熊 今日はどこに出没!!

今日はどこへ行こうかな 

韓国・世界遺産ツアー三日目

2015年10月08日 | 旅行

韓国ツアー三日目、6:30に起床すると快晴に恵まれました。

ホテル周辺を散歩。昨夜の賑わいは消えて閑散としています。

   

ホテルに戻り、7:15から韓国式朝定食。バイキング形式ですね。

8:00にホテルを出発。

【10/2、全州市観光-水原市観光-広州市観光-ソウル観光-ソウル泊】

全州市内観光として最初に全州殿洞聖堂に立ち寄り。

朝鮮時代に殉教した司徒らの精神を称え1914年に建てられた聖堂。正祖15年(1791年)、最初に殉教した
ユン・ジチュン、クォン・サンヨン、そして純祖元年(1801年)には湖南地方初めての司徒、ユ・ハンゴム、ユン・
ジホンらが豊南門の外にあるここで迫害を受けて処刑されました。その後、彼らの殉教の精神を称えようと
1908年にフランス人神父ボドゥネが聖堂の建立に着手。1914年に完成しました。隣り合わせた豊南門や
慶基殿と共に伝統文化との融合の象徴になっています。史跡第288号。

記念撮影後、全州市よりお菓子の入った記念品を受取りました。

   

豊南門前を通って韓国伝統家屋が集落をなしている全州韓屋村を観光。

       

全州には700棟以上の韓屋が集まっている韓国最大規模の伝統家屋集落「全州韓屋村」があり、2011年度
には「一度は行きたい韓国観光名所」の一つに選ばれました。ここには慶基殿、梧木台、郷校などの重要文化
財や文化施設があり、生きている歴史や伝統文化を体験することができます。

       

韓紙(かんし、高麗紙(こりのかみ)、朝鮮紙)の製造現場を見学。

 

一時間程観光後、次の水原へバス移動。(約180km、約2時間20分) 

   

11:20に韓国の万里の長城と言われる【世界遺産】水原の華城に到着。

       

水原市(スウォンし)は、大韓民国北西部の都市。京畿道の道庁所在地。古代は高句麗の買忽郡であり、
統一新羅時代に水城郡、高麗時代に水州となった。朝鮮王朝(李氏朝鮮)成立後の1413年に水原都護府が
置かれ、1796年に華城が建設されている。当時は華城に首都を移転する動きもあった。1895年水原郡となり、
1914年水原郡水原面(村)設置、1931年同水原邑(町)、1949年水原市に昇格した。1950年朝鮮戦争で
ソウルが占領されたため水原に臨時政府が置かれる。1967年、京畿道庁がソウルから移転した。 

   

華城(かじょう、ファソン)は、韓国京畿道水原市にある李氏朝鮮時代の城塞遺跡。水原城とも言う。
18世紀末
に李氏朝鮮第22代国王・正祖が、老論派の陰謀により横死した父思悼世子の墓を、楊州から水原
の顕隆園
(隆陵)に移して、その周囲に城壁や塔、楼閣や城門を築いて防護を固めたものが、華城である。
華城は老論を
排除して実学を重視した正祖の理想都市であり、一時は華城への遷都も検討されたが、
華城完成直後に正祖
が死亡したため遷都は見送られた。

       

城壁の一部を観光しながら昼食会場までウォーキング。 

       

華城建築には、1794年から1796年まで2年を越える月日と37万人の労力が投入された。城壁の長さは
5kmを越え、中国から伝わった西洋の建築技術を輸入し、城郭の築造に石材とレンガが併用されている点
が特徴的である。東洋と西洋の技術を融合させた設計を行ったのは朝鮮後期の実学者丁若。これは当時の
朝鮮の築城技術・建築美術の粋を集めたものであったが、華城を最後として、以降の李朝の築城は衰退した。 

12:10に城門傍のレストランで昼食。カルビタンを頂きました。

       

ガイドさんが言う韓国歴史ドラマの舞台を12:50に出発。

次に広州市の世界遺産・南漢山城に向かいます。 (40分)

14:00に南漢山城に到着。トレッキング姿の観光客が目立ちます。 

南漢山城(ナムハンサンソン)は、京畿道広州市、河南市、城南市に広がる南漢山にある山城。行政上
住所では広州市中部面山城里である。丙子の役の際、 仁祖が入城して清と対抗した場所である。
1950年代に李承晩大統領によって公園化されたのち、現在、道立公園に指定され、多くの市民の
訪ねる
場所となった。2014年にUNESCOの世界遺産リストに登録された。 

       

