順風ESSAYS

日々の生活で感じたことを綴っていきます

「順風ESSAYS」にようこそ

法学部の学生時代から、日記・エッセイ・小説等を書いているブログです。
長文記事は「順風Essays Sequel」に移行し、こちらは短文の投稿をします。
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エッセイ→ぼくはタイガー鶏口症候群成功のための競争背水の陣//小説→切符がくれたもの鉛筆削り未来ニュース//鑑賞録・感想→報道写真について美術鑑賞2009No_Logic天使たちのシーン//その他創作モノ→回文まとめ雪が降る
 

ストロボナイツ/Possibles

2009年10月31日 | ミュージック

ニコニコ動画版歌詞等の曲情報(初音ミクwiki)収録CD(amazon)


ニコニコ動画版(再生数等が増えると制作者への応援になります)

前回紹介した曲は玄人向けな感じがするものであったが、今回はテクノにポップの要素も入って聴きやすい曲を2つ紹介する。最初の「ストロボナイツ」はLast Night, Good NIghtと同じkzさんが作曲したもので、VOCALOID文化を牽引した完成度の高い曲である。リミックスが多く出ていて、低音の響きが強いRevolution Boi Remixがおすすめだ。もうひとつは、今年発売された新しいVOCALOIDのGUMIが歌う曲で、あルカPさんが作曲したものだ。最近はこの2曲をセットでよく聴いている。


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競争嫌い

2009年10月27日 | essay

私は競争嫌いである。誰もがそうであるように負けるのは嫌であるが、他人に勝ちたいという意欲がないので、なるべく競争状態を作らないようにしている。法学部は競争意識が非常に強いところで、こういう部分は結構ストレスになる。自分は競争関係を持ちこんでいないつもりであっても、時々競争意識を基にした発言をされることがあり、内心驚くことも多い。先日、自分がどうして競争嫌いなのか考えてみたところ、ふと少年サッカーの経験が背景にあるのでは、と思った。

私は幼稚園から小学校4年生終わりまで地域の少年サッカークラブに入っていたのだが、全く活躍できなかった。具体的には、勝ち試合の終盤にDFで出させてもらう感じで、終に1ゴールも決めることがなかった。一番印象に残っているのは、相手からボールを奪い前に離れていた味方にインサイドで早いパスを通した一度のプレーだ。もっとも、小中高と学校の体育の授業などではそれなりに点を入れて活躍できるくらいの技術は身についたので、悪いことばかりではなかった。

両親もインドアな遊びを好む自分に運動をさせ、体育で恥ずかしい思いをさせないことが目的だったようで、もともと他の子どもとの競争を煽ることはしなかったこともあって、活躍できなくても何も言われなかった。そのため長い間続けることになったのだが、勝ち負けのはっきりするスポーツで幼少期にずっと負けを味わい続けたことは、競争自体を嫌う性質を生む原因となっただろう。その一方で、先日の記事のように他人の「できない」に寛容で、甘えてもいいんじゃないの?という感覚の形成の一因にもなっているだろう。

まあ幼少期はどうであれ、大人になれば自ら自己を形成していくことができるので大したことではない。といっても、私は競争嫌いは克服すべき対象とは思っておらず、むしろ過剰な競争心を修正すべきものと考えている。現代の過剰な競争は、(1)「自分が満たされてこそ他人に気をかけることができる」という命題を前提として、半永久的に自分が満たされているという感覚を奪うもので人間の精神の次元を低いままにする、(2)メメント・モリ(死を想え)―例えば、明日人生が終わるとしたら何をするかという質問に対して「他人に勝つこと」を望む人はほとんどいないだろう、根源的な欲求に根ざしたものではないのでは、といった点で全面的には与し得ないと思うからである。資本主義社会の下での経済成長のために適応的な価値観であるとして、その限りで自分に採用すべきもので、頭の天辺からつま先まで染まるようなものではない。

ということで、自分に合った環境を探す中で、他者との関係ではなく知識に存在基盤をもつ専門家として生きていきたいと計画していたのだが、その目論見が達成されるかは、危うい。


