映画メモbox

ビデオで観た映画のメモ。直感的感想メモです。

王様の漢方

2005-08-29 23:45:47 | その他

GREATWALL, GREAT MEDICNE/漢方道  2002年 中国・日本
制作 江戸木純 監督 ニュウ・ポ
出演 チュウ・シュイ/渡辺篤史 /リ・レン
   市川一雄 /ノーマン・リーダス 他  



とんでもない映画だった。
どうかしている作品なのだった…。
どんな感じかといえば、NHKの「ひとこと英会話」みたい。
ワンテンポずれて会話やアクションがあるような。
おまけに中国語をしゃべれない日本人観光客
という設定だったひとが、途中からなぜかいきなり
中国語を全部理解できる設定になっていたり
(通訳を通すのが面倒になったんだと思う)
キャラクターの後始末もメチャクチャだし
時間軸もなんだか変だし。
自主映画でもありえないくらいのおかしなことがいっぱい。

ラストは渡辺篤史さんの、
まるで寝てるところを突然起こされて
うつろにしゃべってるみたいなナレーションで終わるのだが
それがすごいスピードで、映像と合わせてみるのが
笑っちゃうほど困難なのだった。
しかも耳慣れた渡辺篤史さんのナレーションだけど
あんなに適当にしゃべっているのは聞いたことがない。
(たぶん渡辺篤史さんとしては映像の邪魔にならないように
配慮してしゃべった結果、そうなったのだと思う)

特典映像もへんてこだった。
なぜか撮影中に現れたというUFOの映像。
王様の漢方とはなんの関係もないのに。
こんなのを特典にするくらいだから
よほどはっきり映っているんだろうなと期待してみたけど
UFOか光の加減かわからないくらいでガックリした!

この映画がへんな理由は、よくスタッフの名前をみればわかる。
制作は江戸木純さんだった!
江戸木純さんはエド・ウッドの作品とかを愛してるみたいなので
ちょっとぐらい狂ったかんじがないと、逆に変だというのが
彼のふつうの基準なのかもしれない。


でも、内容は悪くないと思う。

これをみながら私は、
中国はあんまり好きな国ではないと思っていたけど
漢方というすばらしい知恵を持った国を
好きとか嫌いとか思うなんて
間違っていた、、、と反省していた。
いまだって風邪をひいたら漢方薬のお世話になったりしてるのに。
中国にすばらしい知恵の漢方があるように
世界中のあらゆる国がそれぞれの特質を生かした
すばらしいものをもっている。だから、それを尊敬し合って
みんなで仲良く共有しあったらいいんじゃないか?
というより、この世界はそうやってみんなが仲良くひとつになるべきだ…
などと考えていたのだから!

それから、漢方にすっごい興味が出た。
図書館に行って、漢方の本を3冊も借りてきたくらいだ。
だから江戸木純さんがこの作品を作ったのは
いいことだと思う。




特典の、江戸木純さんと渡辺篤史さんの対談も必見です。


2046

2005-08-15 09:54:25 | ここではないどこかへ
2046 2004年 香港
監督・脚本 ウォン・カーウァイ
美術・編集 ウィリアム・チョン
撮影 クリストファー・ドイル
出演 トニー・レオン/木村拓哉/コン・リー/
フェイ・ウォン/チャン・ツィイー/カリーナ・ラウ/
チャン・チェン/マギー・チャン


2046を見た。
とてつもなく刺激的だった。
飢えを癒してくれるような。
口を開けて待っている私に
おいしいジュースを
飲ませてくれるみたいな映画だった!

一瞬一瞬の感情の断片。
その感情のリアリティ度が圧倒的だと思う。
だから見終わった後も
たくさんのシーンが
ずっと頭に焼きついて離れない。

ウォン・カーウァイ監督作品の
どういうところがいちばん好きかといえば、
他人だった人たちが
ほんの一瞬だけ親密になる感じ。
「2046」で言えば、
トニー・レオンとフェイ・ウォンが
2人で楽しく小説を書いているところ。
幻想みたいに楽しくて
繭の中に入っているみたいに守られていて
冷めている2人が一時だけ暖まるようなシーン。
そういうへんな親密さがすごくすきだ。

    


ウォン・カーウァイはいつでも
オレオレムービー(男のロマンみたいな映画)
を撮っているんだと思う。
そういう映画を撮る場合、他の監督なら
あまり女優を出したがらない。
でもウォン・カーウァイ監督は
女優もふんだんに使って、
しかも彼女たちをすごくきれいに
撮ってあげるところが変わってる。

そういえば、これをみたとき
自分がアジア人で心からよかったと思った。
アジア人のように繊細で
美しい骨格と肌を持った人種はないんじゃないか?
と、自分がアジア人でいることに誇りを持てたのだった。
そんなふうに思わせてくれた監督に感謝。


