ロハスな高齢ベビちゃん待ち生活

妊活中に40代に突入!
アメリカでじたばたしながら今日も頑張ってます。

欲しいと願っちゃダメ?

2010-02-01 15:37:18 | 妊活
彼氏が欲しい!とか結婚したい!とか強く思い過ぎると、逆になかなか縁に恵まれなかったりしますよね。子供も「絶対妊娠してやる~!」とかギラギラしてるときは出来なかったのに、「も~いいや」と諦めたら出来たという話はあちこちで聞く話ですよね・・・。

ってことは、「欲しい~!!!」と強く願いすぎるとダメってことなんでしょうか?

でも例えば聖書にだって「叩けよ!されば開かれん!」とか書いてあるわけで、だとしたら、欲しければ必死になって「妊婦部屋」の扉を「開けてー!私もいれてーー!」と叩き続ければ開くんじゃないか・・・と言うか、叩き続けて初めて開けてもらえるんじゃないか???とも思いませんか?

そんなことを考えていたら、むか~しどこかで読んだ「正義の神様」の話を思い出しました。詳しいことは覚えてないんですが、正義の神様の奥さんを力の神様が盗んでしまい、正義の神様は「そんな不正は許せない!そんなのは正義じゃない!」と言う事で必死になって力の神様から奥さんを取り返そうと頑張り続けるうちに、いつしか怒りや戦いの神様になってしまった・・・という話でした。

「そりゃ、奥さんを取られたんだから怒って当たり前!」
と、私も思ったんですが、でも「正義」に固執するあまり、「怒りや憎しみ、戦い」に支配されてしまうというのはやっぱり何かこう違う気がします・・・。

それと同じで、「子供が欲しい!」と願う事は間違っていないけれど、それに固執するあまり「何で出来ないの!」という怒りや、「あの人ばっかり妊娠出来るってどういうこと?!」という憎しみ、「何が何でも妊娠しなくては!!」という強迫観念などで周りが見えなくなってしまようなことがあれば、それはやっぱり良くない事なんじゃないかなぁと思います。
そして、この強迫観念が実は心と身体を蝕んでいるんじゃないかなぁ・・・とも。

私自身、「欲しい!」「授けて下さい!」と願う事はやめられないと思います。子供を産む為に必死になって努力しちゃったりすることもやめられないと思います。
でも、必死になり過ぎて「それしか見えない!」という状況にはならないよう、日々の生活を大切にしたり、旦那と一緒の時間を心から楽しんだりしていきたいものだな~と思いました。

周りが見えなくなる程頑張っちゃうと、「実は必死に叩いていた扉の隣に自動ドアがあった」とか、「体当たりして開けようとしている扉に“引く”と書いてあった」とか、「間違った部屋の扉を必死になって開けようとしていた」とかいうことにもなりかねないんじゃないかな・・・なんて思ったりします。

・・・とか言いつつ、すぐにパニクって周りが見えなくなってしまう私を応援して下さる方、「しっかりしろー!」という気持ちをこめてポチっと押してやって下さい(笑)。

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