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気取りも なんのてらいもなく  あるがままの自分を 感性の赴くままに そんな独りよがりの書き捨て日記です。

"できる人が、できる時に、できることをする" 2019 台風19号水害 【静岡&長野】

2020-02-18 17:47:01 | 生き甲斐

2019年10月

 

自治会の役員として

地元の秋祭り(10月13日)で布団太鼓の山車を引いた余韻に浸ってた頃

 

台風19号の被害が続々と伝わってきて

全国各地で土砂崩れや堤防の決壊で甚大な被害を蒙っているのを知り

 

これは一刻も早く現地に行かなければ

情報を集めていたところ

 

ほとんどの被災地が地元のボランティア限定で

県外からの受け入れをしていない中で

 

被害が広範囲にわたり人手が集まらずに困っていた

富士山の裾野で火山性の軽石による土砂で老人ホームが埋まってしまった被災地があり

一刻も早い復旧がのぞまれていると知り

 

開設されたばかりのボラセンに電話して

『県外からなんですけど、お手伝いできますか?』と聞くと

「是非お願いします」との快諾を得て

 

奈良市の社協に飛んでってボランティア保険に加入して

高速道路の減免申請をして

(2019年からネットで申請用紙を印刷して各自が準備するシステムになりました)

 

社員さんに『申し訳ない! 台風19号の災害ボランティアし行ってくるので数日休みますね。』と断りを入れ

翌朝のボラセンの受付開始時刻に間に合うようにと

夜9時半に奈良の自宅を出発

今回は、初の軽トラでの遠出のため

3時間後の0:24に新東名の岡崎S.A.に到着

な、なんと晩御飯を食べてるのに

体力勝負だからな!と自分に言い聞かせ夜食をガッツリ食べちゃいました

岡崎なので八丁味噌ラーメンとチャーハンセット

岡崎から2時間後、駿河湾沼津S.A.到着して

無理やり軽トラの中で4時間ほど仮眠

 

ホントはいざという時のためにテントと寝袋も持参してたんだけど

睡魔に勝てず、テント張るのも面倒になって

マニュアルなのでギアをローに入れてサイドブレーキを畳み

助手席に足を投げ出してドアにもたれかかりながらの仮眠

イヤ~ 正直辛かったぁ

実はそんな寝不足状態でしたが

ボラセンの受付開始時刻に間に合るようにと

S.A.のコンビニで朝食とその日の活動中用の昼食を調達

 

なんせカーナビのない軽トラのこと

スマホのマップアプリからの道案内でようやく駿東郡小山町のボラセンに到着

活動先となった老人ホームは 足柄峠のすぐ近く

↓写真の奥にみえる建物の中に

富士山の火山性土砂(ようするに軽石のような感じ)が

山肌から崩れて建物のガラスを割り

一階部分が埋まってしまったんだそうです。

運よく入所者は二階に避難していて全員無事

軽い土砂とはいえ一階部分を埋めてしまっていたのですが

 

またまた運よく近くの裾野の自衛隊によって土砂の掻き出し作業が行われ

その後の泥を拭き取るのがボランティアの活動となりました。

 

施設の職員と我々ボランティアの総勢100名ほどで

雑巾による床・壁の拭き取りと

雑巾をすすぐためのバケツと水の補給と交換

汚れた水を集めて一輪車で外の側溝に廃棄の班に分かれての作業となりました。

 

最初は、とても一日で終わらないだろうと思っていたのですが

ボランティアは休む暇も惜しんで作業するもんだから

なんと午後3時に完了してしまい

 

ボラセンに戻って続きの作業がないかと尋ねると

小山町でのボランティアのニーズがなくなったと聞き

 

さて、どうしようかと長野県の状況をスマホで調べてみたところ

千曲川の越水と決壊による甚大な被害を受けた

千曲市で軽トラの持ち込みを募集しているのを知り

ボラセンに電話して

『県外なんですけど、お手伝いできますか?』と聞くと

『遠方からすみません。よろしければお願いします』との快諾を得たため

 

翌日は千曲市で活動することにしようと

とりあえず長野に向かうための高速に乗るために通過する御殿場の銭湯を探し

汗と泥を洗い流してすっきり

寝不足もあってか、湯船に浸かってすっかりリラックスしてしまい

睡魔が襲ってきましたが

翌日のボラセンの受付に間に合うようにと

またまた御殿場からのルートを探ると・・・

 

須走から高速に乗れることがわかったのに

つい裾野方面にすすんでしまい気が付いたら富士ICのすぐ近く

 

仕方なく別ルートを探すと

新東名の新清水でおりて国道52号線で身延山下から甲府に抜ける道が案内され

 

