10/3前田選手を見に行った人から
写真貰った。
盛り上がりが半端じゃないことが
数枚の写真からだけでも伝わってくる
今日はみんな前田選手を見に来とる
真っ赤に染まるZOOMZOOMスタジアム
満席はさすがにすごい光景
このシーンテレビのダイジェストで見たが感動しますね
週刊文春から抜粋された文章で
ジ~ンと来ちゃいました。
お疲れ様でした 前田選手
“天才”前田智徳がついに引退 熱き侍の伝説を振り返る
週刊文春 10月3日(木)18時1分配信
「あの落合博満が『子供が真似ていいのは前田だけ』と絶賛するほどの天才でした。ただ故障が続き、2007年以降、本人は引退を申し出ていた。それでもオーナーに引き止められていたが、ついに決断した」(ベテラン野球記者)
広島の前田智徳外野手(42)が引退を発表した。
“天才”とも“侍”とも呼ばれた彼の野球人生は“熱い伝説”のオンパレードだ。
「高校時代から熱かった。熊本工業高校での最後の夏。県大会決勝で敬遠気味にボール・ツーとされると、バットを持ったまま『勝負せんかい』と怒鳴り、相手投手が勝負に行った1球を見事ホームランにしています」(同前)
ドラフト4位で広島に入ると、プロ1年目から「打撃は教えることがない」と言われるほど完成されていた。
「前田は守備も上手かったですが、3年目の秋、中前打を後逸してランニング本塁打にされ、200勝投手の北別府の勝ち星を消してしまったことがあった。その試合では結局、決勝ツーランを打ちましたが、涙を流しながらダイヤモンドを周り、ヒーローインタビューも拒否したのが印象的でした」(元広島番記者)
イチローが尊敬するバッターでもある前田だが、イチローに対する評価は辛かった。
「イチローが200本打ったときも、『興味ないですね。200本安打と言っても内野安打が何十本も含まれているんでしょ』と素っ気なかったそうです。安打への価値観が、イチローとは全く違う。前田はとにかく自分が思い描く“理想の打球”にこだわっていた」(同前)
怪我さえなければ3000本安打していただろう、と言われる前田。6年目に右足のアキレス腱を切って以後、怪我に苦しみ続け、「前田智徳は死にました」「私はもうプロ野球選手ではありません」と自虐的な言葉を口にした。
「『頑張って下さい』と声を掛けた女性ファンに『お前に言われんでも分かっとる』と声を荒らげたこともあったそうです」(スポーツ紙デスク)
引退会見で背番号について語っていた言葉が、いかにも彼らしかった。
「怪我ばかりの人生で、背番号1が泣いていた。僕ではなく、先輩に恥じない成績を残す選手に付けて欲しい」
球界を代表する個性派が、また1人消えた。
前田智徳 - Wikipedia
ブルーウェーブイン広島近くの 前田引退試合
写真貰った。
盛り上がりが半端じゃないことが
数枚の写真からだけでも伝わってくる
今日はみんな前田選手を見に来とる
真っ赤に染まるZOOMZOOMスタジアム
満席はさすがにすごい光景
このシーンテレビのダイジェストで見たが感動しますね
週刊文春から抜粋された文章で
ジ~ンと来ちゃいました。
お疲れ様でした 前田選手
“天才”前田智徳がついに引退 熱き侍の伝説を振り返る
週刊文春 10月3日(木)18時1分配信
「あの落合博満が『子供が真似ていいのは前田だけ』と絶賛するほどの天才でした。ただ故障が続き、2007年以降、本人は引退を申し出ていた。それでもオーナーに引き止められていたが、ついに決断した」(ベテラン野球記者)
広島の前田智徳外野手(42)が引退を発表した。
“天才”とも“侍”とも呼ばれた彼の野球人生は“熱い伝説”のオンパレードだ。
「高校時代から熱かった。熊本工業高校での最後の夏。県大会決勝で敬遠気味にボール・ツーとされると、バットを持ったまま『勝負せんかい』と怒鳴り、相手投手が勝負に行った1球を見事ホームランにしています」(同前)
ドラフト4位で広島に入ると、プロ1年目から「打撃は教えることがない」と言われるほど完成されていた。
「前田は守備も上手かったですが、3年目の秋、中前打を後逸してランニング本塁打にされ、200勝投手の北別府の勝ち星を消してしまったことがあった。その試合では結局、決勝ツーランを打ちましたが、涙を流しながらダイヤモンドを周り、ヒーローインタビューも拒否したのが印象的でした」(元広島番記者)
イチローが尊敬するバッターでもある前田だが、イチローに対する評価は辛かった。
「イチローが200本打ったときも、『興味ないですね。200本安打と言っても内野安打が何十本も含まれているんでしょ』と素っ気なかったそうです。安打への価値観が、イチローとは全く違う。前田はとにかく自分が思い描く“理想の打球”にこだわっていた」(同前)
怪我さえなければ3000本安打していただろう、と言われる前田。6年目に右足のアキレス腱を切って以後、怪我に苦しみ続け、「前田智徳は死にました」「私はもうプロ野球選手ではありません」と自虐的な言葉を口にした。
「『頑張って下さい』と声を掛けた女性ファンに『お前に言われんでも分かっとる』と声を荒らげたこともあったそうです」(スポーツ紙デスク)
引退会見で背番号について語っていた言葉が、いかにも彼らしかった。
「怪我ばかりの人生で、背番号1が泣いていた。僕ではなく、先輩に恥じない成績を残す選手に付けて欲しい」
球界を代表する個性派が、また1人消えた。
前田智徳 - Wikipedia
ブルーウェーブイン広島近くの 前田引退試合