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ばくっちの巣穴 ドット blog

熱しやすく冷めやすい。新しもの好き、ばくっち

洋書~ダース・ヴェイダーとルーク(4才)

2012-09-05 | 書庫
本屋さんで一目惚れして、絵本を買いました。

DARTH VADER and son
(邦題:ダース・ヴェイダーとルーク(4才))

なんと、あのヴェイダー卿の子育て奮闘記。
不器用ながらも一生懸命なシングルファーザーぶりを魅せてくれます。

肩車してやったり(でも目隠しされて、右往左往…)、
ベッドで絵本を読んでやったり(でも子供にはちとグロい内容で、
ルークは寝るどころか目がギラギラしちゃってるんだけど、
全然気づいてなさそうだったり…)、
アイスを落として泣かれると、自分の分をやったり…、

さすがのヴェイダー卿も息子の前では、
愛したい&愛されたい必死さが裏目に出ちゃう、
トホホなフツーのお父さん。
その後の悲しい別れを知っているだけに
このフツーの親バカさにはしんみりもするんだけど…
総じて、ちょびっと笑って、こころ温まる絵本でした。
絵のタッチもかわいくて、気に入りました。

「ぶくぶく」やめなさい

男、速水真澄、キタ―――(゜∀゜)―――!!!

2011-09-27 | 書庫
先生の本の"次に"楽しみにしていた「別冊 花とゆめ」11月号、出た。
つづめて言えば、婚約解消を切り出されて自殺未遂しちゃったシオリンを
立ち直らせるべく決起した、男・速水真澄の話だった。
心神喪失のシオリンを現実の世界に引っ張り出す荒療治。
シオリンのベッドの前で「これが本当の僕ですよ」と言いながら
スーツのジャケットを脱ぎ出した時には、えぇ?そっち?!
と、鼻血出そうになったけど、彼女を抱き起こす作業のために
上着が邪魔になっただけだった。(ふうっ!(汗))




マヤちゃんと幸せを掴むため、問題の核心にむけてまっしぐらに
飛び込んでゆくかっこよさにホレボレ・・
最近のマスミンは、ずーっと凹みっぱなしだったので、
久しぶりに気持ちよかった。
黒沼先生も、あと一歩でマス×マヤの関係に気がつきそうだし。
この展開の速さは・・さては美内先生、本気出したかも。
この調子でハッピーエンドになだれ込んでほしぃ~!

『古事記以前』・・販促です

2011-09-23 | 書庫
「別冊 花とゆめ」の次号発売を楽しみにするあまり、
恩師の著書が出たことを忘れていた。
ダメもとで一応言ってみるか。
「先生、すごく楽しみにしてました~♪」・・(だめか。。)

『古事記以前』 工藤隆 著 大修館書店
まだ買っていないけど、内容はなんとなく分かるような気がする。
そして、いつもの誤解をされるんだろうな、と思う。
以前の著書「古事記の起源」は中公新書で、確か4刷りくらいまで
増刷されて、学術的で硬派な内容にしては大健闘した本だったけれど、
ネットで読んだ限り、ほとんどの人が内容を誤解していた。
(つまり、ちゃんと読まれていなかった。)
いちばん正確に読んで、しかも簡潔に書かれていたのは
文芸評論家、三浦雅士さんの書評だったように思う。さすがだ・・。

■リンク■
今週の本棚:三浦雅士・評
『古事記の起源 新しい古代像をもとめて』=工藤隆・著


教え子として、師が理解されないのはちょっと悔しいので、
今日はみんながどう勘違いしているか説明してみる。難しいんだけど。

工藤隆の主張には重要キーワードとして
「古事記の起源(または源流、遡る、など)」
「中国少数民族」
というものがあるが、これだけを見ると大概の人は誤解する。
「フィールドワークで中国少数民族の説話を集めたら
 古事記の中の説話と似たものがあったので、
 日本のルーツは中国少数民族にあると思われます。」
という結論なんだろうと、みんなそう思うらしい。
(図A参照)