    


ウォン・カーウァイ監督は
エゴをピュアなところまで
浄化させて作品を撮ってる。
そうすると、作品は
インターナショナルなものになるんだなと思った。
自分のために作品を撮っているというか。
純粋に自分のために作ったものこそが
本物なんだと思う。




    

衣装も美術もいつもに増してすごかった!
『花様年華』のときと同じ高いカラーのチャイナ・ドレス。
プライドの高さを象徴しているみたいですごくかっこいい。
ヨーロッパのヴィンテージ・ドレスを
崩して作っていると何かの記事で読んだことがある。
それに合わせたアクセサリーや時計などの小道具も
これ以上ないっていうくらい最高だった。

美術も大変だったと思う。たとえば前半のシーンで、
トニー・レオンがスーという女と階段で遭うところの壁の色とか、
あれもわざわざ作ったんじゃないかな?
あんな微妙な壁の色はないと思う。
この調子で画面に映るすべてのものが
最高のセンスで完璧に整えられているなんて、、、
こういうところに4年の月日が感じられた。
すばらしかった。

それからもちろん俳優も。
ウォン・カーウァイ監督の映画はシナリオがないらしいけど
出演する俳優はみんな自分が彼の詩の一部になることを
完全に理解して演じているように見える。


2046@映画生活


    






アンソニーのハッピー・モーテル

2005-07-25 01:28:36 | コメディ

bottle rocket  1996年 アメリカ
監督 ウェス・アンダーソン
脚本 ウェス・アンダーソン/オーウェン・C・ウィルソン
出演 ルーク・ウィルソン/オーウェン・ウィルソン 他



刑務所に入ったディグナン(オーウェン)を
ボブとアンソニー(ルーク)が訪問したとき
ディグナンが脱獄計画を話して
「今すぐとりかかれ!」
みたいに2人に命令した。
2人は一瞬本気にしてハラハラするけど
でも、できない…
ことを理解したディグナンは
「冗談だよ」と言う。

刑務所の中に帰っていくディグナンの横顔は
ちょっとさびしそうだった。
「な~んだ、やってくれないのか」
と言ってるふうに見えた。
もし、アンソニーと
ディグナンの立場が逆だったら
ディグナンはアンソニーのために
絶対やるだろう。



ディグナンはどういう形であれ
アンソニーと遊ぶことが好きなのだ。
なぜかというと、
完全にファンタジーの世界に入れるから。
ディグナンにとって、ボブは邪魔。
ボブは現実を引きずっている。
というか、
現実に引っぱられているところがある。
一緒に遊んでいてもいまひとつ楽しくない。
でもアンソニーはボブのことを
理解しているので
3人は一緒に遊ぶハメになってるんだけど。

その遊びが“犯罪”なのは非現実だから。
ワクワク、ドキドキ、ハラハラできるし
一番真剣に遊べるから。
真剣にならざるをえないというか…。
精神を病んだアンソニーが
本気になれる遊びは何か?
ディグナンは一生懸命考えたんじゃないかな?
そして、もっともっとアンソニーと
親密になりたかったんだと思う。



ウェス・アンダーソンの映画の中ではこれが一番好きかもしれません。
この感想を書くにあたって、いろいろウェブサイトを見ていたら
オーウェン・ウィルソンが結婚していることを発見しました
相手は、私の大好きなジーナ・ガーション
オーウェン・ウィルソンて、なんとなく独身のイメージがあったのですが、
でもパートナーがジーナ・ガーションなんてかっこいい…

ウィルソン兄弟のデビュー作、とDVDのパッケージに書いてありました。

『アンソニーのハッピー・モーテル』という邦題は内容と関係ないみたい…。

アンソニーのハッピー・モーテル@映画生活




ビフォア・サンセット

2005-07-21 10:33:10 | いろんな「愛」のかたち
BEFORE SUNSET 2004年 アメリカ
監督 リチャード・リンレイター 原案 キム・クリザン 
脚本 リチャード・リンレイター/イーサン・ホーク
ジュリー・デルビー
制作 アン・ウォーカー=マクベイ
撮影 リー・ダニエル 編集サンドラ・エイデアー
出演 イーサン・ホーク/ジュリー・デルビー


『恋人たちの距離』から9年が経って
実際にも同じくらい年月が流れて
続編が作られるなんてすごくいいと思う。

あのとき2人は出会えなかったんだな~。
(再会の約束のこと。)
ジェシー(イーサン)もセリーヌ(ジュリー)も
9年分歳をとって大人になっていた。
2人が9年前に出会ったときと
同じ部分と違う部分を
お互いに持ち合わせている。


    


