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熊 今日はどこに出没!!

今日はどこへ行こうかな 

イタリア・シチリア島カタニア寄港

2012年11月17日 | 旅行

エーゲ海は今日も快晴の夜明けです。
イタリアンマフィアの故郷・シチリア島に向かっています。

活火山のエトナ山が背景にそびえるカタニアに入港します。

【エトナ山とカタニア】
カタニアは、人口305,773人のシチリア島の二番目に大きな都市。
島の東側の海岸に位置し、イタリア共和国シチリア州カタニア県のコムーネの一つでカタニア県の県都。
都市の北には、ヨーロッパ最大の活火山エトナがある。(紀元前480年から紀元前461年に噴火。)

紀元前8世紀頃、古代ギリシアの植民都市として建設されたが、第一次ポエニ戦争中の
紀元前263年にローマ人に占領され、また11世紀後半にはノルマン人に略奪された。

1169年と1693年には、エトナ山の噴火で出た溶岩及びそれに伴う地震により大損害を受けた。
その後、18世紀の初期にバロック様式によって多くの建物は再建され、町の完全な復興に成功した。
多くの建物を良く見てみると、黒い部分が良く見られます。これは、エトナ山の溶岩を利用した為だとか。

7:30に着岸し、9:45にバス3台に分乗して
ギリシア、ローマ時代の遺跡が残る古都シラクーサに向かいます。

【6/10、古都シラクーサ観光を選択】

◎ 考古学公園観光  ◎ オルティジア島旧市街観光  ◎ アポロ神殿  ◎ レストランで昼食

10:30にシラクーサに到着し、最初に考古学公園を徒歩観光します。

  

◎ 古代ギリシャ劇場
1万5千人収容。今でも2年に一度古代劇の上演が行われているそうで、修復が進んでいます。
ギリシア劇場の後ろに岸壁をくり抜いた部屋のような空間がいくつか並んでいた。
ひんやりと涼しい内部は椅子とテーブル風にも見えて休憩所のようです。

  

◎ 天国の石切り場とディオニソスの耳
石切り場の跡地にある耳の形をした洞穴です。
なぜこの形に石が切り出されたのか判りませんが、もの凄い高さまで削られています。

   

大声をあげたり歌を歌ったりして内部の反響を楽しんでいます。
他にも洞穴がいくつかありましたが、立入禁止でした。

  

 ◎ 古代ローマ円形闘技場
奴隷同士や猛獣との戦いに使われたとのことで血なまぐさい遺跡になります。
近くには石棺が置かれた墓地がありました。

近くに見えた近代的な教会のようですが、コース外です。

  

次はオルティージャ島にバスで移動します。

バスを降りてオルティージャ島への橋を渡ります。

   

 オルティージャ島は石造りの建物が建ち並ぶ落ち着いた町並みです。
日曜日ですが、観光客もそこそこで歴史のある通りや路地を徒歩観光しました。

◎ アポロ神殿
オルティージャ島の橋を渡ってすぐのパンカリ広場にあります。
紀元前6世紀末に建てられた周柱式ドーリア式神殿で、
シチリアを含むギリシャ世界で最も古い石造りの神殿と言われています。 

 神殿は、ビザンチン時代に教会、アラブ時代にモスク、ノルマン時代に再び教会、
16世紀のスペイン時代には兵舎に改築されました。

1693年の大地震で崩壊後、地面の下に埋もれていましたが、1860年に発掘されました。 

◎ アルテミスの噴水
紀元前3世紀シラクーサ生まれの天才科学者アルキメデスに捧げられたアルキメデス広場の中央にあります。
噴水の彫刻は、19世紀末のジュリオ・モスケッティ作。ギリシャ神話の「アレトゥーサの伝説」を表しています。
噴水の一番上に立っているのが狩りの女神アルテミス、アルテミスの足元にいるのが川の神アルフェイオス、
その下にいるのがニンフのアレトゥーサです。

