Be Natural

気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

体調絶不調からの復活を願って矢田丘陵で猪の痕跡探し

2023-02-27 19:56:34 | 山歩き&ハイキング

2月7日午後 出張先の倉敷(水島)で”つぼ八”を発見して

頭の中が若鶏の半身揚げにいっぱいになってしまい

 

山陽道・中国道・阪神高速をぶっ飛ばして奈良に戻り

そのまま電車で難波に出て

心斎橋か堺市駅前のつぼ八に行くつもりだったのに

やはり仕事と運転の疲れがどっと出て断念

 

その後苦手な季節の変わり目もあって

ずっと手足が異常に冷たくなったり心拍数が不安定になったりと

たぶん自律神経の失調から体調不良が続き

 

それでも18・19日と

約束していた名古屋港での仕事を無理やりやっつけたりしてたのですが

戻ってきたらまたまた絶不調

 

24日の夜には約5年ぶりに20年来のフィンランド人の友人と

大阪で飲む約束をしていたため

このままじゃあマズイと天皇誕生日に

鈍った身体に喝を入れようと

 

慣れた暗越え街道で生駒山に登るか大阪まで歩こうと決意

その時のご報告記事を書かせていただきました。

 

2月23日祝日天皇誕生日

家を出て霊山寺の裏手から暗越え街道に向かって坂を登るも

すぐに息切れしてしまい

何度も立ち止まっては息を整えることとなりましたが

なんとか追分梅林を眺められる地点まで登ったところ

↑ ココは

数年前にできたなんの変哲もない空き地にできた”OIWAKE PARK”なるキャンプ場

運よくキャンプブームの波に乗っていつも数張りのテントがあるのですが

第二阪奈道路を走る車の音やショッピングタウンのネオンが眩しいようなところなのに

いつも予約でいっぱいなんだとか

信じられへんと思いながら通過

 

その後酷道308号線を歩いていたところ

猪が破ったフェンスが目に入り

そう言えばウチの竹林にはまったく気配がなくなっちゃったけど

猪ちゃんと生き残ってるのかな? と気になり

 

ところどころで目についた獣が歩いたらしき形跡があるものの

猪らしき足跡がみつからず

たんなる生駒山越えを目指すより

矢田丘陵に猪が棲息しているか調査しようと

いつもながらの突然の思いつきで目的変更

 

榁の木峠から矢田丘陵縦走路に入り

矢田山遊びの森を過ぎた辺りで

ミミズを探した形跡を発見

登山道に沿ってミミズのいそうな場所を掘り起こしてて

枯葉の様子からウリ坊くらいの子猪みたい

視界のひらけた場所から生駒山を眺めながら

よしよし これは成果があったなぁと気分も上々

 

ヌタ場にはあまり暴れた形跡がなく

ミミズを求めて掘り起こした地面からもやっぱり子供しかいないみたい

大きな猪なら身体についたダニを落とすために

ヌタ場で寝転がってその泥を木の幹に擦りつけた跡があるのですが

 

目につくのは枯葉を掘り起こした跡ばかり

斜面を駆け上がったり駆け下りたりした場所には

爪と蹴爪もみつかり

間違いなく猪だと確信できました~

その後、池に鴨がいないかなぁと覗いてみたのですが

どの池にもみつからず

トレッキングする人も多いし

もしかしたら銃禁なのに空気銃で違法な猟をしている不届き者がいて

それを嫌って夕暮れまでどこかに逃げてるのかもと勝手に推察

いずれにしても猪が棲息している痕跡がみつかったので

大嫌いな松尾寺(厄除けをネタに脅すように祈祷を迫る強欲寺なので)を避けて

周回ルートで家まで戻ろうと下山開始

矢田寺までの道にも猪の痕跡だらけで安心しちゃいました

矢田寺からは

饒速日とその妻で長髄彦の妹、御炊屋姫を祭神とする

矢田坐久志玉比古神社(矢落神社)に参拝して

 

以前は半分馬鹿にしながら眺めてた邪馬台国想定地跡を歩くことに

たぶん古代史に興味のない方には全く知られていないと思いますが

つい最近、わが集落にある富雄丸山古墳から

日本最大の蛇行剣や前例のない銅鏡が発掘されて

 

魏志倭人伝に書かれている鉄を精製する技術があったとすると

ヤマト王権時代の権力者の墓だったのでは?と想像してしまい

いつもながら、勝手に想像をたくましくしちゃいました

 

そこから我が家に向かう道中には

去年まで悩まされていた猪の罠だらけ

ここは大和郡山市と奈良市の境で

猪が浸入してこないよう

こんな仕掛けがしてありました。

(与那国島で観た馬や牛が住居地に入れないようにしてあったテキサスゲートみたい)

 

ということで、この日は14キロ、二万歩超えを達成できて

すっかり元気を取り戻すことができちゃいました

 

もう高齢者になっちゃったし、このまま老いてくのかなぁ

と悲しい気分もすっかり払拭

 

みなさんも もし歳とっちゃったかなぁ~なんて思うことがあったら

是非一度心肺機能や全身の筋肉に負荷をかけtれ

是非とも健康体を維持してくださいね。

 

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現実逃避は”雪山登山”(洞川清浄大橋から洞辻茶屋ピストン)

2023-01-11 17:50:27 | 山歩き&ハイキング
2023年1月7日
とうとう65歳となってしまいました。。。
 
数年前から年金関係の書類が送られてくるようになり
いろいろ勉強して繰り下げはしない方が良いと決め
誕生日の前日に請求書を提出したこともあって
 
『そっかぁ、年金がいただける歳=前期高齢者になっちゃったんだ
と実感
 
 
翌日、毎年誕生日恒例の七草粥を食べながら

『高齢者の単独行で雪山登山に出掛けて遭難したんだって、オジイチャン無謀なことするなよなぁ
なんて言われたらヤダなぁと思いつつ
 
「なんの、まだまだ雪山くらいシャカシャカと登れるさ
と、現実逃避を兼ねて
天気予報を調べ、雪がしっかり積もってるだろうと
修験道の聖地、奥駆道の大峰山(山上ケ岳)を目指すことにしました
 
07:15愛車のジムニーで自宅を出発
08:50天川村川合は雪があまり残っていなかったものの

それより標高の高い洞川なら期待できるかも
と洞川温泉を過ぎたら この状態
稲村が岳の登山口でもある母公堂の手前から 
ラジアルタイヤでも空転や氷にハンドルを取られたため
4WDにしてなんとか凌ぎ
大峰山(山上ケ岳)の洞川からの登山口”清浄大橋”に到達
 
突然雪山行を決めたため、登山届を準備しておらず
無茶せずに危なく感じたら撤退しようと出発することにしました。



09:35 Patagoniaのレインウエアの上下に
スパッツとアイゼンを装着
 
もしかしたらラッセルするような場所もあるかもと
スノーシューとピッケルも準備

09:48 女人結界門通過
登山道はしっかり踏み跡があり
嬉しいような残念なような

10:04 標高1,000mの一ノ世茶屋(跡)に到着
無事に雪山を歩けますようにと般若心経を唱え
『今年も運動不足で亀足だなぁ』と反省しつつ
 
次の目標である一本松茶屋を目指し
途中凍った沢を眺め
狭いながらもしっかり踏み跡の残るトラバースを慎重に歩き

10:45 一本松茶屋到着
 
実は、登り始めてすぐに
右の登山靴の紐が緩んでいることに気づいていたため
茶屋の中で紐を締め直しながら小休止
そこから先はしっかりと雪山の様相で
木の幹の雪から吹雪かれたら真正面から風を受けるんだろうなぁ
と気を引き締めました。


11:45 お助け水(標高1300m)到着

当然のことながら すっかり凍結してるのと
身体を冷やしたくないので 般若心経を唱えて すぐに出発





12:07 洞川からの登山道との合流地点&二少年遭難碑で再び般若心経を読経
帰路は洞川に抜けようかな?と簡単に考えていましたが
踏み跡がまったくなく 
スノーシューでもトラバースとかあったら壺足でラッセル必至かもと諦めました
 
この辺りから雪質がパウダースノーに変わり
アイゼンが効かなくなったものの 
コルの近くで危なそうなトラバースもなくホッと胸を撫で下ろしました
太陽の陽射しと青空が見え始め
実は二少年遭難碑辺りから運動不足と水分補給ミスで大腿四頭筋が痙攣してたのですが
もうすぐに稜線だなと気分爽快に
 
12:28 清浄大橋を出発してから2時間40分で奥駆道の洞辻に到着(標高1,484m)
不動明王にご真言を7回唱え
 
お昼時を過ぎてお腹がペコペコだったので
急いで洞辻茶屋に駆け込みました


幸いにも、茶屋の中は雪もあまり吹き込んでおらず
乾いた場所でゆっくりと昼食準備(この日の気温はー8℃)
特に冬山では定番の サッポロ一番 味噌ラーメン
先にコーヒーを入れておいたのですが
シェラカップなのですぐに冷えてしまいました
 
それでも熱々のラーメンは美味しかったですよ~
 
食事を終えたのが丁度13:00
ここから大峯山寺のある山上ケ岳まで標高差約200m、距離は2キロほどなのですが
このペースでは大峯山寺(山上ケ岳)に到着できるのはヘタしたら午後3時
もしものためにヘッデンも持参してるけど
登山届も出してないし無謀なことはやめようと
とりあえずザックをデポしてスノーシューで陀羅尼助茶屋まで
と思っていたのですが

やはり無理は禁物だなと
この日の登山はここまでとしました。



13:05 山上ケ岳に向かって般若心経を唱え下山開始
(写真中央少し右の最高点が山上ケ岳、左に西の覗き、鐘掛岩の行場があります)




