か結局また夕方にもならないうちに食べた
マトンカレーとナン+タンドリーチキン&ロング缶2本でお腹がくちて
そのままホテルで過ごしてしまったため
翌日は
早朝から目覚めてしまい食欲満々
さて、今朝は何食べようとLavender駅周辺へ
Take outのお店とHawkersを覗きにいくことに

取引先がLavenderに移転してからは
Lavender駅近くのV Hotel, Hotel Bossで泊まっていたため
この辺りも勝手知ったる場所なので
とりあえずFood CourtのKopitiamに行ってみたものの
朝メニューの店しか開いてなく

その他は基本Take outばかりで断念



トーストのお店には興味ないし

と言うことで結局前日と同じKitchener Complexに戻り

前日同様、Super Fat Nasi Lemakで炒米粉と三度豆と豆腐、別の莢いんげんの炒め物
そしてソーセージと目玉焼きを注文(S$6)

その昔はあまり好きじゃなかったチリソースも
いまじゃあこの手の食事では必須アイテムのひとつになっちゃいましたねぇ


食後、ホテルに戻る途中でみつけたのが
このeSIMらしき宣伝
データ通信と通話にも使えてこのお値段
大昔は海外から国外へ電話するとなると
電話局のブースからかホテルでオペレーターを介してだったのが
プリペイドのフォンカードができて
スマホやインターネットが使えるようになってからは
プリペイドのSIMを差し替えたりWifi端末をレンタルしたり
それがいまじゃあSIM交換もWifiを持つこともなく
QRコードの読み込みやアプリからダウンロードするだけ

凄い時代になりましたねぇ
と言ってもテクノロジーは日進月歩の昨今
もっと便利に変わっていくのかもしれませんが

※因みはわたくしは、いまも海外では基本Wifiがつなげるところだけでネットを使う
ガラパゴス人間
セキュリティの問題があるけど、いまどきそこらじゅうでFree Wifiとつなげるから
いいかなと思っていましたが
移動中とかはネットに繋げず不便に思ってたので
次回からはeSIMを利用しようかなと思ってるんですよ。
みなさまへもご参考まで
そしてこの日も朝から取引先へ
(↓の高層ビルは近年流行りの億ション)

オフィスビルの裏側になるゲートからいつもの飲み屋街を抜けて



正面玄関側に出て

エレベーターで取引先のオフィスへ

このオフィス、元々ドイツの会社が
15年ほど前、アジア太平洋地域での窓口となる支社を開設することになり
Singapore北部でMalaysiaとの国境近くの大きな造船所もあるSembawangのすぐ隣の
Admiraltyという土地にできた工業団地のテナントビルの1フロアを借りていたのですが
なんせ数名のスタッフで製造することもないオフィススペースだけで
莫大なテナント料を支払っていたため(年間1億円前後)
開設から5年目に着任した二代目の支社長が
資産価値が上昇し続けるSingaporeだから
借りるより買ってしまった方が良いと、創業者の息子の二代目社長にアドバイスして
メゾネットタイプのそこそこ広いオフィスを二部屋購入したってわけなんです。
(たぶん一区画数億円なので改装費含めて10億円ほど❓)
実は、なんでもかんでもWell OrganizedされたSingaporeのこと
不動産も自動車同様に所有権も期間が限られていて
更には外国人への購買にはより制限されているのですが
どうやら本社の社長にも勧めて個人的に投資でコンドミニムを購入させて貸し出し
家賃から月々の収益を得ているもののドイツに納税する必要なく
個人的な資産運用として満足して喜んでるんだとか
今現在もSingapore内では億ションどころか数億円相当の物件が雨後の筍の如く建設中で
香港が中国に返還されて不安要素で資本家が逃げ出し
その代替として政治的にも安定したSingaporeに
世界中の資金が集まってるんだろうなぁと実感させられました。
先見の明があったら、借金してでもコンドミニアムのひとつくらい買ったのになぁ
なぁ~んて
まあ、これまでの事業に失敗しては負債を抱え返済に追われてきた人生
汗水流さない金儲けや資産運用なんて考えたこともない人間なので
全くの他人事、夢物語なんですけどね
おっと、またまた話が横道に入り込んでしまいましたが
この日は、今回の出張の主目的だった懸案事項も解決の目途が立ち
仲良しのマレーシア人の部長と雑談していたところ
ドイツ人の支社長から夕食のお誘いがあったのですが(前夜も)
翌日が早朝フライトでホテルを未明に出発しなきゃいけないからと断ると
それならランチは
と誘われて
承諾すると、すかさずどこかに電話して予約
この会社では、一般の従業員が12:00~13:30頃までがお昼休みで
マネージメントクラスのスタッフは一般従業員が戻ってからがランチタイム
いつもの隣のMallのレストランで食事するのかなと思っていたら
TAXIを呼んでいて
乗り込んだらMarina Bay Sandsに行くとのこと
シンガポールのIRの象徴で
高層ホテルの屋上に船の形をした
インフィニティプールが有名な
Marina Bay Sands
この会社のアレンジで2年ごとに開催される国際海事博覧会
Aisa Pacific MaritimeでVIPとして登録してもらい
過去に3回航空券代と無償で
Marina Bay Sandsに宿泊させてもらっていたので
勝手知ったる場所
その一階にある日本食レストランが予約されていて入ってみたのですが
ランチメニューだけでも ほとんどがS$100前後
日系オーストラリア人がミシュランの星を獲得した名店らしいのですが
正直な話、なんせ立ち飲みやHawkersなどB級グルメが大好きはわたくし
日本食よりマトンカレーの方が好きなんだけどなぁと思いつつ
銀鱈の西京焼き(MISO COD)を注文





