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裏風撃バカキュン

とり♀、いしい♀、夏子♀、ぜん♂、おバカな4人がゆるゆる綴る胸キュン音楽blog。
風吹く裏街でテキトーに撃ってます。

そして僕は、途方に暮れちゃいました

2004-11-16 | ぜん
昔のカラオケは、画面に文字など出なかったのである。というか、画面なんてはなからなくって、歌詞の掲載された、ずっしり重い通称「歌本」を見ながら歌ったのだ。若いモンは知らんじゃろうがのう。83年当時、大沢誉志幸の「そして僕は、途方に暮れる」をリクエストし、颯爽とステージに上がった私であったが、はたしていつ歌い始めていいものやらさっぱりわからない。印象的なフェアライトのサウンドだけが空虚に流れてゆく。そして僕は、途方に暮れた。“通信カラオケ&いろんな機能付”が当たり前の今、隔世の感がある。

ある日、テレビを見ていたら、大好きな「そして僕は、途方に暮れる」が流れてきて、それがカップヌードルのCMだったとわかった時にはびっくらこいたなあ。しかも麺を豪快にほおばっていた肉体派俳優が現在のカリフォルニア州知事になっているのも驚きであります。

アルバム「CONFUSION」を久々に引っ張り出して聴いてみたけど、今聴いてもいいね~。「FREE WAYまで泣くのはやめろ」以外、全曲いい。それまでカッチョイイ曲を提供する新進作曲家のイメージが強かった大沢誉志幸が「その気×××(ミステイク)」でシンガーとしてブレイクした記念すべき一枚。なんたって声がカッコイイよなあ。美川憲一風な喉を持つ私としては、ただただあの声に憧れます。

・・・と、書いてみましたけど、いしいちゃんの時計にはかなわんなあ。

甘え上手

2004-11-14 | ぜん
松田聖子ちゃんのことは、つぼみの頃から目をつけていたのだよ、じつは。AMラジオで毎晩夜12時台に10分くらいの番組に出ていてさ。満を持して歌手デビュー、ファーストアルバムも買いました。でも、すぐ冷めてしまった。歌詞に「熱帯魚がマリンスノー散らして泳ぐ云々」とかいうのがあったのさ(詳細は忘れた)。マリンスノーというのはプランクトンの死骸(と考えられている)が、光の届かない深海にゆっくり沈んでゆく様子がまるで雪みたいに見えることからそう呼ばれているのだ。ビーチでマリンスノーをばちゃばちゃできるわけないじゃん、と。新人歌手である聖子ちゃんはただ歌っただけなんだろうけど、アホな作詞家と、それを指摘できないスタッフにあきれました。そのアルバムは知人に譲ってしまったので、今手元にない。その後、ずっと松田聖子は無視してました。

しかし、いつの間にか私が尊敬してやまない松本隆さんが怒涛の如く聖子ちゃんに詞を提供し続けていたのだよなあ。しかもかつての同僚である大瀧さんや細野さんや鈴木茂さんも巻き込んで。ええ、聴きましたとも。その時点での新譜、「ユートピア」(83年)。

どの曲も素晴らしいのだけど、敢えてこの一曲「ハートをRock」を挙げましょう。ここでの聖子ちゃんの魅力は、甘え上手な可愛さ。「まいったなあ。でも可愛いからしょうがないや」と許してしまう。「ハートをRockしたいから~」以降の、甲斐祥弘による、これでもかこれでもかと食い込んでくるメロディー攻撃には降参するしかない。優等生タイプの男の子も、聖子ちゃんの魔手によって変身を余儀なくされたに違いない。というわけで、あまりに自信満々で堂々、朗々としている聖子ちゃんにはイマイチ魅力を感じない私です。

トロピカル・ミミ

2004-11-12 | ぜん
現在、「夏」とか「Nuts」とかいえばそりゃもうここのメンバーの一員を指すわけでありますが、80年代であれば小林泉美ちゃんを意味していた。林立夫さんがリーダーで、今剛、松原正樹といったメンバーを擁していたパラシュートのキーボード&時々ヴォーカルを担当していたんだよね。