14:52 女人結界門到着



15:00 清浄大橋前に停めた車に戻り
 
 
15:25 洞川温泉センター(村営日帰り温泉)到着 
16:30 普段、下山後に立ち寄ると多くの利用者で洗い場も浴槽も汗臭いのですが
この日はほとんど利用者がいなかった様子で、ほぼさら湯
登山後の温泉があまりにも気持ちよく
更に露天風呂(屋根付き)に浸かりながら降る雪を眺めていたら
あっと言う間に1時間が経過しちゃってました

コロナで休憩室は使えませんでしたが ほぼ貸し切りで気持ち良かった~

16:35 洞川温泉センター出発
 
誕生日だったので、家では猪肉のすき焼きを準備してくれてたのですが
お昼がラーメンだけだったので ハラペコ
ついつい途中でスーパーマーケットに立ち寄って
お刺身にトンカツに天ぷらの盛り合わせを買って
すっかり暗くなった夜道をぶっ飛ばし
19:00前に帰宅となりました
 
いつものことながら
登山口から出発してしばらくして
トラックを記録するのを忘れているの気づくため
距離と時間は短くなっちゃっていますが
こんな感じの行程でした。





 
踵の皮がベロリと剥けてしまったため
まだヒリヒリで靴を履くのに難儀しているのですが
 
この山行きで鈍った身体に喝を入れることができたため
今季のうちにもう一度大峰山系に登りたいなぁと
連休明けからずっとウズウズしっぱなし(笑)
 
さて、どうなるかなぁ~
 
 
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意地になって体力作り中 【自宅から歩いて生駒山上へ】

2020-03-03 14:53:32 | 山歩き&ハイキング

Covid-19の影響でますますジムに行けない状況となってしまったものの

 
今週末からの出稼ぎ予定に変更の兆しがないため、時差ボケと赤道近くへの移動で体調を崩さないようにと
 
先の週末は、新しいルートで生駒山を歩いてきました
 
 







まずは、いつもの裏山(矢田丘陵)や
伊勢本街道(暗越奈良街道)の闇夜燈とは反対の
富雄川から出発
 
火の見櫓のある消防団の建物の前を曲がり
 
富雄川を上流に向けて歩くと
 
まあ、この辺りではランドマーク的存在のお寺が出てきて
 
一応、天平8年に行基が開山したと言ってる古刹らしいんだけど・・・
〔国宝の本堂とか、奥にある十六社神社は、まあそれなり〕
 
まあ、周辺になにもないところだから喫茶軽食店は許せるとして
 
数年前に廃業したけどタクシー会社経営したり
たぶん坊主(住職)の練習用に作ったゴルフ練習場(打ちっぱなし)に
客寄せに作ったローズティとかケーキを出すバラ園があって
嘘かホントかわからん薬師の湯とかって温泉まで
 
バブルの頃から、宿坊を使って懐石料理を売りにして
住職の車といえば、とっても趣味のいいゴールドのベンツ 
 
これら↑はほんの一例で
総純金箔貼りの黄金殿やらプラチナ箔を貼った白金殿に
その他もろもろ怪しげな施設のオンパレード
 
そんな生臭さ半端ないお寺なので 実は大嫌い(言っちゃったヨ

罰が当たれ!と思ってるけど、
京都仏教会といい奈良仏教会といい 入山料とって大儲けしてるのに
なかなか罰が当たらんのだなこれが
 
まあ、やっぱ神も仏もいなんでしょうね 現実には
 
 
そんなお寺を後にして先に進むと
30年ほど前にできた近畿大学に通じてる道に出て
 
矢田丘陵の側面を切り拓いて
大阪の帝塚山の高級住宅のイメージで名付けた住宅地と
近鉄の学園前の名前の由来である帝塚山学園の大学のキャンパスを過ぎると
矢田丘陵を越えて生駒市に
(中央下に見える鉄塔がある山が目指す生駒山)

生駒山の奈良側には、宝山寺と山上遊園地へのケーブルカーに
門前町や 宝山寺門前の花街に 一般住宅や公共施設に 最近はやりの高齢者向け施設
それと昔別荘地として開発したその名も軽井沢町って一角があるんですヨ
 
こちらは、生駒で一番お気に入りの民家
我が家もそこそこ似たようなつくりですが
土塀も母屋も蔵も漆喰もまだ新しい感じで羨ましい限り
『只者の家じゃあないなぁ』と思いながらいつも眺めてます。
(もしかのもしかしたら、バイパスが通った時にできた立ち退き御殿かなぁ

そして菜畑から湯船というところ(緑ヶ丘住宅)を抜けたところにあるのが
このおばけ燈籠
この燈籠が生駒聖天さんの宝山寺への旧参道
標高およそ150m (時刻は15:20)



近鉄奈良線とケーブル線の生駒駅からの表参道と比べると
ほぼ誰もいないし、狭くて急傾斜なんだけど 
 
その方が気楽でいい感じです
 
5丁地点 15:35




 

標高270mで 門前町の参道と合流 15:40

おっと いまも営業してるみたい
女町エレジーの世界

宝山寺へ参拝する人のほとんどが使うケーブルカーの宝山寺駅も
この下の”観光生駒”のネオン看板から階段をのぼらないといけないんですよ

そしてこちらが宝山寺の入り口前の燈籠 15:43

今回は、生駒山上にのぼるため ここから脇道に入ります

 標高400mほどにあるケーブルカーの梅屋敷駅を越えて
しばらくケーブルカー沿いの直線をのぼると 15:52


九十九折となって霞ヶ丘駅を過ぎると 標高約500m
 
 
そうこうしてると ケーブルカーの終点 標高約600mの生駒山上へ  16:23
 
大好きな飛行塔な眺めて
生駒山 標高642mの三角点 16:26

航空灯台跡から尾根ルート 16:35
 
パノラマ展望台に到着16:44











標高455mの暗峠の石畳に到着 17:04
こうしてみると この奈良と大阪の県境地点、結構傾斜あるんだなぁとビックリ
 
 
こちらは大阪府東大阪市側
この先を少し下ると 最大傾斜37%の急こう配のS字カーブ
 標高約25mの枚岡駅まで 高低差430m 距離約2.8キロの劇下りで
徒歩で下ったら 太腿はパンパン、つま先は激痛

つい 半月ほど前に 標高645mの生駒山上から標高12mの石切さんまで
下ったとこだったので 今回は奈良側に逃げました
この道は、いつも上りで使うので 
峠を目の前にして 気が急いてしまって
ゆっくり回りを眺めてないのに気づいちゃいました
 
万葉歌碑や摩崖仏もあるのを発見











当初は、出発地点の家までぐるっと回ってくるつもりでしたが
スタートが遅かったこともあって 竜田川を越えたら18:00ちょうど
 
標高455mの暗峠から 標高122mの南生駒まで標高差333m(ほぼ東京タワーと同じ)
4.5キロの道のりを55分で下りました
 
猪だらけで、民家も少なく外灯のない酷道を
ヘッデン(ヘッドランプ)なしで歩くのはキツイなぁと
南生駒駅から電車に乗っちゃいました
 
そんなわけで
この日の南生駒までが 14.7km 4時間20分のウォーキングとなりました
 
さて、出発まで残すところあと3日
もう少し体力作りしたいところですが
 
さてどうなるでしょうか
 
 
 
 
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歴史探訪トレッキング 日本現存最古の道:山の辺の道 春日山~石上神宮 【編集中】

2020-02-28 18:25:59 | 山歩き&ハイキング

このところ、ニュースといえば

新型コロナウイルスのことばかり

 

欧州でも リゾートのホテルで感染者がみつかったからと

クルーズ船並みに宿泊客他約1,000人を隔離状態

 

もう航空券買っちゃったし

とりあえず飛行機に乗るつもりだけど

 

トランジットの空港で入国してもらえなかったりしたらどないしょ

なんとか現地にたどり着けても

発熱でもして隔離されたら・・・

 

と不安は尽きませんが

まあ、なるようにしかならんので

『あとは運を天に任せて、基礎体力をつけとこ

ってことで、またまた20キロほど歩いてきました 

 

FBで最近の歴史街道歩きのことを記事に載せたら

SNS友も連れてってことなので

 

伊勢本街道の天理から先か

飛鳥時代の勉強に明日香周辺にお連れしようかなってことで

とりあえずこの日は”山の辺の道”の北コースを選択

 

恐る恐る電車に乗って近鉄奈良駅に到着

平日とはいえ、朝の10時半頃のこと

こんなガラガラの行基菩薩噴水前見たことないです。

 

20年前に起業した時に

奈良公園の入り口のオフィステナントビルに事務所を構えてて

このあたりはホント庭のような場所だったので

365日、24時間の状態を知り尽くしているんだけど

 

なんか、以前の夜7時以降って感じ

近鉄奈良駅前って夜7時過ぎると観光客もいないので

駅周辺の商店街もシャッターを下ろしてガラーンとしてたんです。

 

猿沢の池の畔には主に小学生の修学旅行用の旅館がたくさんあって

子供向けの土産物屋さんくらいかな人気があったのは

それも旅館で夕食を食べたあとの1時間程度だけ

 

 

そんなコトを思い出しながら歩いていると

県文化会館前の鹿せんべい売り場に

卒業旅行風の男子数人のグループがいたけど

見渡す限りガラッガラ

新型コロナウイルスの注意書き

(日本語・英語・中国語・韓国語)

があったけど、なんせ人がいない

春日大社の一の鳥居も

まるで閉門した後の夜中並み

 

まあ、おかげでマスクもせずに気楽に歩けたんですけどね

 

ココは奈良市の小中学校がお休みになるほどのお祭り

春日若宮のおん祭りで使われる場所

久しぶりに旧奈良県物産陳列所の建物をジックリ眺めたりして

鹿も、ここしばらく観光客が激増して鹿煎餅も飽食気味だったのが

いまは断食状態

 

