goo blog サービス終了のお知らせ 

裏風撃バカキュン

とり♀、いしい♀、夏子♀、ぜん♂、おバカな4人がゆるゆる綴る胸キュン音楽blog。
風吹く裏街でテキトーに撃ってます。

突然LOVE PSYCHEDELICO

2005-09-19 | ぜん
なんでまたワタクシがLOVE PSYCHEDELICOなんか採りあげるのか。いや、その、案外悪くないんすよ、コレ。2001年にリリースされたこのアルバム、ファーストなのにタイトルが「THE GREATEST HITS」。1曲目が「LADY MADONNA」、2曲目が「YOUR SONG」。なめとんのかーっ?ビートルズやエルトン・ジョンの超有名曲のパロディ、はたまたパクリかと思わせておいて中身は全然違うのね。とまあ、ここまでは4年前に既にカタがついているわけだ。

今回コレを採りあげたのは、オープニングの「LADY MADONNA」のギター・フレーズが、FESTIVAL EXPRESSで演奏されているバディ・ガイの「マネー」と同じと気付いたから。というか、ブルーズの代表的なリフのひとつなんだろうな、たぶん。ブルーズって、同じようなコード進行、同じようなリフで、歌詞やメロディだけが違う場合が多々あるもんね。

というわけで、「LADY MADONNA」は、ギターのリフは同じだけどそれ以外は全くオリジナルです。英語と日本語がごちゃ混ぜになった不思議な歌詞、その言葉の意外と心地よい響き。淡々としたリズム、クールな乗り。売れ線を狙った、あまたある若者バンドの中では唯一評価しているのだ。車でも結構よく聴いていたのだ。ただね~、さすがに何曲か続けて聴いていると飽きます。ずーっと同じなんだもん。そんでもって、これ一枚でその後どうなっているのやら、知りません。

余談ですけど、クミコさんの「AURA」が出た時、この素晴らしい作品をもっともっと多くの人に知ってもらいたい、聴いてもらいたいと思っていた。そんな時、全国のCDショップではLOVE PSYCHEDELICOが大々的にアピールされていたんだよなあ。その半分、いや3分の1でいいからクミコさんも宣伝してくれ~って思ったよ。

FESTIVAL EXPRESSを観た パート2

2005-09-13 | ぜん
さて、ちょいとばかし時間が経過しましたが、FESTIVAL EXPRESSの感想続きです。

本編、ボーナス・トラックともに何度も繰り返して観ております。前半、フリー・コンサートを求める奴等とのトラブルに時間を割かれているのがウザイ。観るたび、そいつらに腹が立つのでスキップしちゃう。

車内でのセッションが興味深い。フォーク、カントリー、ブルース、ロックンロール、さすがにプログレこそないものの、ロックのあらゆるエッセンスが車両に満載。このへんにもっと時間を割いて欲しかった。ああ~、一緒に乗りたかったなあ。

可笑しいのは、リック・ダンコ、ジャニス・ジョプリン、ジェリー・ガルシア、ボブ・ウィアがヘロヘロになってトラディショナル・ナンバー「エイント・ノー・モア・ケイン」を歌うところ。飲めや歌えや、ずーっとこんな感じだったんだろうね。うらやましーっ!ボブ・ディランとザ・バンドの「地下室」というアルバムのDisk2、3曲目に、これのちゃんとしたバージョンが収録されてます。ぜんっぜん違うので、聴き比べると面白いです。

で、演奏後にジェリー・ガルシアが「ジャニス、初めて会った時から好きだったんだ」と告白しちゃってます。こ、これは私と同じ手口!酔っぱらって、いい雰囲気になった頃合を見計らい、冗談っぽくポロッと言っちゃう。冗談にしか聞こえないんだけど、結構本心だったりするんだよね。あ、でも、ホントに冗談だと思われて成功する確率は限りなくゼロに近いです。案の定、ジャニスに「またまたウソばっかり」と言われて・・・。しかし、4人のうち生き残っているのはボブ・ウィアーだけか。イケナイお薬、やめようね!

