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試写会帰りに。

当ブログは引っ越しさせて頂きました。
過去記事へのTB,コメントにつきましては「お知らせ」をお読み下さい。

「亡国のイージス」

2005-07-28 | 日本映画
厚生年金会館「亡国のイージス」試写会。今日の試写会は御機嫌だった。
サントリーのシングルモルトウィスキープレゼンツで、試写の前にウィスキーが振る舞われた。
「亡国のイージス」が阪本順治監督と最近知って、試写会応募にも出遅れていたのだが、「上映前にシングルモルトウイスキーをご自由にお楽しみいただけます」というこの試写会を見つけ、多分にそれ目的で応募していた。
当たった時は、「プレミアの方が良かったな」と思った物の試写状を見て「ウィスキー飲み放題だ!」と喜ぶ。プレミアよりもこちらの方が嬉しかったかも。

実は、ウィスキーが苦手。嫌いと言っても良い。たまにひと口ほど味見する以外は、もう随分飲んでいなかった。
でも、”無料”、でその上、“飲み放題”(とは書いていない)と大好きな言葉が続いたら、俄然やる気。
つまみは何を持っていこうかとか、前日から検討する。

入場後、席を確保してから早速ウィスキーに挑戦。
すでにもう周りからウィスキーの香りが充満している。
まずは“山崎”の水割り。結構美味しい。思ったよりもいける。
ロックも一口頂く。こちらの方がより香り立って、舌に痺れるような強い刺激と、芳香。
そしてすぐに胃の辺りがかあっと熱くなる。

ウィスキーって、美味しい物は美味しいんだな。と改めて思った。
2杯目に”マッカラム”の水割り。こちらも飲みやすいけれど、“山崎”の方が味、香りとも美味しかった。こうやって少しずつ飲み比べ出来るのもとても楽しかった。

女性客も結構いたが、みんな結構からんからんと氷をならせてゴクゴク飲んで、お代わりしていたけれど、これから映画を観るのに大丈夫なのかと他人事ながら心配した。
さすがにウィスキーを映画の前に飲むような人は、お強いらしい。

上映前、原作者の福井晴敏氏のトークショウがあった。
サントリーの“謎2005イージスウィスキー”が出来るまでの過程などウィスキーの話が中心で、映画の話はほとんどなかった。

ウィスキーでほろ酔い気分、興味深くウィスキーの作り方をお勉強。
入場時に南アルプスの天然水と、ウィスキーを頂いて、帰りにはさらにピュアモルトウィスキーのアクアヴィーテ、ハンディボトルをお土産にくれると言う。

やるね、サントリー! お土産、しかもお酒という事でテンション上がりっぱなし。
すっかり今日一日で、長年のウィスキー嫌いを克服し、ウィスキー好きへと変貌した。

ウィスキーは、低カロリー、プリン体もほとんどなくて、ポリフェノールが入っているとか。
しかも、メラニン色素を抑制する成分があるらしいので女性にもお勧め。
ウィスキーを飲んだ後に、30分程のトークショウ。そしてシリアスな戦争物映画という事で、みんな寝ちゃうんじゃないかと心配したが、上映直前に結構大きな地震があって、それでほとんどの人が目を覚ましたらしく、映画中に寝息が聞こえる事はなかった。
もの凄い深い溜息が何度も同じ人から聞こえてきたが、それほど緊張を強いられる映像の連続というところか。

戦争物の複雑な話に弱いので、わかるかどうかと心配していたが、最小限の説明セリフで数多い登場人物の関係、名称などを説明し、とても上手にわかりやすく見せてくれたお陰で、そんな私でもギリギリついて行けた。

ただ、“せんにん伍長”は、最後まで、専任なのか、先任なのか、もしかして船員伍長なのかとか?
~3尉とか、~3左とか、1尉とか2左とか、字幕出してくれ!と思う程、聞いただけでは意味も字もわからない専門用語も多い。

「いそかぜ」と「うらかぜ」との船の名前もごっちゃになって、どちらが潜水艦で護衛艦だっけ? とか、そもそもイージスって何鑑? 航空母艦じゃないし、空母じゃないし??(←一緒?)とか。
こんな知識のない自分でも充分面白く観られたので、こういう軍関係や船関係に興味のある人、詳しい人はよりもっと深く、もっと面白く観る事ができるんだろうなとずっと思っていた。
一番良かったのは、この映画に対して当初全く興味がなかった為、予告も観ていないし、全く予備知識がゼロだった事。
「アイランド」の予告ネタバレで痛い目にあい、映画を観る前に、予告編や情報を事前に入れる事のマイナス面を強く思い知った後でも、自分がこんなにも予備知識ゼロで映画を観る事が出来るとは思っていなかった。大作になればなる程、何より自分が興味ある作品ならばどうしても無意識のうちに目や耳が開いて情報を受け取ってしまうから。

だから、興味ない映画の方が、かえって面白く観られる場合もあるのだと知った。

HPの予告やストーリー、人物相関図などを観賞後に見て、こんな人がこうだとか、あの人がああだとか、全く知らず、全部まっさらで観られたので、初めから終わりまで映画に釘付けになれたのだと思う。

用語解説とか少し観る前に知りたかった情報もあったが、それも観る前では、自分ではどこまでがネタバレになるのか判別出来ない訳だから、結局見ないのが正解なのかもしれない。

試写会場で「亡国のイージスQ&A」本を売っていて、Q&A本を読まないとわからない程難しい映画なのか!? と観る前は心配したが、それは映画を見た後にじっくりと読めば良いと思う。
勿論原作を読んでいればネタバレも何もないのだけれど、そうでなければ中途半端な知識を入れるよりは、まっさらな頭で観た方がより楽しめる映画だと思った。

キャストがとても渋めに豪華。セリフのある役全てがよく見る、しかも一筋縄で行かないというか、見応えのある顔ばかり。
好きな役者さんばかりだったのでそれも嬉しかった。

本当に男しか出てこない(一人出てきたけど、あれは…)、男だけの熱くて、男臭い世界。
阪本順治監督の「KT」を彷彿とさせる熱い男の映画だった。

「リンダリンダリンダ」

2005-07-12 | 日本映画
千代田区公会堂「リンダリンダリンダ」試写会。

始めは、「ペ・ドゥナが日本映画に出るらしい」と聞き、「“リンダリンダリンダ”って、ブルーハーツ関係の映画らしい」から、「山下淳弘監督で、女子高生がブルーハーツのカバーバンドをする物語らしい」って事は、「ペ・ドゥナが日本の女子高生!?」とここまできても、かつてのブルーハーツファン、ペ・ドゥナファンでも、まだどこか、この映画に、観る前からの疑念があった。