日中にこんな静寂の中を歩くことなんてなかったから

なんか別世界って感じでしたヨ

そうそう

ところが 縁結びのところには

若い女子が何人か居てビックリ

 

いまどきの草食男子のことはよー知らんけど

自分が若い頃で、彼女がいなかったら

GF探しにぜったい行ってただろうな

 

息子たちGFいないみたいだから教えとこっと(笑)

(京都の清水寺も縁結びで大人気だけど、ここは穴場ですよぉ

 

で、本日は花金なので

のんびり酒飲みに行きたいので

 

いまはとりあえずここまで

 

あとは写真貼り付けて仮投稿

また後日続きを書きますね

 

それじゃあまた

 

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昔の人は偉かった!【暗越奈良街道:山ノ上~伊勢本街道(天理街道):天理駅】

2020-02-27 18:26:45 | 山歩き&ハイキング

珍しくまたまた歩いてきたご報告なんですが

なんでまたそんなに頻繁に長距離歩きしてるのか

というと

 

実は、来週後半から欧州に出張する予定があって

現地で心配なく動き回れるように体力作りしとかないといけないのですが

新型コロナウイルスのおかげで、密閉空間で危険度Maxのジムに行くのも憚られ

かと言って 本格的な山歩きや雪山歩きして

怪我するわけにもいかず

 

半分仕方なく 近場を歩いているわけなんです。

 

ということで

今回も自宅から出発

 

ウチの集落、たぶん神武東征で神武天皇がくる前からの集落で

ほぼ霊山寺の境内に隣接した場所のためか

集落内に矢田山への道標があり

我が家の隣にある道標を出発点としました

 

先ほどの道標から50mほどのところに分岐点があるため また道標があり

(文字がシッカリしてるのでまだ新しい)

その先にある集落のお寺と村の鎮守の看板

そこを過ぎると いつもの闇夜燈があるんです。

↓これは闇夜燈から数百メートル先の砂茶屋橋からの眺め

こちらはその砂茶屋橋から眺めた生駒山(中央左側奥)

砂茶屋橋の由来は、この砂茶屋(地名)から

唯一残っている古民家が往時を偲ばせてくれます。

その先は 赤膚山といって 奈良で有名な赤膚焼きの窯元が集まっている集落

昔は、時々窯から立ち上った黒い煙を目にしていましたが

最近は環境なのか近所からの苦情でか

いまも薪窯を使っているのかわかりません。

 

こちらが奈良盆地手前の最後ののぼり坂

『熊が出る!』って、出るわきゃないだろ とついツッコミ

ツッコミ入れられるのを狙ってるのかも(笑)

この辺り、民家の林が道を覆っているのですが・・・(次に続く)

路線バスのおかげで 刈らなくてもトンネル状になってるんですヨ

 

ここから少し外れて裏道を歩いていたら

タイムリーな イベント中止のお知らせが

こちらはいまは廃墟となっている奈良県立奈良病院

その少し先にあるのが 宝来古墳(垂仁天皇陵)

垂仁天皇陵だと宮内庁がいっていますが 実際には誰の墳墓なのかわからないみたいです

手前にある小島が 垂仁天皇が崩御した時に

哀しんで後を追うようにして死んでいった

臣下の田島間守の墓といわれています。

 

んで、その宝来山古墳の隣に走ってるのが近鉄橿原線

そこを横切って

奈良盆地の奥に遠くに見えるのが若草山

 

高級住宅地の学園前の中心的存在の大渕池を水源とした秋篠川を渡って

(その名のとおり、秋篠寺の近くを通ってます)

都跡小学校の向かいにあるのが都跡村役場

奈良って、西部のほとんどが元は生駒郡で河内の影響を受けた土地柄

 

その生駒郡だった頃は、この平城京の一角で

薬師寺や唐招提寺のある西ノ京から、この尼辻までが都跡村だったそうです。

つい十年ほど前まで 木造瓦葺の渋い建物だったんだけど

味気ない建物に建て替えられちゃいました

 

その尼辻から三条通りを東にすすみ平城宮址を過ぎた一角に

なにやら完成間近な近代的な建物が・・・

某国営放送の奈良支局なんですヨ~

 

暴力団のみかじめ料のごとく 有無を言わせずに徴収した受信料で建てたのかと思うと

腹立たしくて軽蔑の眼差しを送って通り過ぎました

 

んで、次が奈良市の桜の名所のひとつ 佐保川

源流近くの大仏鉄道記念公園(JR奈良駅の北にある舟橋商店街の先)から大和郡山市まで

総延長8キロほどあって 桜吹雪の楽しめるムッチャいいところなので 

是非一度遊びに来てみてくださいネ

話が横道に逸れちゃったけど 

イベントホールの百年会館があって

JR奈良駅があって

観光客で賑わう三条通りを上っていって

高速餅つきの中谷堂を過ぎたところにあるのが

この奈良県里程元標

ほとんど誰にも知られていなけど

明治中期に奈良県が独立した際に定められた場所

(一時、奈良は堺県や大阪府の一部だったんですよ~

 

んでその元標の横の階段を上ったところが

興福寺の敷地

西国三十三か所観音霊場の第九番札所

興福寺 南円堂

御朱印を求める霊場巡りの人で賑わってます。

んで、その先にあるのが五重塔と東金堂

この五重塔、現存する五重塔としては京都の東寺に次ぐ2番目の高さ

明治の廃仏毀釈の時には、5円で売りに出されたものの

買い手がつかず残ったんだとか

5円って、焼いて溶けた銅を売った値段相当だったらしいですヨ

んで、こちらが典型的な猿沢池の風景

昼よりも夜ライトアップされた時の方がオススメ

その猿沢池から続いているのが 奈良町の今御門商店街

昔、この先にストリップのスターミュージックってのがあったんですよ~

 

ロシア人の友達が来日した時に連れていってあげたら

あまりのえげつなさにショックを受けてました

その奈良町の奥にあるのが

ここ25年ほど前から人気の観光地となった”ならまち”

国宝で世界遺産の元興寺の元境内にできた町で

30年前には寂れた寂しいところで

日本最古の商店街と言われる餅飯殿商店街に

近鉄奈良駅から続く東向、下御門商店街のあった奈良町の連中から

下にみられてたのが悔しくて

『奈良町は”ならまち”ではありません。』

って復讐してるみたい(笑)

そんな”ならまち”の寂しい民家に埋もれるようにあるのが”静観荘”

自分が観光客として奈良で泊まるんだったら

ぜったいココにするだろうな

そこから南にすすむと ↓こんな古いガソリンスタンドが

新しい消防法の基準が厳しくなって どんどん廃業してってるのに

ホンマに大丈夫なんやろか

 

 

こちらはこれまた古いタクシー会社の車庫

 

その先に最近建て替えられたJR桜井線の京終駅があります

古ぼけたローカル線の古い駅舎がとっても良かったのになぁ

 

この先からがいよいよ古い街道

とても古そうな民家をみつけて大喜び

この見事な七福神の瓦

奈良は”寝倒れ”(大阪の”食い倒れ”京都の”着倒れ”みたいな土地を表した表現)

とか”早起きは三文の徳”

(昔、家の前で鹿が死んでいると三文の罰金を払わないといけないので早起きして鹿の死骸をどけるため)

みたいに言われてるけど、それにもまして家にお金をかけるんですよぉ

その近くにあったのが 呉服屋さん

街道って感じが漂ってルンルン気分でした(オッサンやけど

 

田んぼを過ぎて少しゆくと

妊婦さんの腹帯で有名な”帯解寺”

いまの天皇の浩宮さんを懐妊した時もここの腹帯を使ったんですよ~

 

で、帯解寺が大繁盛してるのを見てうらやましくなったんだろうなぁ

こちらも由緒正しき古刹なのに

いまは安産と子安を売りにしてるみたい(爆)

 

この街道、トイレも休憩する場所もないのがたまにキズ

なので駅のベンチでトイレを使わせてもらいついでに休ませてもらいました。

帯解からどんどん南下すると

古そうな神社が登場

ここは楢神社といって

祭神が五十狹芹彦命(別名を吉備津彦命:桃太郎?)と何故か鬼子母神

まあ、細かな説明をしだすとキリがないので端折ってと

 

この辺り櫟本という土地で

昔から流通の要として栄えたところ

おぉーーーっと和珥坂下伝承地

豪族和珥氏のゆかりの地なんですヨ~

それに山の辺の道の道標まであるし

在原寺やら

まあ、歴史の宝庫なんですねぇ(説明はせんのかい

この辺りから古墳や史跡だらけで

街道歩きじゃあ勿体ないところ

 

とはいえヘトヘトになってきてたので

どんどんこの日の終点に決めてた天理目指したまっしぐら

 

天理教の歴史を感じさせる施設や母屋(地方からの信者が泊まる施設)だらけ

そのうえ黒い法被の信者さんが目立ちだしたと思ったら

天理駅に到着~

この日のルートはこんな感じ↓

天理駅までの距離がピッタシ20キロ

まあ、こんなもんでしょ

足の裏は大きなマメが潰れてエライことになったけど

いっぱい歴史の勉強もできたし楽しくて、超気持よかったっす

 

 

【伊勢本街道歩きは まだまだ続く予定。(たぶん)】

 

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足馴らしトレッキング 【生駒山越えして石切さんまで】

2020-02-20 14:03:25 | 山歩き&ハイキング

わたくし、何故か冬になるとモゴモゴと動き出したくちゃうんです。

 

よくよく考えてみると

それなりの背景があって

 

①冬季は草刈りをしなくていいので時間が作りやすい

②冬の間は危険なヘビやスズメバチ、熊と遭遇することなく安心して歩ける

③正月に激太りしてしまうため運動不足でいることに不安を感じる

④寒いので汗でドロドロになることなく気持ちよく身体を動かすことができる

⑤石ころだらけの登山道より雪山のほうが歩きやすい

 

