空と無と仮と

渡嘉敷島の集団自決 誤認と混乱と偏見が始まる「鉄の暴風」⑪

誤認を誘発してしまった「複郭陣地」の存在②


 前回は複郭陣地という場所が早い段階で選定されていたから、そこに「地下壕」もあったという誤認を誘発したことについて考察してまいりました。
 今回もその延長というべきもので、舟艇攻撃から地上戦への方針転換がスムーズに行われていたのではないか、それによって前回と同様に誤認されてしまったのではないか、といことについて説明いたします。

 第三戦隊というのは通常の歩兵部隊ではありません。特別攻撃隊としても通常の部隊ではありませんでしたが、舟艇攻撃という性質からして歩兵部隊ではないという意味で、通常ではないということを強調したいです。むしろ陸軍の中では特殊な存在である船舶工兵に近いといっても、決して間違いではないと思われます。

 そんな第三戦隊が舟艇攻撃から地上戦への転換において、特に混乱したというような感じがなくスムーズに切り替えられている印象があります。
 同じ陸軍とはいえ、また、米軍の予期せぬ攻撃という非常事態でもありましたが、全く違う任務を何の躊躇や混乱もなしに切り替えるということが可能なのでしょうか。

 これをわかりやすく説明するならば、例えば千人程度の企業ならば部署が明確に設定され、当たり前ではありますが、それぞれの職種や業種に従事しております。
 しかし、明確な業種の区別があるにもかかわらず、何らかの特別な事情によって生産部の仕事を営業部の人がやらなければならなくなったら、一体どうなるのでしょうか。あるいはその逆、または人事部の人がやらなければならなくなったらどうなるのでしょうか。

 生産部が一日1000個の製品を製作したと仮定します。その生産を営業部や人事部等の他部署の人が、全く同じ製品を1000個作ることはできるでしょうか。
 他部署の人が応援として少人数投入されたら可能かもしれません。しかし全員が他部署の人だったら、果たして生産部と同じ作業ができるのでしょうか。

 「同じ会社の人間だから出来る」と思う方はいないと思います。特に似たような企業で働いていらっしゃる方は説明するまでもありません。
 軍隊も同じです。同じ陸軍の兵士なのだから、そんなのは関係ないと思っている方がおありでしたら、それは稚拙な考え方だと断言できます。さらには組織が大きくなればなるほど、そういった転換が難しくなっていくことは、現代の会社組織と旧日本陸軍になんの違いもありません。

 第三戦隊の場合は舟艇攻撃から地上戦への転換ですから、業種、あるいは職種がガラリと変わる状況でした。第三戦隊は歩兵部隊の訓練ではなく、何カ月も舟艇攻撃の訓練をしていたのです。それにもかかわらず、転換したことによる混乱がみられないのです。
 第三戦隊に吸収された第三大隊は歩兵部隊です。しかし先述した通り第三大隊のメインは武器とともに沖縄本島へ転属され、少数の元第三大隊と徴用された朝鮮人の方々が入れ替わったのですから、あくまで舟艇攻撃が主任務の第三戦隊には変わりがありません。

 個人的な見解ですが、この転換の速さやスムーズさによって、複郭陣地での持久戦が最初から決まっていたということが印象付けられ、それに伴い集団自決も最初から決まっていた、つまり既定路線であったという印象が戦後の頃からあったのではないかと思われます。それを具現化したのが「鉄の暴風」ではないのでしょうか。

 本来なら難しかったと思われる舟艇攻撃から地上戦への転換。それがスムーズに行われた原因は何だったのでしょうか。
 赤松大尉を筆頭に第三戦隊が有能だったということが言えるかもしれませんが、赤松大尉の回想を読む限り、お世辞にもそのようなことが原因だったとは思えません。赤松大尉の複郭陣地へ到着するまでの行動は、一言でいえば「何が何だかわからない」といった状況がふさわしいと思われます。興味のある方は「ある神話の背景」等を、もう一度お読みになっていただきたいです。

 それでは他に何かあるかといえば、実は非常に興味深い出来事が複郭陣地に移動する前にありました。

 それは船舶団長の渡嘉敷島来島という出来事です。

船舶団長については次回以降に続きます。

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