さて、泉美ちゃんのソロ・アルバム「Nuts,Nuts,Nuts」(82年)であります。なになに、帯の宣伝文句には「夏のお嬢さん 小林泉美(トロピカル・ミミとの振り仮名あり) キュートなヴォーカルとファンキーなキーボードプレイでFeeling Free」ってなことが書いてあります。(「夏のお嬢さん」は榊原郁恵じゃなかったっけ・・・?)少々こっぱずかしいコピーではあるものの、ジャケットとサウンドを見事に言い当てています。まさに南国フレバー、どこもかしこもバナナ色、高中正義の楽園至上主義サウンドに引けをとっていない。何曲かは打ち込みを採用したエレクトロ・ポップ風になっているが、今聴くと100%人力によるリズム・セクションのほうがいいなあ。

ちなみに美人評論家先生によると「泉ちゃんは正統派美人ではないが、確かにキュートである」とのことでした。

マリッジ・クロニクル

2004-11-07 | ぜん
その昔、勤め先の女性と偶然一緒になった飲み屋でカラオケ歌ったのが「君は天然色」。音程、合ってたかなぁ?実際に歌うとなると、かなり難しいんだよね。「ロンバケ」がめちゃ流行っていたからウケを狙って歌ったわけではない。流行に左右される私であれば、ソフト・マシーンやムーンライダーズに大騒ぎしたりしないのである。

さて、はっぴいえんどのメンバーの解散後を駆け足でたどる二枚組CD「風街クロニクル」の一曲目が、その思い出の「君は天然色」だ。ポーンというピアノの響きは、単なるチューニングの儀式だけでなく、その後の音楽界を根本から変革するファンファーレでもあったのだ。

というわけで、その後紆余曲折いろいろありまして、飲み屋で偶然一緒になった当時の同僚ガールはモノクロームに色を点けて現在の配偶者に落ち着いているわけです。「君は天然色」のストーリーと逆ですね。

うたかたの日々/マライア

2004-10-26 | ぜん
清水靖晃(sax)、土方隆行(g)、笹路正徳(key)、山木秀夫(ds)らによるスーパーグループ、マライア最後の作品(83年)。LPサイズだけど45回転二枚組で発表された。このアルバムは中近東フレバー漂う異色作。というか、デビュー以来毎回異色作ばっかりなんですけどね。一番有名なのは「マージナル・ラヴ」かな。

もともと、渡辺香津美のKILINセッション(※坂本教授とアッコちゃんはここでゴールインした)に、清水靖晃が参加していた流れでマライアを聴くことになったのだった。そうしたところ、メンバー全員が実力者ぞろいで、それぞれソロアルバムを何枚も出し始め、とうとう追いつけなくなって・・・。なんせ学生の身だったから、弟と分担して主なものだけ買ってました。20年経ち、今手元に残っているのはコレ一枚だけ。

清水靖晃という人は単なるジャズのフィールドをぴょ~んと飛び越え、サックスでバッハの無伴奏チェロ・ソナタを吹いたりしている人なのだ。しかも遠路はるばるトーホグの炭鉱の奥にもぐって録音したり。・・・完全にきてます。
また、土方、笹路の二人はスピッツのデビュー以来のプロデューサーであった。それから、ヴァイオリンの高嶋ちさ子がチョコレートファッションというユニット(今考えると、ちょい恥ずかしいネーミングかも)で活動していた時のプロデュースを笹路が務めていたはず。
そんでもって山木秀夫は説明不要、問答無用のスーパー・ドラマーなわけです。

と、このように、変態音楽集団で、個々の能力が飛びぬけていて、他者のプロデュースをばんばんやって自分よりセールス的に成長させちゃうところとか、日本最古の現役ロック・バンド、我らがムーンライダーズと通じるところがあるなあ、と最近になって思っております。

シュガー・ベイブのライヴ

2004-10-22 | ぜん
古いテープをあさっていたら、シュガー・ベイブのライヴ音源が出てきた。山下達郎さんのFMラジオ番組(85年ごろと思われる)のエアチェックで、「ウインディ・レディ」「ダウン・タウン」「愛は幻」「今日はなんだか」全4曲。達郎さんのコメントによると76年1月、仙台でのライヴとのこと。解散の2ヶ月前だね。「あ、アタシもその時のラジオ聴いた!」という声が聞こえてきそうだなあ。

