空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 言い出しっぺがほったらかし~で読む「挑まれる沖縄戦」⑥

           

   

 

「命令」から「強制」へシフトした瞬間


 「自決命令」→「軍の命令」→「軍の強制」というシフトチェンジがなされてきたということ、それが集団自決の実像解明の弊害あるいは阻害しているのではないか、ということを今まで指摘してまいりました。僭越ながら、詳しくは当ブログを最初からお読みになっていただけるとありがたいです。

 

 今回は「軍の命令」から「軍の強制」に変換された瞬間はいつなのか、ということを中心に考察したいと思います。

 

 ターニングポイント的な、あるいは象徴的なものとして目立っているのが、当ブログのタイトルにもなっている「挑まれる沖縄戦」ではないかと思われます。

 

 「挑まれる沖縄戦」というのはサブタイトルに書かれている通り「「集団自決」・教科書検定問題報道総集」が中心の内容なのですが、かれこれ10年以上前のことになりますので、ご存知のない方もおられるかと思います。もちろん沖縄に住んでいらっしゃる方は知ってるどころか、その県民大会に参加された方もおられるのではないでしょうか。前回の話の続きではないですが、ここでは積極的に「行ったか」強制的に「行かされたか」といったことに関しては特に取り上げません。

 

 そもそも教科書検定問題とは何か、ということを説明しなければなりませんので、朝日新聞から引用させていただきます。

 

文部科学省が公表した06年度の教科書検定で、沖縄戦集団自決を巡り、「日本軍に強いられた」などとする高校教科書の内容に修正を求める意見が付けられた。文科省は、従来と判断基準を変えた理由について、「軍の命令があった」とする資料と否定する資料がある▽自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が名誉棄損で訴訟を起こしている――などと説明している。

(2007-06-23 朝日新聞 朝刊 2社会)」

 

 これに対し「沖縄からは猛烈な反発」があり、それが県民大会である「教科書検定意見撤回を求める県民大会」へと発展していきます。「挑まれる沖縄戦」はそういった経緯を沖縄の視点から捉え、いかに沖縄からの反発や「怒り」が強かったか、ということを主張する展開になっています。

 

 とはいっても、本当に11万人が集まったのかという疑問や、自治体が税金を使って無料バス手配等の便宜を図るといったことへの批判があり、それはそれで問題ではあるかもしれませんが、ここではこれ以上追及しません。そういったものに興味がある方は他の文献等でご確認ください。

 また、この「挑まれる沖縄戦」は渡嘉敷島以外の集団自決も掲載されておりますが、ここでは引き続き渡嘉敷島の一点だけに絞ります。

 

 さて、当ブログで再三取り上げてきた「鉄の暴風」における赤松大尉の文言について、「挑まれる沖縄戦」はどのような取り扱いなのかというと、今回も全く無視あるいは排除されており、既に過去のことのように忘れ去られています。一応確認いたしますが、「鉄の暴風」と「挑まれる沖縄戦」の出版元は同じ沖縄タイムス社です。

 

 「教科書検定意見撤回を求める県民大会」が、開催される発端となったものは教科書検定であります。ではなぜ教科書検定の修正がなされたかといえば、朝日新聞の引用にある通り「自決を命じたと言われてきた元軍人やその遺族が名誉棄損で訴訟」が起こったことです。

 中心人物というのは座間味島の元戦隊長で、数年前に亡くなられておりますが、その中には赤松大尉の遺族も含まれていました。

 

 「鉄の暴風」に掲載された赤松隊長の文言を中心に考えてみれば、いわば「直接対決」といっても過言ではないのですが、「挑まれる沖縄戦」には全く取り上げておりません。唯一、名誉棄損裁判の証言要旨として掲載されてますが、あくまで遺族側の証言であり、しかも「鉄の暴風」に言及していることが明記されているのに、それに対する回答や反論はありませんでした。ただしこの名誉棄損裁判では「鉄の暴風」がメインではなく、大江健三郎氏の「沖縄ノート」とその出版元に対するものなので、参考がてら付言します。

