2019年4月1日(月) 辻立ち8日目
05:50 築地正門
06:00 波除神社
06:05 松枝物産(かまぼこ)の閉店セール
松枝物産の社長は74歳。社員は全て辞めてもらったが、
売掛金の回収のためにしばらく一人で店に立つのだそう
「場外がなくならない限り、築地はなくならない」
という明るいキャッチコピーの裏にあるリアル
私 : 「お店、閉めるんですか?」
社長: 「まわりがすっかり変わってしまってね」
私 : 「場内がなくなったことが影響した?」
社長: 「役人が市場を豊洲に移したおかげで、客が分散してしまった」
社長: 向かいの空き地を指して「あそこはホテルになるんだ。
残念だけど、時代の流れだからしょうがない」
私 :「でも、私は怒ってますけど」
社長:「… 誰に向かって怒ればいいの?」 *1
06:20 ぷらっと築地のベンチの前で辻立ちスタート
06:58 スピーチ終了。撤収
松枝物産で買った桜えび ひとつ450円
*1 「… 誰に向かって怒ればいいの?」松枝社長が付きつけるこの問いは重い。怒りの矛先を誰に向けていいのかわからない。だから怒ることをあきらめる。怒りと共に生きるのはつらい。だから思考停止する。それが築地問題のやっかいなところだ。「怒りを誰に向ければいいのか」という問いは、「誰が責任を取るのか」という問いでもある。築地問題は20年以上も前から続いていて、その間に石原、猪瀬、桝添、小池と、4人の都知事が交代した。役人だって何人も入れ替わっている。責任の最終地点が不明のまま、破壊だけが機械的に進む。反対の声しか出ていないのに。
強いて言えば、一連の問題の責任は、上記4人を知事に選んだ東京都民にあるということになるけれど、その中にはもちろん松枝社長と私も含まれている。私は上記4人に投票しなかったけれど、都知事選挙がポピュリズムに支配されるのを阻止することもできなかった。都民は長い年月をかけて構造的な絶望を作り出し築地の市場関係者を追い詰めた張本人と言うこともできる。
でも、もし私がその絶望に打ちのめされて、抗議することをあきらめていたら、私は松枝社長と出合うことはなかった。同じ気持ちを共有することもなかった。そう考えると、とりあえず辻立ちは続ける価値がありそう。
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05:50 築地正門
06:00 波除神社
06:05 松枝物産(かまぼこ)の閉店セール
松枝物産の社長は74歳。社員は全て辞めてもらったが、
売掛金の回収のためにしばらく一人で店に立つのだそう
「場外がなくならない限り、築地はなくならない」
という明るいキャッチコピーの裏にあるリアル
私 : 「お店、閉めるんですか?」
社長: 「まわりがすっかり変わってしまってね」
私 : 「場内がなくなったことが影響した?」
社長: 「役人が市場を豊洲に移したおかげで、客が分散してしまった」
社長: 向かいの空き地を指して「あそこはホテルになるんだ。
残念だけど、時代の流れだからしょうがない」
私 :「でも、私は怒ってますけど」
社長:「… 誰に向かって怒ればいいの?」 *1
06:20 ぷらっと築地のベンチの前で辻立ちスタート
06:58 スピーチ終了。撤収
松枝物産で買った桜えび ひとつ450円
*1 「… 誰に向かって怒ればいいの?」松枝社長が付きつけるこの問いは重い。怒りの矛先を誰に向けていいのかわからない。だから怒ることをあきらめる。怒りと共に生きるのはつらい。だから思考停止する。それが築地問題のやっかいなところだ。「怒りを誰に向ければいいのか」という問いは、「誰が責任を取るのか」という問いでもある。築地問題は20年以上も前から続いていて、その間に石原、猪瀬、桝添、小池と、4人の都知事が交代した。役人だって何人も入れ替わっている。責任の最終地点が不明のまま、破壊だけが機械的に進む。反対の声しか出ていないのに。
強いて言えば、一連の問題の責任は、上記4人を知事に選んだ東京都民にあるということになるけれど、その中にはもちろん松枝社長と私も含まれている。私は上記4人に投票しなかったけれど、都知事選挙がポピュリズムに支配されるのを阻止することもできなかった。都民は長い年月をかけて構造的な絶望を作り出し築地の市場関係者を追い詰めた張本人と言うこともできる。
でも、もし私がその絶望に打ちのめされて、抗議することをあきらめていたら、私は松枝社長と出合うことはなかった。同じ気持ちを共有することもなかった。そう考えると、とりあえず辻立ちは続ける価値がありそう。
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