ひがし茶屋街にやってきました。
「茶屋」というのは、道端で団子とお茶を売っているようなのではありません。
しんみりとしたお座敷で、芸姑遊びをする・・・というところ。
ここは江戸時代の吉原、現在の先斗町のようなところでした。
現在は観光地てしての面が強く、特殊浴場のようなたぐいのところは一切ありません。
ひがし茶屋街のメインストリートに面している茶屋「志摩」【国指定重要文化財】。
江戸時代に建てられた茶屋が現存しています。
「志摩」の中に入ります。
まずは前座敷です。
座敷にやってきた客は、床の間を背にして座り、酒を飲み肴を食べます。
すると、向かいの控えから芸姑さんが登場(#^.^#)
唄を謡い、曲を弾き、舞を舞って客を楽しませます。
こちらははなれの間。
「志摩」には客座敷が3つあり、前屋敷からは文字通り離れたところにありました。
密談をする際や、お忍びで来る客のために用いられたそうです。
華やかな座敷から隠れるようにたたずむ台所。
豪華な料理を作るにはとても手狭です。
じつは、茶屋は基本的に料理を作ることはなく、仕出屋などから取り寄せるのが普通でした。
つまり、遊ぶ場所を提供する「貸し座敷」の役割を果たしていたのです。
そして茶屋の勘定はその場で払うものではなく、後日払いが普通でした。
たしかに、気分よく遊んですぐに「金払え」では興ざめです。
そのかわり、客の信用がとても重視され、「一見さん」が茶屋に入ることはきわめて稀でした。
お茶屋で一服。なかなかよろし~
「志摩」の向かいにある、もう1軒の茶屋・「懐華楼」【金沢市指定保存建造物】。
現存する茶屋で、こちらは今もなお茶屋として営業しているのです。
(「アルバイト募集」なんて貼り紙もあった!)
つまりはここには現役の芸姑さんがいるってことなのです(#^.^#)
受付は、芸姑さんと思われる着物を着こなした女性。
まだ夜ではないので、おしろいは塗っていませんが、艶っぽさが感じられます。
朱塗りの階段を上り、
朱色を基調とした朱の間。
画像では、座敷と控えの間にあるふすまは外されています。
群青色を基調とする群青の間。
落ち着いた雰囲気のあるこの間は、身分高い者のための座敷であったそうです。
朱の間と群青の間のあいだに設けられた市松の間。
互いの座敷からの話が聞こえないようにするため設けられました。
そのため、通常は使用されない部屋です。
互いの座敷の客が鉢合わせしないように、群青の間の客は裏階段から出入りしました。
この向こうは芸姑さんの控室。
芸姑さんは・・・いませんでした。
現在は別の部屋が控室になっているのでしょうか。
いささか暗い1階の客座敷で、
またまたお茶屋でお茶。
この日は抹茶を3杯飲んだことになります。
「懐華楼」では、入場のときにお茶を申し込む必要があります。
「懐華楼」を出て、もうしばらく茶屋街をぶらりとします。
・・・ついに芸姑遊びはできませんでした。
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