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「甘え」について

2009年10月21日 | essay

私は滅多に怒らないのだが、どうして?と訊かれて頭を捻った挙句出てきた答えは、「そこまで期待していないからじゃないかな。」というものだった。「うわあ、意外と冷血なのね。」と言われてしまったのだが、誰も100%の力を常に出せるわけではないよね、と半ば当たり前のことを念頭に置いた上で交流しているだけである。よく「○○は甘え」みたいな言葉があるが、これは甘えを問答無用で悪と決め付けているかのようにみえる。しかし私は、少しくらい甘えた感じでいいよ、と思っている。少しくらいの甘えを許す社会のほうが、強迫的に常に100%で取り組む社会より持続力があるだろう。うつは理性の規律に身体が悲鳴を挙げた状態と言われているが、現在このような状態に陥る人が続出して社会全体が消耗しているように見えるのは、完璧主義、遊びは許さない、甘えは許さない、といった価値観が強いからであろう。

こうして「甘えてはいけない」と自己を規律するのは理性の働きである。しかし、本当に甘えてはいけないのか、甘えがあってもいいときではないのかと丹念に吟味し、他者にも自己にもなるべく不必要な心理的負担をかけないようにするのが、理性の使い方・頭の使い方として本来あるべき姿のように思う。そして、妥協なく取り組むべきことを見定めて、それに集中する。そういうメリハリのあるマネジメントができるようになったら理想的だ。

小さなことだが、私が待ち合わせの設定を委ねられたとき、よく「○時○分から○分までの間に集合」というように、点でなく面で時間を指定することがある。これはアテネ五輪のテレビ中継で「こちら(ギリシャ)ではバスの時刻表が『○分から○分まで』って幅をもって書かれているんですよー。」という現地の話があり、ああこういうアイデアはいいな、と思って採用することにしたものだ。指定した時間ピッタリ来る必要性が本当にある場合っていうのは大して多くないし、あまり本題以外のことに余計な神経を使わせるのも非効率だ。ルート検索等に勤しんだり息を切らして来て最初の十数分何もできないよりは、中身の準備をしっかりして体調も万全で来てくれた方がいい。また、点で時間を指定すると早いか遅いかどちらかになるため、最初の挨拶が「ごめん」で始まることが多くなるが、一定の範囲内なら皆ピッタリということになれば、明るく入ることができる。

こんなことを書いたが、別に私が甘えを許さない周囲と不適応な行動を起こしているわけではない。法科大学院の授業は無遅刻無欠席、ノートも貸すことのほうが多く、しっかりしているという評価は得ていると思う。自分が主導的に何かを決めることができる場合に、不必要に他の方に厳しくしすぎないように心がけているというだけである。しかしその結果、作業や役割を多く抱え込んでキツくなりがちある。自分が甘えを許容するのに加えて、時に甘えを認めてもらうことも少しは考えていかないといけないのかもしれない。


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Filozofio/Chaining Intention

2009年10月17日 | ミュージック
【巡音ルカ】 filozofio -Другой- 【オリジナル】

曲情報(初音ミクwiki)



Chaining Intention [Re:form mix] 【初音ミクオリジナル】

曲情報(初音ミクwiki)



前回はメッセージ性の強い曲を紹介したが、今回はテクノ系で病み付きになりそうな曲を2つ紹介する。どちらも8分前後の長い曲で、もともとの短いバージョンも存在する(「曲情報」から辿っていけます)。Filozofioは機械声とは思えない見事な調声技術が、Chaining Intentionは5:07~5:37のVOCALOIDにしかできない芸当が特に魅力的だ。こういう曲は勉強のBGMに向いているようで、ニコニコ動画のコメントに「レポート作成のお供に」みたいな感じのものがいくつかあり、自分も実際これらの曲を聴きながら勉強したことがある。FilozofioはVOCALOIDランキングで1位をとったこともあり、最近ではPerfumeも人気なようで、テクノ系が好きな人が増えているようにみえる。他に「これが好きならこの曲も好きなはず!」というオススメがあれば教えてほしい。


【2010.7.13追記】動画リンク切れのため差し替えをしました。


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結婚相手に求める年収

2009年10月17日 | 時事

「そうして休んでいる間に、男や女を諦めた人達に何歩も先を行かれるってワケね」
北崎拓「さくらんぼシンドローム」3巻より

結婚相手に求める年収というのは、基本的に女性が男性に求めるものとして扱われている。男性の中には、年収で値踏みされることに不愉快に思う人も多いかもしれない。しかし、女性が男性の経済力を条件に挙げるには、そうせざるを得ない事情があるだろう。昔からの労働環境は、私生活を投げ捨てて働く男性(夫)と家庭を全面的に支える女性(妻)という役割分担を前提に設計され、賃金も男性には一家全員を扶養できる額が与えられるが、女性はそうでない、という状態であった。母子家庭が類型的に貧困に陥りやすいのもこれが原因である。こうなると、女性が自力で経済的にいい暮らし得ることが難しく、男性に依存せざるを得なくなり、経済力が男性選びの指標として大きな意味を持つことになる。