最初は
「いま何をしてるの?」というような
ありきたりな会話をしていたけど
「もし明日死んでしまうとしたら
私たちはどんな話をするんだろう?」
とセリーヌが言って、
2人は本当の会話をし始める。
それはジェシーが言うところの
“今を生きる”ということだと思った。
9年前に再会の約束が果たせなくて
そのせいで2人の人生が
狂ってしまっているのだとしたら
今、覚醒していなければ
2度と本当の人生を取り戻すことは
できないから。

でも、ジェシーは結婚しているし、子供もいる。
セリーヌにも恋人がいる。
住んでいるところも違う国。
だから2人の距離を縮めていいのかどうかも
お互いにわからないまま
もどかしいまま相手を求めてる。
だけど、お互いに2回しか会ったことがない相手だし。
というようないろんな感情を散らばせながらも
何かを探すみたいにして
2人が一緒にいていい確信を
お互いの中や自分の中に
必死に見つけあおうとしているみたい。
たった85分間の時間の中で。


    


車の中での会話は、なんだか俗っぽい。
イーサンが結婚生活を守りながらも
セリーヌと不倫をしたいみたいにも
感じられないこともないし、
セリーヌの恋愛話も
ふつうの映画に出てくる女みたいだ。
でも、2人は9年間
本当にこんなふうに生きていたのかもしれない。
俗っぽく。
2人が一緒のときだけスペシャルになれるのかも。
“今を生きる”ことができるのかもしれない。


    


映画はすごくいいところで終わる。
名シーンだと思う。
映画の中から何かをフワッと
投げかけられたみたいにやさしい感じ。
この後2人がどうするのかは知らないけど、
でも毎日を過ごしていくんだな~
見ている私と同じく、
と思わせてくれるところがさびしくなくて
好きだった。


今回は、どんなアクシデントがあったとしても
2人は一緒になるだろうなと思う。
そのための9年間があったのだ。
この離ればなれの9年間は
絶対に必要なものだったと思う。
2人がずっと一緒にいるために。



    

『恋人までの距離』のときは、2人が一緒にいられる時間が長かった。
(と言っても14時間くらいだけど)
でも今回はたった85分間!!
その中で2人が9年間の距離をどう縮めるのか、
それ以前に、距離を縮めるつもりはあるのか
2人の行き先にすごくハラハラしました。

セリーヌが、せっかくジェシーのことを歌にして
ギターで弾き語りをしてくれたのに
彼は「もう1曲!」とかヤボなことを言っちゃう。
そういうとこは変わってなくて、ナイーブなとこもそのまま。
セリーヌがこんなにジェシーのことを
愛していたなんて知らなかったけど
でもきっとこんなところもぜんぶ含めて
好きなんだろうなと思います。

ふつう、映画からは得ることができないような、
すごいマジックをリンクレイター監督は与えてくれました。
ほんとうに、スピリチュアルで素晴らしい監督だと思います。




befounddeadさんの『ビフォア・サンセット』の記事
ビフォア・サンセット@映画生活





dot the i/ドット・ジ・アイ

2005-07-10 06:23:50 | スケルトンな世界
dot the i 2003年 イギリス/スペイン
監督・脚本 マシュー・パークヒル
撮影 アルフォンソ・ビアト 編集 ジョン・ハリス
出演 ガエル・ガルシア・ベルナル
ナタリア・ヴェルべケ/ジェームズ・ダーシー
トム・ハーディ/チャーリー・コックス


太陽をいっぱい浴びている人種のタフさには
やっぱり誰もかなわないんだな~と思った。
彼らはどんな状況でもへこたれない。
そんな人たちを利用しようとしたのが
まちがいだ。

一般的に言われる美意識が
高くなればなるほど人は弱くなると思う。
それはたぶん、まやかしの美意識だから。
これは美しいけど、これは美しくない
と言い切ってしまえるのは
すべての中にすでに“美”があることを
認識できていないから。

まわりの“美”を自然に理解し
楽しむことができる人たちがいる。
そういう人たちは生活を楽しんでいる。
リラックスして暮らしている。
自分を含め、日本人では
あまりそういう人を見たことがない。

この映画は何度もどんでん返しが
繰り広げられるすごくおもしろいストーリーだけど
見ている間、私がずっと考えていたのは
このことだった。


   
 
マシュー・パークヒル監督は、
詩人や小説家としても表現活動をしていたそうです。
この話も最初は小説で発表しようとしていたとか。

バーナビー役のジェームズ・ダーシーがすごくよかったです。
どこまでいっても絶対に幸せになれなさそうな
貧相なお金持ちの役なんだけど
じつはすごくクールな人だった!という設定で、
そのクールな変身振りがびっくりでした。

dot the i@映画生活


GERRY(ジェリー)