そんなこんなで 建国記念日の2月11日

朝起きてTVを観ながらボケボケするつもりだったのが

居間から見えた気持のいい青空に触発されて

気が付いたら登山靴を履いちゃってました(ホンマかいや)

 

この日は気力が充実してたので

平坦な道のりよりも そこそこ心肺機能が鍛えられるような歩きをしようと

いつもの暗越奈良街道を生駒方面に向かって出発

 

↓ いつものいま暮らしている集落の闇夜燈

国道308号線

 

最近、猪が出没するため檻が設置されるようになりました。

いつものとおり追分の本陣跡を通過し

矢田山遊びの森入り口付近にある警察犬訓練所を横目で眺めながら

 

いつものお地蔵さんに手を合わせて

足湯のところに出て

近鉄生駒線の踏切を渡って

汚い竜田川に鯉がいっぱい

国道168号線を横切って

 

藤尾の阿弥陀如来に手を合わせ

西畑の棚田に出て ホッと一息 小休止

毎年感心しながら眺めてる手入れの行き届いた畑の様子をうかがって

 

西畑の田んぼ用の貯水池の金魚をのぞきみて

(奈良市も生駒市も、大和郡山が近いので田んぼ用の貯水池にはたいがい金魚がいるんですヨ)

そうこうして暗峠に到着

今回は、ここから生駒山頂方向に

いつもの地蔵さんに手を合わせて

パノラマ展望台に到着

少し霞んでたけど、大阪が一望できて気持よかったです

 

パノラマ展望台を過ぎると生駒・信貴縦走路も緩やかになってもう山頂は目の前

久しぶりに鉄塔群のところに出たら・・・

自分の中では貴重な昭和遺産と大好きだった 航空灯台がなくなっちゃってましたぁ

大ショック

生駒山、標高650mにも満たない低山なのに

いっつも行方不明者の張り紙があるんですヨ~

怖っ!!!

生駒山上遊園地

いつ頃からだったか入場料がいらなくなって

冬季休業の季節営業になっちゃいましたけど

 

奈良では近鉄系のあやめ池遊園地もなくなっちゃったし

奈良ドリームランドもなくなって

唯一残ったアミューズメントパーク

 

幼児や小学校低学年向けのアトラクションがいっぱい残ってて

いい感じなんです

こちらは日本最古の飛行塔

これがまたなんともいえないんだなぁ

昔は絶叫系もいくつかあったんだけど

いまはほんと幼児向けばっかし

阪神方面から遠く淡路島まで見渡せて行楽向けに超オススメ

特に夏場は夜景と下界よりほんの少し涼しいのが売り

良かったらまた遊びに来てみてくださいネ

その生駒山上から下る遊歩道があるんだけど

いまは土砂崩れで通行止めになってる様子

 

壊されてるところから無理して通行できるかもと思いましたが

無謀な行動でケガしても馬鹿らしいので

別ルートで下山(実はほんのすぐ近くに石段とクサリのルートがあるんです)

 

そうして大阪府のぬかた園地まで下りたところ

やはり通行止めのロープが張ってあり、別の行方不明者の張り紙があって・・・

 

実は、ここまでの間で

そこそこ年齢のいってるピンクのウエアに赤いザックの山ガールと擦れ違ったんだけど

挨拶しようと思ったら、シリアスな顔して無視された人の特徴が

行方不明者の服装と似てて 背筋が凍りそうでした

気分を取り直して 辻子谷ルートを進み

大好きな興法寺に到着

このお寺

ポツンと一軒家に応募しようかと思うような山の中にある古刹で

前回訪れた2011年の時に、お寺を守ってた住職のお母さん(当時80歳半ばくらい)にお会いして

どうやって暮らしてるんだろうと思ってたら

 

その後探偵ナイトスクープで

”生駒山中に謎の婦人?!”とのタイトルで

依頼を受けて調査した内容がその答えで 

笑っちゃいました

(答えは、このあとの写真にあります

 

なんせ大好きな役行者所縁のお寺なので

ここも超オススメです

 

 

この生駒山

なんせいたるところに霊場だらけで

滝行の聖地や 

在日韓国朝鮮系の人たちが開いたシャーマンの寺院もいっぱいなんだけど

もう信者もいなくなっちゃったのか

いまは ほとんどが使われている形跡なく廃墟だらけ

 

薄気味悪いだけならいいんだけど

変なのに取り憑かれちゃわないかなぁ

と気持ち悪くなっちゃうのが玉に瑕です。

 

興法寺の地蔵堂のある辺り↓

そこそこ下ってきているのですが ここらも猪だらけ

 

この辺りから民家が現れてきます。

この辻子谷も昔は水車を使って臼で薬草を粉末にしていたようで

いまも製薬会社があって 漢方薬の匂いがするんです

 

この辺りも 怪しげな新興宗教の建物がいくつかあるんだけど

ほとんど老朽化して廃墟になってます。

 

その近くに祈願したことが叶った人が奉納する亀の瀬戸物があるお礼池のある

石切劔箭神社の上之社があるのですが

この日は、まだ忌中だったので素通り

2011年の記事でもご紹介している爪切り地蔵に到着

 

近鉄奈良線の石切駅近くになる古民家

廃墟となって朽ちてきちゃってます。。。

 

レトロ好きで、古いものに価値を認める人間なので

勿体ないなぁ。どうにかならないのかなぁ。と寂しくみつめちゃいました。

 

宝くじが当たったら買い取って修復するぞぉ~

(ところがそんなところが全国津々浦々にあるから大変

 

そうこうしてたら石切さんの参道に到着

実は、以前TVの新日本風土記で観た 

ヨモギの天ぷらを出すお店に行ってみようと思ったのが

今回のルートを選んだキッカケ

 

大阪のTVでよくこの参道でオバチャンにインタビューしてるのを観てて

どんなトコなのか一度行ってみようかな?とも思いつつ

石切さん=デンボ(おでき)の神様と聞いてたので

別にオデキもないしなぁ。。。と、

 

関西に暮らすようになって30年になるし

近鉄の株主優待パス使えるからいつでもタダで行けるのに

そこまで魅力を感じなかったのですが

 

ヨモギの天ぷらで行くことを決意しちゃったってわけ(笑)

 

生駒山も怪しげな宗教施設だらけだし

石切さんも怪しげな占いだらけで

胡散臭いなぁと思いつつ、ヨモギのお店探し

最初に目に入ったのが

”よもぎ餅”で 『こことはちゃうやん』と 少し先に行くと

”よもぎそば”と”よもぎうどん”の看板をみつけ

『テレビのは天ぷらだったよなぁ』と思いつつ

実は、もう午後三時で朝から何も食べてなくてハラペコだったので

『ま、いいか』とこの店に入っちゃいました

ヨモギを練りこんだ麺(うどん)だったんだけど

ユズの香りが強くて ヨモギを感じられなかったけど

関西らしく昆布とカツオのと出汁がとっても美味しかったで~す

(でもエビはむっちゃしょぼかったし、ただの空腹は最高の調味料だけだったのかも

天ぷら(ヨモギ)うどん ¥1,000也 (高っか

 

なんとかお腹を満たして満足して足を進めると・・・

ドッヒャ~ よもぎの天ぷらお店すぐ横やったんかぁ とビックリ

 

残念と思ったら悔しいので

『改めてまたおいで』ってことやんな といつものように自分にいいように解釈

 

だんだん道幅が狭くなってきて

呼び込みも賑やかになってきたなぁっと思ったら

 

石切劔箭神社(下之社)に到着しちゃいました

ここ、お百度で有名な神社と聞いてたとおり

この日は休日とあって お百度の人もいっぱい

 

忌中でまたまた鳥居をくぐれないので

遠目に眺めながら神社を後にしてみると

山門の大きな劔に気づいて

『どうでもいいけど、どんな神様なんだろ?』

『今日は鳥居をくぐれないから家に帰ってからゆっくり調べよっと』

と、トレッキングはここまでにして 

新石切駅から電車とバスに乗って家へ

この日の石切神社までの歩行距離が15.1キロ

歩行時間が約5時間半

足馴らしにはちょうどいい感じで大満足しました

 

 

【エピローグ】

家に帰ってから石切劔箭神社のことを調べてビックリ仰天!

また別の記事にしてご紹介させていただきますネ 

 

 

 

 

 

 

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昔の人は偉かった! 【伊勢本街道:柿野~多気】

2020-02-19 17:43:27 | 山歩き&ハイキング

前回の伊勢本街道【伊勢奥津~柿野】を歩いた1月9日から約一月後の2月12日

 

柿野からの続きで多気まで歩いてきました

 

5時起きして朝ごはんを食べて朝風呂に入って身支度を整えて 

で事務所の駐車場まで行ってからバスで最寄り駅へ

 

そこから普通電車で大和西大寺に出て

京都からの特急電車に乗り換えて大和八木駅で賢島行の特急に乗り換えて・・・

松阪からは三重交通のバスで 柿野まで

この柿野のある深野は 三重県松阪市飯南町(市町村合併前は飯南郡)にあり

つい先日の2月9日放送のナニコレ珍百景に出ててビックリ

1月に歩いた時の↓このネコで気づきました(笑)

 

と、いつものように話が横道にそれちゃいましたが

 

バス停の横を流れる櫛田川は

三重県中部の中央構造線沿いを西から東に流れ伊勢湾に注ぐ一級河川で

奈良県との県境の高見山(霧氷で有名な山)に源を発し

 

倭姫命が天照大神の鎮座地を求めて諸国を巡行する際

この地で櫛を落とされたことからの由来なんだとか

 

そんな櫛田川を眺めながら東に進む

ここにも大きなお寺が

人口割合からしたらお寺の数や大きさに驚かされるんだけど

昔の人は信心深かったんでしょうね

 

