代々木八幡でPerfect Daysの世界に浸ってから
千代田線の代々木公園駅に向かい
久しぶりに千代田線に乗車
まだ22歳ごろの1980年頃
東京八重洲口近くの会社から当時のGFの住む豪徳寺へのアクセスは
①日本橋(銀座線)~渋谷(京王井の頭線)~下北沢~豪徳寺(小田急線)
②大手町(千代田線)~代々木上原(小田急線)~豪徳寺
③東京駅(JR中央線)~新宿~豪徳寺(小田急線)
そんな訳で時々通勤に使ったこともあったのですが
当時、八重洲から千代田線の大手町駅まで歩くのは遠かったなぁとの印象でしたねぇ
最近も、東京在住の学生時代の仲良しとの飲み会が
千駄木の居酒屋だったりするので西日暮里から乗ったりもしてましたが
今回も、千駄木で下車
団子坂の交差点に出たので坂を登っていったら谷中墓地だろうと登っていったところ
アレッ 森鴎外記念館があってビックリ仰天
気づかず真逆の本駒込方面に行っちゃってました
アチャーと思いつつ千駄木に戻り 丁度お昼時だったので
ラーメン屋に飛び込み
正油ラーメンとミニ麻婆丼セットを注文
ランチタイムは餃子も無料でいただけて
東京だし、ラーメンだけでも1,000円超えだろうなと
北里柴三郎と500円硬貨、100円硬貨を数枚準備して
オアイソしたところ
なんと950円
いや~なんかお得感で幸せな気分にさせていただきました
その後、狭い路地を抜け”よみせ通り”に出ると
谷根千歩きの観光客だらけ
全国チェーンのホテルの看板を見て、ここで日暮里って言うか~
と突っ込みを入れながら横切り
そのままどんどん自転車も通れない裏路地を歩き
場違いな気にさせられる小洒落た洋館風の建物の玄関に釘付け
絶妙な階段の高さに『猫が先それとも階段が先
』とアレコレ勝手に考えちゃったり(笑)
スマホで調べてみるとボタン屋さんなんだとか
谷根千が有名になってからだったか
古い店も残ってるけどオシャレな店増えましたよねぇ~
(蛇道周辺や裏路地の猫町ギャラリーとか)
坂を登った先で
感性に響く土塀を発見
奈良にも東大寺の裏参道や平城宮址の東にある海龍王寺には
同じように瓦を積んだ土塀があって
実は、近々家の古い牛小屋と古い離れの隠居館と
石垣の上に建っている東・中・西の蔵を解体しようと考えていて
瓦をただ捨ててしまうのに躊躇していたので
こんな土塀にできたらいいなぁとマジマジと凝視してしまいました。
そんな風に、いつもの如く目敏いヤツなので
あれこれ目移りしながら
学生時代の同級生が営むバッグ屋に到着
同じ商船学校を卒業したのに
なぜか新しくそれまではなかった日本製のバッグ屋を始めようとしていた
浅草の資産家とほぼ二人三脚のようにモノづくりを始め
デザインの専門学校で感性を磨きながら
イタリアの最高級の革を仕入れ、手作りのバッグや財布などの小物類まで
ヨーロッパ製品に負けない製品を生み出して
販路を拡げるために率先して営業にも力を入れて
銀座の和光にも置いてもらうようになり
その後は日本全国のバッグ専門店でも販売できるようにして
創業者も高齢となって、社長を任されるだろうと思っていたところ
突然、創業者の子息に社長の座を譲ると言われ
たぶん奈落の底に突き落とされたような気分になりながらも
それまでデザインも企画も全て行ってきて、その会社を作ってきた自負もあり
負けじ魂でたった一人で独立(2017年)
その時から営んでいるお店なんです。
それまでの人生をかけて知名度をあげ業績を伸ばしてきたため
個人を知っている人からとのつながりを大切にしながらも
一からの再出発で
たぶん、最初はそれまでの業者との長い付き合いもあって
順風満帆の船出だろうと思っていたと思うのですが・・・
現実の世界では”渡る世間は鬼ばかり”
退職金を資金に店舗の改装をして品をそろえたものの
最初の頃はとても苦労してましたねぇ
そんな実情を知って時々立ち寄ってはバッグを購入したりしているのですが
つい2・3年前までは『いつまで保つだろうか』と思っていたこともありましたが
喧嘩別れした創業者が亡くなり、後継者は自力でデザインできないため
元の店は直営店を閉めて、直営するのは彼の店だけとなり
それまでの知名度でネット販売や全国のバッグ専門店での販売を続けているものの
新製品のデザインを提供するようにしたらしく
更には、インスタグラムやウエブサイトで
特に外国人観光客の目に留まったようで
谷根千歩きに訪れた特に欧米人が顧客となったり
ここのデザインや品質、ニッチさを好むお客がつくようになって
ようやく落ち着いてきたようです。
去年、会社のスタッフへのプレゼントの小物を買いに訪れた時に
次はこれを買いに来ると約束していたためバッグを買いに訪れたのですが
