キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

オクトーバーマラソン

2011年10月30日 | Weblog
毎年10月は、一年を通じて最も走る距離が長い月だ。

オクトーバーマラソンという企画がランネット上で開催され、10月中の練習記録を参加者で共有しあって励みにする。
名大倶楽部のみんなでこれに参加したのが2009年。
以来3年間、この企画に参加し続け、10月だけはいつも以上に粘っこい、あきらめの悪い練習をする。

10月というのは、なんともちょうどいい時期だと思う。
冬の本格的なシーズンを前に、ここで走りこんでおくと、そのあとが随分楽になる。
僕の場合は、毎年最初の目標は11月末の河口湖マラソンだから、それに向けてもちょうどいい鍛錬期になる。

今日、目標までの残り15kmを消化すべく皇居へ遠征した。
小雨交じりの中を3周。
なんとか今年も目標を達成できた。

オクトーバーランを達成したからと言って、記念品がもらえるわけでもないし、とくに得することはない。
でも、目標をなんとか達成するために、平日の帰宅ランや休日の半日を費やしてこつこつと走っていく、そんな時期が一年に一度あるというのもいいと思う。
なにより、これがないと自分がやることをやった状態でスタートラインに立ったとは言えないような気がして、だめだ。

パプア人から見た日本

2011年10月27日 | Weblog
今、会社にパプア人の学生たちが研修に来ている。
その彼らと、日本の大学生たちが交流する場があった。
その中で、

「日本に来る前と、日本に来た後の、日本に対する印象はどう変わりましたか?」

という質問があがった。

7人のパプア人たちはみんな個性がばらばら。
シャイなのもいれば、クールだったり、ひょうきんだったり、ひねくれていたり。

そんな彼らが、上の質問に対して共通なことを言っていた。

「日本に来る前は、日本はTechnologyという印象しかなかった。」

「飛行機から見た日本の夜景に驚いた。どこまでも光が続いていた。」

「日本に来て、安全なのが印象的だった。」

特に3番目については、夜に女性が一人で歩けることが信じられないことなのだそう。
実際、女性のパプア人研修生は夜に買い物に出歩くことが楽しみなんだとか。

生まれてた時から日本にいる僕にとって、夜に一人で外出することに特別な意味なんて感じていなかった。
そんな、気付きもしなかった「安全」に、いまさらながら感謝。
そして、この安全が世界に広がっていきますように。

東北のいま・これから - 中越地震から東日本大震災へ - (2)

2011年10月24日 | Weblog
これまで僕が東北へ行ってボランティア活動をした事は、いわば復興活動の末端の手足となって働いたわけだ。
それに対して、JENのような復興支援団体が行っているのは、これら手足をうまく、効率よく使って復興を迅速に、正しい方向へ導くということ。
いわば、復興にかかわる手足のマネジメント。

このようなマネジメントは、復興支援だけではなく、発展途上国に対する先進国の支援にも同じことが言える。
例えば青年海外協力隊として途上国に赴いた隊員が、現地の人と一緒に畑を耕していたらどうだろう。
その隊員は現地の人と一緒に汗を流し、感謝され、充実感もあるだろうが、それならば日本人でなくてもよくて、現状からなにも進まない。
やはり隊員がすべきことは発展のためのマネジメントなのだ。

前までは、上記のようなマネジメントを外の人間が既存のコミュニティに入って行う必要性に懐疑的だった。
現地には現地のやりかた、生き方があって、いくら外から見て「もっとこうしたらいいのに」と思っても、現地人にしてみれば余計なお世話なんじゃないか。
わざわざ外から来た人が新しいことを始めなくても、現地の人たちの力はそんなに弱くないんじゃないか。


しかし、石巻で被災し、今はJENのスタッフとして復興支援をしている方の言葉は違った。

「外からのアドバイスがどんどん欲しい。現地の人たちは生きていくだけで必死で余裕がなく、考えが凝り固まってしまうから」



この言葉で上述の疑問が全て解消されたわけではないが、大きなヒントになる。

東北のいま・これから - 中越地震から東日本大震災へ -

2011年10月24日 | Weblog
NGOのJENが開催する『東北のいま・これから - 中越地震から東日本大震災へ - 』というイベントに参加した。

JENは、国内外の紛争、災害からの復興を支援するNGOだ。
夕夏がJENのサポートスタッフという立場でこのイベントを取り纏めていたため、本番だけ参加させてもらった。