いまの川沿いの道に平行している旧道には古い商家が並び

この地が街道で栄えていたんだなぁと実感させられました

 

そうそう、ココは松坂牛の発祥の地でもあるんですヨ

 

 

そしてこの道標で気づかされたんだけど

深野は、北からの伊勢本街道と西からの和歌山街道が合流する地点

昔はさぞかし賑わってたんだろうなぁ

 

実は、今回のルート

峠越えもない平坦な行程で いまじゃあ舗装道路ばっかしだし

あまり面白くはないだろうなと思ってたのに

 

実際に歩いてみると

何気ない景色の中に歴史がいっぱい詰まってて

勉強なることばっかし

天候に恵まれたこともあって 景勝地をゆっくりと眺める余裕もあって良かったですよ~

ここは、大石(おいし)という集落にある不動院というなかなかの古刹

境内の横に夫婦滝があったり 

天然記念物のムカデラン群落もあって

このお寺を目的地にしても十分楽しませてくれそうでした

 

不動院を過ぎて少しすると 大石神社があるんだけど

急傾斜の山肌の巨石が落ちないように工事されててビックリ

 

櫛田川沿いの狭い道路に面したところなので

最近の異常気象で大雨でも降って山崩れを起こし

幹線道路が遮断されないようにしてるんだろうなと一人勝手に頷いてました(笑)

道標に従って旧道方向に歩いてゆくと・・・

 

11:55ごろに食堂らしきノボリを発見

実はこの日、ほとんど舗装路ばっかりだし

適当に飲料水の自販機や、コンビニや食堂があるだろうとタカをくくってたら

 

なんだかどんどん寂しくなってきて

ちょっと焦ったところだったので、このノボリを見つけてホッとさせられました。

なにやら民家を改装して コジャレタ雰囲気

お店の方に伺ったところ

伊勢志摩の方が わざわざ山奥の古い敷地の民家を丸ごと購入して 

改装して商売をはじめられたんだとか

こんな山の中でどうして てこね寿司?って思っていた謎がとけました

とにかくすべて手料理でとっても美味しかったですよぉ

平日の昼なのに 年配のご婦人方のランチで大繁盛してました

 

この食堂の真横が 

なんと伊勢本街道の難所のひとつ ”津留の渡し"

 

いまでこそ上流にダムがあって水量が制限されているけど

昔は上流で雨でも降ったら 氾濫して大変だったみたいです。

 

そんな津留の集落を過ぎて 単調な道をダラダラ歩いていたところ

 

オォーーーーーーーーッ!!!

 

懐かしの国際秘宝館の看板を発見

1972年になぜか ド田舎の玉城町にできた元祖国際秘宝館の看板

 

その後、鳥羽にもできたし、

全国の主に団体バスツアーで訪れるような観光地に

雨後の筍のようにできたみたいだけど、

時代の流れで来場者もいなくなりほとんど廃館しちゃったみたいですね

 

結局一度も入ったことなかったなぁ

 

 

と、またまた伊勢本街道とはぜんぜん関係ない話題に大脱線

 

さて、街道の続きに戻しますね 

 

こちらは、街道沿いにある”仏足跡碑”

天明五年(1785年)に櫛田川対岸の永正寺の名僧によって建てられた

仏足跡(お釈迦さんの足跡)のことで、

仏教が広まった頃に仏像のかわりにこれを拝んだそうです。

地元では足神と呼ばれていたもので

街道を旅した人たちはここを通るときに

この足神にわらじを奉納して旅の安全と祈願したんだとか

 

また少し先にゆくと

丹生大師道の道標がありました。

 

丹生大師とは、正式名称”神宮寺”のことで

真言宗山階派の寺院で女人高野山丹生山神宮寺成就院と号するんだとか

 

高野山は女人禁制だったから いくつかありますよね。

奈良の室生寺も女人高野と呼ばれてたお寺だし

いまも女人禁制の大峰山の近くにも

女人大峯の稲村が岳の大日山があります。

 

この先からは平坦な見通しのいい道が続きますが

そこにあるのが”伊勢三郎の物見の松とイボ地蔵”

 

伊勢三郎とは、武蔵坊弁慶と並ぶ(源)義経四天王の一人で

最初に義経が会ったときは、鈴鹿山の山賊頭領だったんだって!

(伊賀の忍者でもあったそうです。)

義経が頼朝に追われていた時、

頼朝の軍勢が攻めてくるのをこの松にのぼって主君を守ったんだとか・・・

最期はこの伊勢で鎌倉の守護と激闘を演じた末に敗れて自刃し、

その首は京都で晒されたんだとか。。。

 

その先にあるのが 歯痛地蔵

歯医者のいなかった時代

地蔵さんに祈るしかなかったんだろうなぁと思いながら通過(笑)

 

相可の町の入り口だったのか 大常夜灯があります。

高さ5.5メートルでこの街道で最大級なんだとか

江戸時代にこの地の大庄屋の主が 

後世まで献灯するように遺言で残したんだとか

 

相可の町の中心近くに なぜかバヌアツの成人式で使われる

バンジージャンプの塔のような魔訶不可思議な建造物を発見

近くまで行ってみたけど私有地の中だったので

頭を傾げながら通り過ぎてしまいましたが

な~んかスッキリしない気分

 

そのうちもういっぺん行って持ち主に聞いてこようと思います。

 

そんな相可の町にある県立相可高校のところにあるのが

この千鳥ケ瀬・西行歌碑

西行法師が伊勢参拝の途中で千鳥の鳴く声を読んだ歌碑なんだとか

この碑のある相可高校

なんだか高校の全国料理大会でグランプリをとってる有名な学校なんだって

 

知らんかった~!

というか、知ったからなんやねんとも思ったかな

 

こちらは相可の道標

昔から街道のおおきな宿場町だったんだろうね

 

相可の町を過ぎると

また田んぼや小さな丘をある道に戻り

寂しさを感じていると

水分社がありました。

 

昔は多くの旅人がここで喉の渇きを癒したんだろうなぁ

なによりも鳥居が伊勢式なので 

ようやく伊勢に入ったんだなぁとホッとしたんじゃないかなと 勝手に想像(笑)

 

※伊勢式(神明造り)の鳥居とは、最上部が”笠木”一本で”島木”がなく

笠木、島木いずれも円形のものを使用することが多いんだそうです。

(笠木の下の貫も両側に飛び出さず楔も、額束もない)

 

 

こちらは池上という集落にあった

薬種商の看板

 

そして珍しい石段のある常夜灯 天保15年(1844年)のものだそうです。

 

こんかいの伊勢本街道歩きはここまで

公共交通機関での旅のため 街道から外れてJR紀勢線と参宮線の分岐点

多気駅に出てログを止めました。

 

アプリによる 柿野から多気までの記録

 

いや~ いいですよ~歴史街道歩き

面白くて病みつきになりそうです

 

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昔の人は偉かった!(暗越奈良街道編)

2020-02-17 18:09:07 | 山歩き&ハイキング

いま暮らしている家のある集落が

矢田丘陵の里山で

暗越奈良街道=伊勢本街道=国道308号線沿いにあることもあって

少し運動不足だなぁ~と感じると

 

特に準備をすることもなく身軽な格好で自宅を出発し

平城京(奈良市中心部)方面や

矢田丘陵の榁の木峠まで登ってから

北なら四条畷の境界近くまでを往復したり

南なら法隆寺まで歩いたり

 

暗峠方面から生駒山にのぼったり

 

電車で生駒まで行ってから

生駒山にのぼってから信貴山の朝護孫子寺まで縦走してから

近鉄生駒線の信貴山下に出て電車で帰ったりと

 

そんなエクササイズのためにと

特に気負いもせずに気楽に歩いているのですが

 

同じルートを何度も歩くのに飽きてしまい

 

それならボチボチと伊勢本街道でも踏破してみるか

と思ったのが 約2年前の2018年2月24日のこと

 

几帳面な人なら

起点の玉造(大阪環状線の玉造あたり)から歩き始めるのでしょうが

 

なんせいい加減な性格で 

特にこだわりを持たない南方系人間なので

『とりあえず大阪まで歩いていったろやんけ

 

と歩いた時の記録です。(なんのこっちゃ)

 

自宅を08:00丁度に出て

↓ 街道沿いにある闇夜燈から出発(な、なんとこれでも国道(笑))

ウチの集落は、街道沿いとはいっても

宿場ではないただの農家の集まった集落

反対の東側(平城京側)に砂茶屋という茶店のあった集落があります。

 

ウチの集落を上ったところにある

その名も追分

左側の白い建物は昔の本陣で有形文化財

数年前に土砂崩れの予防のために埋め戻しされてしまいましたが

いまの時期になると花見客で賑わっていた追分梅林の横を通過

追分の集落を抜けてしばらくすると三叉路があり

左に曲がると通称矢田山遊びの森という県立矢田自然公園で

この道より先は大和郡山市となるんですヨ

 

↓ココは矢田丘陵の遊歩道(縦走路)との交差点で

榁の木峠というところ

そこそこ古そうな地蔵菩薩立像があります

昔から街道をゆく人達を見守ってくれたのかな?

