ばくっちの巣穴 ドット blog

熱しやすく冷めやすい。新しもの好き、ばくっち

本日、能楽鑑賞デー ~観世流「鵜飼」

2012-08-24 | 能楽堂
本日、千駄ヶ谷は国立能楽堂にて能楽鑑賞。
ラインナップ:林望×茂木健一郎の対談⇒観世流「鵜飼」

ここ何年か、この時期に林×茂木の対談企画があるんだけど、
毎年茂木氏の俗物ぶりにはガッカリ…。
「打ち合わせ全くしてないんです」と開き直った上で、
話の本筋とは関係なく、民放バラエティ番組仕様のハイテンションで
当世話題の人物と懇意であることを強調したりするのだ。
去年はボコられた歌舞伎俳優、今年は関西の某市長…。
メールやツイッターでやりとりされてるんだそうです。そうですか、そうですか。
あと今年は、英会話もできるんだぞ、というところをカッコよくお披露目してた。
リンボウ先生も、こういう相手との仕事を断らずに続けているところを見ると、
同じくよっぽどの俗物らしいが、少なくともそう見せないように振舞うことができている。
今日は持ち時間のほとんどがリンボウ先生の能楽解説(独演)だったし、
会話もちっともかみ合わないし、もう来年からは無理に対談企画にせず、
リンボウ先生の「講演」でいいんじゃないか、国立能楽堂。

続いて「鵜飼」…①禁漁区で、②漁(=殺生)をする、というW悪事を働いたために
仲間にリンチされたあげく簀巻きにされて川に沈められ、地獄に落ちる男(の亡霊)の話。
通りがかったお坊さんに、どういうことをしでかしたのか語るんだけれども、
鵜飼のシーンを回想&再現しているうちにだんだん興にのってきて、
「殺生の罪深さも後の世のことも忘れるほど…面白くて面白くて…」と言うんです。
(イメージとしては、顔の下からのライトアップで、鬼気迫る半笑い。)
やがて楽しい?漁のひとときも終わり、亡霊さんなりに我に返って
消え去るときになってなお、名残惜しそうに、ゆーっくりと振り返ったりして。
まさに地獄に落ちようかって時にですよ。おお。なんという業のすさまじさ。

でも、だからって、この男を責められるか。どうしようもないバカなやつ、と。
いや。絶対に責められない。なぜならこの業は、私自身の中にあるものと
まったく同じなのだから。そりゃ、おこがましいってもんである。
「地獄は遠くにあるのではない、人の目の前にあり、鬼とは人の心の内に棲みついているもの…」
という閻魔さまのお言葉に、自分のココロの深淵をえぐられるようで、
このお能は何度見てもゾクゾクする。って、何度も見てんのか!
はいはい、すみません。実は好きな演目なんです。…もはやマゾなり。

ま、結果的には、ありがたい法華経のお陰で、その↑閻魔さまが鵜飼舟から極楽行きの舟に
乗せかえてくださるんですけどね。

いやはや。不肖ばくっち、明日から真っ当に生きて参ります!
(と、一瞬だけポーズをとってみせる、調子のよさ…)

最新の画像もっと見る

1 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
夢は宇宙を駆け巡る (アームストロング)
2012-08-27 19:00:09
コンニチハ。
人のいない所に鬼はいない…
鬼は人の都合で生まれたものだとか。
恐れたり身近に感じたり、敬遠したり親しみを持ったり、閉じ込めたり祭り上げたり…なんやかやと繋がりが深いのは、ばくっちさんの書かれたように「内なるモノ」というのも理由のひとつなのでしょうか。自分の中に認めたくない、或は抱えきれない闇の部分を「鬼」という装置に背負わせることでバランスを保つことを古しえの人々が「知恵」として身につけていったのは弱さを属性とする「ヒト」の自然な流れだったのかもしれませんね。
己の内なる鬼を意識しているばくっちさんは、あるがままを素直に認められる人なのでしょう。
この演目に何度もぞくぞく…はカタルシスといった所ですか。
私が一度だけヒトとして降り立った月にもいつかは大勢の人が訪れるのでしょうね。月に鬼が棲むようになるのも、そう遠い話ではないかも。私は月より遠くから麒麟にでも乗って見守るとしましょう。
では、遠い将来、機会があればお会いしましょう。
返信する

コメントを投稿