今回、店に入ってすぐに
「この布のバッグ買うわ」と言うと
なんせ8人部屋の全寮生活時代に同室だった間柄
「またぁ、一番安いヤツじゃなくて高いの買ってよ」と言われましたが
「もうさ、全然オシャレに興味持たない爺さんになっちゃったしね、似合わないんだよね」
とお断りして それならと代わりに2つ買うことに(笑)
あと、なんせ路地から少し入った隠れ家のような店で
なかなかお客が入らないだろうと思っていたところ
近くの空き地にアンテナショップ(?)のコンテナハウスを置いて
(やはり同じ学生時代からずっと親しくしいる後輩が
埼玉だったかどこかで中古のコンテナハウスがあるからと
運搬から設置、改装まで格安でしてくれたんだとか)
そのおかげで散策している観光客の目を惹くようになり
空き地にはテントも張って冬はホットワインを販売したり
手作りパンを販売してるんだとか
ということで、何はともあれ上向いてる様子に胸を撫で下ろし
店をあとにしました。
自分自身もネットカフェで大失敗したり
口先だけの造船所に騙されたり、生かさず殺さずの取引先と
幾度も辛酸を舐めた経験があったので
『蘇ることができて良かったなぁ』と心の底から思ってるんですよ。
そんな嬉しい気分で谷中霊園で桜を愛でながら
(↓これは霊園のど真ん中にある駐在所怖がりの警官には勤まらないだろうなぁ
)
そして紅葉坂を抜けて
日暮里駅へ
この日のフライトも夜中に18:00発のシニア割を予約していたのですが
思いのほか早く帰れそうだったので、車内で予定より1時間早い飛行機に変更し
(金曜日だったからかなんなのか、最近JALは満席だらけ)
山手線を浜松町で乗り換えて
モノレールで羽田空港に向かいました。
ホントは、16:00発の飛行機でも乗れそうだったのですが
17:00発にして予定より早く空港に向かったのは
実は、ANAはメンバーラウンジが使えるので
ビールでも飲み倒してやろうと思ってのこと
よしよしと優先レーンに入ると
身なりで一般客が間違って入ってきたのかと行く手を遮られ
「GOLD MEMBER だぞ」と告げてQRコードを読み取らせようとしたところ
赤いランプが点滅
(↓の一番下”手続き中止中”の表示)
係員から「機材変更のため手続き中断してるので、あちらでお待ちください」と言われ
そういえば、なんでか羽田ではANAとの相性悪いんだよなぁ
と思い出し
まさか、機材の準備でまた遅延とか
下手したら翌日のフライトとか言い出さないだろうなぁと
不安に思っていたところ
ようやく変更の案内が届き
ようやくラウンジに入り
この日は、ビール2杯+トマトジュース(Red Eye用)+青汁ラテをいただきました。
この日の移動はこんな感じ↓でした。
↑ GPSの届かない地下鉄部分は乗車駅と下車駅の出入り口の間は
直線になるんですねぇ。
機材が変わったものの 予定時刻に搭乗開始され
ただ、787から777となったため
座席のVODのモニターも充電のコンセントもなし
仕方なく大型モニターの”孤独のグルメ”観て
因みに、前日の押上から平山さんのアパートを探し
京島から曳舟の電気湯と下町散策を楽しんで
浅草で桜橋まで往復してから地下街の福ちゃんで飲食を楽しんで
落合から東中野、新宿西口から都庁を往復して合計12.9km
17,339歩と そこそこいい運動ができたなぁと嬉しかったですね~
伊丹空港では、珍しく予定時刻よりも早く到着してくれたため
空港バスの出発まで余裕があったため
ターミナル内のベンチに座っていたところ
制服に腕章をつけた警官が何人も巡回していて
万博のためのテロ対策で警備を強化してるんだろうなと気づきました
申し訳ないけど今回の万博、絶対に大失敗して
維新や橋下、竹中平蔵他利権に群がる金の亡者たちに天罰が下れと思っているのと
せっかく二日間東京で楽しく過ごさせてもらってたので
『見なかったこと(万博のことを思い出さない)』にしました。
そうして予定どおりのバスに乗り込み
70年の万博の時のエキスポランド跡地にできた観覧車を眺め
(付録:空港バスにも車椅子のスペースができてました)
そして二日目のアクティビティデータは
冬の間はホント運動不足だったので
やっぱ外出するって大切だなと再認識
あと、今回買ったカバンと同級生なのでいつも何かオマケをいただくのですが
今回もかわいい小物入れをもらいました
おっと、備忘録なので往路のトレースも
普段は、海ほたるの真上を通過して
A滑走路かC滑走路に着陸することが多いのに
この日はどうやらB滑走路だったみたい
いつもながら楽しい旅をさせていただきました
さて、次はどこに行けるかなぁ~