午前は、JENの国内での復興支援を紹介した写真展。
午後は、中越地震や東日本大震災での被災者や、石巻で復興支援活動を行っている方のお話を中心としたワークショップ。

以下、印象に残ったこと。


石巻出身で、ご自身が被災され、それでも復興の助けがしたいとJENのスタッフになった方の言葉。

「たまたま年が下過ぎず、上過ぎなかった。このチャンスを逃したらいけないと思った」

僕が東北へボランティアへ行こうと思った動機は、「今しかできないこと、これをチャンスとして自分の中に何か残したい」だった。
でも、そんな風に考えることが正しいように思えず、不安だった。
今日、同じように考えている人がいて、これをチャンスと考えてもいいのかなと、少し思えるようになった。



「復興の手助けがしたかった。でも、人は霞を食べて生きているわけではないので、お金も必要だった。その二つが合わさったのがJENだった。」

「石巻の漁港の若者たちの言葉。『津波がいいものも、悪いものも、全て流してゼロにしてくれた』」

「最近の東京の震災関係の報道は、被災者の笑顔だったり、復興がここまで進みましたというものばかり。実際はまだ全く復興していない。そのギャップが大きい。」

被災地では、まだ「なんとか復興できそうだ」という気持ちすら持てないという。
それだけで、随分報道や僕らの意識とのギャップがあると思う。


(何が今一番必要ですか?と問われ)
「細かなニーズがあり過ぎて集約しきれていない。でも、『被災地の願い』は忘れないでほしい。
そういうこともあったよね、ではなく、現在進行形で考えてほしい」





中越地震で被災され、その後限界集落だった地元をJENとともに脱限界集落に成功した方の言葉。

「外からボランティアが入ってきて、まず最初に考えるのは、『この人たちはいつまでいてくれるんだろう』ということ」




JENの理事の言葉。

「海外でも国内でも共通していることは、ボランティアに入るときに、現地のしきたりに従ってあいさつ回りをすること。
外から見れば『サポートをしてあげる』だが、中から見ると『欲しくもないものを受け入れる』わけだから、きちんと仁義は切る」




このイベントが始まる前、ワークショップに出席してくれる人数が定員を大幅に下回り会が成り立たないんじゃないかという心配があった。
しかし、ふたを開けてみれば本当にたくさんの人が集まり、そして上記の言葉を含め、いろんな意見を交わしあうことができた。
みんなが真剣に東北の復興について考え、意見を出し合い、耳を傾けた。
大成功だと思う。


平日の夜遅くまで連日準備のためにがんばっていた夕夏が作り上げたイベント。
大きな大きな意味のあるものになった。
ありがとうと、お疲れ様。

富士・鳴沢紅葉ロードレース

2011年10月17日 | Weblog
富士・鳴沢紅葉ロードレースのハーフマラソンに出場した。

このコースはとにかくもう、10㎞におよぶ上り坂と10kmにおよぶ下り坂に尽きる。
つまり、最初の10㎞はひたすら上り続け、後半の10㎞はひたすら下る。
こんな極端なコース、初めてだ。

少し紅葉の始まった富士山麓、民家も殆どないような別荘地帯がメイン。
青梅マラソンの教訓から、絶対に「上りで無理しない」を心掛けて、前半はどんなに抜かれようとのんびり上り続けた。
ここで、先週の高尾山でのトレランが生きた。
上るときに体を前傾せず、足の乳酸を取り除いていくような感覚で走り続ける。
すると、上りでも前腿をあまり消費せずに走れる。

がまんして、がまんして、ようやくてっぺんまで上ったかと思うと、あとはもうひたすら下る。
上半身を思い切り大きく使って、前足部接地で一気に突っ走る。
ここでも先週のトレランが生きたのか、はたまた短距離の名残でスピードを上げることに慣れているのか、前半で抜かれた分を一気に抜き返した。