でもこれではあまりにも安っぽすぎやしませんか、ってものだ。
こんな安直な仮説で学者が務まるなら、あたしだって学者になれる。
工藤隆が言っているのはそういうことではない。
「古事記以前のことを想像してみましょう。
 といっても、ただやみくもに勝手なイメージを語り合っていても
 いまひとつ説得力が無いので・・、たとえば現代の中国少数民族の
 神話をもとにして、こんなふうに考えてみたらどうでしょう。」
という提案なのだ。
これは「古事記論」であると同時に「古事記研究論」でもある。
文字文献「古事記」の研究は、今やどんづまりの状態だ。
1000年あまりで研究しつくされ、コンピュータの時代となって
どこにどんな文字や表現が使われ、どんな解釈があるか、などは
だれでも簡単に検索できる。それに、古事記以前の文献や
それに準ずるような資料が今さら新たに出てくる可能性も低い。
では、それを押して遡るにはどうしたらいいのだろう。
というのを・・かんたんに描くと、図B(1~3)のようなかんじ。
 図B-1

 図B-2

 図B-3


現代の少数民族の神話をもと(=モデル)にして、ブラックボックスであるところの
「古事記以前」の部分(=モデル)が想像できないか、ということだ。
著書の中でよく「モデル的」とか「神話のモデル」とか言っているのは
このことなのだが、これがどうもうまく理解されずに、最初にあげたような
誤解につながっているような気がする。

私は結構イケてると思う、この「モデル的」な考えかた。
もちろん正解は無いけれども、いま取れる手段は全て取って
論理的にもしっかり説明の付く想像をすることは、
少なくとも各人が勝手なイメージを語るよりは
遥かに学問が追求するべき核心に近づいていると思う。
こうして新しい学問の道を切り拓こう、というのが工藤隆の心意気。
そのためにはどんな努力も惜しまないし、ちょっとの妥協も許さないので
学者としてすごくかっこいい。しかし、なんか今度も一般読者に誤解されるか
無視されるような気がする・・。
もっとも、悔しがっているのは私ばっかりで、当のご本人は50年後、100年後、
さらにそれ以降を見据えている様子。実際、全く気にしてないようなのだが・・
現代の人にも理解されるに越したことはない。
このブログを読んだ何人かの人にだけでも、その真髄が伝わるといいのですが。

興味のあるかた、ぜひご一読ください。
著者がかねてから「神話の現場の8段階における<第1段階>」に相当すると
位置づけてきた、イ族の創世神話「ネウォテイ」が散文体(日本語訳)で
収録されているようです。

■出版社へのリンク■
『古事記以前』 工藤隆 著 大修館書店

台風一家。いや、一過。

2011-09-22 | 書庫
台風といえば、速水真澄である。
(昨日、ご本人もツィートしていました。)

「忘れられた荒野」の舞台初日、台風であらゆる交通機関がマヒしたために
歩いて劇場に向かうマスミン。当然、パンツまでビショ濡れだろうに
ポーカーフェイスで一言、

「おれは約束は守るといっただろう?」  ゥキぃぃぃーっ!(筆者気絶)

これでもマスミンの深い愛に気づかないのが天才女優のマヤちゃんだ。
まあ、何か一つの芸に秀でると、ほかがお留守になるんだろうな。

来週の月曜は「別冊 花とゆめ 11月号」発売です。楽しみ~

こんなせつない気持ちははじめてだ・・・

2011-09-17 | 書庫
ごぶさたです。
「ガラスの仮面」最新巻をきっかけに実家で第1巻から読み直し、
近頃すっかりマスミンにやられっぱなしの・・ばくっちです。

背が高くて、かっこよくて、知的で、仕事ができて、お金持ちで、
振舞いがスマートで、何をやってもソツがなくて、
なのに、唯一、愛する女に対しては想いを伝えられずに苦悩。
ストイック・・てゆうか、もはやマゾヒスティックの域だろ!的な
悩みっぷり。カフスを外し、ネクタイを緩めて、革張りのソファに
もたれ、端整な横顔に苦悩と諦観の色を滲ませる。
そんな姿に、思わずこっちが悶絶してしまうのだった。

あー、もう!