ペ・ドゥナが女子高生ってどうなの!? 気にはなるけど。
ブルーハーツのカバーバンドって、ちょっとそれはあんまりじゃない!?
何かが引っ掛かる。

好きな物が集まったって、それが必ずしも良いモノになるとは限らない。
好きな物が集まって、それでイマイチなモノを見せられるのはかえって辛い。

そんな憶測を、この映画は思いっきり吹っ飛ばしてくれた。

号泣した。

ラストで。

こんな事は、4,5年降り。
映画館(試写会場)では2回目の事。

何故そこまで感じ入れたのか。

まず、冒頭から、高校時代の、中学時代の? 学生時代のあの感じ、あの気持ちに、自然と引っ張り込まれ、いつしか学生時代を思い出すのではなく、まさにそこへタイムスリップ。

グループ内の二人が喧嘩した事で気まずい周りの女の子達。
軽音楽部のバンド仲間を捜し歩く女の子が廊下から見る教室の風景。

まとめ役、人当たりの良いドラムの響子。クールなベースの望。骨折してギターを弾けなくなる、妖精のような歌声の萌。ダブりでも一人漫画喫茶、ハスキーボイスの田花子。人の顔色は伺わない、気の強いキーボード/ギターの恵。そして何故かボーカルとなってしまった韓国からの留学生、ソン!!

ペ・ドゥナはもちろん、他の役者達も、明らかに高校生ではないと思われる人達が出てきても、そこは高校にしか見えない。

甲本ヒロトの実弟甲本雅裕が出てきてちょっと現実に引き戻されるが、段々そんな事もどうでも良くなってくる。

おそらく多くの場面が、設定だけで細かいセリフはアドリブと思われる会話のテンポとリアルさ、自然に笑わされるシーンの連続に、物語に感情移入と言うのではなく、次第にまるで自分が一緒にそこにいる感じに。
屋上で授業をさぼった事とか。夜中の校舎に忍び込んで一夜を明かした事とか。
ブルーハーツを聞いていた事とか。ライブに行った時の事とか。

友達と、原因が何かも忘れてしまうような、どうでもいい事で喧嘩して、誰かが仲裁に入ってくれて仲直りした事とか。

文化祭で、一度はやる気になって燃えた事とか。
翌年はやる気がなくなって冷めた事とか。

自分の学生時代の全てがリンクしてきて、スクリーンの女の子達と一緒に呼吸し出す。

ブルーハーツが好きだった人は、文句なく楽しめると思う。
ブルーハーツのコピーがどんなに下手くそでも、そのリズムとメロディと歌詞だけでも充分満足してしまうだろう。

ブルーハーツが好きじゃない人は、きっとブルーハーツの歌を聴いてみたいと思うだろう。

学生時代を通ってきた人ならば、必ず何かの感慨があると思う。
そして、山下淳弘監督の笑いのセンスは万人受けすると思う。

ペ・ドゥナは、上手いし、可愛いと思っていたけれど、今回、ちょっと痩せすぎ? 顔がやつれていて、疲れた印象で、もっとぽっちゃりしていた方がずっと可愛いのにと残念に思った。
でも、演技は最高に上手い。
本当に韓国からの留学生に見えてしまう。
コメディ演技も素晴らしくて、山下監督とは最高に幸せな出逢いだと思った。

とにかく、ペ・ドゥナが出てきて映るだけで大爆笑が!
そして、エンドロール後に、拍手が起こった。

監督がゲストの試写会などでは、終映後に拍手が起こる事がある。
監督が来ていても、起こらない時もある。

たまに、本当に作品が素晴らしく面白い時に、拍手が起こる事がある。
それも一部の事だけれど、今日は、思わず私もしようかと思った。
でも、号泣していたので拍手が出来なかった。

何故号泣したのかと言えば、ヒロトの声と、久し振りに聞いたブルーハーツの曲の歌詞に打たれたから。

学生時代にライブに行ったと言っても、今ではもう自分から聴く事はなくなっていたので、今でもTVなどでよく耳にする“リンダリンダ”よりも、本当に久々に聴いた”終わらない歌”にやられた。
”人に優しく”とかでも、同じく号泣したかもしれない。

その時の気持ちがそのまま思いっきり蘇ってしまったのだ。
理由はなくても、その曲を聴いていた時に感動した事、悲しかった事、嬉しかった事、全てが一気に蘇ってしまった。

「リンダリンダリンダ」を観て、号泣した人はどれくらいいるのだろうか。

今日の試写状が余っていて、声を掛けた友人三人に断られた。
ただ単にみんなが忙しかっただけだと思うけれど、よっぽど人気がないのか、興味がないのか、始め自分も期待していなかったので、そう思っていた。
でも、これは勿体ない事だった。

ブルーハーツファンでなくても、誰にでも強くお勧め出来る映画だったのだ。
「50回目のファースト・キス」に続き、強力プッシュする事にした。

「リンダリンダリンダ」を観たら、昔のCDや卒業アルバムを引っ張り出して、あの頃の友達に電話して会いたくなって、今年の文化祭ではまた女子バンドブームか、ブルーハーツブームが到来するかも。

「逆境ナイン」

2005-06-29 | 日本映画
新宿安田生命ホール「逆境ナイン」試写会。
原作の漫画は読んでいないので、侍ジャイアンツかアストロ球団のようなトンデモ野球漫画だろうと思っていた。
実写で映画化されるというので、まあ、観てみようかと思った。

映画館で予告を観た時に、ストップモーションCGのくだらない使い方に、逆に漫画の世界その物を見たような、ばかばかしくてくだらないけど、何かが新しいような、不思議な違和感があった。
「真夜中の弥次さん喜多さん」の前だったのだが、満員の若者達の爆笑に引いた。映画本編よりも「逆境ナイン」予告編の方が受けていたかもしれない程。

劇場へは絶対に見に行かない映画なので、試写会で良かった。

主役の玉山鉄二は、どの角度から見ても、変な顔しても(変な顔にならない)綺麗なお顔。二枚目で、整いすぎていて、魅力がなく、面白みもない。
もし今後他の役をしている彼を見ても、多分誰だかわからないだろうと思う。

他のナインは個性的な顔も3.4人いるのだが、あとのメンバーは最後まで顔もよくわからなかった。

チラシを見た時からずっと思っていたのだけど、野球帽を深く被ると、顔がよく見えない。チラシの面も、裏も主役の玉山鉄二の顔が見えないのでこれでいいのだろうかと不安になる程。

映画は、パロディや馬鹿馬鹿しさ、会話などで笑わせるが、122分の上映時間の半分か、それ以上過ぎても、野球をしている場面、野球の試合のシーンがない!!
なので、この映画を野球のコメディ映画として見に行くと、大層ガッカリする事だろう。自分も少しその口だったのでガッカリした。

野球のシーンその物は、30分もないと思われる。
ただ、それまでを面白おかしく見せてくれるので、「野球ってよくわかんない」という女の子を連れて行ってもそこそこ楽しんでくれるかもしれない。

