獏の伊賀生活

昨今益々政治の貧困を感じます。平和な日本や地球のことを最真剣に考え行動して欲しいです。私利私欲に走らないよう

1200年の歴史 伊賀焼き

2006年02月18日 23時59分59秒 | 伊賀の地
今日は伊賀焼きの紹介をします。

以前勤めていた会社の社宅で Kさんの奥様に「伊賀焼き 美味しい」と聞かれたことがありますが…煎餅などではなく陶器の焼き物です。 

伊賀情報サイトの記事より
伊賀焼きの歴史

約400万年前、伊賀地方の大半は湖で、伊賀焼きはその「古琵琶湖」に堆積した土砂を原料に造られます。湖底の土は多くのプランクトンを含み、耐熱性に富んだ粘土を形成しています。奈良時代から始まったとされる伊賀焼きは、約1200年という長い年月を経た現在も、変わることなくその湖底の土を用ています。


 伊賀焼きが始まったとされる奈良時代、のちに伊賀焼きと称される陶器のほとんどは、米や麦などを貯蔵するための壷、すなわち農具としての使用が出発点であるとされています。そして当時、文化の中心であった奈良朝の歴史的影響も受けつつ、焼き物の産地として発展していきます。

 安土桃山時代、槇山窯(しんざん)、丸柱窯(まるばしら)、上野城内の3ケ所で焼かれていたことが現在までの調査で明確になっているそうですが、槇山窯は信楽焼の系統で、安土桃山時代以前のものは作風が信楽焼きにほとんど共通しており、その後衰退していくのに対して、現在でも続いている丸柱窯は、信楽焼とは作風が異なっています。その特色が顕著に現れるのは安土桃山期半ばになってからで、当時流行した茶の湯のニーズに応じて造られた茶陶や花器、水差しなどには、現在の伊賀焼きにも通じる「わび」、「さび」といった自然美が見られるようになります。

登り窯


 伊賀焼き

 江戸時代、藤堂伊賀の時代に入ると、白土の採掘禁止といった苦難の時期を乗り越え、領主により迎えられた陶工の指導や文化・文政時代の京焼きなどの作風に影響を受けながら、安土桃山時代に培った現在の伊賀焼きの特徴・古伊賀焼きの自然美を残しつつ、その歴史と伝統を深めていきます。19世紀中ごろには、とっくりや土瓶など、より生活に近い器が大量に造られるようになり、安土桃山期の古伊賀と称される伝統的な茶陶も、主に土瓶など日用品が焼かれ、現在の主製品は土鍋となっています。


この町内にも外国人の陶芸家が住んでおられ、伊賀焼きの作陶に励んでおられます。

以前に親戚でお茶を頂いた時、茶器の底に緑のビードロ状の模様になんともいえない美しさに魅かれました。

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