アルキメデス広場の一角にあるレストランで昼食。

シチリア島は、古代の昔から農作が盛んで。とりわけオリーブとワインが特産品です。
 地中海最大の島シチリアはイタリア最大のワインの産地でもあります。
エトナ火山の裾野に広がる
ブドウ畑では土着品種のネロ・ダヴォラが多く栽培され、
味・色ともに濃い
果実味の溢れる赤ワインが生産されています。
 また豊かな海に囲まれているため食文化も発達し、特に魚介類の美味しさは日本人にも羨ましくて
鮮度のよいタコ、生魚、ウニなどの料理も簡単に食べられるのはシチリアならではでしょう。

ビールの図柄はイタリアンマフィア風でしょうか。

  

レストランのバルコニーから石造りの通りをパチリ。

店の親父さんが自慢のオペラを熱唱。

   

流しのアコーデオン弾きが有料でカンツォーネを歌います。

  

ゆっくりと美味しい食事を終えてドォーモ広場に向かいます。

   

◎ ドォーモ(大聖堂)
シラクーサの守護聖女聖ルチアに捧げらたドォーモは、紀元前480年のヒメラの戦いで勝利したシラクーサが、
カルタゴの賠償金で建てたアテナ神殿でした。神殿は、ビザンチン時代に教会に改築されています。
(現在でも、教会の左側の壁と内部を見ると、神殿が教会の中に組み入れられているのが分かります)

 

 現在のバロック様式のファザードは、1693年の大地震後、アンドレア・パルマの設計で再建されたものです。
ドォーモ内部のサンタ・ルチア礼拝堂には、聖ルチアの骨の一部と、聖ルチアの銀製の像が安置されています。
聖ルチアの像は、毎年12月13日の聖ルチア祭にドォーモから運び出され、行列を組んで本土の
サンタ・ルチア教会に運ばれます。
一般参賀のために1週間展示された後、再び12月20日にドォーモに戻されます。

 

 ◎ ドォーモ広場
ドォーモ広場は、17世紀中頃から18世紀にかけて建てられた華麗なバロック様式の建物で囲まれています。
映画「マレーナ」に登場したこの広場は、近年整備が行われ、シチリアで最も美しい広場になりました。
広場の北西には、17世紀中頃にマルタ騎士団に建てられた後、1778年に貴族のベネヴェンターノ家に買い取られ、
バロック様式で改築されたベネヴェンターノ・デル・ボスコ宮殿があります。
北東には、紀元前6世紀末のイオニア式神殿の土台の上に建つヴェルクシオ宮殿=セナトリオ宮殿
(現在のシラクーサの市庁舎)があります。東側は、ドォーモと17世紀の司教館で囲まれています。

ここでスタッフが行方不明者1名の捜索に行っているようです。
買い物でしょうか。この街は高級リゾート地のようで、高級店ばかり目につきました。

地元の子供達とパチリ。ピースサインは世界中に広まっています。

  

広場の南にサンタ・ルチア・アッラ・バディア教会がありますが、我々は素通りしました。

◎ サンタ・ルチア・アッラ・バディア教会
大地震の後、1695年~1703年にかけてバロック様式で再建された教会です。
単廊式の教会で、内部は漆喰とフレスコ画と絵画で飾られています。
中央祭壇の上には、現在、カラバッジョのサンタ・ルチアの埋葬の絵が展示されています。

海岸線に出るとアレトゥーザの泉があり、紙の原料となるパピルスを初めて見ました。
シラクーサはパピルス保護地とされているそうです。

◎ アレトゥーザの泉
真水が湧き出ていてパピルスが生え、アヒルや鵞鳥が戯れ、水の中には鯉が泳いでいます。
ギリシャ神話では、ギリシャ本土で川の神アルフェイオスに言い寄られたニンフのアレトゥーザが
泉の姿に変わり、地の底に消えて地中海の底を通り、オルティージャ島に再び湧き出たものとされています。