「ウインディ・レディ」は達郎さん、「愛は幻」は大貫さん、それぞれのファースト・ソロ・アルバムに収録されている曲だけど、シュガー・ベイブ時代、既に演奏していたのだね。ということは76年に解散していなければ、もう一枚くらいアルバムが残せたかもしれないと思われる。ブライアン・ウィルソンの「スマイル」が37年の時を経て世に出る時代であるから、シュガー・ベイブのセカンド・アルバムが新たに作成されてもなんら不思議ではない。今からでもちょこっと挑戦していただきたい。

このライヴ、達郎さんのヴォーカルと、バンドのファンキーでビシッと締まった演奏は素晴らしい。あちらの本格派が演奏した「サーカス・タウン」収録の「ウインディ・レディ」と比べてもなかなか負けていません。当時日本のロックは英米に10年遅れているといわれていたけど、今振り返ると70年代中ごろから日本人ミュージシャンの演奏テクニック、オリジナリティも飛躍的に向上している。大貫さんはまだ素人っぽさが残っていて、恐る恐る音程を確かめるように歌っているのが愛嬌か。

サタニック・マジェスティーズ

2004-10-20 | ぜん
高校生の頃、ローリング・ストーンズをこよなく愛する同級生がいた。おとなしい男で、特に仲がいいというわけではなかった。何気なく、ストーンズの最高傑作アルバムを聞いてみたところ、「サタニック・マジェスティーズ」だと自信ありげに答えた。

意外な答えにびっくり。だってこれは、「サージェント・ペッパーズ」の二番煎じとか、単なる実験作とか、ストーンズ・ファンの間でも失敗作・駄作の烙印を押されていたのだ。賛否両論の作品とも言われたが、賛10否90くらいだったと思われる。なので、「ええ~、アレが最高?」という反応をしたところ、彼は明らかに不快を表しつつ「だ、大音量で聴いたことあるのかっ!」と、ムキになって叫んだ。周囲の同級生たちもびっくりしてこっちを振り向いた。それに気づいて彼は再び無口な男に戻った。私もそれ以上会話を続けなかった。

正直言って、その時私は大音量どころか、一度も聴いたことがなかったのだ。ただ、読んだ限りの書評ではことごとく酷評されていたので、失敗作と決め込んでいたに過ぎない。CD時代になってからやっとまともに聴いてみたわけだが、大音量でこの世界に浸る快感を主張した彼の気持ちがわかるような気がした。世間一般の評価と、自分の愛聴盤というのは全く別物である。それを他人がとやかく言うべきではない。

というわけで、書評を読んだだけで偉そうなことを言うべきではなかった。あの時の自分に「喝!」(大沢親分の口調で)だ。この一件以来、よく知らないものを悪く言うのは慎んでいるつもり。

ジム・オルーク

2004-10-19 | ぜん
数年前、ジム・オルークの名前をよく聞くようになった。なんでもヴァン・ダイク・パークスの影響を受けているらしく、ちょっと気になる存在だったのだ。でもしかし、当時話題になっていたアルバム「ユリイカ」は、ご覧のとおりのジャケットである。ちょっとねぇ。「よし、買おう」って気にはならんよなあ。

あるとき、ネットの掲示板でジム・オルークの話が出て、凄くイイから買って間違いないと太鼓判を押され、翌日、意を決してレジに持って行った。ホントに良かった。ミニマル好きな私のツボにはまりました~。(ただし、普通の人が聴くと「なんじゃ、こりゃ?」の部分は多いと思われる。)

ところでこの中にバート・バカラックの「サムシング・ビッグ」のカバーがある。これがびっくりするくらいオリジナルにそっくり。歌い方、ホーン・アレンジ、ストリングス、女性コーラス等、徹頭徹尾真似してます。たぶん、すげえマニアなんだと思われる。

さて、問題のジャケットですが、ぱたんぱたんと広げると、もっととんでもないことになってます。アホです。

桃井さんと私

2004-10-17 | ぜん
実は私はずーっと昔から桃井かおりさんの隠れファンなのである。なぜ“隠れ”なのかというと、ある時友人に
「桃井かおりっていいよね」
と言ったところ
「えーっ!どブスじゃん」
と即答されたショックが尾を引いていたからである。

