国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

寝台急行銀河 物語

2008-03-15 23:41:28 | 国鉄思いで夜話

宇宙に広がる広大な空間に広がる数々の星の数々、これらを銀河と呼ぶのであろうが、今回のお話は、二00八年まで運転されていた、寝台急行のお話です。 

戦前の「名士列車」と呼ばれた急行列車

  【概要】

  「銀河」古くは、戦前に東京から神戸間に運転された、17・18列車を前身とする寝台急行列車まで遡ることが出来ます。

  戦後の混乱期の昭和24年には、列車番号こそ15・16列車と変化はあったものの、1等・2等のみで編成された特別列車として復活、

  堂々と「銀河」という愛称を与えられ、当時の特急列車と同じ行灯式のテールサインを最後尾に付けて運転を開始したのですが・・・・。

ただ、特筆すべきは、銀河は2008年の廃止まで、東海道線の華として、活躍を続けた列車であったと言うことでした。

特急扱いに準じた名門急行誕生

急行銀河は、国鉄が誕生した昭和二四年九月一五日の改正で、「特急へいわ」などとともに、誕生した急行列車でした。

  当時急行列車に愛称がつくといったことはなく、以前に臨時急行で「流星」という列車名が使われたという記録もあるようですが、正式に国鉄で急行に愛称を付けたのはこの列車が最初でした。

  特に、「銀河」は、三等級時代にあって、一等・二等のみで編成されているという豪華な列車だったのです。

  戦前に運転されていた「名士列車」と呼ばれた、列車の流れを汲むものです。

  名士列車のお話は、次回以降に詳しくお話をさせていただきます。

  運転開始当時の「銀河」は、全室寝台、それも、一等・二等寝台のみの七両編成でした。

  さらに、最後尾には現在の銀河のテールマークの原型となった「テールサイン」が取り付けられたのです。 しかし、昭和二四年当時は戦争の混乱が続いており、一般庶民は固い向かい合わせの座席に窮屈な思いで一夜を過ごすのに対し、ほとんど乗客のいないガラガラの列車が東京から大阪に、はたまた、大阪から東京に走るというのはあまりにも効率が悪く、運転に開始から僅か9日間で、三等車を連結することが決定、その際、せっかく作ったヘッドマークも外されることとなり、長らく品川客車区の倉庫の片隅に置かれていたそうです、いつかそれも消えてしまいました。 



そんな訳で、名士列車の流れを汲む「銀河」一三・一四列車は、運転開始から十日後には三等座席車が連結され、以下のような編成になりました。

  • 一等寝台車 2両
  • 二等座席車 3両
  • 三等座席車 8両
  • 荷物車 一両

   各等急行となり、
同時期に誕生した15・16列車と遜色ない編成となってしまいました。

下図は、昭和25年10月の時刻表(復刻版)から引用したものです。

イネ・・・1等寝台車(マイネ40)
ロネ・・・2等寝台車(マロネ39)
ロ・・・・2等座席車(スロ60)(うち1両は並ロと呼ばれた車両のようです)
ハ・・・・3等座席車

と言った按配でした。

八両の座席車を連結して一般列車と同じ扱いになってしまった銀河ですが、これは当時の流れとしては止むを得なかったのかもしれません。 

  翌年の二五年には、他の急行列車にも積極的に愛称をつけることとなり、一一・一二列車(旧一三・一四列車)に「明星」、一五・一六列車(旧一七・一八列車)に「彗星」の愛称を与えました。

さらに、昭和二八年の改正では、新たに「月光」が誕生しています。

彗星の脱落と復活

 昭和三一年十一月十九日の東海道本線全線電化完成では、それまで併結運転であった「出雲」が単独運転となったことから、定期列車の一本が不定期化されることとなり、「彗星」が不定期列車に格下げされることとなりました。

反面、銀河は彗星が持っていた、二一時発というゴールデンタイムを獲得、さらに翌昭和三二年には、連合軍から返還されたマロネ四九【旧マイネ三九】区分室五室(二人用三室、四人用二室)を設備するほか、貴賓客用に特別室が設備された超豪華車両

が連結されました。

しかし、翌年昭和三二年十月の改正で、彗星は再び復活することとなり、戦後初の「寝台専用列車」として、最後尾の座席車以外一一両全てが寝台車という編成が誕生しました。この際、マロネ四九も「彗星」に召し上げられてしまいました。
さらに、彗星は昭和三七年、夜行列車専用ビュフエ(オシ一六)が連結されるなど、さらに充実していきました。

 

名門急行「銀河」は、遅ればせながら、昭和三六年十月の改正で寝台専用列車化されることになりました。

  この背景には、昭和三五年六月の改正で一五三系電車による夜行電車として、臨時列車の「はりま」【東京発姫路行き 一九時三十分発、姫路八時四十分着が誕生したほか、昭和三六年三月の改正では定期の電車急行「金星」が誕生して、輸送力列車(大量に旅客を運ぶ列車)としては、電車列車という方向が決定されことが大きかったと言われています。これにより、急速に寝台専用列車化が進むこととなり、前述の、昭和三五年六月の改正では、「明星」が一足先に寝台専用列車化され、マイネ四〇)が連結され、「銀河」よりも、後から誕生した列車の方が豪華な設備を持つという逆転現象が起こってしまいました。

新幹線開業前の最後の輝き  東海道夜行七人衆

  昭和三七年の全盛期には、「銀河」を初めとして、「明星」・「彗星」・「あかつき」・「金星」・「すばる」・「よど」、といった多くの夜行列車が運転されていました。 昭和三八年には、東京~大阪間のみを運転する寝台専用列車【寝台車を主体に編成された列車】は、「銀河」・「明星」・「彗星」・「月光」・「金星」・「あかつき」・「すばる」となり、、「東海道寝台急行七人衆」等とも呼ばれていたそうです。

  なお、明日は、新幹線開業後の銀河とその仲間たちについてお話したいと思います。

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