富士川を源流方面に沿ってひたすら走り

南部町の冨澤で休憩(御殿場の銭湯を出て約1時間半後)

 

夜8時になんとか八ヶ岳S.A.に到着して晩御飯

お昼もコンビニで買ったオニギリだけだったのでハラペコだったけど

ヘタにお腹が膨らむと眠気に襲われて居眠り運転しちゃうかも

と我慢してました。

 

直接千曲市まで走ろうかとも思ったけど

宿がみつからなさそうだったので

また軽トラの座席での仮眠はあまりに辛いな

松本のホテルに泊まることにしたため

ガッツリと豚丼をいただいちゃいました(笑)

そうこうしてようやく松本に到着し

ホテルから買い出しに外出する元気もなく

ホテルの自販機でビールとチューハイを5本ほど買って

ホテルの部屋で独り打ち上げ

翌朝も、ボラセンの受付時間に間に合うようにと

7時半にホテルを出発

水害の被災地ではレストランもみつからないかも

と、姥捨S.Aで朝食を済ませ昼食用のオニギリを購入

朝から 長野名物 山賊焼き定食を食べちゃいました~

 

この日は、軽トラをフル活用してもらおうと

ニーズ待ちしていたところ

 

なぜか、女性3名と男は自分ひとりの4人グループで

独居老人(女性)宅での水に浸かった家財道具などの処分をする作業を拝命

 

一人の30代と思われる女性ボランティアの方は

やはり災害ボランティアの達成感に生きがいを感じ

これまでにも各地で活動してきた様子で

軽乗用車にスコップ、一輪車その他の道具類を積み込んで

前日も長野市で決壊した土砂の被災地で活動していたんだそうでした。

 

そのほかの2名は、

なんと地元千曲市の女子短大1年生(まだ高校生にしかみえない19歳

自分たちの家は被害を受けなかったので

初めて災害ボランティアに参加してきたとのこと

 

その4名で千曲川の堤防下ある被災された一戸建て住宅に到着

 

家主は70代の半ばほどの女性でしたが

衣類や女性の持ち物(下着や衣類ほか)を取り扱うため

気を遣わせないようにとのボラセンの配慮(女性のボランティアを割り当て)に

感心させられましたねぇ(そういう要望だったのかもしれませんが

実際には、水浸しになった畳や布団、ベッドに家具もあって

結構力仕事もありましたが

軽トラに満載して 地域の空き地までを

10往復ほどして

なんとかあとは被災者の方と身内の方で片付けられるところまで作業して完了

 

朝、初対面の知らない者同士なのに

同じ気持ちで活動していると

夕方にはすっかり旧知の友達のようになれちゃうですよぉ

 

もうツーカーって感じに(笑)

 

それから作業道具を積み込んでボラセンに帰ろうと

年長者として被災者の方に

『まだまだこれからも大変だと思いますが、どうぞ頑張ってください』と

お別れの挨拶をしたところ

 

被災された方も感謝の気持ちが高まって言葉にならず

頭を深く下げられた様子から

心からのお礼を気持ちが伝わってきて

初めてのボランティアで被災者の方から喜ばれたことに感激した

女子短大生の二人も ボランティアに慣れてるはずの人も

みんなで目頭を熱くしてしまい、なかなかその場を離れられなくなっちゃいました。

そんな出来事もありましたが

ボラセンに戻って女性リーダーに活動報告をお願いして

軽トラを洗っていたところ

 

その3名が出てきたものの

なかなか解散できない様子

 

『奈良からいらしてたんですか

『まだしばらくこちらにいらっしゃるんですか

とか

『昨日は長野市に行ってきたんですけど、被害が大きすぎてニーズがいっぱいでした』

と、まだまだ話しをしたそうな気持が伝わってきたのですが

 

娘のような若い女性から声かけられて恥ずかしかったのと

汗だくで泥まみれで、その上お腹がペコペコで

『今日は一緒に活動できてとっても嬉しかったです♪ ありがとうございました。またどこかでお会いできたらいいですね

と災害ボランティアフリークの常套句で

本心は後ろ髪をひかれる思いで見送ったのですが

 

あの充実感と達成感をあじわったら

ボランティアやめられなくなっちゃうだろうな

 

その日の宿は、昼ごはんを食べながら

ネットで探した格安の旅館に直接電話して予約を済ませていたため

とりあえず汗と泥を洗い流そうと

千曲市がボランティアのために無料提供してくれていた 戸倉温泉

この辺り、天然温泉が湧いているところで

この戸倉観世温泉も 素晴らしい泉質ながら市民温泉なんですヨ

とってもいいお湯でした

 