ここからの下りが この街道の矢田丘陵での最大傾斜地

では途中で一度止まると まず登れません

 

この矢田丘陵越え

木々に囲まれてほどんと景観のない寂しい道が続くのですが

榁の木峠を下り、車一台がやっと通れる箇所を過ぎた途端

生駒山が一望できるところに出て

ホッとするんですヨ~

この場所にあるのが歓喜の湯という足湯

車で来た人達で結構賑わってるんですよぉ~

無料だからだな(笑)

温泉の販売機もあるんですよ

 

足湯から下ったところが近鉄生駒線の南生駒駅付近

この踏切を渡って・・・

 

生駒から斑鳩まで南北に流れる竜田川を渡ると国道168号線

 

ここを過ぎると また古い街道の雰囲気の残る上り坂となります。

暗がり峠までの五合目付近にある 藤尾の阿弥陀如来

 

この阿弥陀如来を過ぎると西畑というところ

棚田で有名なところでしたが

いまはほとんどが休耕田となってしまい

ボランティアでなんとか草刈りしたり畑に貸し出したりして維持しています。

 

そんな中にある地鶏の平飼いファーム

結構いいお値段(生卵6ケ¥420 大和肉鶏 600g ¥2,000)なので

まだ買ったことなし

 

昔は、公共交通機関のない場所でしたが

高齢化がすすみ 買い物や病院への通院用に

コミュニティバスが運行されてるんですヨ

 

ありがたいですよねぇ

 

暗峠手前の景色のいい場所にあるカフェ

以前は、ハイキング客向けの茶店だったんだけど

おしゃれになったからかドライブに来たアベックだらけで

敷居が高くなっちゃいました。。。

 

この店の経営者

店の向かいにあるオタクの人で

TVの新日本風土記の”生駒山”の回でみたのを思い出し

『新日本風土記に出てましたよね?』って尋ねたら 

すっごい喜んでました(笑)

 

暗峠のほぼピーク地点にある

信貴生駒スカイラインの高架下トンネル

 

道が整備されて 

そこそこのサイズの車も登ってこられるようになりましたが

巾1.8mが限度

 

実は、整備される前の1990年頃

奈良から大阪に車で通勤していて

毎朝通勤ラッシュで大渋滞する阪奈道路を避けて

愛車のボルボ 745エステートワゴン(全長4790mm全幅1755mm)で

この暗峠越えしてた時期もあったんですヨ

トンネルを通過すると

日本の道百選の暗峠の石畳

 

ここが大阪と奈良の県境

 

道標を生駒側に少しのぼったところにある地蔵堂

(新日本風土記でも出てくる場所)

 

この街道と峠のことは こちらをお読みくださいね ↓

 

峠を過ぎてからは

標高455mから海抜ほぼ0m地帯の大阪側へ

一気に下っていきます。

 

この辺りが暗峠の最大傾斜地

重いボルボで通勤してた頃 

上りでは対面する車を避けようと一度スピードを緩めると

アクセルをふかしてもタイヤが空回りして前に進めず

仕方なく傾斜の緩い場所までバックして

勢いをつけて一気にのぼってましたねぇ

 

 

下りの時は反対に

峠を過ぎてからローでエンジンブレーキを使ってても

ブレーキが過熱してペダルを下まで踏み込んでも停車できず

ガードレールにぶつかったり前の車に追突しそうになって

何度も冷や汗をかいたものでした

(運よく、一度も事故しなかったですけどネ

 

徒歩だと

この辺りで急傾斜の連続で負担をかけてた

太腿とつま先が痛くて我慢できなくなり

後ろ向きに歩いて凌いでいます。

 

この道をあるいてみようと思われた方

くれぐれも革靴だとかヒールの高いブーツとかは履いてこないように

強くお勧めします

 

古くからの街道なので 当然ですが芭蕉の句碑もあったりします

 

近鉄奈良線のガード下が急傾斜の分岐点

ここからようやく普通の坂道になって

ホッとすること間違いなし

少し進むと

そこは大阪夏の陣で 徳川家康の本陣のあったところ

↓ 花園ラグビー場

 

右側の茶色のビルが東大阪市役所

第二寝屋川を通過して

緑橋を通過すると

ようやく森之宮に到着

 

大阪城を目の前にして素通りはできないなと

天守閣を目指すことに

 

大阪のシンボルで

インバウンドの観光客でごった返してました

 

といっても、奈良&大阪は

外国人観光客の8割は 韓国人と中国人

 

以前の韓国人観光客は、

”何度も攻められた憎い豊臣秀吉のお城をみてやろう”

との動機と聞いたことがありますが

 

最近は、ごく普通にインスタ映えの自撮りしてたり

たこ焼きとかを食べ歩いたりする姿をみかけるようになりました。

 

〔”恨”の情念はそんな簡単に治らないかな?

 

続いて

もうひとつの目的だった ピースおおさかへ

 

映画”血と骨”を観て 大ショックを受け

原作者の梁石日(ヤンソギル)の著書を読み漁り

”夜を賭けて”の背景となった 

大阪大空襲のことが知りたくて訪れてみました

 

そんな訳で

寄り道をしてしまったためもあって

時刻は夕方の5時を過ぎてしまい

 

クッタクタになって 大阪城をこの日の終点としたのですが

 

 

『昔の人は、この距離を草鞋で一気に奈良まで歩いちゃったんだよなぁ。凄いなぁ

と 感心しちゃったお話でした。

 

家に帰ってからこの日のログを調べてみると

最長記録でした~

 

奈良までだったら 出発点の闇夜燈からまだあと7・8キロあるわけで

やっぱかないまへんなぁ

 

 

 

 

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≪改名≫ 昔の人は偉かった! 【伊勢本街道:伊勢奥津~深野(柿野神社)】

2020-01-14 11:24:40 | 山歩き&ハイキング

 

伊勢本街道ってご存知ですか?

 

ググッて調べた資料によると

 

江戸時代庶民の間で大流行した伊勢参り(おかげ参り)の道で

伊勢参宮街道のうち 大阪玉造神社を起点として

暗越奈良街道、上ツ道、初瀬街道を経て伊勢本街道に入り

伊勢神宮内宮までの170K の街道

 

暗越奈良街道は生駒山脈の南側、

暗峠(標高455m)を越え大阪と奈良間を最短距離の8里8丁(34K)でつなぐ古代以来の古道の一つ。

豊臣時代に整備され江戸時代には旅人、物資が行きかう大動脈であった。

 

奈良からは、ほぼ真南へ向かって上街道(上ツ道)が通じている、

箸墓古墳、三輪大神を経て初瀬街道に入り、長谷寺門前を通り、伊勢本街道に入り

いくつかの峠を越える

 

大和国と伊勢神宮を結ぶ伊勢本街道は、

別名・参宮本街道、伊勢中街道とも呼ばれていました。

南北朝以後、伊勢国司北畠氏が現在の津市美杉町の多気に館を構え、

多くの武士団が居住し初期城下町を形成したことや、

伊勢参宮者の増大にともない多くの人々がこの街道を利用したと言われています。

現在でも、旧宿場町に残された道標や常夜燈、古い町並みがかつての姿を今に伝えています。

 

実は、いま自分の暮らしているところが

この暗越奈良街道沿いの集落にあるため

これまでにも

近所の追分~奈良 砂茶屋~暗峠~大阪玉造

御杖村~姫石明神(三多気の桜入口)までを歩いたことがあったのですが

 

伊勢本街道らしさを味わいたいのと

アクセスが便利で日帰りで歩くのに丁度良い距離の

伊勢奥津宿~横野の柿野神社を歩いてみることにしました

 

自宅の最寄り駅である近鉄奈良線学園前から西大寺に出て

特急電車で大和八木、大和八木から宇治山田行特急で松阪駅まで行き

松阪からは、ローカル線として鉄チャン垂涎の“名松線”で終点の伊勢奥津まで

 

余談となりますが

名松線の名前の由来は、本来松阪から名張までの開通を計画していたため。

(一時は、桜井から松阪を結ぶ桜阪線とする計画もあったんだとか・・・)

ところが近鉄の前身の鉄道会社が名張~伊勢中川~松阪のルートを開通させたため

 

この線、2006年と2009年に 

無人走行事故(車輪止めを忘れて夜中に勝手に動き出した)があったり

2009年の台風で甚大な被害を受けて不通になったり

なんせ全線の利用客が1日当たりたったの700人で

収入が4000万円のところ運営費が約8億円の大赤字路線

【※この線が維持できてるのも、大黒字の東海道新幹線を持つJR東海のおかげなんだとか】

 

あと、この名松線、いまだ昔懐かしいタブレット閉塞式を使ってるんですぉ(^^♪

(ググッてみると票券閉塞となってますが、

この時も家城駅でタブレットホルダーを交換してるのを見たのでタブレットだと思います)

 

昔は、我が故郷の飯田線もタブレット閉塞式で

駅に停車する度に駅員さんと受け渡ししたり

 

特急列車はその駅に近づくと速度を落とし、

駅のホームにあったホルダーを受けるコイルのような装置に投げ込み

新しいタブレットをホルダーの輪っかに手を入れて受け取る

そんな仕組になってましたねぇ

 

あ~懐かし(笑)

 

さて、余談はさておき

JR名松線の伊勢奥津駅を出発してからは

時系列に並べた写真でご案内させていただきますね。

11:05 JR名松線 伊勢奥津出発

11:10 観光案内所前の公衆トイレに立ち寄り

11:15 伊勢奥津宿に入り

11:50 首切り地蔵

11:58 飼坂峠

12:00 飼坂峠への入り口

12:03 腰切り地蔵

12:20 飼坂峠ピーク(茶屋跡)【昼食のため20分ほど休憩】

13:15 きぬかけ地蔵のある豪邸

13:15 きぬかけ地蔵

12:58 ホトトギスの水

13:18 多気(たげ)宿 一冬分の薪を準備した家にビックリ

13:20 多気宿の説明板

紀勢線と参宮線の分岐にある多気(たき)と思い込んでたので 

由来を知ってこれまたビックリ!

