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ガンバレ よし子さん

手作りせんきょ日記

ヴィルデ・フラングに片思い(4)バイオリンがやってきた

2011年12月29日 | シベリウス バイオリン協奏曲
シベコンチームのみなさんこんにちは。シベコン広報部長のクレタです。
年の瀬のお忙しいなかご覧いただきありがとうございます。


突然ですが!みなさん、倦怠期って経験したことありますか。
某結婚情報誌「ゼ*シィ」が、20~30代の女性に
「過去に倦怠期を経験したことがありますか?」と聞いたところ、
35%の人が「ある」と回答。
どのようなことに倦怠期を感じたのか聞いてみると、


■ 「なんかこれ以上好きになれない感じになった。 最初のドキドキ感が下降線になった。」(32歳)
■ 「一緒に何かをしていても楽しいと感じられず、彼によく『マンネリって感じだね』と言われた」(27歳)
■ 「彼に飽きて浮気願望が芽生えてしまい、
合コンに通ったり、ほかの男の人とデートをしたりした。」(23歳)

と、ほとんどが相手との関係に「慣れてしまった」「飽きてしまった」という気持から
倦怠期の訪れを実感した様子。さらに、
「付き合ってどのぐらいで倦怠期に陥りましたか?」という質問に対しては


■ 3か月・・・7% 
■ 6か月・・・14%
■ 1年・・・27% 
■ 2年・・・20%
■ 3年・・・20%
■ 4年以上・・・12%

という解答結果が。恋愛マーケットにおけるラブラブのピークは、早いケースでつき合い始めてから3~6か月位。1年が過ぎる頃には、約半数のカップルが「喉元過ぎれば熱さを忘れる」のことわざよろしく、恋愛初期の発熱を忘れてマンネリ状態に突入しているもよう。みなさんは、身に覚えはありませんか?私は、大アリで~す・・・ってアンタ、40過ぎて、まだ倦怠期なんて言ってるの?と突っ込まれそうですが、私の場合は男女の話ではありません。まずは下記のグラフをご覧ください。



これは過去のシベコン演奏会における自分の満足度を示したグラフです。ご覧のように、出会って6か月目の2)でピークを迎え、その後急速に下降し、1年目から停滞が始まる折れ線のカーブは、そのままゼ*シィの倦怠期データと重なります。詳細を列記すると、

1) 2009年11月(庄司紗矢香/シンシナティ響)
2) 2010年5月(神尾真由子/BBC響)
3) 2010年9月(ミハイル・シモニアン/N響)
4) 2010年11月(諏訪内晶子/ロンドン響)
5) 2011年2月(アレクサンドラ・スム/東響)

となりますが、記憶を振り返っても、3)5)のあたりは、シベコンだからちょっと割高のいい席で聴いてるし、いつもと変わらず集中もしているのに、なぜか演奏後の感動が薄く、自分が払った努力に見合う成果が帰ってこない気がしました。

そもそも倦怠期はなぜ訪れるのか。
ゼ*シィによると、「倦怠期は、“相手を完全に自分の手に入れた”と思ったことで訪れることがほとんど」なのだとか。この“掌中に収めた”という感覚、私にもよくわかります。私も頂点を極めたというか、シベコンを聴き尽くした感がありました。
2)の神尾さんのシベコンを聴いた後ではそれを超える演奏がうまくイメージできなくて、3)5)のソリストも、それぞれ健闘しているのは認められるんだけど、出てくる音楽が想定内というか、パターンが読めるというか、第2楽章のテーマの提示の仕方でその人のキャパシティがわかっちゃうというか(←偉そう?)。

皆さんも経験ないですか?「好き」という気持ちが飽和して、初期のドキドキと比較して現状に物足りなさを感じることって。ゼ*シィ的恋愛マーケティングの観点から言うと、それはまさに倦怠期。そんなあなたはダイエットするでも、髪型変えるでも、なんでもいいから慣れ切った環境に変化を起こしてみて。倦怠期からラブを復活させるには、新鮮な気持ちを取り戻すことが何より大切なのです ・・・な~んて、ゼ*シィに代わってアドバイスしたところで本題に入ります。本題はヴィルデのシベコン演奏会です。前置きが長くてすみません。

なぜ私が「倦怠期」なんて持ち出して、エクセルでグラフまで作ってプレゼンしたかと言うと、自分の行動が、倦怠期のカップルがとるそれとシンクロするから。前回のテキストに書いたとおり、私はこの演奏会を「シベコン記念日」と位置づけていました。私はかねてからこの曲を夫と一緒に聴きたいと思っていて、その願いがかなった喜びを俵万智の「サラダ記念日」に重ねていました。でも「シベコン記念日」の説明はそれだけでは不充分で、そこには私とシベコンの間に漂い始めた閉塞感も深く関わっていました。倦怠期に陥ったカップルがマンネリムードを払拭すべくダイエットしたり髪型を変えたりするように、私の中には、自分とシベコンの間に「記念日」という新規プログラムを投入することで冷めかけた気持をテコ入れしたいという下心がありました。初心者の夫の反応を見ることで、自分もまたこの曲に対して新鮮な気持を取り戻せるのではないか。そんな期待が「シベコン記念日」という言葉に込められていたのです。


今にして思えば倦怠期なんて俗説に迎合すること自体シベコン広報部長として失格です。でも空振り(←失礼な )の演奏が3回も続くと、さすがに広報部長のアイデンティティも揺らいでくるところがありました。でもヴィルデは私の迷いなんかおかまいなし。その演奏はやすやすと私の想定を越えていきました。

芸術の力をあなどってはいけない。
真の芸術は、データ分析とかマーケティングなんていう
さかしらな勘ぐりとは別の次元で成立している。
私はもう倦怠期なんて陳腐な価値観に惑わされたり、
3)5)レベルの演奏に自分を合わせて感動を小さく見積もったりしない。
私はシベコン広報部長として、どこまでも最高の体験を追い求める。
私が求め続けるかぎり、それは必ず与えられるんだ。


音楽を聴いてそんな根拠のない確信が湧いてくるのはずいぶん久しぶりでした。

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我が家にバイオリンがやってきました