泉から先、海岸線の遊歩道やベンチの置かれた広場があり避暑地の雰囲気です。

浜辺で泳ぐ人が見られましたが、島の反対側の方が海水浴客が多いとのこと。

不明者も見つかってバス駐車場に戻り、カタニア港に帰ります。

古都シラクーサ観光を終えて、1時間程で港に戻ります。
ここにはシラクーサ生まれの天才科学者アルキメデスの墓もあるようですが、コース外でした。

17:00に船に戻り、カタニア市内観光に出かけます。

聖堂と象の像があるカタニアのメイン広場に向かいました。

◎ ドゥーモ広場と象の泉
広場の中心にある目立つ象の銅像は、待ち合わせスポット的な存在にもなっています。
この象はローマ時代の溶岩を固められたもので作られている為、黒っぽくなっています。
ちなみに象はカターニアの町のシンボルともされており、守り神の様な存在として扱われています。

◎ サンタ・アガタ大聖堂
町のメインともいえる建築物である大聖堂。もともと、11世紀中ごろに建てられましたが、
現在のものは1693年の大震災の後にバロック様式にて
再建設されました。
美しいファサードは、その他多くのカタニアの建物を手がけた建築家
ジョヴァン・バッティスタ・ヴァッカリーニに設計されました。
町の聖女聖アガタに寄贈されている為、サンタ・アガタ大聖堂とも呼ばれます。
外観は少し灰色っぽいのが特徴で、再建設の際に足りなかった材料をエトナ火山の溶岩を固めた
もので
補った為だそうです。
大聖堂内には、メインである聖アガタの祭壇の他、カタニア出身有名作曲家ベッリーニの墓があります。

ここからカタニアの中心を延びるエトネア通りを散策します。

この通りにはいくつもの重要建築物や、たくさんのショップ、ホテルが並んでいます。
1693年の大地震後も復興に伴い、当時はウツェダ公爵通りと呼ばれていたものが現在のエトネア通り
に変更されました。通りがエトナ山方面にまっすぐ伸びていることから、この名前が付けられたのだとか。

カタニアのショッピング街の様な存在の通りなので、常に人通りが多いです。

清潔な通りには寺院や大型ショップ等見所一杯ですが、
チョコチョコと物色しながら往復するのがやっとでした。

 サンタ・アガタ大聖堂まで戻ると荘厳な聖歌隊の合唱が響いてきました。

合唱に惹かれて夕方の礼拝を覗いてみました。
大勢の信者が集まり、日曜夕方のミサでしょうか、得した気分で耳を傾けました。

  

帰船リミットは20:00。港近くでおまけしてくれる果物を買って19:00に船に戻りました。

帰船時に見つかって強制保管となった本日のお酒をパチリ。
飲めない私は夕食後に、桃とサクランボを部屋の皆さんと美味しく頂きました。

  

エトナ山の夕焼けです。
当初はエトナ山登山を考えていましたが、有毒ガスで山頂には立てないようでした。

◎ 文化の交差点、シチリア
紀元前はギリシアの植民地が点在して発達したシチリアは、アラブやノルマンといった地中海の
南北から度重なる侵略を受け、様々な文化が入り交じる結果となりました。
イスラムの影響も強く残していて、シチリアの町、たとえばパレルモを観光すれば
イタリアとは
異なったその独特の雰囲気に圧倒されるでしょう。
 シチリアには美しい町がたくさんあって、それぞれ特徴的なので何度行っても楽しめます。

21:30にシチリア島カタニアを出港。

今まで訪れたことのある北イタリアと違い、南イタリアは別の国だと皆さんが言っています。
近代化が遅れたため美しい景色、歴史ある建物、貴重な遺跡が数多く残っていますが、
その分収入も低迷していて、犯罪率も高く、旅行者は十分に注意が必要とのことでした。

次の寄港地は五日後で、ポルトガルのリスボンです。
大航海時代の息吹に触れたいですが、世界的には植民地主義の海外進出になりますね。


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1 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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シチリア島での出会い (夢紀行)
2013-09-20 11:03:43
素晴らしシチリア島寄港の写真と紀行文をを拝見しました。
実は、私も、同じ船に乗船していました。
今後とも情報交換をお願いします。
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