試写会場でも、大爆笑の渦だった。デートムービーに良いのかも。

見た後しばらくは、何か困った事やアイタタタという状況に陥った時に「逆境だ。。。」と言うのがお約束になるだろう。
例えば、ペプシのボトルキャップ、続けて三つ同じフィギアが出た時。
おめかしして出かけたら、鼻血が出て全身血だらけになった時。などに。

「埋もれ木」

2005-06-22 | 日本映画
新宿安田生命ホール「埋もれ木」試写会。映画の前に小栗康平監督と立松和平氏のトークショウがあった。
入場時間の1時間位前に、ホールの階段下に並んでいると、小栗康平監督が、まだ開いていないホールの入り口を探しあぐね、警備員に尋ねるも、試写に来た一般人と思われ「列に並んで下さい」と言われて、しょうがなく携帯でスタッフと連絡を取っていた。

カンヌグランプリ監督であっても、やっぱり自ら「監督です」とは言えないのだろうか。気の毒になった。

開場時間の10分程前に、立松和平氏が普通に皆の並ぶ階段を上って会場入りしていたが、誰も気づいていなかった。

二人のトークは、立松和平氏の発するひと言ひと言がとても自然に力の抜けた、あのイントネーションと共に何とも言えないおかしみを醸し出して、会場は非常に盛り上がっていた。

今まで観た試写会のゲストトークの中で、一番受けていたし、内容もとても面白かった。

映画の内容には触れないという約束で、“夢”を描いた作品であるという事だけをトークの題材にしていたのだけれど、二人の話すひと言ひと言が非常に深く真理を突いて、考えさせられる内容で、この話を聞けた事が非常に素晴らしい体験で、とても価値のある時間だった。

例えば小栗康平監督の映画はカット数が少ないという事。
どうしてそうなるのか、そうする事の意義と、それから生まれてくる事とは。

引きの画が多い事。
その意味と、その画から感じる事。拡がる世界。

監督は、自分の映画が、押しつけがましくなく、画面に余韻を持たせ、観客一人一人に感じるままに考えさせる事を究極的な理想としているようだ。

立松和平氏は、監督と友人で、作品のファンでもあり、監督のそんな作品達を愛している様子だった。

小栗康平監督作品を初めて観る。
シーンの多くは、とても引いた画から始まり、人物に寄って行っても、最高でバストアップまで。
それもバストアップになった場面は、浅野忠信、岸部一徳、夏蓮の三人だけで、多分全部でも3,4回しかなかったと思う。

引きの画と自然光と普通の室内照明の為か人物が暗くて遠いので、ほとんど他のキャストの顔はよく見えない。
最後の方まで、平田満が初めの方から何度も出ていた事を気づかなかった。
エンディングロールで特別出演の松坂慶子の文字を見て、ほとんど全員が「一体どこに出ていたの?」と思ったと思う。
その他にも、主要キャスト以外に、驚くような人がわずかなシーンに出演している。

そういった引きの画に、前のシーンからのセリフや、画に映っていない人物のセリフが被ってくる。

この感じは、一体なんだろう? と観ながら考えていた。
監督はファンタジー映画と何度も話していたが、もの凄くリアル過ぎて、逆にそれがファンタジーに思えてくるような感じ。

例えば、そばに居る人達が話している事を、何とはなしに聞いている時。
自分にとって重要な事柄や、直接関わってくるような事なら、聞き耳を立てて、話に入って行くだろうし、全く興味のない事柄なら、相づちしながらも聞き流している。
そんな雰囲気が、ずっと続く。

ほとんど意味のないセリフを、顔の見えない役者達が、ただ話している。
それが、とてもリアルで、その繰り返しに次第にファンタジーを感じ始める。

実際ファンタジーっぽい映像も出て来るが、そのシーンが逆にとてもリアルに感じ、リアルな会話やシーンの中に、ファンタジーを観る。

私達の現実の日常の中でも、リアルとファンタジーは意外に表裏一体で、いつ、どこでも何かのはずみでどちらにでも転ぶ事が出来るのだとはっきりと気づかされる、刺激的な映画だった。

「ジャズ大名」

2005-06-13 | 日本映画
池袋新文芸座「追悼・岡本喜八監督の軌跡」特集最終日! 「ジャズ大名」を観る。

冒頭、黒人男性がトランペットを片手に山の中をさまようシーンのバックに、歌舞伎や能狂言の音楽が流れる。
夕陽の中、戦場跡の丘に佇む黒人男性のシルエットと、太鼓や鼓、笛など邦楽の響きが何ともミスマッチでシュール。もの凄く自然に決まっていてぴたりとくる。

会話が始まると、英語セリフの上から東北訛りの日本語吹き替えが被さるのだけれど、英語と日本語が同じ大きさなので聞きづらいのと、その奇妙な感じに違和感を感じつつも段々慣れてくるとそれがまた楽しくなってくる。

ミッキー・カーチス演じるメキシカンのスペイン語(英語だったけど)には関西弁の吹き替え。
黒人英語に東北弁、スパニッシュに関西弁という荒技は、もしかしたら正しい英語吹き替えの見せ方かもしれない、と思う程自然にすんなりと入ってきた。

アメリカのコメディ映画を字幕で見せるのは限界があるので、関西のコメディアンに吹き替えさせるとか最近でも試みられたが、この時代にもうそれをやっていたとは! また感心させられる。
江戸時代末期、アメリカから駿河の国の小藩に流れ着いた黒人三人が、音楽好きの大名と出会い、城中でジャムセッションを繰り広げる姿を描く。筒井康隆原作の同名小説の映画化。

細野晴臣や山下洋輔、 タモリなど異色の出演者が顔を見せる痛快バラエティ時代劇。コメディ、 ジャズが楽しめる一方で、 岡本喜八監督流反戦論が明確に描かれた演出が素晴しい。音楽は、 ゲスト出演もしているジャズ・ピアニストの山下洋輔と原作者の筒井康隆が担当している。

ストーリーはあってないようなミュージカル。
芯になるストーリーはきちんとあって、メッセージは反戦という事なのだけれど、全てを笑い尽くすようなおちゃらけ具合がぶっ飛んでいるために、ストーリーそのものはもうどうでもよく、気にならなくなってくる。

お殿様役の古屋一行のとぼけた感じが良い。
財津一郎は印象が強烈なために少しやり過ぎ感もあるが笑わせてくれる。
妹の松枝姫役の男の子っぽい女の子がいいなあと思っていたら、岡本喜八監督の娘(岡本真実)だった! 立ち居振る舞いの美しさ、三味線の堂に入った弾き方はさすが。

古屋一行演じる庵原藩の藩主、海郷亮勝は大の音楽好きで篳篥をたしなむ。篳篥とコルネット、トロンボーン、クラリネット、オケと火箸、そろばん、鍋、釜何でも楽器にしての大ジャムセッション。
次第に横笛、琵琶、琴、三味線などが加わってきてその音の厚みはもの凄い事に。
山下洋輔がオモチャのピアノを弾いていたり、タモリが屋台のラッパで登場したりと何でもアリの凄い事になってくるが、不思議とそれらが違和感なく画面に溶け込んでいて、その事に逆に驚いてしまう。