新年だったので餅花が飾られていて

より風情ある伊勢本街道の宿を感じさせてくれました。

13:23 八手俣川

 

13:43 美杉名物 ようかんの東屋

13:48 古い木造家屋にあった芋洗水車

13:48 これは絶対に保存して欲しいなと切実に感じた建物

多気宿では山からの湧き水を各家庭に給水しているのようで

羨ましくてたまらなかったです。

14:08 ウグイスの水

15:07 峠(現在は廃村)

15:07 古坂道との分岐点

15:10 櫃坂

16:53 飯南町下仁柿

16:56 とある集落の”どんと”

ウチの集落(奈良)では”とんど”と呼んでいますが

伊勢では”どんと”なんだとか

17:28 横野 柿野神社着

 

GPSで記録された伊勢奥津からの経路

伊勢本街道分のログ

家を出てから帰宅するまでのログ

この日は合計32,800歩!

 

 

この伊勢本街道を歩く旅

適度な運動にもなるし、歴史の勉強もできて

なによりも風情ある宿や自然に触れることができてスッゴク良かったですよ~♪

 

写真に撮るのを失念しちゃいましたが

多気宿からの立川、櫃坂下からの仁柿川

透明度抜群の清流で

夏場だったら飛込みたくなるような淵もいっぱいあって

水遊びにも超オススメです。

 

さて、次はどこを歩こうかなぁ

 

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裏山を歩いて法隆寺まで行ってみました。【編集中】

2014-03-17 21:45:08 | 山歩き&ハイキング

 

先日のこと

山歩きに出かけようかと思ってたら

天気があまりにもすぐれないので

近場をウォーキングすることにしました。

ここは、我が家の玄関から、ほんの150mほどにある酷道308号線

ハンマーナイフモアに活躍してもらってる休耕田はここから東に数十メートルの目と鼻の先(笑)

 

最近、伊勢本街道を歩く人が増えて

大阪側から奈良に向かう人や

奈良から大阪に向かう人を毎日にように見かけるようになりました。

 

↑ 嘘偽りのない看板(爆)

 

続いては ”追分梅林”の記念碑

 

つい数年前まで 奈良市内でも有名な梅林だったんだけど

土砂崩れの危険があるってことで 埋め戻しされちゃって

梅の木はほとんど切り倒されてしまいました。。。

 

だから、この石碑は、もう撤去しなきゃいけないんですけどね

 

↓ これが元の梅林のあったところ 残念ながら昔の面影は微塵も残ってません

 

ここは、先にご紹介したように”追分”という土地。

重要文化財の家屋がポツンと建ってます

追分から見た奈良方面の景色

 

ここまでくると若草山焼きとか お盆の高円山の大文字の送り火とか

とってもキレイに見えるんですよ

 

追分から少し西側の山道

昔は、未舗装だったんだけど

いまはもう未舗装部分はなくなったかな?

 

雨上がりでも平気で歩けるけど 味気ないですよね~

 

途中に貼られてた 行方不明者の捜索ポスター

(ちょーっと怖かった)

 

これぞ酷道!

 

いや~素晴らしい

 

酷道とはこのカーブミラーでバイバイして

山道に入ります。

踏み跡がしっかりしてるから迷うことはない安全な道だけど

なんとなーくルーファイ(ルート・ファインディング)しながら歩いてる気分

 

 

 

ココは、奈良県立矢田自然公園の中心

近隣の幼稚園、小学校の遠足でよく利用されてます。

 

以前は、ほぼ原っぱだけみたいな感じでしたが

とてもしっかりした建物が建っててビックリ

 

こちらは、峠池だったかな?

そこそこ大き目の灌漑用の人造池があります

ここから矢田丘陵の縦走路に入ります。

(ホントの縦走路は樅の木峠なんですけどね)

今回、イノシシが土中の虫でも探した跡がいたるところにあって

矢田丘陵にも増殖してるんだってビックリ

小一時間も歩くと もう松尾山の頂上

ココには、奈良TVのアンテナがあるんだな

↓ ココから松尾寺に抜けるルートがあるんだけど

 

松尾寺は、この世の中で、大っ嫌いで心底軽蔑する寺のひとつ

近寄りたくないんで、迂回路を選択

生憎近年の台風で土砂崩れしたために通行止めになってたけど

松尾寺に入るくらいだったら 足滑らせ大怪我しようがそっちの方がまし

 

おっと、ウォーキングのネタだったのに

すっかり怒りにまかせて 我を忘れちゃった

 

すみません 

 

ここの参道(信じられないけど、松尾寺が法隆寺の奥の院ってことらしい)

法隆寺カントリークラブってゴルフ場の真ん中に残されてるんだけど

これもまた おかしな話だな~って思いつつ通過

 

そうこうしてると

ヘンな掘立小屋発見

近所のお百姓さんが直売してる店らしい

そうこうしてると法隆寺の敷地に突入

法隆寺に来たのは何年ぶりかなぁ

 

たぶん20年ぶりくらいだ思う

 

そりゃあ、世界最古の木造建造物だとは思うけど

なんとなーく好きくない(言っちゃったよ

 

それにしても

もう少しまともなもん考えつかんかなぁ

 

個人的な感想かもしれへんけど

これらのメニュー ↑ ↓ みても

ぜーんぜん食指が動かへん

 

 

ホンマは、また歩いて家まで帰るつもりやってんけど

雨が降ってきたんで 大和小泉まで歩いて

この日のウォーキングはおしまい

 

家から法隆寺までが、約13キロ

そこから大和小泉まで4キロほど歩いて

大和郡山でJRから近鉄に乗り換えが1キロ

家方面に行くバスの出る富雄駅の 立呑屋を覗いてみたんだけど

まだ開店までしばらくかかりそうだったんで

諦めて帰りました。。。

 

それにしても 山歩きを始めるまでは

この矢田丘陵縦走でもそこそこ満足してたんだけど

 

もうぜんぜん物足りなくなっちゃいました

 

困ったなぁ。。。

 

 

 

 

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目指せ 消費カロリー7,000Kcal/日!

2013-02-01 20:32:05 | 山歩き&ハイキング

先日のこと(といっても約2週間前)

ようやく懸案の健康診断に行ってきたのですが・・・

 

当然のことながら 再検査&治療が必要との診断結果

 

そのひとつめが 高血圧

 

次がコレステロール&中性脂肪&赤血球数

血糖値もそこそこ境界より上

 

問題は、肝機能でGOT GPT(最近は表示が違うようですが・・・)が高め

γ-GPTは、当然のことながら 脂肪肝+アルコールで相当高め

 

 

でもって しっかりメタボ(昨年度の検診時よりもまたまた3K増量しちゃってるし)

 

あと胸部レントゲンにも再検査のリマークがついちゃってました

 

去年も高血圧のクリニックでの半年毎の血液検査で、ほぼ同じような数値だったのを

のらりくらりと逃げていたのですが

 

 

そろそろ あちこちヤバイことになってそうな気配

 

 

 

ポテチンといく分には、これまでの己の人生を振り返ってみたら、それもまあ仕方ないかなって

自分では納得してたんだけど

 

 

反対に自分が世話をしなきゃいけないことが起こるかもしれないって思ったら 

 無責任じゃいけないのかなって反省しちゃいました

 

 

そんなわけで

このたび一念発起して

再診する前に、まず自分なりに改善(減量とシェイプアップ)することにしちゃいました

 

 

目指せ 体重-20キロ

 

 

そのための手段として

 

その1

”禁 酒”

フィリピンでの休日以外は飲まないこと!(なにフィリピンだけ例外にしてんねんな)

 

 

その2

”腹八文目(摂取カロリー制限)”

昼&夜は小さな自家製お弁当のみ

夜は、9時以降食べないこと!

 

 

その3

”運 動”

日本に居る時は、毎日ジムに通うこと!

 

〔実は、ココまでがマエフリ〕

 

 

他になにかいい方法はないかな~

と探していたら

 

こんなカロリー消費の計算表を発見

 

http://www7b.biglobe.ne.jp/~photography/calorie.html 

 

普通の運動じゃ ここまでカロリー消費なんでできませんよ~

(現在の自分状態でこれまでの日帰りの山行きを例に数値を入れてみたら 約6300Kcalでした)

 

 

運よく(?)

今回も出稼ぎの出発が船の到着遅れで遅延してるので

この週末は、二上山から葛城山&できたら金剛山までの縦走(荷歩訓練)

そして翌日は生駒か矢田丘陵を20~30キロ歩いてみようかなって計画中

 

今回は低山やハイキングなのでムリですが 

春になって雪が溶けたら7000Kcal/日を目指したいと思いま~す

 

(実をいうと、アイゼンがまだ買えてないんですよ~ なので雪山はまだムリ)  

(というのも12本爪のワンタッチタイプのが欲しいんだけど登山靴も代えないと使えないんで、

どうせだったらまたアメリカか欧州行ったときに買ってきたいなって思って

 

 

ま、再検査にどれだけ有効なのか

そんなことして足掻いたところでもう手遅れなのかわかりませんが

やれるだけのことは やってみようと思います

 

 

みなさんも くれぐれも健康には気をつけてくださいネ

 

手っ取り早く運動したいな~って思ったら

こんなにカロリー消費に有効的な山歩きも選択のひとつにしてみてくださいネ

 

注意: 但し、単なるダイエット目的では山歩きは不向きかもしれません。カロリー不足だとシャリバテして

途中で動けなくなっちゃいますから充分に気をつけてくださいね

 

1※計算式参考

・登山時消費カロリー
式) (体重)×0,155×(60分)×(登山時間)×(補正係数)=消費カロリー

・登山外消費カロリー
式) 2000Kcal ×(補正係数) × ((24 - 一日辺りの登山時間)÷24)

・一日辺りの合計消費カロリー
式) 登山時消費カロリー +  登山外消費カロリー

・合計消費カロリー
式) 一日辺りの合計消費カロリー × 登山日数

 

 

 

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次の週末は・・・

2012-11-28 20:24:00 | 山歩き&ハイキング

実は、出稼ぎ話もチラホラしているのですが

 

とりあえず

週末までいられたら南比良縦走に行くことにしました~

 

