ゆるゆるしなやかに♪ ベルマダがいく!

2011年4月からベルギー生活をはじめました。
ベルギーでの生活等々、ゆるゆる綴っていきますね。

ツライコトに遭遇した人としなかった人の違い

2013-03-17 15:47:11 | Brusselsな毎日
3.11から2年が経ちましたね。


今年のその3.11の発生時間(日本時間14時46分=ベルギーでは、朝の6時46分)に、
自然に目が覚めた事を二つ前の記事で書きましたが、、、


少し前も、災害のテーマでフランス語の会話練習をしたことがあって、
3.11の時の事をヤニックに詳細に聞かれた。

その時、どこに住んでた?→市川に住んでた
その時、何してた?→東京の田町で働いてた
その時、最初にした事は何?→窓の外の近くの高層ビルが揺れてるのを見た。その後、みんなに机の下にもぐって!と言った。
その時、どう思った?→人生で2回目の「死にたくない」が頭をよぎった。

君も机の下にもぐったの?と聞かれて、「NON」。
なぜか、はっきり覚えているけど、そう、私は、みんなにもぐって!と言いながら、
自分は、天井から何か落ちて来ないか、何か倒れないかと確認するために、
自分の机の前に立ってオフィス室内を見まわしていた。

正直いうと、その頃の事は、あまり思い出したくない。

私は結局、帰宅難民にもならなかったし(なぜかというと、翌日の昼過ぎまで徹夜で仕事だったから)、
自宅での断水もほんの1時間しか経験してないし、住んでた場所も海に割と近い場所なのに液状化になってもいなく、
自宅の室内もモノが倒れてもおらず、、特に影響がなかったといえば、なかった。
ただ、なんの周知もなく断水になった瞬間は、焦った・・・・というぐらい。
一番影響があったのは、私の送別会が軒並み中止になった、というぐらいである。

それでも、その時の表現しがたい不安とか、いつか死ぬかもしれないという、
当たり前の事だけど普段は意識していないその事実が、すぐ自分の傍にある事として再認識した。
それは、少し諦観にも似た感覚だった。

誰も家族がそばにいないという、寂しさと裏腹の自分以外に心配する事の無い妙な気軽さが、
自分を自分で少しやさぐれさせた。
そして、この発生してしまったことに、何かしたいのに何もしていない、出来ない自分に対する無力さの確認と自己批判。
テレビでは、悲惨な映像が何度も何度も繰り返し流され、次第にリアルさが無くなっていく。
街から光がどんどん消えていき、暗くなり、そしていつまでも続く余震で、
周りにいる人達の顔からも笑顔が少なくなっていった。

もちろんもっともっともっとツライ思いをした人、いまだにツライ人もいっぱいいるのを承知で書くけど、
私もほんの少しだけかもしれないけど、ツライと思う気持ちがあった。

ツライ事は、、、出来るだけ思いだしたくないけど、忘れてはいけない、とも強く強く思う。

そういった思いを持ったことや、その空気感というのは、やはり体験しないとわからない部分が大きい。
想像力を妄想力をよっぽど懸命に働かせても、100%理解できるものではない。

じゃぁ、忘れない、理解できることはいい事なのか?

少なくとも、少なくとも、人の痛みが少しでもわかるようになる。
支え合って生きてることがわかってくる。
そして、体験していない人が、それがわからない人が、存在していること、
その人達がどれだけ多いのかも、わかってくる。

知らない人達、わからない人達を非難するつもりは全くない。
ただただ、「わからない人達」がたくさん存在していて、その人達は、よっぽどでないと、
体験した人の気持ちは理解出来ないんだ。という事実があるという事です。

これは、3.11よりも随分以前、阪神淡路大震災で被災した人達と発生5年後ぐらいに一緒に仕事したことがあり、
その時に、自分とその人達では、とらえていることがかなり違うということを強く感じた事と、
それから後に、私自身が本当に恐怖を体験した後に、強烈に認識したことでした。
だから、分からない人達、忘れる人達、そういう人たちに出会ったとしても腹が立つことはありません。


でも、少しでも「知って」もらえたらいいなぁ、と思います。
知らない人が知ることにより、そして次の誰かに伝えることにより、
何か動きが出来てひょっとしてツライ人が一人減るかもしれない。
世の中は、繋がってるからこそ、そういう事も起きるし、その可能性を信じたいと思うからです。



そして、そういうことを知ることによって、
隣りの芝が青く見える事も少なくなるのではないかな~と。
目に見える事だけで比較して一喜一憂している事が何も生まない事がわかってくるのではないかな。

そう、大切なモノは目に見えないんだから、ね。








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