ラストに向かう前辺りからもうジャズ、ジャズ! フリー演奏が延々と続く。
その狂乱していく凄まじさに、初めの方で漠然と感じていた“戦争”=”悪”、“音楽”=“幸せ、自由”という考えに疑問を感じ始める程、音楽を演奏する事へのめりこむ狂ったような人々の姿に空恐ろしくなってくる。

その狂信的な様が怖いが、その様子がどんなにおかしくても、尋常じゃなく、異様であったとしても、戦争で殺し合ったりするよりはもちろん良い事なのだと再確認させられる。

戦争を斜に見ながら音楽、ジャズに明け暮れる者たちの狂信ぶりもオーバーに描き、両者を皮肉り、笑える一級のミュージカル映画に仕立て上げてしまう監督の底知れぬ才能にまた感嘆した。

楽器を演奏出来る人、演奏する事が好きな人ならこの映画をもっと楽しめると思う。
何か一つでも演奏出来るようにならなければ!と思わせる素晴らしい音楽映画だった。

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「ダイナマイトどんどん」

2005-06-10 | 日本映画
池袋新文芸座「追悼・岡本喜八監督の軌跡」特集(5/21~6/10迄)最終日。
終戦後の九州を舞台に、対立するヤクザが抗争の決着を野球でつけようとする破天荒任侠映画(1978)主演が菅原文太でタイトルが「ダイナマイトどんどん」
勝手に"逆境ナイン"とか"アストロ球団"とか、野球の試合中にダイナマイトがどっかんどっかんなっている絵を想像してしまっていた。
岡本喜八監督作品では、その映画のほとんどにダイナマイト爆破シーンが出て来る。それを存分に見せられるのかと思ったが、この映画では、今までで一番まともな理由でダイナマイトをまともに使用していた。

映画の中の野球は期待や想像よりは大分まともな試合風景だったが、さすがにダイナマイトは使わないまでも、腕やすねには鉄板を仕込み、スパイクの歯は当然ヤスリで削り、バットは鉛を仕込んだり、特製日本刀仕様と、思いつく限りの手段を使ってヤクザ野球を面白おかしく見せてくれる。落とし前につめた指の為に投げられるようになった魔球とか!

抗争に手を焼いた小倉警察署長が、ヤクザ抗争を民主的に解決するために野球大会を提案するという設定は面白いのだが、決まるまでの所を観たかったのと、宮下順子と菅原文太、北大路欣也の三角関係の辺りがどうにも野暮ったく時間の無駄のよう。今まで観てきた作品がみなとてもテンポ良く、リズミカルで無駄なシーン一切なしという印象だったので、余計に長く感じてしまう。
脚本が岡本喜八監督ではなく井出雅人と古田求の共同執筆なのでそのせいかと思った。

艶っぽいシーンも、宮下順子が出て来ると興醒め。
北大路欣也も身体だけ立派で、いつも同じ顔。
俄然菅原文太の格好良さだけが印象に残る。

着物の胸元をぐっとはだけて歩く姿の粋な事。
殴り込みに行く前に身体を清める、ふんどしと全身の入れ墨姿のいなせな事!
そして死に装束にと、ナフタリンだらけの桐の箪笥から取り出した凄い匂いのかすりの着物。最高におかしくて格好が良い。

ヤクザと民主的な野球。その設定の面白さと、当たり前のように乱闘になる試合中のドタバタぶりを楽しんだ。
野球をそんなに知らない人も充分楽しめると思う。
野球好きならもっと楽しめる。
ボールを取ったら取りあえずそれで殴る。馬乗りになって何度も殴る。
それでセーフとかアウトとかやっているので本当におかしくなる。

菅原文太の岡源組の親分を演じる嵐寛寿郎が素晴らしく面白い!
あの顔と、普通に話せるくせにいちいち周りの者に通訳させる所とか、もうおかしくて! 勝手に組の縄張りを賭けてしまい皆に非難され、小刀で切腹しようとするシーンは最高!

敵対する橋伝組の組長金子信雄、岸田森も憎めない悪役で楽しい。
他にも田中邦衛、丹古母鬼馬二、ケーシー高峰、フランキー堺など良い面構えの脇役陣が映画を彩る。

九州弁のせいかセリフがよくわからない事が度々あったが、そのパワーとエネルギーに圧倒される。馬鹿馬鹿しくて面白い!
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「どぶ鼠作戦」

2005-06-09 | 日本映画
池袋新文芸座「追悼・岡本喜八監督の軌跡」特集(5/21~6/10迄)より「どぶ鼠作戦」(1962年)。
「独立愚連隊」「独立愚連隊西へ」シリーズ延長戦上にある西部劇タッチの戦争アクション。
のっけからマコちゃん(佐藤允)が中国語!中国人役か!
中丸忠雄江原達怡加山雄三と言った喜八常連達も流暢な中国語を披露する。加山雄三佐藤允と並ぶ三枚看板の夏木陽介が一体誰だったのか見終わってもわからなかった。
後で関大尉だとわかったけれど、インパクトなかった。

第二次世界大戦末期の中国大陸。陸軍のある小隊に配属された新任の参謀・関大尉(夏木陽介)は負傷して、敵ゲリラ隊の捕虜になった。師団長は彼を取り戻すよう、特命隊の白虎(佐藤允)に指令を下す。白虎(中国語と中国の民間人を使いこなすスパイ部隊)は、軍法会議へ掛けられに行く道中に、ある4人のはみだし兵(加山雄三、中谷一郎、田中邦衛、砂塚秀夫)を貰い受け、最前線へと出かけていく。敵の特務隊と丁々発止の駆け引きをしながら敵前突破する5人のアウトローたちが痛快に描かれる。

この個性溢れるガラクタ五人が、命を賭けながらもユーモアたっぷりに、重責を担い大尉救出のために奔走する様子がおかしくて、人情味溢れ、笑いながらもジーンときたり、お約束と思いながらも、友情と人間同士の絆に胸熱くしてしまう。

マシンガンで敵兵や味方が虫けらのように死んでいくシーンも沢山あるが、こういう人間の哀しみ、ユーモアと人情をきちんと抑えて、笑わせながら泣かせて、戦争のばかばかしさ、愚かさを浮き彫りにさせる岡本喜八監督の戦争映画の描き方には感服させられる。
今回はマコちゃんが加山雄三とともに主役ながらも、中国人スパイという役柄で、コメディ演技も板について良い感じ。
ニヒルな二枚目スターというよりは、脇で光る、「独立愚連隊西へ」や今回のような役柄がぴたっと来る。

そしてまた、マコちゃんが出てきた瞬間から、「ああ! この顔! 誰に似てるんだっけ!? ヒゲがあるとまた凄い誰かに似てる気がするよ!!」と最後までマコちゃんの顔に釘付け。しかも誰に似てるのか結論は出ずモヤモヤしたまま。

