「別冊 花とゆめ」の次号発売を楽しみにするあまり、
恩師の著書が出たことを忘れていた。
ダメもとで一応言ってみるか。
「先生、すごく楽しみにしてました~♪」・・(だめか。。)
『古事記以前』 工藤隆 著 大修館書店
まだ買っていないけど、内容はなんとなく分かるような気がする。
そして、いつもの誤解をされるんだろうな、と思う。
以前の著書「古事記の起源」は中公新書で、確か4刷りくらいまで
増刷されて、学術的で硬派な内容にしては大健闘した本だったけれど、
ネットで読んだ限り、ほとんどの人が内容を誤解していた。
(つまり、ちゃんと読まれていなかった。)
いちばん正確に読んで、しかも簡潔に書かれていたのは
文芸評論家、三浦雅士さんの書評だったように思う。さすがだ・・。
■リンク■
今週の本棚:三浦雅士・評
『古事記の起源 新しい古代像をもとめて』=工藤隆・著
教え子として、師が理解されないのはちょっと悔しいので、
今日はみんながどう勘違いしているか説明してみる。難しいんだけど。
工藤隆の主張には重要キーワードとして
「古事記の起源(または源流、遡る、など)」
「中国少数民族」
というものがあるが、これだけを見ると大概の人は誤解する。
「フィールドワークで中国少数民族の説話を集めたら
古事記の中の説話と似たものがあったので、
日本のルーツは中国少数民族にあると思われます。」
という結論なんだろうと、みんなそう思うらしい。
(図A参照)
でもこれではあまりにも安っぽすぎやしませんか、ってものだ。
こんな安直な仮説で学者が務まるなら、あたしだって学者になれる。
工藤隆が言っているのはそういうことではない。
「古事記以前のことを想像してみましょう。
といっても、ただやみくもに勝手なイメージを語り合っていても
いまひとつ説得力が無いので・・、たとえば現代の中国少数民族の
神話をもとにして、こんなふうに考えてみたらどうでしょう。」
という提案なのだ。
これは「古事記論」であると同時に「古事記研究論」でもある。
文字文献「古事記」の研究は、今やどんづまりの状態だ。
1000年あまりで研究しつくされ、コンピュータの時代となって
どこにどんな文字や表現が使われ、どんな解釈があるか、などは
だれでも簡単に検索できる。それに、古事記以前の文献や
それに準ずるような資料が今さら新たに出てくる可能性も低い。
では、それを押して遡るにはどうしたらいいのだろう。
というのを・・かんたんに描くと、図B(1~3)のようなかんじ。
図B-1

図B-2

図B-3
現代の少数民族の神話をもと(=モデル)にして、ブラックボックスであるところの
「古事記以前」の部分(=モデル)が想像できないか、ということだ。
著書の中でよく「モデル的」とか「神話のモデル」とか言っているのは
このことなのだが、これがどうもうまく理解されずに、最初にあげたような
誤解につながっているような気がする。
私は結構イケてると思う、この「モデル的」な考えかた。
もちろん正解は無いけれども、いま取れる手段は全て取って
論理的にもしっかり説明の付く想像をすることは、
少なくとも各人が勝手なイメージを語るよりは
遥かに学問が追求するべき核心に近づいていると思う。
こうして新しい学問の道を切り拓こう、というのが工藤隆の心意気。
そのためにはどんな努力も惜しまないし、ちょっとの妥協も許さないので
学者としてすごくかっこいい。しかし、なんか今度も一般読者に誤解されるか
無視されるような気がする・・。
もっとも、悔しがっているのは私ばっかりで、当のご本人は50年後、100年後、
さらにそれ以降を見据えている様子。実際、全く気にしてないようなのだが・・
現代の人にも理解されるに越したことはない。
このブログを読んだ何人かの人にだけでも、その真髄が伝わるといいのですが。
興味のあるかた、ぜひご一読ください。
著者がかねてから「神話の現場の8段階における<第1段階>」に相当すると
位置づけてきた、イ族の創世神話「ネウォテイ」が散文体(日本語訳)で
収録されているようです。
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『古事記以前』 工藤隆 著 大修館書店