私が可愛いと思う人は、他の人からするとどうもそうではないらしいのだ。小学生の時、こんな可愛らしい女の子がいるだろうかと思っていた人は、周りでは「白ブタ」と呼ばれていた。確かにぽっちゃり色白、丸顔ではあったが・・・。

中学生の時、密かに思いを寄せていた、くりくり瞳の印象的な女の子は、とんでもない田舎者と、誰からも恋愛の対象としてみなされていなかった。確かに田んぼと牛小屋しかない遠方からはるばる学校に通っていた。

高校生の時、運命の出会いと確信し、男らしく「俺は○○さんが好きだ!」と公言したところ、蓼(たで)食う虫以下、とんでもないもの好きとの決定的評価を得た。(しかもあとでふられた。)

このように、ずーっと私の女性に対する価値観は否定され続けてきたのである。このような経緯のあと、くだんの会話がなされたのである。「ああ~、桃井かおりって、客観的に見るとブスだったんだーっ!」とショックを受けたのも無理はない。その後、トレンド女優として社会から認知されるようになったからちょっと安心したんだけど。

というわけで(って、唐突ですが)誰か私と「ねじれたハートで」をデュエットしてくれる桃井かおりさん似の方、大募集してまーす!ただし、私は来生たかおには似ていません。

セリーヌ・ディオン

2004-10-16 | ぜん
どうも私のCD棚は魑魅魍魎の世界と化しているとの噂もあるようだが、ちゃんと普通の人が当たり前に聴くような盤もあるのだ。

昔行きつけのスナックにいた女の子が「マイ・ハート・ウィル・ゴー・オン」(タイタニックのテーマね)がやたら上手くってさー(カラオケの話です)。ちょっと素人離れしていたので、横文字の歌をあれこれリクエストしてみたのだが、これ一曲だけしか歌えないのだそうだ。どうやらこれだけをモーレツに練習した成果らしい。

というわけで、その店に行くといつもコレをリクエストして歌ってもらっていた。うっとり。特に美人というわけでもなく、気立ての良さだけが取柄の子だった。

彼女はとっくの昔に店をやめてしまったし、その店も先日とうとう終焉を迎えた。俺に、取るに足らない思い出だけを残して。

由紀さおり

2004-10-15 | ぜん
レコード・ジャケット、すっかり黄ばんじゃったなあ。いや、その、好きなんですよ、由紀さおり。

有名どころの「夜明けのスキャット」や「手紙」ももちろんいいし、ちょっと変わったところで吉田拓郎作曲の「ルーム・ライト」もいい。でも一番好きなのは「生きがい」かな。これは、昔別れちゃった男を忘れられず、今でもず~っと思い続けている女の歌なのだ。

一概に言えないものの、別れた異性とあわよくばヨリを戻したいと甘い考えを抱くのは男のほうであり、女というのは一度キライになった男のことなんてこれっぽっちも、米ひと粒分も、髪の毛一本分も未練はありません。(←確か、渡辺淳一先生のエッセイでこのような説を読んだことがありますので、たぶん間違いないと思います。ひょっとして思い違い?このあと抗議殺到?)

というわけで、この歌は「女にはかくあってほしい」との男の勝手な願望なのである。演歌にはよく、じっと耐えるだけ、ひたすら待つだけの女が登場するが、それと同じである。21世紀の世の中、そんなことがあるわけないのだ。強いてあげれば、「イーチ・タイム」の次のアルバム発表を気長に待つ大瀧さんファンの女性くらいなものである。

話が逸れてしまった。このところ由紀さおりは童謡にどっぷり浸かってしまっている。それはそれで需要があるのはわかる。でも再び大人の女の歌を聴かせて欲しいと願う今日この頃であります。