とにかく凄い気になる顔! 当時の日本人でも珍しかっただろうけど、今時の日本人にもいない。
ジャック・ニコルソンの若い時? 目元は少し感じあるけど、でも違う!
あの顎とか口元は。。。一体!? 
益々謎の深まる佐藤允の顔だった。

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「ああ爆弾」

2005-05-28 | 日本映画
池袋新文芸座「追悼・岡本喜八監督の軌跡」特集(5/21~6/10迄)より「ああ爆弾」。コーネル・ウールリッチの『万年筆』より原案を得て、岡本喜八がシナリオを執筆、監督したミュージカル。
ミュージカルと聞いてはいたが、能狂言の謡と踊りから始まる牢屋の場面から、タイトルロールまで一気に引き込まれる。
それから暫くも、セリフは謡うように語られて、普通に話す場面がなかなか出てこないのに驚く。

大名組六代大親分、大名大作が三年ぶりに出所すると、大名組は市会議員に立候補する矢東弥三郎(中谷一郎)に乗っ取られ、愛人は子分のテツ(天本英世)に寝取られていた。
本宅の表札は"矢東"になり、行くあてさえもなくなる。
矢東を殺すしか道はないと考えた大作は、牢屋仲間の太郎(砂塚秀夫)の特技を活かし、矢東がいつも持っている万年筆に爆弾を仕込む事を決意する。

新旧ヤクザの対立と、万年筆に仕込まれた爆弾がいつ爆発するかと気を揉ませるスリルと、リズミカルに変わるシーンと音楽で最後までテンポ良く魅せてくれる。
音楽劇というだけでなく、良く出来たストーリーとベタだがわかりやすいオチの連続で笑わされる。

和製ミュージカルという事で、トンデモ映画を想像していたが、邦楽で彩られた音楽劇というものを初めて観て、その自然さと粋さ、深く日本人の心に訴えかけてくる巧みな作りに感嘆した。

揃いの帽子とスーツの新興ヤクザ達が街に並んだシーンでは、踊り出すか!? と心配したがそれはなくてほっとする。
決まった時間に事務所と向いの床屋まで往復する為、2列に並んだ男たちの間を小躍りして通る矢東のシーンの素敵なこと!

今まで観た岡本喜八監督作品の全てが、音楽と映像の組み合わせ、カットバックと効果音の使い方など、どの作品でも、いつも音の使い方が上手いなあと感じていたが、この作品ではその音楽的な良さがぐーっと強く引き出され、とても効果的に映像と音楽がかみ合わさって、ただのヤクザ物コメディとも、音楽劇とも、ミュージカルとも言い切れない複雑でもっと高いレベルの作品に仕上がっている。

岡本喜八監督は、どこまでが粋で、どこからが無粋なのかをよーく心得ている監督なのだと、改めてその懐の深さを強く感じ、感服させられた。

映画的に全体を考えて、今まで観た岡本喜八監督作品の中では一番面白かった。

いつも新文芸座では、上映中の映画の関連記事などが貼りだされていてその情報量の多さに感心する。
今回も、その頃の新聞記事や監督のインタビュー記事まで、小さな物まで網羅してあって驚いた。

面白かったのは、「ああ爆弾」の映画宣伝について、配給会社から映画館への通達だと思われる文章。

「看板には、ただでさえ長い伊藤雄之助の顔を更に縦長に伸ばして描くと良いと思われます(ポスターを参照)」とか「街行く子供達に"ああ爆弾"と書かれた風船を配り、インパクトを狙う」とか「小学生児童に書道大会で"ああ爆弾"と書かせ、その中から題字を決定する」とか「試写状の送付封筒の表書きに"危険物""開封注意"などの但し書きを印刷する。ただし、この脅しは中身がそれに値するくらいの価値がないと反感を買う恐れあるので気をつけるように(!?)」など、トンチンカンで笑ってしまった。

実際題字は小学生の書道大会から、岡本喜八監督が選んで決まったらしい。(岡本喜八監督と子供が"ああ爆弾"と書かれた沢山の半紙の前で並んで記念撮影している写真があった)

「どぶ鼠作戦」
一緒に観た「殺人狂時代」の感想記事
「月給泥棒」の記事
「江分利満氏の優雅な生活」の記事
「独立愚連隊」「独立愚連隊西へ」の記事

「殺人狂時代」

2005-05-28 | 日本映画
池袋新文芸座「追悼・岡本喜八監督の軌跡」特集(5/21~6/10迄)より「殺人狂時代」(1967年)。都筑道夫の原作「飢えた遺産」(東都書房刊)を、「暗黒航路」の小川英、「黒い賭博師 悪魔の左手」の山崎忠昭と「大菩薩峠(1966)」の岡本喜八が共同で脚色し、岡本喜八が監督したコメディ・アクション。

公開一週間前に制作会社から公開延期を通告されお蔵入りし、完成から半年後にやっと公開されたという曰く付きのカルトムービー。制作会社は日本の007を作らせたかったのが、出来てみたら「ああ爆弾」だった! と驚いたとか。
カルトムービーの最高峰などと書かれている映画の解説を読んでから観たので、どんなに凄いトンデモ映画なのかと期待していたが、結構普通の映画に見えた。

犯罪心理学講師である桔梗信治の前に「大日本人口調節審議会」の間淵という男が訪れ、その後次々と刺客が桔梗の命を狙う。
「大日本人工調節委員会」とは、ヒットラーに心酔する精神病院院長の溝呂木(天本英世)会長、元ナチスのブルッケンマイヤーが加わり、次々と増え続ける人口を減らす為に、世の中の役に立たない人間を殺していくという理念を掲げた狂信者集団で、電話帳から無作為に選んだ人間を次々と殺していく。
次の標的に狙われた桔梗信治だが、新聞記者の啓子(団令子)とこそ泥の大友ビル(砂塚秀夫)と共に、ボールペン爆弾やおろし金など、身近な平和的武器で対決し、溝呂木が送り込んでくる殺し屋達を次々と返り討ちにする。

この殺し屋達が、眼帯の着物の婦人(キル・ビルを連想させる)とか、松葉杖の男、老人など、溝呂木の精神病院の患者らしいのだけれど、そういう説明が全くないし、出て来る殺し屋達は案外まともに楽しみながら任務をこなそうとする。
“精神病患者を殺し屋に仕立てる”という設定に引かれていたが、そういうストーリーではなかった。
自衛隊の演習が絡んでくる辺りからのドタバタ振りが俄然面白くなってくる。

ラスト、大友ビル(砂塚秀夫)にカメラ目線で「なんなのそれは!?」と突っこませたのには、観ているこちらも脱力してしまった。
さんざんバカをやって来て、最後に言い訳してしまったのは、テレなのか逃げなのか、当時の流行り!?どうせやるなら最後までやり通して欲しかった。