 

 そうはいっても、事の発端はまちがいなく「鉄の暴風」にあります。「沖縄ノート」も「鉄の暴風」に掲載された「事実」を元に書かれたと大江氏本人も証言しているのでありますから、この件に関しては全く異論がないと思われます。

 にもかかわらず当事者の遺族に対して何の対応もせず、よく言えば沈黙を守り、悪く言えば第三者を装って無視するといった態度は、礼を失するような、あるいは侮辱しているような態度である気がしてなりません。

 

 ただ、「訂正しろ」や「謝罪しろ」ということを主張するのではありません。「鉄の暴風」における赤松大尉の文言が正しいと主張するならば、それを堂々と遺族に説明すべき義務があると思います。それどころか、有識者や専門家の意見を借りて、遺族たちは「そそのかされて」裁判を起こしたような印象を与える記事も見え隠れします。

 あくまでも個人的な意見ですが、そういったものが無く、しかも赤松氏の文言を無視し排除する態度をとり続ける限り、沖縄タイムス社全体の信用性自体を疑わざるを得ませんが、皆さんはどう思われるのでしょうか。

 

 「鉄の暴風」における赤松大尉の文言が無視・排除される代わりに、前回取り上げた「兵事主任の証言」が決定的証言として、より一層前面に出てきます。

 特に「教科書検定意見撤回を求める県民大会」を支持する大学教授等の専門家と称される方々は、兵事主任の証言を前提として軍の命令があったとする主張を展開しています。

 

 兵事主任の証言を裏付けできるような証言も出てきました。

 集団自決の生存者、つまり当事者である金城重明氏が兵事主任の証言を聞き、それが軍命令の根拠となることを主張しています。特に名誉棄損裁判ではそういった主張が全面的に出され、同じく当事者である座間味島配備だった元戦隊長や赤松大尉の「命令はしていない」という主張と真っ向から対立する展開になっています。

 

 当事者同士の証言に全くの食い違いがあるのは明白です。

 それと同時に、バカの一つ覚えのような感じで申し訳ありませんが、兵事主任の証言には相互参照・相互補完できる資料というのが全くないことも付言しなければなりません。この現象はここで新しく発見されたわけではなく、軍の命令がなかったという主張する文献によって以前から指摘されていました。

 つまり信ぴょう性が既に疑われていたのです。

 

 そういった状況を考慮してか、当事者である金城氏が「軍命令を聞いた」と主張することにより、その疑われた信ぴょう性を払拭させようという狙いが見え隠れしています。

 

 しかし、実は金城氏が聞いたのは元兵事主任からであり、「軍の命令」を直接聞いたわけではありません。これに関して言えば、既に金城氏本人も「聞いていない」と証言しており、「軍命令を聞いた」あるいは「軍命令が出た」と主張する根拠は、その元兵事主任から戦後聞いた「後日談」ということになるのです。

 兵事主任の証言と同じような、あるいは似たようなことを「その当時」聞いたのではなく、戦後になって「そういう話があった」ということを、元兵事主任から直接聞いただけなのです。もっと具体的なことをいえば、元兵事主任から電話で確認をとったということを、ご本人は1980年代後半に証言しています。

 

 兵事主任の証言をいつ聞いたのか、その時期によって裏付けできるか否かの判断は変わると思います。今回の場合はいわゆる元ネタが元兵事主任でしかなかったという点において、結局は今までと同じように相互参照・相互補完できない状態を維持してしまっているということです。

 

 そういった経緯は当然のように「挑まれる沖縄戦」に掲載されていません。それどころか、兵事主任の軍命令を聞いた「当事者」として、金城氏の主張が大々的に取り上げられております。