酒が底をつき、止まる予定のない駅で列車を止め、ありったけの金を集めて酒を買い占めるところも最高。こういうの大好き。音楽とともに永遠に語り継ぎたいエピソードです。こういう美談を風化させてはイカン。

とりとめのない文章になってしまいました。ともあれ、行方不明になっていたフィルムを発掘し、作品として仕上げてくださったスタッフの皆さんに感謝申し上げます。願わくば、もうちょびっとアウト・テイクを観たいなぁ。

FESTIVAL EXPRESSを観た パート1

2005-09-08 | ぜん
カナダの東から西へ、ミュージシャンたちを乗せた列車が走る。途中、3つの都市で大規模な野外コンサートに出演するのだ。これはその様子をとらえたドキュメンタリー映画。DVDで発売され、トーホグに住む私もやっと観ることができたってわけさ。

大きく分けて、ライヴ演奏、列車内の様子、付随したトラブル、当時を振り返る各種証言で構成されている。コンサートの演奏はどれも貴重で素晴らしい。ドキュメンタリーだから仕方ないけど、もうちょい演奏場面を増やして欲しかったなあ。ま、もう一枚のボーナス・トラックCDがついているから勘弁してやるか。(って、傲慢?)

動くデッドは私にとって既にお馴染みの存在。が、ピッグペン在席時の映像は初見。その存在感の大きさに驚いた。後任のキース・ゴドショウが地味だっただけに。72年のヨーロッパ・ツアー、体調を崩しながらも同行し、結局病状を悪化させて亡くなったんだよなあ。単なるキーボードを担当する存在ではない、バンドの中核の一人である、と自負していたのだろう。おっしゃ、ピッグペンの追悼のため、俺はこれから1ヶ月毎日デッドを聴き続けるぜ!(ここんとこずっとそうですが。)

ザ・バンドはラスト・ワルツを先に見ているから、「ザ・ウェイト」や「アイ・シャル・ビー・ザ・リリースト」は予想の範囲内。が、「スリッピン&スライディン」での激しいプレイに圧倒された。ロビー・ロバートソンがあんなに弦も切れんばかりに弾くなんて驚き。改めて惚れ直した女子たちは少なくあるまい。今はすっかりおじいさんみたいな風貌になってるみたいだけどさ。

マッシュマッカーンの「霧の中の二人」は、シングル盤を持ってました~。当時小学校高学年だった私にもアピールするメロディ、アレンジだったのだ。本編には入っておらず、ボーナス・トラックに収録されていたおかげで見ることができました。こういう人たちだったのね。歌詞の意味も初めて知りました。このあと彼らはグランド・ファンク・レイルロードの、嵐の中での来日公演(後楽園球場だったっけ?)の時の前座を務めたんでした。凄いライヴだったと語り草なんだけど、GFRの皆さん(ドラムを除いて)、実は感電を恐れてテープを流し、口パクだったそうな。

一番の収穫はバディ・ガイかな。ブルースは疎いんで、名前しか知りませんでした。伝統的なブルースを基調に、エッジの鋭いギター、かっこいーっ!さっそく私のギター演奏でおいしいところだけパクらせて頂きました。オープンGチューニングにすれば、1本指をスライドさせるだけでそれっぽく演奏できちゃう。ごっつぁんです!

シャナナ・・・相変わらずいつもずーっと同じことやってるのね~。
イアン&シルヴィア・・・ミニスカは嬉しいが、ビブラートが好きじゃない。
フライング・ブリトー・ブラザーズ・・・グラム・パーソンズがいないのが残念。

そんでもってジャニス・ジョプリンであります。大御所、姉御でございます。こちらも生前のお姿、歌唱はお馴染みでしたが、今回初めて「可愛らしい」と感じた。シャウトする姿は貫禄なんだけどね。俺が歳とっただけ?

おっと、演奏にちょこっとコメントしただけでこんなに長くなってしまった。その他について、パート2へ続く(予定)。

オールマンズ&デッド

2005-09-03 | ぜん
オールマン・ブラザーズ・バンドの「ブラザーズ&シスターズ」のアナログ盤解説によると、1973年7月、ザ・バンド、オールマンズ、グレイトフル・デッドというアメリカを代表する三大バンドが60万人を集めて10時間に渡るコンサートを開いたそうなのだ。デッド関連の文献にも同様の記録がある。うわ~、観たかったなあ。って、当時10歳だから観られるわけないんだけど。

それはそれとして、見つけてしまったのだ。それより1ヶ月さかのぼった同年6月10日、オールマンズとデッドが、ワシントンDC、RFKスタジアムで行った「The Longest Day」というコンサートのブート盤(6枚組)。オールマンズが2枚、デッドが3枚、もう1枚は両雄のセッション、夢のようなライヴなのだ。しかもサウンドボード録音なので音質良好なのだ。