もっとも、知的労働が主流となった現在においては、仕事(ジョブ)の遂行能力という点においては、男女で明確な差はなくなっている。法律業の方面では根気強さと表現力が多く求められるので、むしろ女性のほうが強いのでは、と思うくらいだ。しかし現実には、男女の格差というのはなお存在している。既存の男性像に適応した価値観である「仕事>>私生活」はなお強い力を持っており、男女平等が図られているといっても、「男性並みに働く女性」を認めるにとどまることが多い。この環境下では、私生活を投げ出して長時間労働と転勤に対応できる管理しやすいメンバーシップを提供できるかどうかが人材評価で重要な指標となるため、女性にはどうしても人生設計上の無理が出てきてしまう。

そして、男女ともに私生活を投げ出す働き方をすると、子供を育てる余裕がなくなり少子化が引き起こされ、仮に子供を設けても家庭の教育力が下がることになるなど、社会問題につながっていく。したがって、真の意味で平等を図り、個人の能力を有効に社会に役立てる環境を作り、また現在生じている家族問題に希望を見出すには、労働者間の競争のスタンダードをせめて「仕事=私生活」として、男女ともに同じくらい働いて家事をするという関係のあり方が社会に適合しやすいように誘導していく必要があるように思う。もっとも、従前の価値観に立脚して人生設計をしている人たちが多数存在するわけで、どのように調整していくかは非常に困難な問題があり、到底うまくいきそうにない。

このように労働にまつわる制度と価値観は容易に変更することができないが、個人の私生活の中身の次元では、すでに大きな変化が生じている。先日の朝日新聞によれば、草食男子に代表される昨今の「○○男子」は、旧来の「男子かくあるべし」という枠にとらわれない、新しい男性像が広まっていることの象徴として位置づけられるようだ。法科大学院での実務家教員ではワークライフバランスを実践できている先生が学生の人気を強く得るし、「類は友を呼ぶ」だけかもしれないが、男同士の会話で「将来仕事上リスクを背負った決断をするかもしれないし子育ても十分味わいたいし、相手は自立して仕事を続けていける人がいいよね」なんて話になることもあり、自分の身の回りでも旧来の「男子かくあるべし」から離れてきているなと感じる。

こうした新しい価値観は、「男女ともに雑食」を最終的な理想としているだろう。しかしこれが生活全体に定着するためには、先に述べたように、現在の労働環境では男女のどちらかが旧来の男性のような生き方をしないと生活の維持が難しいので、労働環境も変化していくことが条件となる。その変化の過程では、男性側から「結婚相手に求める年収」を強く主張することがあるかもしれない。これを先取りして、「自分は600万くらい、相手は400万くらい稼いで、合わせて1000万の生活が理想」といったことを堂々と公言する男性タレントやTVドラマの主人公・女性向けマンガの男性キャラクターが登場すれば、社会にインパクトを与えることができるのではないだろうか。すぐに実践・実現できる立場にある方、ぜひともそういう売り出しの企画や物語の制作をしてください!


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ドラクエ9 メモ(3)

2009年10月16日 | ゲーム紹介
私的メモ。

シルバーオーブ
バラモス(弱点:氷)・ゾーマ(弱点:光)から入手
剣・ブーメラン・てぶくろ・けんじゃの石の錬金に必要
てぶくろはスライムジェネラルから入手

イエローオーブ
ムドー(弱点:氷)・デスタムーア(弱点:闇)から入手
ハンマー・弓・ローブ・ブーツの錬金に必要
ブーツはSキラーマシン、ローブはフォロボスから入手

パープルオーブ
ドルマゲス(弱点:土)・ラプソーン(弱点:光)から入手
短剣・オノ・兜・ズボンの錬金に必要
兜はイボイノス、ズボンはハヌマーンから入手

レッドオーブ
竜王(弱点:雷)・シドー(弱点:風)から入手
槍・ツメ・鎧・こての錬金に必要
鎧はレパルド、こては黒竜丸から入手

グリーンオーブ
デスピサロ(弱点:氷)・エスターク(弱点:氷ダークフォースが有効)から入手
ムチ・扇・盾・帽子の錬金に必要
盾はブラッドナイト、帽子はアウルートから入手

