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国鉄があった時代blog版 鉄道ジャーナリスト加藤好啓

 国鉄当時を知る方に是非思い出話など教えていただければと思っています。
 国会審議議事録を掲載中です。

国鉄労働組合史 274

2011-08-31 23:43:36 | 国鉄労働組合史
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第五章 分割・民営体制の矛盾の表面化と国労運動

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第三節 賃金・労働条件・安全確保をめぐる取り組み
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三 安全確保の取り組み

 事故原因を究明する取り組み

 従来も国労は、JR体制発足直前に発生した傘部鉄橋列車転落事故( 86年2月28日) に際して調査団を派遣し、ただちにその原因究明に取り組んだように、多くの事故調査による原因究明の実績と蓄積をもっていた。それらはいずれも、現場労働者の経験と技能・知識と報告、事故による被害者および列車等利用者の声が大きな比重を占めており、会社側の原因究明姿勢とは明らかに違っていた。傘部鉄橋事故については、国鉄当局側は、中央の「事故防止委員会」( 87年1月23日) での国労側の追及に対し「線路や車両構造上、運転取り扱い上も問題はなかった、再びこのようなことのないよう徹底調査しており、労働組合に安全問題で知ったふりはさせない」などと述べて、国労側の合同調査を拒否した。
 国労は、この傘部鉄橋列車転落事故について、少なくとも三つの要因を指摘することができるとした。すなわち、第一に、福知山鉄道管理局が強風波浪警報が前日発せられていたにもかかわらず、この地域の気象状況から適切な強風対策を講じていなかったこと、第2に、転落した「みやび号」という列車は、増収. 効率化を重視するキャンペーンが張られていた状況のもとで福知山鉄道管理用運輸部が計画した臨時列車で、国鉄の幹部職員の関心は鉄道の安全輸送よりも増収活動で成績を上げることに集中していたこと、第3に、86年11月のダイヤ改正にともなって、傘部駅に最も近い有人駅であった香住駅の運転主任3名が廃止され、傘部駅に据えつけられた風力計の受量装置は香住駅に置かれており、25メートル以上の強風が吹いた場合にのみ福知山の鉄道管理用のCTC装置に警報が鳴るという仕組みになり、国鉄の分割・民営化にむけての人員削減によって、日中刻々と変化する風力の状況を把握することができない状況にあったこと、などであった。
 JR発足後最大の死傷者事故となった88年12月5日朝の京中野駅追突事故は、起こるべくして起きた事故であった。国労千葉池本は事故当日、会社側が死亡した乗務員に責任を転嫁し、施策に問題はなかったような記者会見を行ったことを批判しつつ、次のような要旨「声明」を行い、事故の原因を明らかにした。
  「京中野駅構内での事故はこれで三度目だ。前回1980年10月17日の事故の背景には、①過密ダイヤ、②定時運転、③信号機( 短小間そく区間) 問題、④ ATS 問題等々のあることが判明し、東京地裁は国労の指摘した事情をとりいれた。しかし今回の事故は、その内容を全く生かさず12月1日からのダイヤ改正で運転時分を3分40秒も短縮、その結果、連日遅れが生じ、当日も4分の遅れが出るという状況のもとで起きた。
  国労は、現場の業務実態を無視した運転時分の短縮は事故のもとだから安易にすべきでないと主張してきたが、会社側は『問題はない。問題が多く発生した場合は修正することもある』と、つっぱねてきた。また、現場の運転上も『新型車両にしても遅れはなくならない』と言っている。まさに今回の事故は起こるべくして起きた事故であり、人命軽視による人災だと断言することができる。
  われわれは警告する。乗客の生命と財産を守るため公共交通機関としての責務を全うし、安全第一主義に徹すべきことを。
 四たびこのような事故を起こさないために、われわれはJR会社の利益優先の施策に対し、公共交通機関の基本に戻すため全力をあげて闘う。」
   
続く


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