またまた地図アプリを使って旅館をみつけ

レトロな和室にチェックイン

一泊素泊まりでなんとたったの3500円ほどだったので

スーパーを探して食糧を持ち込んで

いつものようにひとり打ち上げパーティー

 

予約では、素泊まりだったんだけど

チェックインの時に女将さんに 水害ボランティアに来てると話たところ

『わざわざありがとうございます。自分たちは何もお手伝いできないので

せめてボランティアの方に朝食を差し上げたいのですがよろしいですか?』とのお話

 

まあ、なんと心の優しい宿なのかと感激しちゃいました

翌日は、前日一緒に活動したボランティアの方から聞いていた

堤防が決壊して大被害を受けている長野市でも

県外からのボランティアの受付を始めたことを知り

 

せっかく長野までボランティアしたくて来てるんだから

よりお役に立てそうなニーズをみつけようと

臨時のボラセンに向かったところ

 

受付時間前からこの様子

行列が長くて これは時間をロスするなぁ

と思っていたところ

 

大型バスの駐車場方面から

『受付は車内でしますから、本日からボランティアが入れるようになった豊野に行っていただける方はバスに乗車してください』

と声をかけられ

 

『これはヘトヘトになるまで活動できるぞぉ』と

すかさずバスに乗り込んでしまいました。

 

長野市は千曲川が決壊した場所の下流にあるため

大量の土砂が流れ込み

半端ない被害を受けたため

長野県じゅうの公務員や社協の職員が集められ

コーディネーターをしてるのですが

 

いかんせん、不慣れなのか要領が悪いのか

バスの中の担当者はいい加減でイライラさせられるし

座席の順にメンバー構成とリーダーが決められて

適当に『はい、じゃあリーダーお願いします!』と

いかにもボランティア初心者を指名

 

サテライトも初日だからか

道具や資材の受け渡しも全くダメ

 

ようやく割り振られたニーズ先に行くと

『もう自分たちで処理できるからボランティアはいりません』と断られ

サテライトに電話すると

 

その隣の家が人手が足りないから入ってくれと言われ

不慣れなリーダーはメンバーに指示もできずに

てんでバラバラに各自で作業をはじめたのですが・・・

なかなかの豪邸で4・50名のボランティアがいたのですが

家主なのか、その家族なのか

まるで自分の使用人にように指図されてビックリ

 

そのうえ、リーダーは常識を知らないのか

昼の休憩(といっても座る場所もなく道端に立ったままでしたが)の時も

一緒に来ていた会社の同僚のメンバーとSNSにあげるつもりで記念撮影

 

前日の活動がとても良かったので心底ガッカリしちゃいましたが

他のボランティアの人たちと心が通じ合えたのがせめてもの救いでした。

 

結局、午後3時頃になって雨がひどくなってきてその日の活動は中断

翌日も大雨の予報で活動できずボラセンも受付しないとの連絡を受けて

今回の活動を終了することにしました。

長野市でも無料提供されている温泉があったので

とても貴重な公民館にあるという松代温泉に行き

とりあえず汗を流して 奈良に向かおうと思っていたのですが

ぬるめのお湯に ゆっくりと浸かったからか

それまでの疲れが一気に出てしまい

これから450キロを運転して帰るのは無謀かも

と、もう一泊することにしちゃいました。

 

前日の旅館はその日は満室で部屋がとれず

同じ上山田温泉のホテルに泊まり

これまたスーパーで買った食材で ひとり打ち上げ

酒の勢いで爆睡したおかげか

早朝に目が覚めたたので

 

一気に奈良まで帰ろうと

外を眺めていると

温泉の裏山になにやら建物があるのを発見

これは行ってみなければと登ってみたところ

善光寺の別院と書いてあるけれど

いかにも怪しげなお寺や 子宝に夫婦和合の神さまやら

日本歴史館なる B級施設があってビックリ

ググッてみたところ

上山田温泉って長野では珍しい歓楽街が売りの温泉だったんだそうです。

昔は、農協やらなんやらと団体さんで大賑わいしてたんでしょうねぇ

 

そのまま載せたら捕まりそうなご神体(?)に苦笑しながら 上山田温泉とはお別れし

高速のIC近くで朝食を食べ

長野道、中央道をひた走り

懐かしの駒ケ根で休憩して

約6時間後に奈良に到着

遅めの昼食は 大好物のラーメンの大盛り

 

総走行距離は 1,313.2キロメートルでした。

 

今回もいろんなことがあったけど

いっぱい優しい人達に会えたし 自己満足できて良かったなぁってお話でした。

 


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