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気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

昔の人は偉かった! 【伊勢本街道:柿野~多気】

2020-02-19 17:43:27 | 山歩き&ハイキング

前回の伊勢本街道【伊勢奥津~柿野】を歩いた1月9日から約一月後の2月12日

 

柿野からの続きで多気まで歩いてきました

 

5時起きして朝ごはんを食べて朝風呂に入って身支度を整えて 

で事務所の駐車場まで行ってからバスで最寄り駅へ

 

そこから普通電車で大和西大寺に出て

京都からの特急電車に乗り換えて大和八木駅で賢島行の特急に乗り換えて・・・

松阪からは三重交通のバスで 柿野まで

この柿野のある深野は 三重県松阪市飯南町(市町村合併前は飯南郡)にあり

つい先日の2月9日放送のナニコレ珍百景に出ててビックリ

1月に歩いた時の↓このネコで気づきました(笑)

 

と、いつものように話が横道にそれちゃいましたが

 

バス停の横を流れる櫛田川は

三重県中部の中央構造線沿いを西から東に流れ伊勢湾に注ぐ一級河川で

奈良県との県境の高見山(霧氷で有名な山)に源を発し

 

倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて諸国を巡行する際

この地で櫛を落とされたことからの由来なんだとか

 

そんな櫛田川を眺めながら東に進む

ここにも大きなお寺が

人口割合からしたらお寺の数や大きさに驚かされるんだけど

昔の人は信心深かったんでしょうね

 

いまの川沿いの道に平行している旧道には古い商家が並び

この地が街道で栄えていたんだなぁと実感させられました

 

そうそう、ココは松坂牛の発祥の地でもあるんですヨ

 

 

そしてこの道標で気づかされたんだけど

深野は、北からの伊勢本街道と西からの和歌山街道が合流する地点

昔はさぞかし賑わってたんだろうなぁ

 

実は、今回のルート

峠越えもない平坦な行程で いまじゃあ舗装道路ばっかしだし

あまり面白くはないだろうなと思ってたのに

 

実際に歩いてみると

何気ない景色の中に歴史がいっぱい詰まってて

勉強なることばっかし

天候に恵まれたこともあって 景勝地をゆっくりと眺める余裕もあって良かったですよ~

ここは、大石(おいし)という集落にある不動院というなかなかの古刹

境内の横に夫婦滝があったり 

天然記念物のムカデラン群落もあって

このお寺を目的地にしても十分楽しませてくれそうでした

 

不動院を過ぎて少しすると 大石神社があるんだけど

急傾斜の山肌の巨石が落ちないように工事されててビックリ

 

櫛田川沿いの狭い道路に面したところなので

最近の異常気象で大雨でも降って山崩れを起こし

幹線道路が遮断されないようにしてるんだろうなと一人勝手に頷いてました(笑)

道標に従って旧道方向に歩いてゆくと・・・

 

11:55ごろに食堂らしきノボリを発見

実はこの日、ほとんど舗装路ばっかりだし

適当に飲料水の自販機や、コンビニや食堂があるだろうとタカをくくってたら

 

なんだかどんどん寂しくなってきて

ちょっと焦ったところだったので、このノボリを見つけてホッとさせられました。

なにやら民家を改装して コジャレタ雰囲気

お店の方に伺ったところ

伊勢志摩の方が わざわざ山奥の古い敷地の民家を丸ごと購入して 

改装して商売をはじめられたんだとか

こんな山の中でどうして てこね寿司?って思っていた謎がとけました

とにかくすべて手料理でとっても美味しかったですよぉ

平日の昼なのに 年配のご婦人方のランチで大繁盛してました

 

この食堂の真横が 

なんと伊勢本街道の難所のひとつ ”津留の渡し"

 

いまでこそ上流にダムがあって水量が制限されているけど

昔は上流で雨でも降ったら 氾濫して大変だったみたいです。

 

そんな津留の集落を過ぎて 単調な道をダラダラ歩いていたところ

 

オォーーーーーーーーッ!!!