73年といえば、オールマンズは前述の「ブラザーズ&シスターズ」をリリースした頃で、「ランブリンマン」「ジェシカ」といった人気曲を収録。デュアン・オールマンとベリー・オークレイを事故で失いながらも不死鳥の如く蘇った時期の演奏です。
デッドの方も初期重要メンバーであるピッグペンの死を乗り越え、自身のレーベルを立ち上げて意欲満々の時期。アルバムで言うと「Wake Of The Flood(新しき夜明け)」の時ね。初期の名曲の数々に加え、当時新曲だった「Eyes Of The World」をいち早く演奏してますよ~。しかも20分以上に渡る長い演奏!

さて、オールマンズ。ライヴでは必ず演奏される不動のナンバーがずらり勢揃い。たまには意表をついてもよさそうだが、やっぱりこういうお祭り的イベントではみんな知ってる曲のほうが盛り上がるよね。
デッドは初期から新曲までバランスよく選曲。ま、デッドの場合は何の曲を演るかより、どういう演奏をするかが問題なわけで。いつものゆったりとしたグルーヴで、ガルシアのソロがスタジオ盤より長めに入っていて、期待を裏切りません。おいちゃん、嬉しいなあ。

ごく一部でノイズが入ったり、歌詞をすっとばしたり、演奏のミスが聴き取れたりするものの、そんなことは問題じゃない。よくぞ歴史的コンサートを丸ごと収録し、ブートとはいえリリースしてくださいました。当時のポスターまで復刻し、その縮小版が六つ折りで同封されている。ありがたや、ありがたや~。

ところで驚いたことが。何気なくパソコンにこのディスクの1枚をセットしたところ、iTunesが起動して情報をするするっと読み込んだではありませんか!iTunesって、ブートまで対象にしてたのね~?

れりびー

2005-08-30 | ぜん
ビートルズが残したオリジナル・アルバムの中では特に傑出しているわけではない。名曲含有率は3割。つまり、ビートルズの作品として胸を張れるのは、全12曲中「アクロス・ザ・ユニバース」「レット・イット・ビー」「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「ゲット・バック」の4曲くらい。

映画の方も、屋上での演奏シーンはともかく、スタジオの様子はバンド終焉を思わせる雰囲気が濃厚で、正視に耐えないとの声も多い。

「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」での過剰アレンジにポールが腹を立てたのは周知の事実、それが最近になって「ネイキッド」の登場につながったりもした。

しかーし!そういうもろもろのマイナス面を全部ひっくるめたとしても、ワタクシはアルバム「レット・イット・ビー」を愛す!いやほんと、映画を観た時は、初めて見る「動いているビートルズのメンバー」に感動を覚えたし、オーケストラ入りの「ワインディング・ロード」だって大好き。なんなら、上記の名曲4曲を抜いたとしても愛しぬいて見せる。志村けんの古いギャグみたいな「アイ・ミー・マイン」だって、即興の断片に過ぎない「ディグ・イット」だって、ひとたび演奏が始まると手を休めて聞き入ってしまう。

うーん、なぜだか自分でもわからない。ビートルズの存在そのものが、取り戻したくても戻すことのできない宝物だからかなあ。マイルス・デイヴィス、ジミ・ヘンドリックス、ジェリー・ガルシア、鬼籍に入った天才ミュージシャンたちの音に触れると、どうも感傷的になってしまう今日この頃。

ウンチク語りマシーン

2005-08-10 | ぜん
車を運転中のBGMは、iPodにドライブ向きの選曲をしておき、それを流しっぱなしにすることが多い。松本隆さんのボックス・セット「風街図鑑」からは、相当数の曲が収められている。

「外は白い雪の夜」が流れると、カミサンが「これ、吉田拓郎?」と聞く。「そうなんですよ。よくぞ聞いてくださいました。松本さんと拓郎の名作なのさ。若気の至りで傷つけ合っちゃうカップルが、喫茶店で別れ話をするんだよね~。当時、ホテルに合宿して作ったそうなんだけど、松本さんが何時間もかけて歌詞を書いて拓郎さんに渡すと、目の前でギターを弾きながらあっという間に作曲しちゃったんだって。ライヴでこれを歌うと、前の席の女性が泣きながら聴いているのがステージから見えるらしいよ。確かにこれは涙なしに聴けないもんなあ。ぐすん。」
という感じで、ひとつ聞かれて百くらい答えてしまう俺。

