中日、皆様いかがお過ごしですか。
さて、昨日は電車で移動していたので疲労の度合いは車で移動するよりも格段に楽でした。
眠たければ寝れますしね・・・。
さて、昨日221系では、「1箇所だけ製造当初より変更されたところがあります。
それは、どこでしょうか?」と書かせていただいたところ、何人かの方からコメントをいただきました。ありがとうございました。
さて、製造当初から変更された点としては、つり革の数でした。
当初は、ドアから数え左右3個づつつり革がついていたのですが、その後通路全体につり革が設置されています。
221系は、平成元年の2月~3月に落成し4月から本格的に運転を開始しました。
新快速に導入された他、近鉄との競争が厳しかった関西線(JR大和路線)にも優先的に導入、7月には全ての快速電車が221系化され、113系赤帯車(通称春日塗り)を追いやってしまいました。
近鉄にすれば、自社の系列である近畿車輛がJRに売り込んだために奈良線の乗客を奪われることとなり結局、「庇を貸して母屋を取られる」みたいな状態になってしまいました。
しかし、この221系電車が与えたインパクトは大きく、個人的な感想では117系と比べて3ドアで新快速を置換えるなんて怪しからんと思いながら試乗?したら、・・・
広い側面の窓、そして大きな正面窓にもうびっくり。
大阪から三ノ宮まで乗車したのですがすっかり虜?になってしまいました。笑
それほど、インパクトの大きい車両でした。
さて、221系はその居住性から165系などよりも快適なことから中間ドアを締め切って急行列車にも運用されることがあり、白浜や城崎にも足を伸ばしています。
最近では、JRの種別として「急行列車」自体がなくなっているので、後数年もすれば過去の列車種別になってしまうのでしょうか?
さて、その後も新快速は発展を続け、西は播州赤穂まで、そして東は長浜まで延長運転を行い、特急列車としても遜色の無い長距離を走る列車となり、いわば現在の長距離鈍行?ともいえるロングランを記録するようになりました。
新快速のアーバン編はひとまず、この回で終りにしたいと思います。
なお、次回は特別編として、「鉄路に散った青春、大山車掌物語」を書きたいと思います。
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