周辺はトレッキングの人達が多く見られ、日本同様に人気のようです。 

   

観光後、最終観光地のソウルへ向かいました。(約40km、約50分)

大河(中浪川?)を渡ってソウル市内に入りました。

ソウル特別市、通称ソウルは、大韓民国の首都。旧「京城」、「漢城」である。元は京畿道に属したが、1946年
に分離し「特別市」となる。ソウルとは朝鮮語の固有語で「みやこ」の意味。朝鮮王朝500年の王都で、四神
相応の思想によって建てられた。なお「ソウル」は、漢字表記(漢城・漢陽・京城・京都など)の変遷に関わらず、
朝鮮民族はこの地を「ソウル」と呼んできたとも言われている。李朝時代までは朝鮮語で京都などと書いて
ソウルと読んでいたが、現代の朝鮮語では漢字の訓読が廃止されているためハングルのみで表記する。

15:40にソウル市内のホテルに到着。荷物を置いてから市内観光に向かいます。

       

室内をチェック後、バスに戻ってソウル市内の免税店に向かいます。

16:50に免税店に到着。中国人の団体さんでメチャ混みです。

次から次と団体さんが押し寄せてきます。レジ清算中にも平気で割り込んできますが、
店員さんがテキパキと対応して邪魔をさせません。さすがでした。

       

一時間のショッピング後、渋滞するソウル市内の夕食会場に移動。

18:40にレストランに到着し、夕食はプルコギを頂きました。

     

次に繁華街見学として、南大門市場を散策します。

南大門市場(なんだいもんいちば、ナムデムンいちば)は大韓民国ソウル特別市、漢江の北に位置する繁華街
である。東大門市場と並ぶソウル二大市場の一つ。ソウル市内にある四大門の一つ『崇礼門(南大門)』を起点
に、四方およそ200~500mの中に大小約1万店以上が立ち並ぶ。日用品や食料品、衣料品が中心となって
おり、買物客で常に賑わいを見せている。日本人観光客にも人気の高いスポットの一つであり、土産物を販売
する店も少なくない。深夜営業の店舗もあるがそれらの多くは卸売業的な性格を持っており、韓国国内から
仕入れに訪れる人が多くいる。

       

韓国海苔、衣料品、靴下、土産品など一番安いように感じました。 

更にバスで移動し、明洞を散策。

明洞 (ミョンドン、めいどう)は大韓民国ソウル特別市中区にある繁華街である。近くに南大門市場がある。
通常、明洞は乙支路入口駅(ソウルメトロ2号線)と明洞駅(ソウルメトロ4号線)の両駅にはさまれた地域を
指すが、広義ではロッテホテル・ロッテ百貨店本店がある小公洞までを明洞に含むことも多い。韓国内、海外
でも一般的にソウル市内でもっとも有名な繁華街とされている。高級ブティックやカラオケボックス、メガネ店
やファストフード店、屋台や露店(公然と偽ブランド品を売っている露店もある)などが数多く立ち並んでおり、
韓国でもトップクラスの規模と人気を誇る観光地である。近年は韓国コスメの店が非常に多く見られるように
なった。主婦層の多い南大門市場に比べ、ここでは若者の姿が多く見られる。

       

三つ目はチョンゲチョン(清渓川)の散歩です。

チョンゲチョン(清渓川)はソウルの真ん中であるチョンノグ(鍾路区)とチュン(中)区を横切って流れる河川。
1970年前後から今までソウルの都市形態を構成する中心軸であります。チョンゲチョン(清渓川)に沿って道路
ができて、市場や商人が住む地域ができました。そのようにチョンゲチョン(清渓川)はソウルの人々の職場でも
あり、暮らしの基盤でもあります。2003年、ソウルの人々の歴史が流れるここに、新しい復元事業が行われ、
周辺の露店は、あまり遠くない地域に新たな市場を形成し、併せて近くの伝統市場の商圏も生き返りました。

       

イベント開催中のようですが、河川を半周して21:30にホテルに戻りました。

ソウル市内の渋滞を避けながらも、ホテルまで50分掛かりました。

広いソウル市内のあちらこちらに若者が繰り出して賑わっています。 

22:10にホテル到着。結構歩きましたので入浴で足を癒します。 

三泊目のホテルも問題なく過ごせました。ツアーの皆さんは何度もソウルに来ているようです。

隣国として何度か訪れることもありそうです。最終日はソウル市内を観光後、成田空港に帰ります。


コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 韓国・世界遺産ツアー二日目 | トップ | 韓国・世界遺産ツアー最終日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

旅行」カテゴリの最新記事