キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

禅寺でのお話〜自己責任論について〜

2019年08月24日 | Weblog
京都の両足院というお寺で座禅をさせていただきました。
何でもここは京都で最も古い禅寺とのことです。
そこでの副住職さんのお話が興味深かったので、ちょっと紹介したいと思います。
 
 
座禅の目指すところは、頭の中を空っぽにして何も考えないようにする事ではありません。
自分と外の世界の境界をなくす。
外の世界=自分の体=自分の心、とする。
そして、その世界全体を客観的に眺める。
これが目指すところです。
 
 
ところでこの座禅の目指すところと対極に位置する言葉が最近流行っているので心配しています。
『自己責任』
です。
 
 
幸せになるのも、不幸になるのも、個々の人の自己責任。
外の世界と自分との境界をはっきり区切る個人主義です。
 
 
自分と外の境界をなくし、自分を世界の一部とする、つまり他人の幸せも悲しみも自分=世界の一部とする座禅の考えとはまさに対極です。
 
 
もちろん、自分が責任感を持って努力する事は大切です。
でも、強い人もいればどうしたって弱い人もいる。
運のいい時もあれば悪い時もある。
そもそものスタート地点が違うこともある。
それが現実の世界です。
 
 
その全く平等ではない現実世界の中において、自分は自分だ、その外のことに自分は責任を感じない、と言い切る自己責任論が優勢になっているのだとしたら、日本はとても冷たくて住みにくい世界になってきているぞ、と警鐘を鳴らしたいのであります。
 
 
このお話、説教っぽくて、宗教っぽくもあるけれど、僕は共感します。


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