ソフト・マシーンと私

2004-10-14 | ぜん
タイトルだけで皆さんがササ~ッと引いてゆく様子が見えるようだ。
そもそも私がソフト・マシーンを聴くきっかけになったのは作家の村上龍のせいである。「限りなく透明に近いブルー」でセンセーショナルなデビューをした直後だったと記憶しているが、ラジオのDJを務めたのだ。小説「限りなく~」は当時十代の自分にとってとてもショッキングな内容で、こんなの書くなんてどんな人だろう?との興味があった(自らの体験をを基にした作品らしい)。なにしろアイドルの水着写真だけでドキューンッ!と来ていた頃だもん、刺激的すぎました~。

それはまあともかく、その番組の中でソフト・マシーンの「ムーン・イン・ジューン」という曲をかけたのですよ。アルバム片面まるまる要した長い曲で、リズムやテンポが次々変化してゆく。同様に長い演奏を得意としていたイエスやELPとも感触が異なる。村上氏は、この曲を世に紹介したくてラジオ出演を承諾した、とまで発言していた。というわけで、ソフト・マシーンというバンドは私に強烈な印象を残したのでした。その後、アルバムを欲しいと思ったけど、田舎のレコード屋には売ってなくてさー。結局全部そろえたのはCD時代になってからでした。

ところで「限りなく透明に近いブルー」は、ほどなく村上龍本人が監督をして映画化されました。主演はこれが映画デビューの初々しい三田村邦彦。相手役が中山麻里で、この共演がきっかけで結婚したんだな、確か。まさかあの三田村が離婚の大家、ナンパ名人に成長するとは思わなかったなぁ。

鈴木さえ子とハートブレイク

2004-10-09 | ぜん
大学生活を東京で送ったワタクシ。ずっと硬派を貫き通したので、彼女とか恋人とかステディとかハニーといった存在とは無縁だった。しかし、このまま色恋と無縁で青春時代を終えてしまっていいのだろうか?との自問自答に、一花咲かせるべきとの結論に達した。平たく言うと「俺も彼女欲しいよーっ!」ってことね。

決意の表れとして、当初は一人で行くつもりだった鈴木さえ子のコンサート・チケットを2枚取った。約一ヵ月後の公演日までに一緒に行ってくれる女の子を見つける!そう固く誓う、若き日の俺だった。

とはいうものの、なんせ硬派で過ごしてきたので(単にもてなかっただけ、との説もあるが)、そのへんで軽々しくナンパすることなどできない。だらだらと無益な日々が流れたが、幸いなことに友人(男)の友人つながりで、なかなか美人で聡明な女性と知り合うことができた。数日後、震える手で受話器を握り、コンサートに誘ったところ、OKの返事。わーい!
友人からは「言っておくけど、彼女はすげえクールだよ」との忠告もいただいた。

さて、コンサートはとても楽しい内容だった。ちょうどセカンド・アルバム「科学と神秘」発表後だったかな。鈴木慶一さんはじめ、ムーンライダーズのメンバーがバックアップしており、その点も大満足。彼女はまったく予備知識がなかったにもかかわらず楽しんでくれたようで、ほっとした。

その後、二人で飲みに行ったのだが・・・。うーむ、話題が続かない。友人の忠告どおり、ほんとにクールな人で、反応が読めない。決して無口ではないのだが、楽しいのか退屈なのか、もっと飲みたいのか早く帰りたいのか、さっぱりわからん。沈黙を恐れ、知っている限りの語彙を連射した。その後何度か会ったのだけれど、毎回同じような雰囲気で・・・。なんとなくそのまま疎遠になってしまった。

今思うと、クールな美女の攻略法対策が事前に全くなされていなかったことが悔やまれる。が、それ以前に、“好き”という感情が生まれていないにもかかわらず、「この時までに彼女を作る」なんていう目標を掲げたこと自体がばかげていたのだ。恋愛ってそういうもんじゃないよね。実際、あの時自分は彼女を本当に好きだったのかどうかさえ不明である。

思うに、美女を目の前にすると異常に緊張してしまうのは、このときのトラウマに違いない。今でも鈴木さえ子のアルバムを聴くと、その一件を思い出して少々複雑な心境になる。

シャル・ウイ・ダンス

2004-10-08 | ぜん
映画『シャル・ウイ・ダンス』がハリウッドでリメイクされ、いよいよ公開とのこと。とてもいい映画なので、素直に嬉しい。日本映画はクロサワとゴジラとホラーだけではないことを広く知らしめたい。あ、ジブリをはじめとしたアニメもあるか。

大貫妙子が歌っていた「シャル・ウイ・ダンス」のテーマ曲は、もともとブロードウェイ超ロング・ランで有名な『王様と私』の挿入歌で、それが日本で生まれ変わってハリウッドに凱旋することになるんだね。あちらでは誰が歌うんだろう?