まあ、あちらの接待費だからいいかと思いつつ
ご馳走様とお礼を言ってオフィスに戻り
↓は仲良しのマレーシア人の部長の部屋からの眺望
(数年前はただの空き地だった場所もビルだらけ、開発待ちの空き地はソーラーパネルで覆われてました)

「それじゃあ、あまり仕事の邪魔しないように帰るね」と告げて
隣のMallにSpicy Dried Shrimp売ってるかもと聞いて



最近できたThai Supermarketへ

結局、残念ながらお目当てのSpicy Dried Shrimpは売っていなかったものの
Dried ShrimpとShrimp saltを 買って自分で混ぜて試してみることに
その後、終業後にもう親友以上の仲良しになっている
前述のマレーシア人の部長が
ウチの会社が代理店となるキッカケを作ってくれたビルマ人と
再会するセッティングをしてくれていて
彼の居住区まで連れていってくれました。
(二代目の支社長と馬が合わず、約5年前に退職してからは年齢もあって隠居生活)
毎回Singaporeを訪れる度に再会をセッティングしてくれていて
これまではインド系ビルマ人でベジタリアンでもあるため
Little Indiaのレストランで待ち合わせて会食するのが常だったのですが
ビルマ人の彼、元々ストイックな性格な人物で
肝臓を患い息子から生体肝移植している事もあって
ベジタリアンから更に食事は家でしか食べないこととするようになってからは
彼が暮らす公営住宅近くのMallやHawkersで談笑するように