ニヒルなイメージのある仲代達矢が、ビン底メガネに水虫持ちでいつも寝ぼけたような顔と口調でとぼけた三枚目演技、天本英世のドイツ語、砂塚秀夫の名脇役ぶりと、カルトとは思えなくても充分に楽しめる映画だった。

「どぶ鼠作戦」
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「江分利満氏の優雅な生活」の記事
「独立愚連隊」「独立愚連隊西へ」の記事

「月給泥棒」

2005-05-27 | 日本映画
池袋新文芸座「追悼・岡本喜八監督の軌跡」特集(5/21~6/10迄)

一週間で8本観た岡本喜八監督作品の中でも、初めての総天然色(カラー!)作品、「月給泥棒」
庄野潤三作『ダゴンさんの恋人』より「豚と金魚」の松木ひろしが脚色。

クラウンカメラの社員吉本(宝田明)は、金に目がなく、出世の為に電話交換手の彼女から聞き出した上司の弱みにつけ込んだり、社長にデートクラブの女の子を紹介して点数を稼ぐ毎日。ある日、ライバル会社のオリバーカメラで働く電話交換手から、ザバール国のバイヤー、ホセ・ダゴン氏(ジェリー伊藤)が、オリバーカメラとの契約の為に近々来日する事を聞きつけ、大口の契約を横取りしようと、ホステスの和子(司葉子)を利用し、ダゴン氏に近づく。

同僚からも「出世計算機」と呼ばれているお調子者が繰り広げるサラリーマン喜劇。
一応ストーリーは企業間のスパイや駆け引きをベースにしているが、終始軽いタッチで描かれる。
今まで観た岡本喜八作品の中で一番まともで普通なストーリーと作り方だが、かえって毒や面白みもなく感じてしまう。

「七人の侍」の剣豪、久蔵役で強烈な印象を残す宮口精二が、うだつの上がらない課長役でしみじみと味のある演技を見せてくれる。

初め、見慣れたカラー映像に(今のカラー映像とは大分違うが)目はホッとするが、色彩に目を取られて肝心な物、細部まで目が行かなくなるような気もする。
カラーならでは!とその良さを改めて感じたのは、司葉子がまるで着せ替え人形のように、カラフルな洋服を何着も見せてくれる事。
白地に赤の水玉のホルターネックで、背中が大きく開いたサンドレス。
淡い水色に濃いブルーの花模様の刺繍が入ったワンピース。
あでやかな振り袖姿まで、当時の女性がきっと憧れて、参考にしたりしたのかな? なんて想いを馳せてみるのもまた楽しい。

岡本喜八監督特集の開催期間中、毎日(!!)先着50名に喜八プロダクションより、月桂冠のミニカップが貰えます。
会員か、シニアなら千円で二本立て、プラス今ならお酒までプレゼント! とってもお得です。

「どぶ鼠作戦」
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「江分利満氏の優雅な生活」

2005-05-27 | 日本映画
池袋新文芸座「追悼・岡本喜八監督の軌跡」特集。~6/10迄。
「江分利満氏の優雅な生活」(1963年)サントリーの宣伝部社員であった山口瞳が、飲み屋で出会った編集者と意気投合し、小説を書く事に。しかし何を書いて良いものかと悩んだ挙げ句、何をしても面白くない、酔ってはくだを巻くだらしのないサラリーマンである自らの日常を書こうと決意する。
山口瞳自身の体験談を綴った原作「江分利満氏の優雅な生活」「わんぱく天使」井出俊郎脚色、岡本喜八監督。

映画は主人公、江分利満氏(小林桂樹)のナレーションで進行し、アニメやストップモーション、画面の主人公とナレーションが会話したりと、当時としてはとても斬新で画期的な手法をさりげなくテンポ良く取り入れて、起承転結のない主人公のモノローグだけで終始する話を飽きさせずに見せる。
現在でも、映画中にアニメーションを使うのはよくある事だが、その挿入の仕方や実写との繋ぎ方に違和感を感じさせずに溶け込ませるのは難しい事だと思う。
「江分利満氏の優雅な生活」では、白黒ながらも、サントリートリスウィスキーのTVCMでも有名な柳原良平氏のアニメーションが効果的に挿入されている。
柳原良平氏の絵は、普段好き嫌いを意識した事がないくらい、自分の中に深く刷り込まれている事に気づいた。
映画の途中で主人公がサントリーに勤めているという事を知って、だからサントリーのあのアニメなのか!と合点が行った。
江分利満氏が回想し、随筆風小説に書くのは、戦争の勃発から戦後、父親(東野英治郎)と母親が生きてきた足跡と自分の生い立ち、10ヶ月出生届が遅れたお陰で戦地へ行かずに済んだ事、妻(新珠三千代)との出逢い、結婚生活や息子の誕生、家族の病気とそれら全てを背負う33歳の自分のどうしようもない不安と焦燥。

戦争成金として戦争のある時だけは金持ちとして暮らし、戦争が終わると途端に破産し借金取りに追い立てられる生活。
戦争を憎みながらも、その恩恵を受けて育ってきた自分と、事業の成功と失敗を繰り返し老いて尚自分勝手でわがままな父親への哀感の眼差し。
戦争へと若者を駆り立てたものへの憎しみ、何も出来なかった自分への憤り。

全編ユーモアに彩られ、軽妙な小林桂樹のナレーションと演技に引き込まれていく。戦争と共に生きてきた家族の人生が淡々と語られるが、その視点と語り口がとても身近な為に、実際、自分の祖父や祖母、父親と母親もきっと同じように戦争に巻きこまれながら生きてきたであろう事を思うと、どうしようもない悲しみがこみ上げてきて泣いてしまった。

岡本喜八監督特集の観客は、ほとんどがシニア世代で、劇中の人物と同じ世代、リアルタイムに主人公と同時代の人生を送ってきた人達も多かったと思う。戦争への憎しみ、悲しみを語る場面では、彼等も泣いていたと思う。彼等が過ごしてきた人生を思うと更に悲しみが増してしまいどうしようもなく切なくなった。
この映画をTVで、ビデオで一人で観ていたら、こんなに切なく悲しくはならなかったと思う。
戦争を実際に体験してきた世代の人達とこの映画を共に観た事が、更にこの映画の主張や哀愁と言ったものを凝縮させ、強く感じ考えさせてくれた。貴重な映画体験になった。

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「独立愚連隊」「独立愚連隊西へ」

2005-05-22 | 日本映画
池袋新文芸座「追悼・岡本喜八監督の軌跡」特集で、「独立愚連隊」(1959年)、「独立愚連隊西へ」(1960年)を観る。
岡本喜八監督は、喜劇を中心に娯楽映画を撮り続けてきた。59年、戦争の愚かしさを西部劇風アクションで喜劇に仕立てた「独立愚連隊」が大ヒット。終戦時期の青年をコミカルに描いた「肉弾」(68年)、奇想天外なコメディー「大誘拐」(91年)など、数々の娯楽映画の名作を生み出し、その笑いの裏には「戦争」という重いテーマが沈んでいた。