ブルーオーブ
ミルドラース(弱点:風)・オルゴデミーラ(弱点:炎)から入手
杖・こん・トーガ・サンダルの錬金に必要
トーガはアトラス、サンダルはイデアドラゴンから入手

~~~

しんかのひせき
 ①天使のソーマ×2 ←宝箱S
   A)ほしのカケラ×2 ←クエスト/宝箱
      a)ひかりの石×3 ←おどるほうせき・スターキメラ/拾う
      b)よるのとばり×3 ←かまっち/拾う
   B)けんじゃのせいすい×2 ←宝箱
      a)まほうのせいすい ←購入(サンマロウ他)
      b)まりょくの土 ←ヘルジャッカル・ダークトロル/拾う
      c)花のみつ×3 ←拾う
   C)天使のはね×2 ←クエスト/宝箱/宿屋地下
      a)かぜきりのはね×3 ←アカイライ/拾う
      b)きよめの水×2 ←ガオン/拾う
      c)天使のすず ←購入(サンマロウ他)
 ②げんませき×2 ←宝箱
   A)せいれいせき ←宝箱
      a)いかずちのたま×2 ←ヘルクラウダー他/拾う
      b)こおりのけっしょう×2 ←デビルスノー他/拾う
      c)おかしなくすり ←ドロヌーバ/宝箱
         うるわしキノコ・どくどくヘドロ・うしのふん×3
   B)超ばんのうぐすり ←宝箱
      a)ばんのうぐすり
         特やくそう・いやしそう・まんげつそう
      b)天使のすず ←購入(サンマロウ他)
      c)めざめの花 ←拾う・購入(サンマロウ)
   C)あやかしそう×2 ←リビングスタチュー・クラウンヘッド/拾う
 ③ときのすいしょう ←購入


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依存症

2009年10月08日 | essay

泉谷閑示「普通がいい」という病(講談社現代新書・2006年)

以前の記事「隠れた価値観を問い直す」の後半で紹介した連載を書いた精神科医の方の本を見つけたので購入してみた。豊富な臨床経験から組み立てられた人間観は説得力があり、心身の変調には何かメッセージがあるはずだと考えて一度受け入れてみる姿勢には大いに共感するところがある。話に沿って様々な文学作品の引用と解釈があり、このブログが目指す書き方のお手本のようで、こういった点からも大いに参考になった。内容については、全体の記述の中では枝葉に位置するものであるが(1)依存症と(2)不眠の記述が特に今の自分に照らして印象に残った。

その部分をまとめてみると、次のようになる。(1)依存症は、本当に望んでいるものではないもので代償的満足を得ようとして、質に満足できず量をどんどん増やしていってしまうものである。依存的行動を抑えるだけでは解決せず、本当に望んでいるものを探る必要がある(166頁から)。(2)不眠はその人が今日という一日を生きたという手応えを感じていないから起きているのではないかと考え、一日の最後に自分らしい時間を過ごしてみるようにと勧めている(224頁から)。この二つには共通する部分があるだろう。本当に望むものを満たすことが出来ていないから、依存的行動が生じやすいし、生活に手応えが感じられず不眠になりがちだということになりそうだ。

私の場合、当初予定した時間を超えてネットをついつい長時間やってしまうということがよくあり、依存的かなと思うことがある。また、幼少の頃から寝つきが悪く、数時間布団の中で起きていることもしばしばである。どちらも実生活に悪影響を与えるほどバランスを崩してはいないし多かれ少なかれ皆抱えていることだと思うが、改善したいと長らく思っていた事柄であった。そこで自分には何か本当に望んでいるのに満たしていないものがあるのではないかと考えてみると、「本心から物事に取り組む、人と接すること」に行き着いた。

私は「やるべきことをやっていたら自分の好きなことをやっても許される」という感覚が中高時代に強く形成され、まず周囲から評価されることを最優先で日常生活を送ってきた。「やるべきこと」は他から与えられるものが多く、本来自分の興味で選ぶべき部活やサークル活動もイメージがいいとか、他人本位な観点から選ぶことが多かった。これでは生活に手応えが生まれないので寝つきが悪くなる。また、情熱も沸いてきにくいわけで仲間とテンションの差が生まれるし、自分に好意をもってくれる人がいても「取り繕った自分の姿に魅力を感じられてもねえ」と心から信頼しにくくなる。一方、ブログは日常では話さないが自分が考えていることを発信できる場で、アクセス数等で反応も得られるため、本心から人と接することの代償的行為として依存の対象になりやすい。おそらく自分の問題の背景にはこうした事情があったのだろう。