これまでのマラソンではいつも心肺機能よりも筋肉、特に下半身の疲れによってスピードを落としてしまうことが多い。
ゴールしたときでも息はそんなに上がっていない。
その代わりに、筋肉はがちがちに固まって悲鳴を上げている。

でも、今回は違った。
後半の下りでは、ただ重力に身を任せるだけ。
どれだけブレーキをかけないかを考えるだけ。
だから足の筋肉は全然使わない(使っているように感じない)。
その代わりに、スピードとそれに伴う上半身の大きな動きから、呼吸が苦しい。
あえぐように息をしないと、胸が苦しい。
その苦しさのせいで、スピードを制限してしまう。

それでも、もっと走り続けていたい、そんな美しくて、そして楽しいコースだった。

記録は1時間35分50秒。
当初は自己ベストかと思ったが、2年前に1時間32分30秒を出していたことに気付いた。
それでも、常にアップかダウンのコースでこのタイムが出せたことはうれしい。

ずっとフラットなコースよりも、こちらの方が飽きずに楽しいというのが一緒に参加したメンバーの共通の意見。
まだ2回目の若い大会。
また、刺激を求めて出てみたい。

山登り(トレイルラン)

2011年10月13日 | Weblog
高尾山でトレイルランをした。
一年ぶりで、メンバーもサブスリー2人にトレイルランナー1人という強豪ばかりで、ついて行くのに必死。
山からの景色なんてろくに見れていない。
その分、ふっと横を見て気がついた景色に驚く。
こんなところに今自分は存在して、走っていることに。

山へはこれまで何度も登りに行っているが(会社の登山部にも所属しているが)、趣味が山登りと言ったことがない。
たぶんそれは、一般的に言うところの山登りの要素が好きなわけではないからだと思う。

山の名前や、高さや、地形や、頂上までの行程計画など、およそ登山愛好家が得意としていることにはまるで不得手だ。

ではいったい、なにを求めて山へ向かうのか。

これまであまり考えなかったことを、いやもしかしたら山を登っている間に何度も考えて、そしてその度に忘れてしまっていたことを、少し落ち着いて考えてみた。

とりあえずの結論。

どこの山でもいい、どんな高さでもいい、ただ登っていること、走っていること、そしてそこにある非日常的なリスクの中で自分と向き合い、何かを感じていること、そんなことが僕を山に誘うんだと思う。

僕たちは世界をかえることができない。But, we wanna build a school in Cambodia.

2011年10月09日 | Weblog
『僕たちは世界をかえることができない。But, we wanna build a school in Cambodia.』を観た。

最初にこの映画のタイトルを見たときは正直、なんて長くて、センスのないタイトルだと思った。
ポスターにはいかにも爽やかな若者4人の笑顔。
まるでジャニーズ?
主演は最近売れ筋というイケメン俳優向井理。

どうせイケメンの若者たちを前面に出した薄っぺらい内容なんだろうと、勝手に先入観で固めていた。

それでも「カンボジアに学校を建てる」という響きに魅かれ、大いに期待せず映画館へ向かった。


まあ、この文の流れからわかると思うけど、結果としてはその期待はいい方向へ裏切られた。

映画の大きな流れは、大学生がお金を集めてカンボジアに学校を作るというもの。
でも、単純にそれだけでは終わらない。
映画は大きく世界を広げていく。

この手の映画を作るにあたっては、カンボジアの歴史を避けては通れない。
それはそうなんだけど、最低限の歴史だけさらっと知ってもらおうなんて軽い感じでは済まさない。
ドキュメンタリータッチな撮り方も手伝って、胸がずきずき来るような、ずっと深いところまでえぐってくるような。

カンボジアでのエイズの問題も、単に数字だけで説明するのではなく、人と人の触れ合いを通して、より感情的に刻み込もうとしてくる。

さらに、今どきの大学生たちの文化、力を映し、若者の行き場所のない悩みを生々しく、そして正直に描く。
その結果としてのカンボジア。
だから深くて重い。


映画を観る前は、カンボジアに学校を建てたいと思う主人公は、きっと正義感に燃えるヒーローのような男だと思っていた。
でも、実際は全然そんなことはなかった。

この映画で、最もいいと思ったことは、
I wanna build a school in Cambodia.であって、
We should build a school in Cambodia.ではないこと。