そうこうするうちに曲は「Tシャツに口紅」に移る。「ひょっとして、これも松本隆の詞?」「そうなんだよ~。これがまた名曲なわけ。やっぱり別れ話なんだけどさ、男が女に『もうこれ以上、君を不幸にできない』って言うと、女が『不幸の意味を知っているの?』って切り返すんだよ。ク~、たまらんなあ。つまり、あなたと別れることの方が私にとっては不幸だ、別れたくないっていうわけね。というわけで、別れるに別れられずにいるカップルを、港のカモメとか犬とか猫とかが見物してる、と。(←このあたり、歌詞カードを見ずに解説しているのでイマイチ記憶が曖昧。)松本さんの作品の登場人物って、男より女の方がしっかりしていて強い気がするなあ。」

とまあ、運転しながら松本作品に関して延々とウンチクを語り続けるマシーンと化する俺なのであった。

ラーメンたべたいったらたべたい

2005-07-23 | ぜん
矢野あっこちゃんの「ラーメンたべたい」。この曲に、深い意味など何もない。『女もつらいのよ云々・・・』とかいう歌詞に、男女の埋められない溝やら相互理解といった事柄も深読みできないこともない。しかし、あっこちゃんの心の叫びは、ただ単に、ラーメン食べたいよーっ!ということだけである。

そのような曲であるからして、矢野顕子全作品中ベストの1曲にノミネートされることは絶対にない。でも、フェイバリット10曲の場合であれば、なんとしても選んであげたくなる、不思議な魅力を持った曲であります。『ぜいたくいわない けど けど ねぎはいれてね』ってのがいいよね。

私が人生の中で一番「ラーメン食べたいっ!」と思ったのは20年くらい前。冬の寒~い時期、訳あって数日間カンヅメにされたことがあった。その時、一緒にいた男が「あぁ、ラーメン食べたいなあ。こうね、ドンブリを持ち上げると湯気でメガネが曇るようなやつをさぁ」とつぶやいたのである。ぎょえ~っ!こんな時、殺生なこと言わないでくれよ、と思った。ラーメンが一番旨い時、それは寒くて腹が減ってる時。富も名声もいらないけど、ラーメンを食べたいと思った時に食べられる程度の身分でいたいものだ。

さて、この矢野顕子ベスト盤「Hitotsudake」に収められている「ラーメンたべたい」は新録音バージョン。ちょっとクールな雰囲気のアレンジ。他にも気になる未発表音源(19歳の時にティン・パン・アレイとセッションした「気球に乗って」とか)も含まれており、見逃せない。

ナナコしゃん

2005-07-13 | ぜん
最初にお断りしておきますけど、今回の投稿はごくごく個人的なことでありまして、全く誰の役に立つものではありません。(って、いつものことですけど。)

7月1日に夏子女史が佐藤奈々子しゃんについて語っております。おおむね私も同じ意見。1枚目2枚目よりも、3枚目4枚目のほうがバラエティに富んでいてよろしい。

が、しかーし、ジャケットは1枚目と2枚目のほうが格段に素晴らしい!「Fanny Walkin’」も初々しくていいが、「Sweet Swingin’」がたまらんっ!美女の濡れた黒髪、怪しげに見つめる瞳ですよ、アンタ。が、しかーし、私が所有しているヤツがCD-R盤でありまして、ジャケットが安物のカラー・コピーみたいなレベルなのだ。悲しい~。なんとしても中古屋でレコードを見つけて入手しなくては。

それから、2枚目までのアルバム作成に多大な協力を惜しまなかった佐野元春氏にも一言。まあ、感謝はしますけど、それを上回る嫉妬の炎を抑えることができません。ったく、もう、二人仲よく「あーだ、こーだ」言いながらサウンド作りしたんだろうなあ。一緒にごはん食べたり、飲みに行ったりしたんだろうなあ。佐野ファンの女性からどんなにモテても全く構わないけど、この点だけは絶対に許せんっ!

