ガンバレ よし子さん

手作りせんきょ日記

スピーチ on 波除通り ~ その3 ~

2019年03月21日 | SAVE 築地市場
 では、メディアが場外の皆さんに与える幻想とは何か。それはたとえば「豊洲は豊洲、築地は築地」という言葉です。あるいは「場外がなくならない限り築地はなくならない」という言葉です。前者は『築地食のまちづくり協議会』の鈴木章夫理事長による年頭の挨拶の言葉なので、2019年の場外商店街のスローガンとみなしていいでしょう。後者はテレビの築地ヨイショ番組で通説としてしきりに語られています。「豊洲は豊洲、築地は築地」というのは「仲卸は仲卸、場外は場外」ということです。それは言い換えれば「仲卸と場外を切り離して合理的に考えよう」ということです。「場外がなくならない限り築地はなくならない」というのは煎じつめれば「築地には場外だけ残ればいい」という利己主義です。その思考パターンが「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」に逆行することはすでに述べたとおりです。つまり場外の皆さんはこれらの言葉を口にするたびに共同体の連携に自らの手で楔を打ち込んでいるのです。これは「僕たちのいるところが市場になる」という仲卸のセルフイメージとよく似ていませんか?皆さんには申し訳ないのですが、私はこれらの言葉に真っ向から異を唱えたいと思います。そもそも「豊洲は豊洲、築地は築地」というのは鈴木理事長のオリジナルな言葉でしょうか。私には別の誰かからの借り物のように感じられます。

「築地は一旦立ち止まって考える」。小池百合子氏は3年前の都知事選挙の演説で築地問題を取り上げてこう発言し、2年前の都議会議員選挙では『都民ファーストの会』の応援演説でさらに踏み込んでこう発言しました。曰く「豊洲は活かす、築地は残す」。市場の築地残留を示唆するこれらの発言は、いずれも投票日の10日前という選挙戦ラストスパートのタイミングで行われました。市場の築地残留は、元をただせば宇都宮健児氏の公約の目玉でした。しかし同氏は出馬を取り止めたため、小池氏がそのバトンを引き継ぎ自らの公約としました。小池氏が築地残留のカラーを明確に打ち出した背景には「豊洲移転はノー!」という根強い都民感情があり、その民意を取り込まない限りライバルの自民党候補に勝てないという判断がありました。そして小池氏の思惑通りに築地問題は選挙の争点に急浮上し、結果は都知事選、さらには都議選でも小池氏が圧勝しました。知事就任後の小池氏は、悪代官の石原慎太郎氏を議会で吊るし上げ、しがらみ政治からの脱却をアピールしましたが、肝心の豊洲移転の撤回には決して踏み込もうとしませんでした。都議選後の小池氏は方針を転換し、記者会見なしの一方的な安全宣言、いまだ土壌汚染の疑いが残る豊洲への移転強行、旧市場のバリケード封鎖とそこに留まる仲卸業者へのバッシング、自民党への接近、市場跡地の帳簿操作と売却構想など、積極的に移転プロジェクトを推し進めます。

小池氏のこの露骨な手のひら返しを目の当たりにして、選挙民としては「築地は残す」の公約はどうなった、落とし前をつけてくれ、と言いたいところですが、小池氏にしてみれば「場内の仲卸は追い出したけど、場外の商店街は残っている。だから築地は残っている」という理屈になるのかもしれません。

しかしそれは詭弁というものです。3年前の都知事選の経緯を踏まえれば、小池氏の公約は宇都宮氏の公約の反映でなくてはならず、宇都宮氏が『築地』と言うときは、場内と場外を含む全体を想定しているのは明らかで、小池氏もそれに倣うのが筋というものです。当時の選挙民のほとんどは、小池氏が「築地は残す」と発言すれば、その趣旨はとりもなおさず「場内も場外も丸ごと残す」なのだと受け止めました。「場内は捨てて、場外は残す…だったりして?」なんて穿った見方をする選挙民はまずいませんでした。だから小池氏が場内の仲卸を追放しておきながら築地はまだ残っていると主張するとしたら、それは羊頭狗肉というもので、選挙民の反撥を招かないはずがありません。