2005-07-07 18:50:38 | スケルトンな世界

GERRY 2002年 アメリカ  
監督・脚本 ガス・ヴァン・サント 制作 ダニー・ウルフ
脚本・出演 ケイシー・アフレック/マット・デイモン
撮影監督 ハリス・サヴィデス
音響 レスリー・シャッツ 音楽 アルヴォ・ベルト


2人はどこへ行くつもりだったんだろう?
どこまで歩いても
静かで美しい大自然の風景。
それなのになんでこんなところで
ここまでズタボロにならなきゃいけないんだろう?
という顔で足を引きずりながら歩いている2人。
ほんとうに、自然はこんなにも美しいのに
嵐がきたわけでもなく
雪崩や竜巻がおこったわけでもないのに
なんでこのひとたちはこんなにも
ボロボロにならなきゃいけないんだろう?
というよりも、
2人が勝手にボロボロになっただけなんだけど…。
自然をナメていたから。
2人は最初から“ジェリってた”。

   

2人がずーっと無言で歩いている間、
私は映画とはまったく関係のない
別のことを考えていた。
彼らもきっと私と同じくらい
各自の思考に入り込んで
歩いていたのだと思う。
そしてたまに正気に返ると
歩くことに退屈していた。
それがとてもよくわかる。
でも、退屈なんていえないくらいの
境地に陥ってしまってからは
「果てしない」とか
「どこまで行っても」とか
「もしかして死んだりして」
とかいう言葉がよぎって
自分とは無関係に美しいその風景を
憎んだにちがいない。
最後の方は、そのことさえも
受け入れていたのかも。

   

弱そうな方のジェリーが力尽きたとき、
もう1人のジェリーが殺した。
悪いことだとは思わなかった。
殺された方も望んでいたし
大自然の中では、弱いものが殺されるのは
当然な気がしたから。

でもそのあと
すぐにハイウェイが見えてきてしまった。



   
この映画を見ている最中、
あ~、今眠れたら幸せだなと思いました。
でも眠たくなりませんでした。
目がギンギンに冴えているときに見てしまったから。
この映画の中のジェリーたちと一緒に
大自然の中をさまようしかありませんでした。
それは時間が果てしなく長く伸びていっているような
ある意味つらい体験でした(贅沢な体験でもあったと思うけど)。
こういう感覚を共有させるためにガス・ヴァン・サント監督は
こういう撮りかたをしているのかもしれません…。

この感想を書いたあと、友人に
「あれは殺したんじゃないよ、幻想なんだよ。
あっちのジェリーは自然に力尽きたんだよ、
というふうにオレは見たけど」
と言われて愕然としました。
私は殺したと思いこんでいたので。
もう一度、見る勇気はないけど、
そこのところがどうだったのか確かめてみたい気もします。


ジェリー@映画生活



コーマ

2005-07-04 07:59:53 | 事件/サスペンス
 COMA 1978年 アメリカ
監督・脚本 マイケル・クライトン
原作 ロビン・クック 美術 アルバート・ブレナー
編集 デヴィッド・ブレザートン 撮影 ヴィクター・J・ケンパー
音楽 ジェリー・ゴールドスミス
出演 ジュヌヴィエーヴ・ビジョルド
マイケル・ダグラス/リチャード・ウィドマーク
リップ・トーン/ロイス・チャイルズ
エリザベス・アシュレイ/エド・ハリス/トム・セレック


マイケル・ダグラスの出ている映画がとても好き。
彼が映っていると画面が引き締まるというか
安心感があるというか。
”映画的”という言葉が一番近いかな。
マイケル・ダグラスほど映画的な人も
いないと思う。

こんなに若いマイケル・ダグラスを
見たのは初めてじゃないかな?!
このときのマイケル・ダグラスは
主演の女優と同年代くらい。いまは
現代の女優、キャサリーン・セダ・ジョーンズと
結婚しているのに。なんだか不思議。
マイケル・ダグラスは
700年くらい生きている人みたい。



病院の上っ面の怖さじゃなくて
底の底からの怖さを
アクションを交えた映像で
詳しく見せてくれるとこがすごい。
(マイケル・クライトンだから)
しかもこんな短時間で!