というわけで、普段は喜怒哀楽をあまり表に出さない私なんですけど、ナナコしゃんの歌を聴くと、あれこれ想いが交錯して冷静でいられなくなってしまいます。

↓具体的に喜怒哀楽を表すと、こうなります。
喜・・・わーい、ナナコしゃ~ん!
怒・・・オラオラ~、佐野、おんどりゃーっ!(ファンの方、すいませーん。)
哀・・・ジャケットがカラーコピーってこたぁないでしょう。うっ、うっ。
楽・・・でへへ~。ぽわ~ん。
わっはっは、どうだ。最初に断った通り、何の役にも立たないだろう。

名前と顔の一致

2005-06-13 | ぜん
結構有名なバンドでも、リーダーの名前と顔くらいはわかるけど、あとのメンバーはさっぱり、っていう場合が少なくない。

このところマイ・ブームのグレイトフル・デッドにしてもしかり。ジェリー・ガルシアしか知らなかったといっても過言ではない。いしーちゃんの趣味絵コーナーでやっと事実が判明したのである。だってさー、ジャケットの写真見てもわかんないよ。「ワーキングマンズ・デッド」の青っぽいモノクロでは全く判別不能。「AOXOMOXOA」の裏といえば、これまた判別不能の上、関係ない人まで写っているし(たぶん家族なんでしょうけど)。

関係ない人といえば、オールマン・ブラザーズ・バンドの「ブラザーズ・アンド・シスターズ」もそう。ジャケット内側(画像参照)にはいったい何人いるんだ?グレッグ・オールマンとディッキー・ベッツ以外のメンバーってどの人?

自分の愛してやまないバンドですらこれだもん、若いやつらに人気のアイドル・グループなんてぜんぜんわからなくて当然なのであります。

あ、でも、メンバー・チェンジの激しいプログレ・バンドならある程度わかるかも。キング・クリムゾンとかソフト・マシーンに在籍した人(何十人もいます)の顔と名前を一致させるクイズがあれば高得点獲得の自信、あります!

グレイトフル・デッドの快楽

2005-05-23 | ぜん
初めてグレイトフル・デッドを知ったのは、70年代半ば。ロック雑誌で、何百個というスピーカーを山のように積み上げたライヴ・ステージの写真だった。後で知ったんだけど、“ウォール・オブ・サウンド”(フィル・スペクターね)ならぬ、“サウンド・オブ・ウォール”というらしい。中学生だった当時の私は、ただただ「すげぇ!」と驚き、どんな激しい演奏なんだろうとワクワクしたものだ。で、実際に聴いてみたところ、なんですか、このユル~イ演奏は?はっきり言って、かったりぃ。別の意味で、ショック。

それが今では、このゆるいサウンドに身を委ねるのが何にも勝る快感になっちゃってるんだよなあ。ツイン・ギターにツイン・ドラムス、ベースとキーボード。オールマンズと同じような編成で、同じくアメリカン・ロックの真髄なんだけど、サウンドはぜ~んぜん違う。ジェリー・ガルシアのギターはピロピロポロポロと、いつ果てるとも知れず、一向に盛り上がる気配もなく延々と続く。ドラムも、例えば一人がリズムを刻み、一人がパーカッション的に手数を使うというわけでもない。二人ともただただ気持ち良さ気にミディアム・テンポをキープし続ける。これなら一人だけでもいいじゃん、と思うが、独特のノリは二人の微妙なニュアンスの違いによるところが大きいのだろう。

さて、デッドはライヴに本領発揮すると言われているが、肝心のライヴは起承転結をあえて無視している。オープニングからラストまで、同じような、ゆるめのグルーヴが全体を支配する。思うに、バンドの狙いは“快感の維持”に尽きるのではないか。
マラソン・ランナーは最初こそ苦しいが、心拍と呼吸が落ち着くと、地球の果てまでも走れるような錯覚を起こすという。いわゆるランナーズ・ハイというやつだ。デッドの演奏は、まさにそれである。グワ~ッと盛り上げれば、その後は下降するしかない。盛り上がった状態を長く続ければ息が切れてしまう。いかにランナーズ・ハイの状態を長く維持するか。だからデッドのライヴが異常なまでに長いのも納得がいくというもの。

幸せなことに、デッドのライヴ盤は実にたくさんある。今でもじゃんじゃん発掘音源がリリースされ続けている。DVDも同様。嬉しいなったら楽しいな~。CDショップに行く度、まだ持っていないライヴ盤を買って聴くのが楽しみ。収録曲が微妙に違うだけで、どれも同じといえば同じなんだけどね。別に、「髭もじゃフェチ」というわけじゃないんだけどね。