ジャズ・ピアニスト大給桜子の「メモリーズ・オブ・ユー」というアルバムは「シャル・ウイ・ダンス」で幕を開ける。残念ながらこのアルバムはムード・ミュージック、サロン・ミュージックの類いなのだ。映画音楽やスタンダード曲をジャズっぽくおしゃれにアレンジした、よくあるやつ。大給桜子(おぎゅうさくらこ、と読む)は、本来は本格的なジャズの王道を行くピアニスト。腕を買われてこの企画に加わったものと思われる。ここでベースを弾いている池田芳夫は70年代、バリバリにとんがっていた時期の日野皓正グループのレギュラー・ベーシスト。サイドからサポートするこの方も本物なのだ。

このアルバムは、“ラヴ・タッチ・ピアノ”というシリーズ物の中の一枚で、前田憲男や、クラシックの舘野泉といった一流どころがずらりと名を連ねており、安易な企画物とは一線を画す。というわけで、たかがムード・ミュージックとなめてはいけない。ホテルのラウンジで静かに流れている分には誰も耳を傾けないようなアレンジと演奏だが(意図してそういうふうに作られている)、スピーカーにきちんと対座して聴けば、名人芸のなせる業であることがわかる。

特に「シャル・ウイ・ダンス」はチャーミングで素晴らしい。軽快にステップを踏むような、歯切れのいいテーマ部分。続くソロ・パートで右手が奏でる、転がるようなフレーズは、その世界の権威レッド・ガーランドを思わせる。これ一曲で人生観が変わるような演奏ではないが、誰かに聴かせて「ね、なかなかいいでしょ?」と自慢したくなるような、いつも手元に置いておきたい一枚だ。

残念ながら彼女は40代にして癌のため亡くなってしまったそうだ。ご冥福をお祈りいたします。

「What’s goin’ on」といえば

2004-10-07 | ぜん
マービン・ゲイ大好き。しかし、奥さんと泥沼の離婚劇を演じた後、実の父親に射殺されてしまうとは、あまりにも可哀相。栄光と幸せは比例しないのでしょうか。

ところで「What’s goin’ on」といえばオフ・コースです。って、突然ですけど。74年のライヴ・アルバム「秋ゆく街で」は意外なことに「What’s goin’ on」で幕を開けます。鈴木さんがソウル・マニア(今流行の韓国の、ではなくて)なんだって。ま、譜面どおりに歌っているという程度で、黒っぽいノリは出せてません。オフ・コースですからねえ。ハーモニーは素晴らしいものの、ブラック・ミュージック的グルーヴとは対極にありますからねえ。ちなみにセカンド・アルバム発表後ということでオリジナル曲がまだ少ないせいか、コレのほかにも「竹田の子守唄」「白い一日」「傘がない」など、他人のカバーを何曲か歌ってます。これはこれで貴重かも。

このライヴでドラムを叩いているのが村上ポンタさん。ポンタさんの裏話によると、このリハーサルの時(たぶん前日)、松木恒秀さんのギターを小田が「ちょっと弾いてみていいですか?」と許可を得て弾こうとしたのだが、うっかり松木さんのアンプに足をかけて構えてしまったのだ。怒り狂った松木さんは即座に「俺は降りる!」と言い残して去っていったという。凄く上手いギタリストなんだけど、天才肌で気難しいところがあるみたい。結果的に大村憲司さんがピンチヒッターに入って事なきを得た。ライヴ終盤、小田がMCの時に言葉に詰まってしまう。初めての大々的なコンサートに感極まったと思っていたが、自分の軽率さが招いた直前のトラブルをなんとか乗り切ったことも無関係ではなかったのだろう。

そういえば私は無謀にも「What’s goin’ on」をカラオケで歌ったことがあります。前奏で「おおっ!」とウケたものの、歌に入ったところで全員ずっこけましたとさ。