ロビン・クックの小説を
マイケル・クライトンが脚色し、
監督までこなしてる。
内容がすっごく詰まっていて
1時間50分くらいしかない作品なのに
お正月のスペシャル番組(4、5時間あるやつ)
を見たみたいなへんな
充実感が得られる映画。

ふつう小説家が脚本を書いて
監督までした場合、紙芝居みたいに
平坦になってしまうことが多いけど
マイケル・クライトンのこの作品は
ちゃんと立体的に撮られていた。

小説の中の大事なところを
全部描きたくて、そのため
かなりハイスピードな作品に
なったのかもしれないけど、結果、
現代の映画と同じくらいのスピードに
なっている。
       




事件の真相を暴こうとしている
女の医者が
どんなに怖い目にあっても
すぐに立ち上がり
さらにさらにヤバいところへ
(「もうやめて~ッ!!」と叫びたくなるほど)
ためらいもなく入って行っちゃう
へんな過剰さが爽快だった。


 
マイケル・クライトンはERの脚本とかも手がけているけど
小説家というイメージのほうが強かった。
でも調べてみたら、たくさん映画を撮っていて
びっくりしました。
身長は2m以上だそうです。



コーマ@映画生活



ヴィレッジ 

2005-07-01 05:46:28 | スケルトンな世界
THE VILLAGE 2004年 
脚本・監督・制作 M・ナイト・シャマラン
制作 スコット・ルーディン他
撮影 ロジャー・ディーキンス
編集クリストファー・テレフセン
音楽 ジェームズ・ニュートン・ハワード
出演 ホアキン・フェニックス/ブライス・ハワード
ウィリアム・ハート/シガニー・ウィーヴァー
エイドリアン・ブロディ/ジュディ・グリア 他


ストーリーのネタが書いてあります。この作品を見る予定のある方はご注意!
 


赤は欲望の色だと思う。
この村には赤色がない。
みんな赤色を隠して生きている。
欲望を押し殺して生きている。
森の魔物を誘ってしまう色だから。
でも、赤は自然の中にもある色なのに。
ベリーの実とか、人間の血とか。
赤の存在をなくしているこの村は
すごく不自然だ。
ゆがんでる。
隠せば隠すほど
欲望の袋が破裂したように
赤色が降りかかってきそう。

 


この村をつくった年長者たちは
街の中での生活を知っている。
それなのに、
まるで生まれたときからここにいるような
フリをしているところが怖かった。
その余裕のあり方が。
本人たちは必死だと思うけど。
箱庭の中で自分たちを
遊ばせているみたいで。
本当に生きていないみたいだ。
ただ、他人から傷つけられることがないだけ。

 

この村での生活は
どこか宗教に似ていると思った。




  
いままでずっとこの監督の名前はナイト・シャラマンだと思って
そう呼んでました。友達もそう呼んでました。
なんか、アラビアン・ナイトみたいで(?)ロマンチックで
ピッタリな名前だなと思っていたのに、
ほんとうはナイト・
シャマランだったんですね!
                       

アイヴィの役はキルステン・ダンストだったらしいです。
それから、私の好きなアシュトン・カッチャーも出る予定だったみたい。
ヴィレッジのアシュトン・カッチャー、とってもみたかったです。
なんでダメだったんだろう…。残念。
                    

(この情報は『ヴィレッジ@森てんこの森』様のサイトよりうつさせていただきました。)


それから、アイヴィとホアキンのラヴなシーンもとってもよかったです。


ヴィレッジ@映画生活



ジャスト・マリッジ

2005-06-25 08:11:51 | いろんな「愛」のかたち

JUST MARRIED  
2003年 アメリカ/ドイツ
監督 ショーン・レヴィ 制作ロバート・シモンズ 他
脚本 サム・ハーパー 撮影 ジョナサン・ブラウン
編集 スコット・ヒル/ドン・ジマーマン
出演 アシュトン・カッチャー/ブリタニー・マーフィ
クリスチャン・ケイン/デヴィッド・モスコー他




結婚てなんだろう?
相手のバックボーンごと受け入れること?
お互いの家族や
いままでの生い立ちが
相手の背後から、なぜか一気に
見えてくることかな。
結婚したことがないからよくわからないけど。

2人の価値観が
ズレていると感じたとき、
孤独なのは
相手の持つその価値観が
バックボーンによって支えられているように
感じられるからだ。
今いちばん身近にいるのは自分なのに。
いくら大声で言い合いをしても
その価値観はピクリとも動かないように
感じられるから。



それを乗り越えて長くつき合うためには
古いバックボーンから
自分の心と身体を
切り離すことが必要だと思う。
そして、2人だけの新しいバックボーンを
つくっていかなくちゃダメだ。
新しいバックボーンが強くなればなるほど
2人は親密になることができるはず。
それは成長すること
どんどん2人が
新しく変化していくことだと思う。
そうすればお互いの存在を
いつまでも新鮮に感じることが
できるんじゃないだろうか…

などと、この映画をみて考えた。




『12人のパパ』のときもそうだったけど、
ショーン・レヴィ監督は、コメディなのに
考えさせてくれる作品を撮る。
ショーン・レヴィ監督の人柄が感じられて
暖かい気持ちになる映画だった。
登場人物がきちんと描かれているところも好き。