動くオールマンズに平身低頭

2005-04-30 | ぜん
私も通販でオールマン・ブラザーズ・バンドのDVD「LIVE AT THE BEACON THEATRE」をゲットしました。そんでもって、あらためてオールマンズの偉大さにひれ伏しております。

まず、デレク・トラックスの信じられないプレイに驚愕。いやはや、いったいどうやって弾いているのやら、目が釘付けです。でもまあ、奏法を云々してもしょうがないので、あえてここには書かない。

とにかく熱いライヴなのだ。一曲の中に起承転結というか、山場が2度も3度も用意されている。例えばライヴの定番、ラスト・ナンバーの「ウィッピング・ポスト」。前奏が流れただけで観客のすさまじいどよめき。それを受けてグレッグ・オールマンが1番を熱唱。ここでグッとトーンダウン。デレクが静かにスゥ~ッとソロを取り始める。少しずつ、着実に音量を上げてゆくリズムセクションに煽られるかのようにピッキングの速度が増し、超絶技巧のオンパレード。気がつくと全員パワー全開。沸点に達した瞬間、2番に突入。再びトーンダウン、今度はもう一人のギタリスト、ウォーレン・ヘインズのソロ。こっちも凄いです。ロックギターの手本とも言えるプレイを駆使しつつ盛り上げて、やはりいつの間にか全員、大盛上がり大会。観客の興奮が頂点に達したところでグレッグがサビを歌ってめでたく大団円を迎える。

最後だから燃えまくったわけではなく、オープニングからほぼ全曲においてコレの連続なのだ。21曲、2時間40分以上、ずーっとですぜ。ほとほと疲れました。観るだけでも体力もちませーん!

最初はデレクのプレイに惹かれて観始めたんだけど、結局、バンドの懐の深さに打ちのめされる結果になりました。2枚目ディスクに収められた、アンコールの「ワン・ウェイ・アウト」を聴くとよくわかるんだけど、ウォーレンのプレイは、音色・フレーズ・奏法において初代ギタリストの故デュアン・オールマンのプレイを上手く踏襲しているわけなのだ。デレクは、影響を受けた音楽の根っこの部分でつながっているとはいうものの(ブルースとか)、過去のオールマンズにはなかった、全く新しいプレイ・スタイルを持つ。にもかかわらず、それを何の違和感もなく受け入れ、オールマンズにしか出せないグルーヴに包みこんでいる。ツインドラム+パーカッション、6弦と4弦を使いこなすベースによるリズムセクションの凄さ、そして30年以上に渡って脈々と流れ続ける(ま、度重なる解散とか不調の時もあったけどさ)バンドの伝統というやつなのだろうな。あ~、来日してくれないかなあ。絶対、絶対観に行っちゃうぜ。

新生オールマンズに驚愕

2005-04-12 | ぜん
どしぇーっ!おいちゃん、驚いてしまいました。何がって、新生オールマン・ブラザーズ・バンドのアルバム「ヒッティン・ザ・ノート」です。“新生”といっても2年前のアルバムなんですけど。

そもそも、オールマン・ブラザーズ・バンドは、バンドの顔であったスライド・ギターの名手、デュアン・オールマンを事故で失ってから、弟のグレッグ・オールマン(キーボード&ヴォーカル)と、もう一人のギタリスト、ディッキー・ベッツの双頭グループとして生き残りをかけてきたのだ。でも、73年の「ブラザーズ&シスターズ」以後は、正直言ってパッとしなかったんだよねえ。自然消滅気味に何度も解散、再結成を繰り返していたものの、もう興味の対象ではなかった。そんでもって今世紀に入ってからの再結成は、ディッキー・ベッツさえ参加していないっていうじゃないの。そんなもん、誰も関心示しませ~ん。ぷいっ。

と、思っておりました。しかし、青山陽一さんによると、新加入の若いギタリスト、デレク・トラックスというのがとてつもなく凄いらしく、自身のweb日記で大騒ぎしていらっしゃる。そのうち機会があればチェックしてみようかなぁと漫然と思っていたところ、最近アメリカン・ルーツ・ロックの深い沼にどっぷり漬かっているいしいちゃんまでもが、ガツンとやられちゃったみたいなのだ。日本を代表するロック・ギタリストをハアハア、東日本を代表する貞淑妻をアンアン言わせるとは。で、半信半疑でCDを買ってみたのですよ。