「頼む、水城くん、あの女に絵を書かせないでくれ・・」

・・すみませんです、若社長。あと美内先生。

※ちなみにこれは、マスミンのファンなら
 誰もが必ずあげる名場面(そうは見えないが)。
 44巻に収録。 

みなさん、いよいよ「その時」がやって参りまスた!

2011-07-28 | 書庫
いやー。もう、満足しすぎた。
一昨日発売の「ガラスの仮面」47巻を買ったら、なんとなんと!
速水氏とマヤちゃん、ついに思いが通じて、現実の世界で
熱い抱擁(着衣)を交わしました!!もう片方が気絶してるとか、
幻想の世界で、とかじゃないんです!(涙)

テレビアニメを見てた中学時代、
教科書の内側に挟んで授業中に回し読みした高校時代、
バイト代で単行本をオトナ買いした大学時代、
連載がパタリと止まったOL?時代・・・。
速水氏が自身の「恋」に気づき、アクションを起こすのを
気長に待つこと、かれこれ四半世紀。
「今も信じられない・・こんな日がこようとは・・」(速水氏・談)
って、そりゃこっちのセリフだよ。

まあ、ひとまず、よかったー。
しかし・・・紫のバラの人の正体がとっくの昔にチビちゃん本人に
バレているとは、夢にも思ってない様子。これまた気づきまでに何年かかるのか。
ほかにも面倒くさい問題が山積だし(さらに今回1件追加)、先は長いぞよ。
作者の美内先生と、第一巻から生死の境をさまよい続ける月影先生と、
どっちが長生きするか心配していたけど、いつしか自分までこの壮大な
「長生きレース」に巻き込まれ、参戦せざるを得ない予感がする。。
いや、まじで。

販促(予告編)

2010-03-05 | 書庫
まもなく我が師、工藤隆の本が出ます。

『21世紀 日本像の哲学 ~アニミズム系文化と近代文明の融合』

「一連の日本論の総括的な内容」とは著者本人談。
「アカデミックな内容でありながら売れそうなタイトル」とは私の感想。
先月、先生んちに遊びに行った時はまだB4かA3の紙の束だったけど、
書いてあることはなんとなく分かる気がする。

でも、"21世紀"とか"哲学"なんて新しいキーワード。楽しみ。

関連リンク
・勉誠出版のサイト
 「近刊案内
・工藤先生のサイト
 「Office KUDO ~少数民族文化と日本
・前回出版時のばくっちブログ
 「『古事記の起源』・・販促です」(2006.12.20)

山周。

2009-01-03 | 書庫
あけおめ、ことよろ。(←もはや死語か?)

年末、丑年の年賀状の図柄に迷って、
でもべつに絵とは限らないか。と思って、
好きな作家、山本周五郎の『樅ノ木は残った』に
作中で一番好きなキャラ、伊東七十郎が
旅の途中の街道で、三頭の大きな牛を追っている牛方と
すれ違うシーンがあるのを思い出して、抜き書きしてみました。

あたりまえだけど作家の描写力ってすごくて、
話の筋を追いつつ、
そのシーンが目に浮かぶように、かつ
登場人物の人となり(=どんな価値観を持っているのか)
を表現するのですね。ひとつの文章が多機能。

しかも読んでいる人が「そうそう!」
「そう言おうと思ってた!」と思うように
書くんですよね。かねてから心のうちに
モヤモヤと思っていたことを、作者が代弁してくれた
ような錯覚に陥らせる。
それが作者自身が直接体験したことでは
なくても、まるで目の前で見たように書く。
そもそも時代小説なんて、誰も見たことないことだし。
これぞ作家の手腕。

作家に限らず、
聞いている人が欲している音を出せる歌手、
見ている人が欲している表情を出せる役者、
「スター」とか「人気~」とか言われる人たちは
みんなそういう能力を持っていると思う。

で、山本周五郎のなにがいいのか?
「生きるヒントが登場人物の言葉として語られる。」
というのが、よくいろんなところに紹介されていて、
まあ確かにそういう部分もあるし、中高年男性読者が多いのは、
たぶんそれが理由だろうけど、私はそうは思わない。
そんな、チャラいことじゃないんだよなあ。