 少々ややこしい話になりますが、金城氏の「軍命令を聞いた」という証言そのものは、集団自決の前といった「当時」のことではなく、戦後になって、しかも直接ではなく間接的な「また聞き」なのです。したがって、兵事主任の証言に対する信ぴょう性は依然として疑問があると言わざるを得ないのに、その「また聞き」を一切削除して「軍命令を聞いた当事者の証言」として取り上げてしまっているということになります。本来は結び付けることができないようなものを、結んでしまっている展開ともいえます。

 

 当事者の証言というのは貴重かつ重要な一次資料であります。しかし上記のように「細工」したものになってしまえば、軍の命令があったかどうか明確ではないのに、「軍が命令を出した」というイメージだけが確実に残ります。「軍命令を聞いた当事者の証言」なのですから、当然といえば当然の帰結です。

 

 特に上記の経緯を知らない方が「挑まれる沖縄戦」等の文献や新聞記事を読んだ時は、より一層信じてしまうでしょう。いや、圧倒的多数の方、特にあの県民大会へ積極的に参加した方々は上記の経緯を知らないかと思われます。第一、金城氏はあの凄惨な集団自決の経験者ですから、信じないほうがおかしいかもしれません。

 

 ただし、ここで金城氏が「嘘をついている」と非難しているのではありません。少なくとも金城氏の主張は軍命令が出たと「信じている」のですから、一個人の感情まで追及するつもりは全くないことを理解していただきたいです。そもそも今回の件では金城氏が嘘を言っているとは思えません。

 

 しかし金城氏の証言では、軍の命令があったかどうかの明確な判断が依然として不可能です。それでも「軍命令を聞いた当事者の証言」があるということは、軍が命令を出したという「印象」「イメージ」だけが単に強いだけになってしまいます。 

 つまりこれは印象操作なのです。軍の命令があったかどうか不明なのに、軍の命令があったという「印象」 だけが強調されているということです。印象操作は印象操作であって「教科書検定意見撤回を求める県民大会」をある程度成功させたかもしれませんが、「軍の命令があった」という決定的証拠には程遠いものです。

 

 印象操作という観点に立てば、これだけにとどまりません。まずは「挑まれる沖縄戦」から以下に引用します。

 

「軍強制を削除した教科書検定は、「集団自決」の真実と、残された人々の心痛をも全て消し去った。

 検定に連なる背景には、日本軍の加害を「自虐的」とし、名誉回復を目指す歴史修正主義の動きがある。「集団自決」は標的にされたのだ。」

 

 教科書検定に変更があったことの原因が、要は「歴史修正主義者」の陰謀だということです。そして上記の記事を沖縄タイムス社の記者が署名入りで書いているということは、沖縄タイムス社全体の主張ととらえても問題ないと思います。

 「歴史修正主義者」の陰謀があったかどうかはわかりません。興味のある方はご自分で考察なさってください。ここで言えるのは当事者自身が「命令していない」として名誉棄損裁判まで起こしている状況がある以上、「軍命令があった」とする教科書の記述を再考する行為自体は自然の成り行きだと思われますが、皆さんはどう思われるのでしょうか。

 

 ここで注視しなければならないのは、「軍の命令」があったというのが大前提で上記の主張がなされ、その「厳然たる事実」をあたかも「歴史修正主義者」が闇に葬り去ろうと、陰で策動しているといった印象操作が行われていることです。「軍の命令はなかった」説を主張するものすべてが、あの忌まわしき「歴史修正主義者」だと悪いイメージのレッテルを張っているのです。

 

 これを別の観点から見てみると、「軍の命令」がなかったという説に対して、印象操作をしなければならないほど「軍の命令」説の信ぴょう性が保持できない、ということになるのではないかと思われます。「軍の命令」説が崩壊してしまうという危機感を抱いているということかもしれません。もう一度書きますが、印象操作は印象操作以外の何物でもなく、決定的証拠には決してなり得ないものです。

 