ここで文の最初に飛ぶわけね。いや~、本当に驚いた。オールマンズ最盛期のサウンドに全く引けを取っていないじゃありませんか。というより、最盛期そのままのサウンドと言ったほうが正しい。うねるようなねばっこいリズム、息をもつかせぬツイン・スライド・ギターの叫び、渋くて力強いグレッグの歌声。いったいどうなっちゃっているんでしょう?CDまるまる一枚分、75分間、全部イイッ!最後まで聴かせる!はっきり言って、他の大物バンドが、金儲けと老後のリハビリの延長で再結成しているのとは一線を画します。30年の時を経て、このレベルでの復活というのは一切他に類を見ない。

コーフン状態なもんで、あとで改めて検証してみます。とりあえず、びっくりしたなあ、もう、ということだけお伝えいたします。

アッコちゃんのスーパー・ライヴ

2005-03-18 | ぜん
古いビデオ・テープを整理していたら、矢野顕子のライヴが出てきて、ついつい見入ってしまった。これは「スーパー・フォーク・ソング」の時のライヴですね。ほとんどはソロで弾き語りなんだけど、何曲かでギターの大村憲司が加わる。

矢野顕子はスタジオ・レコーディングでも自由奔放な演奏をする人だけど、ライヴではさらに輪がかかる。いやはや、憲司さん、これでよく合わせられるなあ。もちろん事前の打合せはしてあるんだろうけど、リズムが一定してないよ、これ。感性のおもむくまま、早さも変わるし、伸ばしたり逆に端折ったり。天才同士のなせるワザなのでしょう。

「スーパー・フォーク・ソング」は、カバーされた本人が“そういう手があったか!”と驚いたという、いわくつきのスーパー・カバー集で、矢野あっこちゃんのアルバムでも人気の一枚。この録画、頭の部分が欠けちゃっているんだけど、DVDにダビングして永久保存決定なのだ。

無念のライヴ

2005-03-13 | ぜん
山下達郎のライヴというと、思い出すことがある。もう四半世紀も前のこと。

葉山マリーナでシャネルズとジョイント・コンサートを行うことになっていたのだ。しかも、FMラジオで生中継ってことで、大々的に宣伝していた。
ところが直前になってシャネルズがある事件を起こしてしまい、ドタキャンせざるを得なくなった。結局、達郎さんが孤軍奮闘したわけなのだが、残念ながら調子が悪かった。ファルセットが全然出ない。出ないのを無理に出そうとするもんだから、ますます苦しそうな様子で聴いているほうが辛くなってくる。
何日も前から楽しみにしており、エアチェックの体勢も万全だっただけに、残念無念。たぶん焦燥もあり、前夜も熟睡できなかったんじゃないかと思われる。ミュージシャンっていうのは体調を万全にキープしなくちゃならず、大変な職業だよね。

ジャケット写真は89年リリースの2枚組ライヴ「JOY」。こちらは体調バッチリ、名演奏の数々が収められてまーす。

なぜか持っている「風見鶏」

2005-03-09 | ぜん
なぜ私がさだまさしのレコードなんか持っているかというと、高校の頃に思いを寄せていた女の子がファンだったからである。調査研究して話を合わせ、「まあ、ぜん君もさださんのファンなの?ああ~ん、人は見かけによらないのね。うっふ~ん」という具合に話をトントン進めようという作戦だったのだ。まあ、下心ミエミエだったのが悪かったのだろうか、作戦は失敗に終わったのだが・・・。

今冷静に聴いてみると、時折「お、このフレーズいいじゃん」と思う部分もないではない。この頃はまだ「関白宣言」や「親父の一番長い日」みたいに言葉をありったけ、これでもかっ!てくらい重ねる手法は使っておらず、普通のポップスとしてまとまっている。前述の女の子がなぜさだまさしを好きだったか、なんとなくその理由もわかる。でも、声とかメロディーラインとか歌詞とか全体の世界観とか、あまり好きじゃない(って、全部じゃん)。

フラレタその時は辛かったけど、今となればいい思い出。10年後も20年後もこのレコードの存在を目にするたび、切ない思い出にひたるのだろうなあ。とりあえず捨てないでとっておくか。あ、ところで調査研究のために買ったんだから、必要経費で落ちないかなあ。時節柄、そんなことを考えてしまう。