観客に向かって「カンボジアに学校を建てることはいいことです」とか、「カンボジアをみんなで救いましょう」というようなメッセージは何一つ発していない。
ただ主人公たちは、カンボジアに学校を建てたかった。
それを描ききったところがいいと思う。

それと、僕の大好きなブルーハーツの「青空」が、とってもいいところで使われていて、うれしかった。

マウイマラソン

2011年10月09日 | Weblog
こんなに暑くて、アップダウンが激しくて、直射日光を受けて、景色が単調で、そして応援がまばらなフルマラソンは初めてだった。



マウイマラソン。

ひょんなきっかけと勢いから、初めての海外マラソンに夕夏と会社仲間で出場した。



日の出前のマウイ島。
朝5時にスタート。
マラソン大会で初めて先頭集団に入った。
真っ暗な島の道路を先頭集団の中で走る気持ちよさ。
でも、すぐにずるずると遅れ、一人、また一人と抜かれ始める。
朝陽が顔を出し、そびえる山々がとてもきれいだ。



そんなことを思っていたら、すぐに暑くなってきた。
陽を遮るもののない一本道。
海岸線を走っているはずなのに、急なアップダウンの連続。
ハワイ島と同じように火山活動によってできたこの島は、ゴツゴツと岩がちだ。



20キロを待たずして、心も体も弱ってきた。
これまでのマラソンでは常に周りに多くの選手がいて、一緒に走っているという気持ちが背中を押してくれていたが、こうも選手がまばらでは…。
そして、沿道には殆ど人がいない。
いても、泳いだり、のんびりしたりと、自分たちのバカンスに余念がない。
こんな暑い中で苦しそうに走っている選手たちには、理解と興味を示さない。
応援から力を貰うのが大好きな僕は、だれか応援してくれる人を探してフラフラな頭をキョロキョロさせる。
たまに、「Good Job!」、「Go! Run!」と言ってくれる人に、力を貰う。



残り、15㎞。
もう、フラフラ。
歩きたい。
青梅マラソンのときもよっぽど歩きたいと思ったが、今回はフルマラソンの分、その苦しみが長い。
歩きたい。
抜きつ抜かれつしていたおじいさんが、「私はもうだめです」と言って、遠く後ろへ下がっていった。
僕も歩きたい。歩いたら、どんなに楽だろう。
それでも、歩きたくない。



直前に読み返した村上春樹の『走ることについて語るときに僕が語ること』に書いてあった言葉を何度も頭の中で繰り返す。
「少なくとも最後まで歩かなかった」
そう、ただ、そう言いたいだけ。
理由なんてない。
なにか一つ、胸を張って言える、真実がほしい。



のどがカラカラだ。
給水のたびに、赤く色のついた謎のスポーツドリンクを飲む。
普段、給水は最小限にしかとらないのに、これほどに給水所が待ち遠しい。
永遠に続くと思われたビーチが終わり、リゾートエリアの広大な(いまいましい)ゴルフ場をどうにか抜けた。



景色というのは、それを見る人の精神的状況によって、こうも見え方が変わるものなんだ。
あんなにきれいだと思っていたマウイの景色が、目に入ってこない。
ただゴールしたい、いや、歩きたい一心。
なんとか、ぎりぎりという言葉がぴったりのゴール。



4時間43分。
ぼろぼろだ。
なんとか、完走したという感じ。
そう思っていたら、1時間間違えていて3時間43分だった。
1時間も間違えるほどだから、どれだけ頭が朦朧としていたかがわかる。
最初にスピードを上げた分、後半のヨレを多少吸収して、3時間台で走らせてくれたか。
気持ちとしては、4時間を超えていてもおかしくない走りだった。



他の会社仲間も無事に全員完走。
この大会が初フルマラソンの人が2人いた。
皆が疲れ切っていたが、達成感に満ち溢れた顔をしていた。



プールサイドで巨大ハンバーガーとハワイ特産の苦いビールで乾杯。
実は会社では殆ど繋がりのない僕らが、こうしてマウイのプールサイドでマラソンを熱く語りながらビールを飲んでいる。
考えてみると、なんとも妙な、変な、でもうれしい状況だ。