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安芸灘とびしま海道は、呉市より7つの島を7つの橋で結びます。
松濤園は一番目の島、下蒲刈島にあります、向かいの島が2番目の島、上蒲刈島です。
松濤園(しょうとうえん)の中には、御番所、陶磁器館、あかり館の他、
御馳走一番館と名づけられた、朝鮮通信使資料館があります。
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朝鮮通信使は、室町時代から江戸時代にかけて
朝鮮より日本に派遣された外交使節団です。
総勢500人ほどで正使、副使、楽隊、輸送隊、通訳、医師、等で構成されていました
広島藩は、この地に、風待ち、潮待ちの港を整備し、おもてなしをしました。
当時のおもてなしで、御馳走一番館の、三汁、十五菜の料理や、
通信使の行列、正使、旗手、楽隊等の一行の模型が展示されています。
瀬戸内海に入ってからの朝鮮通信使一行の寄港地は、
下関~上関~下蒲刈~鞆~牛窓~室津です。
松濤園は一番目の島、下蒲刈島にあります、向かいの島が2番目の島、上蒲刈島です。
松濤園(しょうとうえん)の中には、御番所、陶磁器館、あかり館の他、
御馳走一番館と名づけられた、朝鮮通信使資料館があります。
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朝鮮通信使は、室町時代から江戸時代にかけて
朝鮮より日本に派遣された外交使節団です。
総勢500人ほどで正使、副使、楽隊、輸送隊、通訳、医師、等で構成されていました
広島藩は、この地に、風待ち、潮待ちの港を整備し、おもてなしをしました。
当時のおもてなしで、御馳走一番館の、三汁、十五菜の料理や、
通信使の行列、正使、旗手、楽隊等の一行の模型が展示されています。
瀬戸内海に入ってからの朝鮮通信使一行の寄港地は、
下関~上関~下蒲刈~鞆~牛窓~室津です。
安芸太田町 沈下橋(ちんかばし)
地方により「沈み橋」「潜水橋」とも呼ばれているようです。
水位の低いときは普通の橋ですが、増水時は水面下に沈んでしまう橋です。
幅1m余り、長さ100mほどで、沈下橋には欄干がありません。
増水時に、流木や土砂が引っかかるのを防ぐためのようです。
私の知る限り、広島県太田川流域では、沈下橋はこの一つだと思います。
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この近くを通ると、いつも気になり、何回か訪れています、橋の名前は程原橋です。
地方により「沈み橋」「潜水橋」とも呼ばれているようです。
水位の低いときは普通の橋ですが、増水時は水面下に沈んでしまう橋です。
幅1m余り、長さ100mほどで、沈下橋には欄干がありません。
増水時に、流木や土砂が引っかかるのを防ぐためのようです。
私の知る限り、広島県太田川流域では、沈下橋はこの一つだと思います。
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この近くを通ると、いつも気になり、何回か訪れています、橋の名前は程原橋です。
木立の向こうに、なつかしい風景が見える。
山間の古民家は美しい、空気がおいしい、水もきれいだ。
1990年代には、まだ茅葺古民家も多く見られたが、
今は難しい、さらにほとんどが空き家だ。
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山間の古民家は美しい、空気がおいしい、水もきれいだ。
1990年代には、まだ茅葺古民家も多く見られたが、
今は難しい、さらにほとんどが空き家だ。
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かき筏には10mほどの(かきの連)が海中に吊るされています。
一つの筏には、この連が700本~800本吊るされているようです。
カキの連を持ち上げ 船に引き上げる、収穫専用のクレーン船です。
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かき筏とかき棚
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カキ棚は海岸に設置しています。
潮の満ち引きにより牡蠣が海面から出たり沈んだりしています、
このことで、かきの成長を調製し、出荷しているそうです。