 

 

 

 

自宅を朝の6時に出発し

 

近鉄奈良線から近鉄京都線に乗り換えて

丹波橋で京阪を使って 京大の近くの出町柳まで

 

そこからバスで花折峠口で下車して

いよいよ登山開始

 

折立山→権現山→ホッケ山→蓬莱山→比良岳→鳥谷山

と縦走して南比良峠から下山してJR比良駅までってコースです

 

 

 出発時刻/高度: 08:30 / 487m 
 到着時刻/高度: 17:30 / 88m 
 合計時間: 9時間0分 
 合計距離: 14.79km 
 最高点の標高: 1160m 
 最低点の標高: 87m 
 累積標高(上り): 962m 
 累積標高(下り): 1349m 
 
 
 
うんうん
 
琵琶湖を一望ってなかなかええコースやんなぁ
 
(天気予報では曇りですが) 
 
但し~、 もしも途中で雪が積もってて 滑りそうだったら
そこで断念して 撤退となっちゃいます
 
 
 
なんとか蓬莱山までもってくれたら
びわこバレーのロープウェイでおりてくるって手もあるんだけど・・・
 
 
さて どうなるかな~
 
 
 
 撤退となったら 
京都で途中下車して 木屋町か 河原町か 大宮か
 
 
真昼間から四条通りの立ち飲み屋をハシゴして 
 
 
 
 
 
そのまま勢いにのって東山で夜間拝観しちゃいそうな気配 
 
 
 
 
 
 
  ← むしろそっちの方を期待してたりして
 
 
 
”よっしゃ そんなんやったら ワ(タ)シもつきおうたろ
 
って方
 
 
 
気軽に声かけてくださいね
 
 
 
 
さてと ではジム行って鍛えてきまーす
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明日からの三連休

2012-11-22 18:32:20 | 山歩き&ハイキング

 

みなさんはどのようにお過ごしのご予定ですか?

 

 

自分は

 

明日は天候次第で(どっか遊びに行こ)ってつもりだったんだけど・・・

 

どうやら確実に雨らしいので

(ここらは降水確率90%だそうです

 

 

しゃーないから 

車と部屋の掃除でもすっかな

(自宅と別宅合わせて合計6つの個人占有の部屋があって、実はもう大変なんす

 

でもって

日曜日は、天候にかかわらず、実家方面に

赤味噌の買出しとあんかけスパ+エビフリャ~を食しに行く予定

 

 

となると自由(?)になる日は明後日の土曜日しかない!ってことなので

近場(三重県との県境)に トレーニングがてらの低山歩きに行ってきたいと思ってま~す

 

 

今度の山は

たぶんまだ雪が積もってないとこってことで探した

 

標高1,021.6mの学能堂山ってところ

 

 

(この”不遇の孤峰”ってのが気に入っちゃて決めちゃいました) 

 

このルートでの累積標高は803mしかないから 物足りないんだけど

総歩行距離は14kmくらいあるんで

 

ま、体力作りのトレーニングのつもりで行ってきます

 

 

もし一緒に行きた~い って方 いらっしゃいましたら

お気軽にメールくださいね

 

近くまでで迎えに行きますからね~

 

今回は、山行というより気楽なハイキングなんで

ゆっくりと登って

山頂で 360°の景観を味わいながら

JET BOILでお湯沸かして

あったかい食事して ブランディ入りのコーヒー飲んで

下山後は 温泉で汗流しながらゆっくりとリラックスしてくる予定で~す

 

ご連絡お待ちしてますからね~

 

さてと、そろそろスポクラでガツーン! と、

このところ出稼ぎ予定が伸びて、すっかり弛んじゃった身体に喝入れてこよっと

 

 

今回の山行計画はコチラです ↓ 

http://www.yamareco.com/modules/yr_plan/detail-38541.html

 

では 

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単独行

2012-11-19 19:51:05 | 山歩き&ハイキング

 

2010年度の警察庁の統計によると、全遭難者数2396人のうち、

単独行だったのは前年より120人も多い787人で、

全体の32.8%を占める高い割合となっている(遭難者の3人にひとりが単独行者となる計算)。

また、単独行の遭難者のうち死者・行方不明者は、

全単独遭難者の21.6%にあたる170人で、

パーティを組んでいる(2人以上の)登山者における死者・行方不明者の割合(7.7%)と比較すると、

約2倍となっている。


単独行における遭難のリスクの高さはかねてから指摘されているところであり、

警察や民間の救助隊は長年にわたって「単独行は控えるように」と登山者に呼び掛けてきた。
しかし、単独行の人気は依然高く、近年は若者の単独行者も増えつつある。

【”ドキュメント単独行遭難”より】

 

 

山歩きを始めてようやく1年の超初心者ながら

すっかり単独行が自分の中での山歩きの基本となってしまいました

 

 

独りっきりで山を歩いていて

時に「もしかして道に迷った?」と思うことや

「ここで滑落したら、誰にも気づかれないかも」

など 不安を感ずることもしばしば

 

 

特に冬山やその直前の頃だと

滑落して運よく生きてたとしても、骨折いや捻挫程度でも、

その場から動けなくなったとしたら

助けを呼んでも誰にも気づいてはもらえないだろうし

夜間に冷え込んで体温が奪われて そのまま凍死しちゃうのかな

 

なーんてことをつい考えてしまうのですが

 

これが一度単独行での充実感を味わってしまうと

もう止められないと思うようになってしまいました。

 

なんといっても

独りで自然の中に溶け込み 

自然と対話しながら歩き

無事に生還できた時の達成感が半端じゃないところ かな

 

自分で計画を立て、安易な判断で遭難して迷惑をかけてはいけないと

常に慎重を心がけて行動するようになること

 

たとえ、運悪く(滑落)事故や遭難に遭遇してしまったとしても

全ては自分自身の責任であり

他人を巻き込むことがないので精神的負担がないことも大きな魅力のひとつです。

(実は、一昨年には仲良しハイキング仲間がいたのですが、

あるとき、ふと、ここでもし事故でも起こしたら・・・

と不安を抱いてしまったことが単独行となったキッカケでした)

 

 

思い立ったら即座に実行に移せる気楽さ

歩くペースも、休憩も、食事も自分の意のままに勝手にできる自由さ

他人と関わらずにストレスを感じたくない

要するに 究極の自己中なのかもしれませんね。

 

 

ただ

 

これまでにも

大人数のグループを目にすることもしばしばありましたが

マナーの悪さには何度も閉口させられて

『こんな集団の一員でいるよりも独りの方がいいや』

と思うようになったのも その大きな要因のひとつかもしれません。

 

すれ違う時に、こちらの方が人数が多いんだから道を譲るのが当然だろう

 と言わんばかりの横柄なグループや

 

頂上や景色の良いテラスなどで

いつまでも記念撮影に興じ あげくには「お茶を入れるから飲みましょう」などと

他の登山者の存在を無視した連中

 

大声で仲間内の会話に熱中し

美しい景観を眺めることもせず、むしろ雰囲気を台無しにしても平気でいるなど

 

怒りよりも、こちらの方が赤面したくなるようなことも多々経験しました

 

 

「下界のモラルの低さをそのまま大自然まで持ち込むな!」

って怒鳴りたくなったことも一度や二度ではききません

 

登山ブームで猫も杓子も山に登るようになったのかもしれませんが

最低限のマナーは守って欲しいと願うばかりです

 

おっと ついつい愚痴が出てしまいましたネ

大変失礼いたしました

 

いずれにしても

今後はより一層安全な登山を目指し

①事前に綿密な計画を立て、登山届けを必ず提出すること

②いつでも引き返す勇気を持つこと

③どんな近場の低山でも保険をかけて出かけること

を守り 山歩きを楽しみたいと思います

 

もし、最近山歩きを始めようかと考えていらっしゃる方

単独行には さまざまな資料を集め 事前にしっかりとした調べをしたあとで

近場の多くのハイカーなどで賑わう低山から始めてみてくださいね

 

 

 

ということで(?)

昨日歩いてきた山のレコ

(フォトチャンネルも作成しています)

よかったご覧ください

 

(↓ これが今回のルートの一部

(この細い尾根を木の根や岩にしがみつきながら進んでゆきました)

 

 

http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-246134.html

 

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この週末、薊岳を歩いてみます!

2012-11-16 18:33:48 | 山歩き&ハイキング

今年の冬は

ぜひとも雪山を歩いてみたいんで

 

下見をかねて行ってきます

 

 

この辺りだと 樹氷で有名なところでは

近場で金剛山、三重県との県境には高見山とか三峰山が有名なんだけど

 

(↑関西のマッターホルンと呼ばれる高見山:相撲取りの高見山の名前の由来)

(↑こちらは明神平の夏)

 

 

今回は山小屋のある明神平とのセット(?)の薊岳を歩いてみたいと思いま~す

 

累積標高 1,252m

歩行距離 16.25km

合計時間 8時間30分

 

ま、手ごろなコースだと思ってます

 

http://www.yamareco.com/modules/yr_plan/detail-38254.html

 

 

あと、関西の雪山では湖西(琵琶湖)にある 比良山系の武奈ケ岳も有名なんだけど

 

 

いろんなレコを読んでみると

登りやすいからか マナーの悪い人間が多いみたいな印象で

気がそがれてしまいまいた。。。

 

(目印のテープを切るなんてことが起こってるみたい 信じられへん

 

 

とにもかくにも お天気次第なんで

雨なら中止 歩いて雪ならアイゼンないんで撤退って感じです。

 

 

それでは みなさんも充実した週末をお過ごしくださ~い

 

 

【追 記】

ロト6は 当然のことながら かすりもしませんでした

 

ま、当たったら人生狂ちゃうだろうから 当たらへんで良かったのかも

(そんなら買わんでもええやんか!)

 

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