何と言ったらいいのか。
いろーんな人がいて、
いろーんな人生があって・・
人間万歳!
という雰囲気に満ちているのがいいのかなあ。
全体にユーモアがあって、
物語としてのオチがきちんとあるのも気持ちいい。
(若干、強引な時もあるけど。)
読むたびに、印象に残る部分、惹かれる部分が違うというのも魅力。
それは、読む人の状況や環境によっていろんな風に受け取れるように
作られているってことであって、そういう技術的?な面もスゴいと思う。

また、自分が黒澤映画好きで、
黒澤映画の原作には山周作品が多い。
というところに、なにか関係があるように
思うのだけれど、うーん、よくわからない。

だれか山周の魅力をまとめて書いてくれてないかな。
と思って、いろんなサイトを見たりするのだけど、
なんかいまいち。作品リストとか、名言集とか
そんなのばっかりで、肝心なところを書いてる人がいない。

・・・って、でも、それをうまく表現できたら
そのひとは、すなわち作家になれるんだよなあ~(笑)

てなわけで、モヤモヤと、なぜか惹かれる作家の本を
読みながらお正月を過ごしています。

そして、中休みに。
ストーブの前で熟睡していた猫を
ちょっといじってみました。
ドーモすいません。


『古事記の起源』・・販促です

2006-12-20 | 書庫
大学時代のゼミの先生が初めて新書を出しました。
私が先生の「古事記」の講義を聴講していたのは、ショボい三流大学の日本文学科2年生のとき。「古事記そのものの研究をしても僕は面白くない。それ以前がどうだったのか、想像することのほうがずっと楽しいのです」みたいなことを言っていて、完全に「はぁ??」というかんじ。言ってる意味は分からないし、テストもよくできなかったのに、気がついたら「工藤ゼミ」に入っていました。どうしてそう決めたのか思い出せないのですが、迷った記憶が全く無い。いつもは優柔不断なのに、これはいまだに不思議。それから2年間ゼミに所属して卒論も書いて、私の思考回路は先生によってまさに啓かれました。というとかっこよすぎて悔しいので、、小さいころからずーっともやもやと思っていたことをちゃんと整理してもらった、というのはどうだ?・・って、言い回しはともかく、物事の本質を見抜こうとする姿勢や、'必ずしも○○であるとは限らない’という考え方・・つまり、いろんな可能性を考える楽しさを教えてもらったように思います。そして、三流大学の先生が必ずしも三流の研究者とは限らないのだということを目の当たりにしたのでした。
初めて講義を受けてから15年以上経ちますが、「古事記以前を想像することのほうがずっと楽しい」という先生の言葉に嘘は無く、それからずーっとコツコツ研究を重ねて、ありえないくらい大量の論文を書いて(しかも中身が濃い!)、最近ついにその「古事記以前」を本当に構築できてしまいそうなのです。自分の課題にプラスに働く可能性があれば、どんなに細かくて面倒なことに対しても飽きるとか、適当なところでうやむやにするとか、そういうことはまず無いし、むしろ嬉々として取り組んできたみたいです。と一口に言ってしまえば簡単そうだし、自分の好きなことなら当たり前かもしれませんが、それを何十年も継続させているという点で、学者さんというのは本当にすごいものだと思います。ぶよぶよするからフィットネスに行きます、とかいいながら3週目にはサボっていてはダメ。大学を卒業するとき生半可なキモチで大学院に残りまーす、なんて言わなくてよかったと、いま心からホッとしています。
先生のロジックは面白いし新しいし、古事記研究史上のターニングポイントになりうると思う。まじで。でも業界でそれと認められるにはまだ時間がかかるかもしれないので、こういう新書や市民講座などから入った一般の人のほうがすんなりと純粋に楽しめると思います。もちろん興行本位の「古事記に秘められた暗号」とか「古事記99の謎」とか、そういう類のものではないので、それなりに難しいのですが。。
興味のある方は、どうぞお手に取ってみてくださいませ。

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「古事記の起源--新しい古代像をもとめて」
工藤隆 著
中央公論新社
中公新書1878