ビッグツー店長日記

毎日たくさんのお客様がこられますがそのいろいろをつづってみます

久しぶりの更新です・・・人生の折り返し点に来て。

2006-10-24 14:26:00 | Weblog
久しぶりの更新です。

いろいろなことがいっぺんにありすぎて
自分の頭の中で整理できなくなり
ブログも書く余裕がないというか・・・。
家族のこと・・・会社の将来のこと
そして仕事の仲間のこと・・・

特に若い社員のみなさんの将来。

子供さんも独立して、
後は仕事に集中できる人もいらっしゃいます。

それはそれでいいのですが・・・。

経済的にも、精神的にも余裕ができることは
人間にとってひとつの目標と言う気がしますが、
古今東西の聖人と言われる人の言葉を読んで見ますと
すべての聖人が共通して教えているのは

人生とは苦であり、
更に言い換えると生命とは一生苦難を背負うこと
そして最終的には、他の人を幸福にすることが生命の目的であり
金や物、そして愛欲を満足させることでは決して無い。
と、結論付けています。

経済的に余裕ができて
趣味の世界、物欲、愛欲などすべてが満たされたとして
そのとき人間の生命としての幸福を得られるのか?

それは、単に学術上の『ヒト』、『ホモサピエンス』が
本来持っている動物的知能の
本能発展型の欲望が満足した偽りの幸福ではないか?
と、考えるわけです。

孔子、仏陀、キリスト、マホメット、老子など
歴史上の聖人は「否」と述べています。

仮に宝くじが当たって3億円の現金が手に入ったとします。
その人はその日から、3億円を守るために安心して寝られない日が続きます。
誰が聞きつけて自分を狙ってくるかどきどきです。
最近は、やけっぱちになった人たちがうようよいますから
いちかばちか勝負をかけてみようと考えている人に狙われるかもしれません。

また、明日のことはわからないから、生きているうちに使っちゃえとばかりに
酒池肉林の世界に溺れてあげくのはては、体を壊して寿命を縮める人も
出てくるでしょう。

仮に、宝くじに当たったことが他に漏れなくても
3億円が銀行にあるから、今までいろんことを教えてくれた先輩や友人に対して
傲慢さが出てくるのではないでしょうか?
そして、人から嫌われるさびしい人生を送らざる負えない。

それでも、自分が稼いで得た3億円だったら、皆さんのおかげですという
感謝の気持ちも沸くと思うのですが、せっかく貯めた3億円。
配偶者や、子供があてにするでしょうね。
それがあるから、勉強しなくてもいいやとか、働かなくてもいいやと思うのが
普通の弱い人間なのではないでしょうか?

こういうと強がりに聞こえますが、

自分の欲望を満たすための借金ではなく

将来のため、やがては社会に貢献するためのいろいろな借金。
それを一生懸命働いて返済する。
しかし、月々の余裕は無い。
ほとんどの方が「負債」という「苦」に仕分けするでしょう。

しかし、将来的に他を幸せにするという目的があれば
それは、その生命にとって意識するしないにかかわらず「幸福」と
なるのです。これが天から見た「愛」だと思います。

わが郷土が生んだ聖人西郷隆盛も
「敬天愛人」という書を残して人は他の人を幸せにするために
生まれてきたと自分の行動を通して歴史に残しています。
トルストイも「人生論」の中で、人を幸福にするためには
自己の幸福を捨てることが大前提であると述べています。
西郷さんの、「金も名もいらねば、命もいらぬ。」と無私になることと
まったくおなじことです。
西郷さんもキリストも今の日本人の中に永遠に生きているのです。
だから、真の生命と言うものは、他人の幸福の中に生きる
それは自損利他の精神を元に命を投げ出した人しか得られない
永遠の生命なのです。

もし、自分は一生懸命生きているのに何でこんなに不幸なんだろうと
思っている人がいたら、次のように考えを変えてくださいね。

「自分が今不幸なのは、

他の人を幸福にするための

準備期間なんだ。」


と。