 
関係ないけど、『12人のパパ』のときのアシュトン・カッチャー、
最高でした。

ジャスト・マリッジ@映画生活




キング・オブ・ポルノ

2005-06-18 07:15:07 | 堕ちてゆく
RATED X 2000年 アメリカ
監督 エミリオ・エステベス
原作 デヴィッド・マッカムバー
脚本 ノーマン・スナイダー/
アン・メレディス/デヴィッド・ホランダー
編集クレイグ・バセット
出演 エミリオ・エステベス/チャーリー・シーン
テリー・オクィン/ミーガン・ウォード
レイファー・ウィゲル/トレイシー・ハストン他




エミリオ・エステベスの監督作品。

『グリーンドア』などのポルノ映画制作で
有名になったミッチェル兄弟の話だった。

兄へのちょっとしたコンプレックスと甘えから
どんどん堕ちていってしまう弟役を
チャーリー・シーンが、
そして
弟を愛するあまり
世話を焼きすぎて
いっしょに転げ落ちていってしまう兄役を
チャーリー・シーンの実兄
エミリオ・エステベスが演じている。

この兄弟が演じていなかったら
こんなに作品に気持ちを近づけてみることは
できなかったかもしれない。
そしてエミリオ・エステベスが監督じゃなかったら
全く別のものになっていたはず。



こんなふうに今、
最高の状態のチャーリー・シーンを
撮ってあげることができるのは
エミリオ・エステベスしかいない。
みんながチャーリー・シーンに抱いているままの
イカレたイメージと、憎めない純真さ。
彼は、この作品の兄と同じように
弟を愛しているんだと思う。


もっといろんなふうに
撮ることもできる作品だと思うけど
エミリオ・エステベスは
“兄弟の憎しみ合い”にじゃなくて
“兄が弟を思う気持ち”にだけ忠実に
この映画を撮った。
エミリオ・エステベスが撮るなら
私はこれがいいと思う。


エンドクレジットの後ろに
雨と嵐の音が入っているところが
気に入った。
エミリオ・エステベスの
ひたむきさと誠実さが感じられる
気持ちの良い作品だった。

こんな純粋な映画は
あんまりないので貴重だと思う。



 
何年か前、
アクション映画に出演したときのインタビューで
「キケンなシーンもあなた自身が演じたのですか?」
という質問に
「なんでスタントがいるのに
俺がそんなことやらなきゃいけないんだ?
俺の仕事はキケンに体を張ることじゃない」
というようなことを答えていて
突然チャーリー・シーンが好きになりました。


これはビデオ(or DVD)でみるのにぴったりな作品だと思います。
私はビデオで映画をみるのが好きなので
こんな作品をずっと待っていました。
1年に1、2本あるかないかだけど…。

温度感がちょうどいいんだと思います。
映画館で見たら、さみしい気持ちになるのかもしれないけど
ビデオでみるとなぜかさみしい気持ちにはならない。
日常に寄りそった作品なのかもしれません。
日常というか、日頃の感情に。


キング・オブ・ポルノ@映画生活



ファントム・オブ・パラダイス

2005-06-17 21:12:01 | 音楽
 
PHANTOM OF THE PARADISE 1975年 アメリカ
脚本・監督 ブライアン・デ・パルマ
撮影 ラリー・パイザー
美術 ジャック・フィスク
音楽 ポール・ウィリアムズ・ジョージ・アリソン・ティプトン
出演ポール・ウィリアムズ/ウィリアム・フィンレイ
ジェシカ・パーカー/ジョージ・メモリー 他


ブライアン・デ・パルマの作品をみて
こころを動かされたことは1度もない。
でも、どこか惹かれるものがあるのは
なんでなんだろう??
とずっと思っていたけどやっとわかった。
それは、美術だった。

この作品も冒頭から
なんて美術の素晴らしい作品なんだ!!
と感嘆。
美術のすばらしさだけで
最後まで見せてくれるのだった。

悪魔に魂を売ったSWANの
レコード・レーベル「デス・レコード」の
仰向けに死後硬直した鳥のマークもステキだし、
赤や緑や青の
あちこちに散らばるネオンライトも
グロテスクでグラマラス…。

リアリティーのない世界をリアルにするのは
美術の力なんだとわかった。
とくにこの作品はそうだと思う。
ブライアン・デ・パルマは
この美術監督のイマジネーションから
作品を作ったとさえ思えるほど。


エンド・クレジットで
ジャック・フィスク氏が美術を担当していたことを知った。
ジャック・フィスク氏が美術を手がけている作品は
必ず見ている最中に「すばらしい」と思う。



 
なぜか中島英樹氏のすばらしいアート・ディレクションも思い出しました。

ジャック・フィスク氏の奥さんはシシー・スペイセクさんです。
キャリーのオーディションのとき、
この作品の美術を担当していたジャック・フィスク氏が
シシー・スペイセクさんに
ピアズレーの絵のイメージでキャリーが作られることを
教えてあげて、そのイメージで演じたシシー・スペイセクさんは
見事キャリー役をゲットしたのだそうです。



関係ないけど、映画ルパンのマモーのキャラクターは、
この作品の中のSWANをモデルにしたんじゃないかな?!




