脳梗塞で左半身麻痺になり、自宅で8年介護してきた母が4月7日の朝他界した。 庭の梅がようやく小さな蕾になりかけてきたばかり、母の名は梅子といい、折りしも同じ名前の主人公の連続テレビ小説がこの春から始まったばかり。人から「梅ちゃん、梅ちゃん」と親しみをもって呼ばれるところは母と重なって見える。 「ありがとう」 「すみません」 「あーよかった」 自分では歩くこともできなくなってからは誰にでも感謝の言葉がでる人だった。看ている側でも感謝の言葉ばかりで介護する苦労などまったく感じなかった。 好きに動くことができない、支えられて生きている、床の上で長年葛藤してきただろう、そんな生きてゆく手段として自然とそうさせたのだろうか。 人を心から動かせるのは富や地位や名誉ではない、言葉だってことを母から教えてもらった。 ありがとう |
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お母様のご冥福をお祈り致します。
介護の「介」という字には色々な意味があると思います。「間をとりもつ」「添う」「なかをまもる」などなどですが、象形的には「ひととひととがよりそう」と感じております。まちがいなくbajaさまのお宅は「よりそいくらしている」ということではないでしょうか。
ご母堂さまの人柄を偲ばせるコメントに、家族のつながりの大切さを気付くことができました。
合掌
baja さま 奥さま ご家族のみなさま ありがとうございました
お母さま感謝のお気持ちで いっぱいのことと思います
ご冥福をこころよりおいのりもうしあげます
葬儀も終わり、片付けと諸手続きの中、お線香をあげさせて下さいと、足元が不自由な方や葬儀にこられなかった方が日に少し訪れてきてくれます。四十九日の法要まで遺影に声を掛ける毎日です。
ブログで私的なことは書かないようにしているのですが、これもまた記憶にとどめるための手段だと思いまして書きました。
おかげさまで気持ちもだいぶ落ち着きました。
>くーぺきゃんぱーさん
>Nですさん
>Swallowtailさん
>くまごろーさん
>ichさん
>美豚さん
皆さんには感謝いたします。
ここにはまた必ず復活します。
だいぶ前になりますが、私より若いいとこが亡くなりました。祖父母なら年なので旅立ってもいたしかたないと思う気持ちもありますが、いとこの時は、いろいろと人生を考えてしまいました。旅立つときは本当に何も持っていかずにいくんですね。。。
こんな話しで申し訳ないです。
bajaさまもどうかお体気をつけて、まだまだですから、益々のご活躍をお祈りしております。
ありがとうございます。
私も同じ経験をしました。失った悲しみよりも残された子供や親のことが心配になる光景でした。同じ立場を考えたら、そのときから何時きてもいいように準備はしておくことが大切だと思いました。