 現に赤松大尉が自決命令を出したという決定的な証拠は、2019年の現在でも発見されておりません。「軍の命令」という証拠は兵事主任の証言だけで、その信ぴょう性に疑問があるという指摘を払拭できません。当事者本人も1970年代から一貫して「命令は出していない」と主張しております。

 

 それでも日本軍の責任追及という結果を固定してしまっている人たちには、どうしても日本軍が「悪いことをしていなければならない」証拠が必要なのです。なぜ必要なのかは、当ブログを最初からお読みになっていただければありがたいです。

 

 ここで「軍の命令」から「軍の強制」へとシフトが変わるのです。命令という具体的なものから、強制という抽象的なものへのシフトチェンジです。「命令」ダメなら「強制」ならどうか、といった感じです。

 

 「軍の強制」へと変わりましたが、強制だと曖昧になってしまうという懸念からか、正確には「強制集団死」という用語が頻繁に用いられています。核心部分は順次曖昧にしていくのにもかかわらず、自らの主張はより具体的に、よりセンセーショナルになったというのが個人的な見解ですが、軍からの明確な命令がなくても、指示や誘導といった、必ずしも軍の命令ではないものまで含まれることは同じです。仮に自主的なものであったとしても、強制されたという主張がこれで可能になるのです。

 

 そうやって適用範囲を拡大するという、小さい的から大きな的へとすり替えるようにしておけば、誰からも批判されることなく、引き続き日本軍、あるいは日本の戦争責任を追及することが可能です。「日本軍は悪いことをした」と言い続けることができるのです。

 

 そしてここでも「鉄の暴風」における赤松大尉の文言は無視され、忘れ去られることを期待するかのように排除するのです。むしろ邪魔な存在だけなのかもしれません。さらにそういった行為は歴史学の考察を職業としている大学教授の一部の方々にも、残念ながら加担していると言わざるを得ない状況が見受けられます。

 

 「歴史修正主義者」による陰謀ということを前述しましたが、そのネオナチのような忌まわしき「歴史修正主義者」が行う常套手段の一つとして、自らの主張に反するもの真逆なものは全て排除し、時には暴力といった実力行使も厭わないようなことを平然とします。

 さて、集団自決における、あるいは沖縄問題における「歴史修正主義者」は一体誰なのでしょうか、陰謀は誰が企てたのでしょうか。

 

 そして「赤松大尉の自決命令」→「軍の命令」→「軍の強制」という流れが、これでようやく完成するのです。

 集団自決の実像を解明する阻害要素、つまり恣意的な資料の取捨選択が連続して行われているということをご理解いただけましたでしょうか。自分たちの都合が悪いものは無視して排除する人たちが誰であるか、皆さんにも是非お考えいただきたいです。

  

 最後に「教科書検定意見撤回を求める県民大会」の決議文を一部引用します。

 

「教科書は未来を担う子供たちに真実を伝える重要な役割を担っている。だからこそ、子供たちに、沖縄戦における「集団自決」が日本軍における関与なしに起こり得なかったことが紛れもない事実であったことを正しく伝え、沖縄戦の実相を教訓とすることの重要性や、平和を希求することの必要性、悲惨な戦争を再び起こさないようにするためにはどうすればよいのかなどを教えていくことは、我々に課せられた重大な責務である。」

 

 この決議文には「軍命令」が記載されていませんが、「軍の関与」というシフトチェンジへの「萌芽」がみられます。 

 

 そして「子供たちに真実を伝える重要な役割」が「我々に課せられた重大な責務」なら、もう一度「鉄の暴風」へ回帰しませんか、ということを提案して終わりにしたいと思います。

 

 最後まで読んでくださり、誠にありがとうございました。

 


参考文献

沖縄タイムス社編『挑まれる沖縄戦 「集団自決」・教科書検定問題報道総集』(沖縄タイムス社 2008年)

別掲 『裁かれた沖縄戦』

別掲 『現代史の虚実』


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