この日は、部長から「何食べますか
」と尋ねられ
それなら肉骨茶(バクテー)にしょ



と久々にバクテーをいただきました。
さて、またまた個人的なことで興味ない方はスルーしていただいて
ここで彼等との出会いについてお話させていただきますね。
1994年8月から2000年4月まで
実は、自分の中では黒歴史の某日本のエンジンメーカーで働いていた時代があるのですが
(国連の世界食糧機構FAOの専門家になるつもりで待機していたのですが
貯蓄を使い果たし細々とアルバイトしながら凌いでいた時に
その会社で働いていた協力隊時代の知人に誘われて
海外の出稼ぎを物件単位で請け負っていたところ
語学力、外国人との渉外力が認められたのか
その会社の上司から誘われて中途採用として働くことに)
入社して最初に命じられた出張が
OEMで販売したFinland製品の第一号が韓国の造船所で試運転となり
Finlandからの担当者と一緒に試運転の船に乗り込んでくれというもの
その製品というのが
その当時、まだ世界的には最先端だったディーセルエンジンの燃料として
低質油を供給するための装置で
その中途採用で入社した会社にはほとんどその理論的な知識
機器の取り扱いをできるような人材がおらず
(そんな実力もない状態でよくOEMとは言え販売するよなぁと思いつつ)
英文の分厚い説明者や資料を隅から隅まで読み込み
実際にその装置に装備された欧州の機器の操作も覚えることとなり
結局、いつしかその低質燃料とその燃焼装置の知識のエキスパートとなり
実際の業務は海外技術営業部門として
海外ユーザーの窓口として、平社員から主任、係長、課長へと昇進
(古い会社なので中途採用で最初から管理職にできないので3年我慢してくれと言われ3年目に課長に昇進)
勤務先はエンジンの工場内にあったため
時々頼まれて販売したエンジンの工場試運転で訪れる海外からのユーザーや
テクニカルトレーニングセンターを受講する研修生への低質燃料の講師となり
ある日、シンガポール支社でも周辺諸国のユーザーや技術者に
低質燃料装置とその理論と実践のセミナーを開くこととなり
その講師として招聘された時に受講していたひとりがそのインド系ビルマ人
その彼が、なぜかわたしの事を気に入ってくれて
日本に帰国してからも電話しては雑談してくるは
Singaporeに出張すると必ず声をかけてきてはあれこれと話をする間柄となったのですが
それから少しして私は、その会社を離職して起業したのですが
どこからか聞きつけて連絡先を知ったようで
あれこれとビジネスの引き合いを相談してくるようになり
それでもなかなか実ることなく月日が流れていたのですが・・・
たしか2012年だったか
インターネットカフェ事業に失敗して
その借金返済のために韓国やアメリカの造船所で契約で駐在したり
世界中の船や造船所へ出稼ぎしていた時期だったのですが
前述のFinlandの会社の代理店となって
(働いていた某エンジンメーカーは、私が退職してから欧州人とまともに相手ができる人材がおらず
代理店の権利を手放していて、更に韓国で一緒に試運転に立ち会った人間が
創業者の孫でその会社の社長となっていたため「ウチが代理店しよか?」と声をかけたら
大喜びで、起業した翌年から代理店契約を結んでいたんです。)
その年も
日本の海事博覧会”SEA JAPAN"でのブース展示をすることになり
2008年から数年間、そのFinlandの製品も造船ブームの波にのって
数億円分の製品の販売を達成
造船ブームの終わりとともにそのバブルもはじけていたのですが
博覧会開催中にそのビルマ人の彼がブースに立ち寄り
転職先のドイツ人の支社長を紹介してきて
話を聞くと世界トップシェアのオイルミスト検知器のメーカーで
日本には代理店もあるとのこと
それなら特に用事もないだろうと思っていたのですが
レセプションの立食パーティーの時に近寄ってきて
そのドイツ人の支社長と3人でなにげない雑談を交わしていたのですが
実は、その時にわたしがどんな人物でどんなことをしている会社なのかと
ドイツ人の支社長に耳打ちして
様子見していたようで
博覧会が終わって彼等も帰国したものの
電話してきては様子伺いしていたと思ったら
「ある相談したいことがあるので、Singaporeに来て欲しい」とのお願い
「それなら旅費は負担してくれるんだよね
」とこたえると
「それは自己負担して欲しい。でも絶対に悪い話じゃないから
」と言われたものの
東日本大震災の後は、不運の連続で
またまた借金を抱えてガムシャラに出稼ぎへ出ていた時期だったのと
費用は自腹でSingaporeに来てくれと”海の物とも山の物ともつかぬ話”
「そのうちにね」とあしらっていたのですが
11月の末になって電話してきた時にはその熱意が伝わってきたため
それならばと12月に出向くこととなったのですが
【その後のことは”GW返上”の記事に続きますので省略させていただきますね
】
そんな経緯を経てその会社の代理店となり
元々世界トップシェアを誇った製品のため売り上げも安定して
いまやわが社にとっては無くてはならない事業となったのですが
そのキッカケを作ってくれたのがそのインド系ビルマ人の彼
そんな間柄を知ってか、これまた義理堅い中国系マレーシア人の部長が
必ず再会のセッティングをしてくれるんです😊
(↓左が御年75歳かな?インド系ビルマ人のジョンさん、右は中華系マレーシア人のタンさん)
ほんとありがたいし、そんな人たちと今もお付き合いできて感謝の気持ちでいっぱい
送迎してくれるマレーシア人の部長の家がその場所から近いことと
MRTに乗ればLavenderに行けるからそこからの帰りは大丈夫だよ
と伝えるも
夜は渋滞してないから平気平気と、いつものことながらまたまたホテルまで送ってもらい
(普段は空港まで送ってもらうのですが、この時は早朝なので固辞しちゃいました)
この中国系マレーシア人の部長
たぶん子供の頃は神童だったようで
マレーシアから国費留学でシンガポールの大学で学び
その後も英国のリバプールの大学院に進んだ人物
シンガポールに戻り
そのドイツ人の支社長に請われて
今の会社で働くようになったのですが
これがまた類稀な人格者で
怒ったり他人の悪口を聞いた事がなく
どんな無理難題を押し付けても
いつも柔和に対応してくれる素晴らしい人物なんです。
そうしてホテルまで送ってもらい
Lavender に戻ったのが21:45
その日はアルコール抜きだったので
急いで閉店間際のHawkersに向かい

選択の余地なく まだ食べ物の残っていたカレー屋で
マトンカレーとゆで卵、鶏のから揚げを注文して

タイガービールを注文
「タイガービール頂戴
」
「スタウト瓶しかないですけど」と言われ
「それなら3本
」とこたえると
「1本S$5ですけど、5本セットならS$20でお得ですよ
」っと勧められ
「うんうん、そしたらそれ」と即決





ビールを楽しんでる途中で閉店となってシャッターが閉まってしまいましたが
なにはともあれ 友達は大切にしないと
と
改めて心に刻んだ日となりました。


もう何十年も昔、兄夫婦から
『◯◯君ってすっごい強い守護霊に守られてるよね』と言われていましたが
ほんと、半端ない山あり谷ありの人生でしたが
人に恵まれて幸せだなぁ
どうぞ、いつかこれまでのご恩に報いて恩返しができますように




【その④Day4帰国の途へ】