第二次大戦も末期、北支戦線の山岳地帯で敵と対峙している日本軍に、各隊のクズばかり集めて作った警備隊で、独立愚連隊と呼ばれる小哨隊があった。そこへ新聞記者が現れ、戦争の最中に起こった心中事件の真相を調べ始める。
「独立愚連隊」では、戦時中の、それも最前線で敵に囲まれた状況とは思えない程の軍人達の乗りの軽さ、コメディタッチに初めから戸惑ったが、実際極限状態にあればこそ、しかもそれが長く続けば続くほど、人はユーモアを必要とせずにはいられなくなるのかもしれないと段々と思うようになった。
「花札に明日の命を賭ける地獄の守備隊!」のキャッチコピーの通り、とにかく何でも賭けの種にする二人。
この二人がそのまま「「独立愚連隊西へ」(1960年)」へ出てきた時はシリーズ物の楽しさ、醍醐味を感じた。
初めは、セリフが古いというかキザというか、おでこの前で片手をイヨッとする挨拶にも気恥ずかしさを感じて観ていたけれど、これって軍人の敬礼崩れの仕草なのだろうか。二本続けて見終わる頃にはすっかりこの仕草に慣れてしまった。
「独立愚連隊」で主演を演じた佐藤允は、とにかく顔が強烈で、ハーフなのか? と思うほど濃い、変わった顔をしている。映画が始まってからずっと、誰かに似ている! と思って考えていて、まず、"レオナルド・ディカプリオ"!?と思って、いや、違う。"諸星和己"だ! と思ったのも束の間、もっと似ている人がいた! "牧瀬里穂"だ!! なんて事を考えていた。
今でこそハーフっぽい顔だちでキュートとか、ファニーフェイスの魅力で主役も当然と思うけれど、「当時は所謂二枚目、美男美女しか役者になれなかった、ならなかった」「まこちゃん(佐藤允)が主役をやるというのは凄い事」(「独立愚連隊西へ」出演の久保明さん談)だったらしい。ポスター→を見て、初めマーク・ウォールバーグかと思ったが、案外マーク・ウォールバーグの方がスッキリ顔だった。猿メイクのティム・ロスの方が近いかも? どちらにしても猿顔という事か。
見終わってからもまだ、誰かそっくりな人がいるような気がしてずっと腑に落ちないでいる。この人! という心当たりのある方はコメント下さい。
佐藤允は、そうやって顔にばかり目が行ってしまうので、「独立愚連隊西へ」の様に、いつも脇にいるやんちゃな役の方がその魅力を存分に活かせるように思う。

「独立愚連隊」のジャンルが“西部劇”! となっている事にも驚いた。
岡本喜八監督は、所謂戦争映画と一線を画した、 ”西部劇風コメディ戦争映画”を作りあげるために、主役をあえて佐藤允にしたのではと思った。
続編「独立愚連隊西へ」の主演は加山雄三。
朴訥でひょうひょうとしたセリフまわしが、誰かと似ているなあと思った。長島一茂? そういう悩みのない(ように見える)
おぼっちゃま風情が漂うが、自分の信じる正しい道を行き、部下に慕われる上官役を熱演していた。
加山雄三と言えば海の若大将のイメージしかなかったので、戦争映画に出ている若かりし頃の映像はとても意外で面白かった。
「独立愚連隊西へ」の画像が全くないので、写真↑は岡本喜八監督1962年の作品「どぶ鼠作戦」(共演は「独立愚連隊西へ」と同じく佐藤允、夏木陽介)から。
早川役の中谷一郎、神谷役の堺左千夫がとても良くて、輝いていた。
いかにもまた続編が作られそうな終わり方だったけれど、その後続編は作られなかったらしい。

二本の映画の中でとても印象的だったのは、夜の闇の中に敵が攻め入ってくるシーン。
直接的な戦いの場面が少ない代わりに、ただ軍勢の波を上から捉えているシーンが何度かある。エキストラ300名が参加したシーンで、ただザザーっと人の群れが蠢いているだけなのだけれど、何とも言えない恐ろしさを感じた。
そして、夜の闇の中の死体の群れを上から引いた画が、そのまま明るくなり朝になる、そのシーンは一体どうやって撮ったのか? 不思議になる位自然な繋がりで驚いた。死体役の人達、明るくなるまでそのまま寝ていたのかな??

CGのない時代の映画は、端々にまで本物のリアリティと手作り感があって、その迫力と人の温もりを感じる事が出来て、今の映画には観る事の出来ない充実感を観た後に感じさせてくれる。

「ダイナマイトどんどん」
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「真夜中の弥次さん喜多さん」

2005-05-02 | 日本映画
映画として、多くは期待していなかった。
宮藤官九郎脚本には期待しても、宮藤官九郎作品の映画化には、過度な期待はしない事にしている。

「木更津キャッツアイ日本シリーズ」「ゼブラーマン」などの前例があるので。
この二作は、充分面白く笑えたが、やはりTVドラマ止まりの印象。ドラマとしてならば大層面白く観られるかもしれないが、映画として映画館でお金を払って観ると思うと少し、大分物足りない気がする。

初めから、TVドラマを見に行くつもりで観れば良いのだけれど、映画を観る!という気分で構えて観た途端、色あせてしまうような。TVドラマ以上でも以下でもない、宮藤官九郎脚本。
観る側の気分、モチベーションを必要とする映画というのは、あまりよろしくないとは思いつつ、あえて、ドラマやTV放映を待たずに、映画館でロードショウ公開を観る意義を感じる為に、感じさせて欲しい為、観てみた。

ドラマ的な作品を映画館で観る。これは結構な賭けだ。
TVドラマ的な物を劇場のスクリーンで見せられると途端に嘘くさくなり、スクリーンとのスケールの違いに追いつかずゲンナリする。スクリーンに期待する物の大きさに、TVドラマが太刀打ち出来ないせいだ。

宮藤官九郎脚本をスクリーンで観たのは「ゼブラーマン」だけなので何とも言えないが、例えば「木更津キャッツアイ日本シリーズ」を映画館で観ていたら? そこそこ笑えたとしても、それは結局TVドラマの延長であってそれ以上でも以下でもなく、映画化する意義が果たしてあったのかと思う。

「真夜中の弥次さん喜多さん」に関しても、同じ印象で、多くは期待していなかった。
ただ、原作が好きだった事と、主演の長瀬智也、中村七之助が気になっていて、映画館で観てみるのもいいかも? と珍しく思った。
そして、映画はのっけから笑わせてくれる。
バイクで疾走し、止められ「映画の撮影中で……」と言うシーンには最高に力が抜けて、こちらも脱力! この辺りから、どのようにこの映画を観ればいいのか自分の中でスタンスが出来る。他のギャグもほとんどが脱力系。
哲学的で真理を問いただすようなシーンもあるが、それも宮藤官九郎にかかると全てがただ単に笑える為のネタと化してしまう。
あと、やり過ぎ感とふざけ過ぎ感に今回はついていけなかった。
周りが常にずっと爆笑している状況にも引いてしまった。ずっとにやにやはしていたけれど、声を出して笑える場面はなかった。まあ、映画館で声を出して笑うなんて、今までもあったかわからないけれど。

