ダイアリー・オブ・カントリーミュージック・ライフ

現代カントリー・ミュージックのアルバム・レビューや、カントリー歌手の参考になりそうな情報を紹介しています

Emmylou Harris エミルー・ハリス - All I Intended to Be

2008-06-19 | カントリー(女性)
 今年、遂にカントリー・ミュージックの殿堂(Hall of Fame)入りを果たしたエミルー・ハリスの新作。重鎮と言っていい人ですが、まだまだクリエイティブで精力的に前進を続けます。けしてヒットチャートに媚びることなく、フォーク・ミュージックの影響も多分に取り込んだ伝統的なカントリー・スタイルを、実にスマートかつアーティスティックにこなしてカントリー界でオンリー・ワンの存在感を保ち続けたエミルー。1995年の「Wrecking Ball」では、それまでのトラディショナル・スタイルから一線をかし、エレクトリックで先進的な新しいサウンドに挑戦したりしていましたが、今回はデビュー当時から旧知で元夫のプロデューサー、Brian Ahernをむかえ、持ち味のルーツ志向のゆったりした奥行きのあるカントリー・サウンドが繰り広げられています。しかし、そのサウンドや曲調には、所々に「Wrecking Ball」以降育んだ”オルタナ”的なテイストが隠し味のように散りばめられていて、穏やかな”攻め”の姿勢もしっかり感じ取れる、今のエミルーだからこそ出しえる音と言えるでしょう。



 この事は、"Shores of White Sand"の滋味に溢れたエレクトリックなイントロで早速感じられます。平凡な癒し系などには収まらない、魂と情念に満ち溢れた優しみに溢れた音、そして歌声。エミルーの歌唱は円熟の極み、年輪を重ねた適度な枯れが染みます。"Hold On"のコーラスでの彼女の声の響きはたまらなく美しいです。ドリー・パートンとヴィンス・ギルが参加した"Gold"は、シンプルなトラディショナル・スタイルの自作曲。今世紀のメインストリーム・カントリーでなかなか聴く事のできなくなった、何一つ奇をてらわない、文字どうりのカントリー・サウンドが楽しめます。カーター・ファミリー調フレーズを上手く取り込んだ"How She Could Sing the Wildwood Flower"は、ヘヴィーなベース音がアクセントとなってドラマティックな音世界が楽しめ、お気に入りです。フォーキーでやわらかな音の重なり合いが見事な"Sailing Round the Room"も白眉。

 


 今更言うまでもなく、彼女のキャリアは、グラム・パーソンズとの出会いによってスタートしたのは有名。1947年、アラバマに駐屯していた軍人の家庭に生まれました。幼少期は北カロライナで育ち、北カロライナ大学で演劇を学んだ後に、真剣に音楽に取り組むように。ボブ・ディランやジョーン・バエズらのフォーク・レジェンドを熱心にカバーした影響からニュー・ヨークに移動しますが、当時はサイケデリック全盛期、フォークは風前の灯でした。しかし、 Jerry Jeff Walkerらと知り合いになっただけでなく、「Gliding Bird」というデビュー・アルバムもモノにします。結婚もしますが、レコード会社は破産、結婚生活もまもなく破局に到ってしまい、エミルーはその当時ワシントンの農場に住んでいた両親の元へ。そこで再開した演奏活動をFlying Burrito Brothersが見て、クリス・ヒルマンがグラム・パーソンズにエミルーを推薦。彼女はグラムから瞬く間にカントリー・ミュージックを習得し、彼の1972年のソロ「GP」にバック・コーラスで参加、表舞台に姿を現したのです。ツアーにも同行した後の1973年「Grievous Angel」の録音にも参加。そしてその年、グラムはドラッグとアルコール漬けの生活がたたり、非業の死を。

一方のエミルーは、1975年遂に素晴らしい「Pieces of the Sky」でデビューを果たします。プロデューサーはBrian Ahern。続く1976年には、エルビス・プレスリーのギタリストJames Burtonや、後にカントリー・スターとなる Rodney Crowellらをメンバーに迎えた名バンドHot Bandを結成し、名盤「Elite Hotel」をリリース。トラディショナル・カントリーの基本を守りつつ、適度にスムーズなフィーリングを加味した新鮮なカバー"Together Again"(以前、ホンダのCMに使われていたバラード。Buck Owens)"Sweet Dreams"(Patsy Cline)が共にチャートのトップに到達し、若きトラディショナリストとしての名声を確立してしまいました。ザ・バンドの映画「ラスト・ワルツ」に出演したのもこの頃。なお、バックのHot Band、Rodney Crowell脱退後は一時 Ricky Skaggs(!)が在籍していましたが、他にもベースに現在のPatty Lovelessの旦那Emory Gordy Jr、そしてエリック・クラプトンのバンドにも在籍していたイギリス人凄腕ギタリストAlbert Leeなど、そうそうたるメンバーが在籍し、エミルー・サウンドをサポートした名バンドだったのです。1977年の素晴らしいライブ映像が昨年スカパーで放送されていました。


 

 さすがにこの人の数々の名作を、私全てカバーしていませんが、これまで取り上げた以外では、ドリー・パートンとリンダ・ロンシュタットとの企画アルバム「Trio」(1977年)「Trio Ⅱ」(1998年)、サム・ブッシュらをメンバーに迎えたthe Nash Ramblersをバックに付けたライマン公会堂でのライブアルバム「At the Ryman」(1992年)あたりがカントリー・ミュージックらしさが十分に堪能できて素晴らしく、お気に入りでした。

 エミルーが、今年2月12日、殿堂入りのプレス・カンファレンスで語った言葉です。「カントリー・ミュージックは過去からの音楽ではありません。今でも私たちを元気付け満足させてくれる音楽なんです。そこで私達は井戸の水をくみ出して、そしてこの音楽を愛し、私たち自身のものにしようとするのです。それは私の愛する音楽です。それは私に真実の声を見つける手助けをしてくれ、私をとても多くの特別な人たちのところへ導いてくれたのです」





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