常磐線 快速電車 勝田行きに乗車し、横浜とは逆方向の茨城県へ。
我孫子駅から1駅・天王台駅で、
中峠城攻略!
城を攻略すると、石高が1万石増え、金が150両前後得られます。
また、進行した距離(行軍距離)1kmにつき1両得ることができます。
年末年始はボーナス期間で、行軍で得られる金が倍になります。
そして中峠城は、この日最初の攻城・・・・・・ではございません。
最初の攻城は、我孫子駅にて我孫子城を攻め落としたのでした。
唐揚げそばに気をとられ、スクショ漏れをしてしまいました・・・。
8時42分、利根川を渡り茨城県に入りました。
この日は快晴。
茨城の名峰・筑波山がとてもよく見えます。
8時50分、牛久駅付近にて、
牛久城、攻略!
そしてこの日最初の浪人発見。
山口重政という武将が配下に加わりました。
さらに牛久市内で東林寺城を攻略。
官位は、攻略した城の数に応じて上がっていきます。
隼人佑はまだまだ下っ端なのです。
このあとも谷田部城を攻略し、電車は土浦駅へ。
ここで15両編成の電車は切り離しを行い、10両編成となって北上することになります。
土浦城、攻略!
この日最初の続100名城を攻略できました。
さらに近隣の
おお、わが家臣の中でも抜群の能力を誇りますなぁ~。
電車はなおも北上。
筑波山を望む風景もなかなかのものです。
9時31分、石岡駅にて石岡城、府中城を攻略。
皆川広照、
とくに佐竹義昭は常陸国北部を支配した大名であり、能力値もなかなかのものです。
3人全員を家臣に加えるとともに、途上
9時48分、水戸線との分岐駅・友部駅に到着。
友部から先ですが、大回り乗車の大前提である一筆書きの経路を遵守するため、水戸方面へ進むことはできません。
水戸には100名城の水戸城があるのですが、それを目前にして友部駅で下車することとなりました。
友部駅では、宍戸城、飯沼城と、続100名城に選定された笠間城を攻略。
そして永井直勝と秋田
秋田さんは、その苗字のとおり秋田の殿様でしたが、関ヶ原のときに不手際があったため笠間宍戸城に移され、のちに謹慎処分を受けて失意のうちに死したという、数奇な運命をたどった人物です。
友部駅からは、水戸線で西へと向かうことになります。
今度の電車は、9時53分発 水戸線 普通電車 小山行きです。
電車は定刻どおりに友部駅を発ちました。
電車は5両編成ですが、座席に余裕がある状況。
進行方向左側の座席に座り、車窓を眺めながら攻城を続けていきます。
水戸線は、沿線に笠間、下館(筑西)といった街もありますが、だいたいは近くに田園、遠くに山というのどかな風景の中を進んでいきます。
そんな中・・・
10時17分、富谷城を攻略。
10時26分、下館城を攻略。
10時30分、伊佐城を攻略。
下館城で配下に加わった
「負け知らずの猛将」と評された彼は能力もそこそこ高く、石高は2万石必要です。
電車は鬼怒川を渡り、東結城駅へ。
結城市は茨城県ですが、旧国は下総国に属します。
ここでは結城城を攻略・・・
結城軍団6人、襲来!
結城一族とその家臣・岩上
松平忠直と結城秀康は2万石・・・・・・石高が足りなくなりそう。
ちなみに結城秀康はタヌキ爺の二男で、結城家に養子に入りました。
松平忠直は、秀康の死後跡を継ぐと、結城家との縁組を解消し松平姓に復姓しています。
電車はそのまま西へ。
途中中久喜城を攻略しそびれるというミスを犯しながらも、栃木県へ。
塚田城をしっかり攻略し、
10時54分、小山駅に到着しました。
【今回の乗車記録】
JR東日本 [JJ08]我孫子駅 1番線 8時37分発
■常磐線 快速 勝田行き 15両
土浦駅 1番線 9時09分着 5分停車・後5両切り離し
友部駅 2番線 9時48分着
友部駅 3番線 9時53分発
■水戸線 普通 小山行き 5両
小山駅 15番線 10時54分着
*所要時間 2時間17分 (移動時間 2時間12分 乗換時間 5分)
*移動距離 117.7km
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