昨年10月18日、築地で商売を続ける仲卸業者と東京都の役人が衝突し、買い物客を巻き込んだトラブルが発生しました。仲卸を支援する客がバリケードを乗り越えて場内に入る映像を、テレビで見たという方もいらっしゃるかもしれません。メディアはこの事件を移転反対派による迷惑行為として非難しましたが、現場に立ち会った者として言わせてもらえれば、この事件は賛成か反対かの二項対立ではなく、移転プロジェクトは民主的か否かという視点で考えないと本質を見誤ってしまいます。市場の築地撤退にあたり、東京都は多数派の意見を全体の総意とみなし、少数派の意見は一貫して黙殺しました。撤退の合意形成は民主的な手順を踏んだものではなかったと訴える仲卸は少なくありません。撤退を不服とする仲卸の一部が、小池氏の玉虫色の公約を不服とする選挙民の一部と連携し、移転プロジェクトの根本にある強権政治を告発したというのがこの事件の真相です。築地を「売り手よし、買い手よし、世間よし」の「三方よし」の共同体として次世代に継承しようとする者は、時代に翻弄される存在から自ら台風の目となり周囲を巻き込む存在へと自己を変革しなければならない。その兆候がここにあります。このムーブメントを場内だけでなく場外まで拡張したい。築地に留まった仲卸と場外が中心となり小池氏の圧政の対抗軸を打ち立てたい。そんな思いで私はここに立っているのですが、しかし現実は厳しい。

「豊洲は豊洲、築地は築地」「場外がなくならない限り築地はなくならない」。このスローガンを掲げる場外の店先では、私は築地から仲卸が去っていった悲しみをうっかり口に出すことはできません。「小池さんうそつきだよね」と怒りをぶちまけることもできません。店員さんたちは、客の顔を見ると同時に場内の欠落を悟らせまいと「豊洲は豊洲、築地は築地」と、平気な顔で、まるで場内の仲卸なんて最初からいなかったかのように、威勢よく接客していますし、私もその空気につられて、強いて暖簾をくぐり興味を持って品定めしてみるのですが、内心は甚だそうではない場合が多いのです。これは底をわると両者とも極めて割の悪い話に当たります。店員が合理的な利己主義者として振舞う店ではエシカル消費は成立せず、エシカル消費のない築地に未来はありません。どうか皆さん、欠落があるのにないようなふりをまずやめて下さい。不安があるのにないようなふりをまずやめて下さい。場内と場外は表裏一体。切っても切れない間柄。セリ場のない築地市場、あるいは仲卸やターレがいない築地市場は築地であって築地ではない。その悲しみをどうか私と共有してください。そうすれば私も安心し警戒を解いて財布のひもを緩めるという態度に出ます。そうでないと今後、私は場外市場から遠ざかってゆかなければならない事になるかも知れません。これは何とも寂しい事です。

こんなことを言うと「問題の本質を見誤っているのはそっちの方だ」と批判を浴びるかもしれません。連携も何も、向こうは勝手に出て行ったんじゃないか。仲卸は自ら築地からの撤退を選択した。取り残されたのは場外のほうだ。だから場外が一丸となってサバイバルするしかない … そんな反論の声が、場外の店から聞こえてきそうです。でも「仲卸が自ら選択した」という前提についても、私は異を唱えなければなりません。豊洲移転をめぐり東京都は仲卸との個別の交渉を省略しました。そして代表者の意見を全体の総意とみなし、末端の仲卸の意見を聞く耳を持ちませんでした。東京都は移転を拒み築地の家財道具を撤去しなかった仲卸2名を業務停止にしました。それは傍目にも見せしめとわかる重い処分でした。このような状況で仲卸は自由な意志表示ができたでしょうか。事態の推移はむしろ築地撤退以外の選択肢が最初からなかったことや、築地に留まりたくてもまわりの圧力で撤退に追い込まれた仲卸がいたことを物語っています。そして「豊洲は豊洲、築地は築地」という言葉は、これらの深刻な問題について考える力を場外の皆さんから奪っている。「豊洲は豊洲、築地は築地」と唱えれば、皆さんは仲卸の背負う痛みを他人事として遠ざけることができる。でもそれと同時に皆さんは進んで小池氏の圧政にお墨付きを与え、仲卸の切り捨てに加担し、自らの手で共同体の連携を分断している。それは「僕らのいるところが市場になる」という短絡思考で築地から離脱し、窮地に追い込まれた仲卸の二の舞ではないですか。

(つづく)















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