マイ・ハート,マイ・ラブ

2005-06-15 07:17:10 | いろんな「愛」のかたち
PLAYING MY HEART アメリカ 1999年
監督・脚本 ウィラード・キャロル
撮影 ヴィルモス・ジグモンド 編集 ピエトロ・スカラ
出演 アンジェリーナ・ジョリー/ライアン・フィリップ
ショーン・コネリー/ジーナ・ローランズ
デニス・クエイド/エレン・バーンスティン
マデリーン・ストウ/ジリアン・アンダーソン
アンソニー・エドワーズ/ジョン・スチュワート
ジェイ・モーア 他



なんてすてきな作品なんだろう!

    

いつでもそこから(関係)逃げ出せることは
わかっていつつも
でも逃げ出したくはなくて
その場所にとどまって迷っている人たち。
逃げ出したいのは
逃げ出したくないのは
“愛の力”の強さを知っているから。


みんなが素直に自分の光を
一生懸命求めている。
それが景色や空気にまでにじんでいて
すべてのカットが
登場人物の感情のマクに覆われて
フルフル揺れてる。
ゼリーみたいに密度が濃い。
この、空気がトロリとたれ落ちそうな
みんなの切実さを秘めた映像が
すごくよかった。
静かなのに激しいかんじ。

    

この作品の中にはたくさん
死の存在が漂っている。
なのにちっともそれが怖く感じないのは
それよりももっと愛の力が大きいからだ。
“恐れることより愛しなさい”
とこの作品は言っているのだと思う。

恐れるなって言っているのは、
死の存在についてだけではなくて
愛の存在についても同ように。



    

ゴージャスなキャストです。

私はこデニス・クエイド(が演じる役)のところのエピソードがすきでした。
デニス・クエイドってアメフトのキャプテンみたいなルックスだけど
最近、とてもすきになりました。
デリケートな役をやっている時、その違和感に引き込まれるから。

「恋のすばらしいところは、相手の目で自分を見るようになること。
つまり恋をするっていうのは自分を愛するのと同じことなのだ」
というようなことをショーンコネリー(が演じる役)が
言っていたのが印象的でした。
自分を愛したいから恋をしたいって。



ケイティ

2005-06-13 03:35:29 | 事件/サスペンス


ABANDON 2002年 アメリカ
脚本・監督 ステファン・ギャグハン
撮影監督 マシュー・」ラバティク
編集 マーク・ワーナー 音楽 クリント・マンセル
出演 ケイティ・ホームズ/ベンジャミン・ブラット
チャーリー・ハナム/ズーイー・デシャネル 他



ケイティは捨てられそうになると
男を殺してしまう。
殺した記憶はケイティにはないみたい。
それよりも、自分の尊厳を守ることの方が
彼女にとっては大事なのだ。
もう2度と捨てられないために。

でも、ケイティの記憶の中では
その男がどっかにフラリと
行ってしまったことになっているわけだから
決定的な捨てられる瞬間の記憶さえなければ
いいってことなんだろうか?

“YOU HAVE NO GRACE"
(『オマエ、ダサいんだよ』と訳されていた)
って、ボールペンで何度も何度もなぞっていた。
昔のボーイフレンド(もちろん殺した)に
言われた言葉だけど
自分のせいで
自分が捨てられたというところが
ケイティを刺激してしまうのかもしれない。





ファザー・コンプレックスのひとは
オヤジ転がしになるらしい。
ケイティはオヤジ転がしも上手いけど
強そうで、権力のありそうな人がすきみたい。
それは父親の不在という環境で育った
生存本能からくるものなのではないだろうか。

ケイティのことがすきで
いつも見守っていてくれる男の子がいるけど
彼は弱っちそうだから
ケイティの眼中にはない。
本当に強いのはこういう人かもしれないのに。

ケイティは生きのびていくために
男を必要としている。
それは無意識に。
そして利用してしまう。
これも無意識に。
そういうケイティの生き方は
美しくないし、
彼女自身も疲れている。
いつもいつも疲れている。
過去をぶらさげて生きていくのは
疲れることなのだと思う。