二人のキスシーンがあると期待していたのに、さらっと流された感じで肩透かし。
もっとディープなやつを観たかった。そういうテイストでもっと行って欲しかったかも。

この映画を観ていて一番強く思ったのは、原作の不条理な、刹那な空気をそのまま描いているようでいて、実際は全く違う物になってしまっているという事。

それは宮藤官九郎脚本、監督なので仕方ない、当たり前の事なのだけれど、それが嬉しいようで、やはりちょっと物足りなく、勿体ない感じ。

例えば原作の「真夜中の弥次さん喜多さん」を、他の映画監督が映画化していたら、きっともっとトンデモナイ事になっていたと思う。
だから、多分、これが一番イイ出来!なのだと思う。
この原作を映画化するに当たって、一番の人選だったのだと思う。

それでも、何か足りない、何か違う、と思ってしまうのは、原作の大きさと深さ、面白さに起因するのだろう。

改めて原作をもう一度、深く読んでみようと思う。

「阿修羅城の瞳」和製「コンスタンティン」!?

2005-04-12 | 日本映画
ヤマハホール。劇団☆新感線と松竹のコラボレイト舞台を映画化した「阿修羅城の瞳」。
舞台の段階から松竹とコラボレイトしていたと言う事は、まず映画化ありきの企画だったのだろうけれど、映画を観た感想は、お芝居と歌舞伎、映画のいいとこ取りして訳わからなくなってしまった! という感じ。

劇中で市川染五郎が歌舞伎を演じる様にもろに歌舞伎的であったり、お芝居のセリフ、呼吸と思うシーンがあったり、それらを映画の中に詰め込んで、そこへ「HERO」や「LOVERS」の戦いの中の愛とかワイヤーアクションとチャンバラ、VFXに特殊メイク、CGと舞台衣装やセットのような絢爛豪華な江戸絵巻。
そういう映画だった。
まず最初の鬼との戦いのシーン。いかにも安っぽい鬼のCG表現と、蛍光緑の血。
わざとやっているんだろうけれど、もう少し上手くCGを使えなかったのか、あまりにも酷くてのっけから引いてしまった。
お金かけて作られたのだろうに、Vシネマのような雰囲気で、宮沢りえのおきゃんな可愛さとか、市川染五郎の決めセリフや身のこなしの美しさが台無し。

頑張って良い所を見つけよう観ていたが、段々まともに観るに耐えられなくなり、途中からはトンデモ映画として楽しんだ。

そんな中でも宮沢りえと市川染五郎二人のシーン、それぞれ一人ずつのシーンは良くて、この奇想天外な映画の中でもさすがに画になる。
そこへ内藤剛志、樋口可南子などが入ってくると、急にどこかで見たような手垢にまみれた画になってしまう。
渡部篤郎はいつもの過剰演技もこの映画にははまっていて、浮かずに役に合っていると初めて思ったけれど。
市川染五郎が鏡の前で髪に櫛を入れるシーン、美しい!


途中まではそれでも何とか持っていたが、宮沢りえが阿修羅になった辺りから、どうしようもなくトンデモな空気があふれ出してきて、もう真面目に見ている事が出来なくなってきて、トンデモだなあと思いながらプププッと笑いそうになっていた。

きっと、舞台を見たら面白いんだろうなあ、とは思ったけれど。
映画にしてみたものの、方向を少しまちがってしまったような。

観たばかりの「コンスタンティン」と設定が似ていたのでどうしても比べてしまう。設定しか比べられなかったけれど。
鬼御門=エクソシスト、人間の姿をした鬼=ハーフブリード、恋をした女が転生して阿修羅王に=悪魔が人間界へ女から産まれるとか。
そういう風に観てみると、。。やっぱり余計に面白くないかも。

公式サイトは凝っていて、毬から裏サイトへ入れ、逆さまの世界が楽しめる。
観る前に用語集を観ておくとより映画を楽しめるかも??

「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」ドラマ通り、期待通り。

2005-04-06 | 日本映画
宮藤官九郎脚本が好きだ。
「タイガー&ドラゴン」の番宣の為、今深夜に「木更津キャッツアイ」を再放送している。
TVドラマ「木更津キャッツアイ」何度再放送を見たことか。
映画「木更津キャッツアイ 日本シリーズ」も気になっていたが、試写会で当たらず、劇場に見に行く程でもなかったので今まで未見だった。
映画版は「全く映画的でなく2時間ドラマ。映画として期待して見に行くとがっかりする」というような意見を耳にしていたので、何となく想像は出来ていた。そして想像通り、ドラマの延長のまま、2時間たっぷり魅せてくれたという印象。

過度に期待せず、こちらが思っていたのと違う所で笑わせて、泣かせてくれる。
そんなTVシリーズのままの作りで楽しませてもらった。

最後のゴミモンスターとか、ユン・ソナの片言日本語とかいらなかったけれど、映画として成立させる為には仕方なかったのか。予算が余ったとか。「ゼブラーマン」の悪夢を思い出してしまった。

宮藤官九郎脚本の面白さは、詳細でリアルな人物設定とセリフのかけ合いのテンポ、上手さに尽きると思う。
初めて彼の脚本ドラマを見たのはやはり「木更津キャッツアイ」で、初めは妙な雰囲気に違和感を感じていたものの、軽妙な設定、セリフのテンポの良さと笑いのセンスに共感し、たちまちのめり込んだ。

ドラマのシナリオ本を読んだら、思わず声を出して笑ってしまった。
シナリオを読む機会もあまりないが、本気で笑える本は少ない、ほとんどない事を考えると、これは凄い事だと思う。
シナリオを読むと、「このシーンを、一体どうやって撮っているのか? どう繋がっていたっけ??」と。
セリフの上手さに感心し、「こんなセリフを役者はどう演じていたっけ??」と、ドラマが観たくなる。

ドラマを観ると、「ああ、このシーン、シナリオではどう書いてあるんだろう。こんな上手いセリフのかけ合い、脚本通りなの??」
と、シナリオが読みたくなる。

と言う事で、シナリオ本を買ってからは、ドラマを観ながら同時にシナリオをめくり鑑賞する事になった。

宮藤官九郎脚本に興味がある人、ドラマのセリフが好きな人、是非シナリオ本を読んでみて欲しい。
あのテンポの良いセリフがほとんど脚本そのままだと言う事に驚かされると思う。
そして宮藤官九郎の才能に改めて感心させられると思う。

普通な面白さを、普通に表現出来る才能は、普通ではないのだと。