しかし、「本心から物事に取り組む、人と接すること」が不足している状態は、最近急激に解消に向かっている。一つ前の記事で書いたように少し今までの生活から離れることができて、主体的に活動できる環境を作っていけるようになったからだと思う。寝る前に考えたことをノートにメモしてみると、自然と眠くなるようになった。今はそれに満足してブログの記事にする意欲がちょっと低下気味なんだけどね(この記事は9月末のメモを素材に書いている)。ネットで活動している人の中には同じように本心で人と接していない孤独感を紛らわすために長時間続けてしまう人も少なからずいると思うので、紹介した本とこの記事が参考になれば幸いである。


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器用な生きよう

2009年10月06日 | essay

器用であることと不器用であることのどちらがいいか、と訊かれれば、器用なほうがいいに決まっていると言う人が多いであろう。何事もソツなくこなせることができれば、小さな苦労が少なくなるのは確かだ。しかし、器用であることにはデメリットがある。何でもそこそこできてしまうため、自分の適性を見つめる機会が得られにくい。今のままで問題ない、そんな感じで進んで行き、「自分はこれで生きる」といった覚悟がないまま物事に取り組むことになってしまいがちだ。そして、今やっていることへの思い入れが生まれにくく、他の道に行けばもっといい結果が出せるのではないか、という疑念も生まれてくる。

「器用貧乏」という言葉があり、器用であるが故に大きな成果を生み出せない、といった意味で使われるが、器用さが直接そのような帰結をもたらすのではなく、上記のようにメンタリティにマイナスの影響を与える原因になりがちだということであろう。適応力が高い、概要を把握するのが早い、あるいは我慢強いといった器用さを支える能力は大きな成果を出すのにも役立つもので、正面から物事に取り組み継続して力を注入する確固とした覚悟が得られれば、きっと目覚しい成果を挙げることであろう。不器用で自分に合わないものに耐えられない人は、壁に当たるたびに如何にして生きていくかという問題に直面し、その回答を続ける中で自然と自分に真に合ったものを見つけていくことになる。「自分はこれ」という感覚をもつことは、成果を出す力になる上に、生き生きとした実感を伴う生活をするためにも重要である。

以前、高校時代の友人と話をしていて、東大生の進路選択に「あれ?」と思うときがある、と言われたことがあった。従前に語っていた将来の夢とは全然関係ないようなところを選んでいる人が多い、選択肢が多くて夢を追える立場にあるはずなのに不思議、といったものだ。私は、上記のような器用さの問題が影響しているように思う。東大の入試は科目数が多く、どの科目も平均以上にこなせる人にとって非常に有利な仕組みになっているため、器用な人が多くいると推測できる。そして、受験に際しては順位付けの世界にどっぷり漬かっていて、特に法学部に来てしまうとまた成績競争が続き、他人との比較の目に曝され続けることになる。こうなると、自分が何を成し遂げたいのか正面から向き合うことがなく、周囲より優れている、成功しているという感覚が持てることを最優先で考えるようになってしまう。

私は学生仲間の内では学究的なタイプの人だと言われてきたが(mixiの紹介文もそういうのが多いから思い込みじゃないだろう)、研究者の進路はとらなかった。それは、その分野に心から興味を抱いているのか、確固とした探究心があるのか確信が持てず、多数派の実利志向の雰囲気から逃避しているだけではないか、という疑念があったからである(おそらくこの自己認識は正しい)。こうした曖昧な態度を直そうと、「やるべきことに正面から取り組もう」と自己の抱負として掲げることが何度かあったが、達成できたことはなかった。しかし最近、法律の勉強から一時的に離れる機会があり、そして今また戻ってきてみると、今まで自分の蓋をしてきた価値観みたいなもの―特に「自分はある分野で成功しなければならない」といったもの―が取り払われて、純粋に取り組んでいるという感覚が生まれてきた。夢や情熱が不足しているのなら今ある状態にプラスしていこうとしてきたが、不足しているのではなく上手に伸ばせていなかっただけで、邪魔しているものを取り払うマイナスの作業が必要だったのだと気がついた。

この調子でいけば、生活に実感をもって、何はともあれ楽しく過ごしていくことができるだろう。これまでは「大学受験を頑張っても人生楽しいとは限らないよ」なんて言ってたけど、大丈夫、きっと大丈夫。この記事の文章力は大丈夫じゃないけど。体裁を整える作業より気持ちが強いってことで御免!


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