レイチェル・ワイズだと思ってみていたら、
ケイティ・ホームズでした…。
『トラフィック』の脚本家ステファン・ギャグハンの
監督デビュー作です。




やかまし村の子どもたち

2005-06-06 07:15:12 | いろんな「愛」のかたち


Alla vi bam I Bullerbyn 1986年 スウェーデン
監督 ラッセ・ハルストレム
原作・脚本 アストリッド・リンドグレーン
制作 ヴァルマル・ベルイェンダール
出演 リンダ・ベリーストレム/アンナ・サリーン
エレン・デメリュース/ハーランド・レンブルー
ヘンリク・ラーション/クリストピン・ディクソン・ヴェンデニウス


数年前に見たときは、あ~おもしろいなあ
と思っただけだったけど
今回はこの作品の中の豊かな自然に
あこがれを持って自分が見ていることに気づいた。
何もないけどすべてがあるような暮らし。
何もないからこそ
あらゆることが自然に創作されて
大切にされているんだなと思った。





子供たちの遊びもイマジネーション豊か。
自然と戯れて一体化して遊んでいる。
でも、私が小さいときもそうだった。
私は小学生の頃
すごい山の中に住んでいたので
台所の窓からリスが木にかけ登る姿も何度も見たし、
寒い冬の朝はお母さんと
カタ雪を渡って猫柳をとりに行ったり
一面の草原の中で花の冠を作ったり、昼寝をしたり、
王女さまになったつもりで自転車(馬に乗っているつもり)
に乗って砂利道で転んだりしていた。


でもこれから先は、たぶん一生
どろんこの中で裸足になって遊ぶことは
ないような気がする。
自然を自然と意識しないで
その中で戯れることはないだろう。
これからはちょっとでも自然を感じることがあったなら
「気持ちいいね」だとか
「こういうところにたまにくると安らぐね」
とか言って暮らすことになりそう。


これは私だけじゃなくて、
私がいつか子供を産んだとしたら
その子は日常的に
自然と一体化して遊ぶことができないのだ。
(田舎に引っ越さないかぎり。)
それはすごくさびしいことのような気がする。





前に見たときは、いつでもこんな自然の中に
また戻ることができるような気がしていた。
そして、そんなこと望んでもいなかったのだと思う。
今も実際そんなところで暮らすのはイヤだけど
自分が自然から遠く離れてしまったことに
気づき始めたのかも。
だから憧れるようになったのかもしれない。




 
ラッセ・ハルストレム監督は、ゆったりと情感あふれる映像の中にも
激しさを秘めて作り上げるところがすごいと思います。




天国の口、終りの楽園。

2005-05-22 04:28:55 | ここではないどこかへ

Y TU MAM? TAMBI?N(AND YOUR MOTHER TOO …米) 
2001年 メキシコ 
監督・脚本 アルフォンソ・キュアロン
脚本カルロス・キュアロン
撮影 エマヌエル・ルベツキー
出演 ガエル・ガルシア・ベルナル/ディエゴ・ルナ
マリベル・ベルドゥー 他


メキシコ人はみんな快楽主義なんじゃないかな?
どんな環境にいる人でも。
だから基本的にタフでいられて
物事を受けいれる器も大きいのではないか
という気がする。


そして、そういう気質を理解するのは
日本人には難しいのではないかと
メキシコの映画をみるたびに思う。
日本人は快楽に走ることを
抑制されて生きるのが
ふつうのような気がするから。
したいことができないし
できる状況にあってもいろいろ考えたり、
いままでの癖でしなかったり。





この作品に出てくる人たちは
みんなやりたいことをやっている。
人間も、動物も。
その後、どんな運命が待ち受けていたとしても。
(けっこうダークな運命だったりする。
みんなの運命を語るナレーションが興味深い。)


「人生は泡のようなもの。
流れに身をまかせなさい」


このメッセージを受け取った男の子2人は
こんなこと言われなくても
もともと流れに身を任せて生きていた人たちだ。
なのに死ぬ直前に彼らを翻弄した女から
こんなメッセージをもらったら…、
彼らの快楽人生にブレーキが
かかってしまったんじゃないだろうか?
死の存在と隣り合わせで
自分たちと快楽に浸っていたなんて
幽霊と寝ていたような気分になったんじゃないかな…。


こんなこと考えてしまうのは
やっぱり私が日本人だから??




まちがえて日本語吹き替え版を借りてしまいました。
この作品を日本語吹き替え版で観るのはけっこうつらかった…。
字幕版で観たら、また別の感想を持つのかもしれません。


ビデオとかDVDの吹き替え版て、
なんかすごくテキトウに作られているような…。
セリフも品がなく、10年後には死語のような言葉を使っているし。
それにくらべて、
9時からTVでやっているロードショーの吹き替えは
本当の俳優さんの声質と、声優さんの声に違和感がなく
素晴らしいと思います。
天国の口、終りの楽園。@映画生活