 

懐かしの国際秘宝館の看板を発見

1972年になぜか ド田舎の玉城町にできた元祖国際秘宝館の看板

 

その後、鳥羽にもできたし、

全国の主に団体バスツアーで訪れるような観光地に

雨後の筍のようにできたみたいだけど、

時代の流れで来場者もいなくなりほとんど廃館しちゃったみたいですね

 

結局一度も入ったことなかったなぁ

 

 

と、またまた伊勢本街道とはぜんぜん関係ない話題に大脱線

 

さて、街道の続きに戻しますね 

 

こちらは、街道沿いにある”仏足跡碑”

天明五年(1785年)に櫛田川対岸の永正寺の名僧によって建てられた

仏足跡(お釈迦さんの足跡)のことで、

仏教が広まった頃に仏像のかわりにこれを拝んだそうです。

地元では足神と呼ばれていたもので

街道を旅した人たちはここを通るときに

この足神にわらじを奉納して旅の安全と祈願したんだとか

 

また少し先にゆくと

丹生大師道の道標がありました。

 

丹生大師とは、正式名称”神宮寺”のことで

真言宗山階派の寺院で女人高野山丹生山神宮寺成就院と号するんだとか

 

高野山は女人禁制だったから いくつかありますよね。

奈良の室生寺も女人高野と呼ばれてたお寺だし

いまも女人禁制の大峰山の近くにも

女人大峯の稲村が岳の大日山があります。

 

この先からは平坦な見通しのいい道が続きますが

そこにあるのが”伊勢三郎の物見の松とイボ地蔵”

 

伊勢三郎とは、武蔵坊弁慶と並ぶ(源)義経四天王の一人で

最初に義経が会ったときは、鈴鹿山の山賊頭領だったんだって!

(伊賀の忍者でもあったそうです。)

義経が頼朝に追われていた時、

頼朝の軍勢が攻めてくるのをこの松にのぼって主君を守ったんだとか・・・

最期はこの伊勢で鎌倉の守護と激闘を演じた末に敗れて自刃し、

その首は京都で晒されたんだとか。。。

 

その先にあるのが 歯痛地蔵

歯医者のいなかった時代

地蔵さんに祈るしかなかったんだろうなぁと思いながら通過(笑)

 

相可の町の入り口だったのか 大常夜灯があります。

高さ5.5メートルでこの街道で最大級なんだとか

江戸時代にこの地の大庄屋の主が 

後世まで献灯するように遺言で残したんだとか

 

相可の町の中心近くに なぜかバヌアツの成人式で使われる

バンジージャンプの塔のような魔訶不可思議な建造物を発見

近くまで行ってみたけど私有地の中だったので

頭を傾げながら通り過ぎてしまいましたが

な~んかスッキリしない気分

 

そのうちもういっぺん行って持ち主に聞いてこようと思います。

 

そんな相可の町にある県立相可高校のところにあるのが

この千鳥ケ瀬・西行歌碑

西行法師が伊勢参拝の途中で千鳥の鳴く声を読んだ歌碑なんだとか

この碑のある相可高校

なんだか高校の全国料理大会でグランプリをとってる有名な学校なんだって

 

知らんかった~!

というか、知ったからなんやねんとも思ったかな

 

こちらは相可の道標

昔から街道のおおきな宿場町だったんだろうね

 

相可の町を過ぎると

また田んぼや小さな丘をある道に戻り

寂しさを感じていると

水分社がありました。

 

昔は多くの旅人がここで喉の渇きを癒したんだろうなぁ

なによりも鳥居が伊勢式なので 

ようやく伊勢に入ったんだなぁとホッとしたんじゃないかなと 勝手に想像(笑)

 

※伊勢式(神明造り)の鳥居とは、最上部が”笠木”一本で”島木”がなく

笠木、島木いずれも円形のものを使用することが多いんだそうです。

(笠木の下の貫も両側に飛び出さず楔も、額束もない)

 

 

こちらは池上という集落にあった

薬種商の看板

 

そして珍しい石段のある常夜灯 天保15年(1844年)のものだそうです。

 

こんかいの伊勢本街道歩きはここまで

公共交通機関での旅のため 街道から外れてJR紀勢線と参宮線の分岐点

多気駅に出てログを止めました。

 

アプリによる 柿野から多気までの記録

 

いや~ いいですよ~歴史街道歩き

面白くて病みつきになりそうです

 


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