キャラバン サライ

夢は大空へ、努力は足元で、世界に目を向けながら足元から子供たちを見直していきたいと思っています。

物欲と投資

2009年08月20日 | Weblog
日本に帰ってきて数日が過ぎた。
今回に限ったことではないが、海外滞在から帰ってくるとお金の消費が激しくなる。
これも欲しい、あれも必要なんじゃないか。
ふっと「少し使いすぎじゃないか」なんて思うときには、
「海外ではあまりお金を使わなかったし、自分へのご褒美だから」なんて言い訳を自分にしている。
気がつくと、財布に入れてあったお金がすっからかんで愕然とする。
もし、僕がクレジットカードを使う人だったら、1ヵ月後に明細書が届いて初めていくら使ったのか気がつくんじゃないか。

物欲には際限がない。
際限があると思って、これで最後だと思っていても、その期待は簡単に裏切られ、次に欲しいものがすぐに首をもたげる。

これは欲しいものの中でも優先順位が高くて必要だからと思って買うと、すぐに次に優先順位の高いものが必要に思えてくる。
そんな感じで、優先度の高いもの、必要だと思うものを次から次へと買っていったら、世の中のもの全てが必要だと思えてくる。

それは、本当に「必要」なものか?
「あったらいいな」ではないのか?
それは、僕の「物欲」から来ているものではないのか?

日本に戻って4日目。
そろそろ、はっと立ち止まって考えようと思う。
買おうとしているものが「物欲」からなのか、「生活必需品」なのか、それとも「自分への投資」なのか。

食材は生活必需品だけど、外食は物欲。
下着類や会社用のシャツは生活必需品だけど、ファッションは物欲。
電化製品は基本的に物欲。
試験や勉強のための本は自分への投資。
走ることは自分への投資。

写真を撮ることや、本を読むことは本来物欲だけど、これらは ”考えて” 自分を豊かにしたい。
好きなことに関して考えることは苦ではない。
こうして考えることは、ある意味で自分への投資だとも思う。

当面は、こういう行動規範で行こうと思う。

ブータン~3日目・上~

2009年08月20日 | Weblog
相方の趣味がいろんな国で飲んだビールのラベルを集めることなので、それに乗じて僕も集めよう。
一人の食事。
もそもそとビールのラベルをはがす。
相方のことを考えながらはがす。
ブムタンの宿の人が、「このメーカーのビールは以前試したが、ラベルがなかなかはがせない」という。
そう聞いては引き下がれない。
部屋に持ち帰り、水に浸し、ゆっくりゆっくり20分かけてはがした。
翌朝、宿の人にラベルを見せて自慢した。
相方がビールラベル集めが好きなのは、ただのコレクションではなく、そのビールを飲んだ状況、一緒に飲んだ人、話した内容などがそのラベルにこめられているから。
このラベルにも思い出が出来た。
ビール名は、Red Panda Beer。

アメリカ人団体観光客についての続き。
人数が増えるほど、人間関係は複雑になるのが世の常。
そして、それぞれがそれぞれの役割を演じていくことになる。
自分の存在を主張し続ける人、それにべっとり引っ付いている人、その聞き役に回る人、道化を演じて人気者になる人、それを白い目で見て別のグループを作る人、リーダーになる人、それを補佐する人など。
人間社会にいる以上、何かの役にはまるのは避けられない。
避けるには、ひきこもりやネット社会に生きるしかない。
とは言え、リフレッシュの旅行中はできるだけこういう事からはフリーでいたい。

すごい!ブータンでは寺の中は写真が不可だが、まるで洞窟のよう。日本の寺とはつくりが違う。そして、生きている。小坊主たちが、そこら中をひっくり返して掃除をしているかと思えば、ふざけ合って柱をよじ登ったりしている。さながら小学校の掃除の時間。そのどたばた掃除が一通り終わると、偉そうなお坊さんが現れて、それでようやく我々外国人は少しの時間だけ仏像のある部屋に入れる。
そのなんと神聖な感覚。
なぜそう感じるのか不思議だが、薄暗い中にいくつも置かれ、人々の信仰の対象として今もそこにいるそれらが、本当の意味で仏教徒ではない僕にも圧倒的な存在に感じた。
お寺がしっかり守られている。
でも、過保護にされているわけではない。
今も昔と同じように、小坊主やお坊さんや村の人に使われている。
僕の参拝中もブータン人の家族がお参りに来ていた。

ブータンでは、タイやラオスと違い、子供たちは一度モンクになると基本的はずっとそのまま。
そういう意味では日本に近いか。
Give Upもできるが、それは本人にとっても家族にとってもよくないこととされる。
彼らは、お寺という共同生活の中に人生があるのだ。
だからなのか、このお寺の中でよりいきいきと動き回って見えるのは。
ある部屋を外から小坊主たちが覗いている。
どうしたのかと聞くと、中で小坊主二人が喧嘩しているそうだ。
そんな、日本の子供たちと同じような生活の中で、ブータンの小坊主も育っていくのかと思うと面白かった。

ブータン~2日目~

2009年08月11日 | Weblog
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ウォンデイ・フォダンからブムタンまで終日車移動
ブムタンの町探索
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オーストラリア人の父子と宿が同じになった。
父の方は、ブータン人がいかに英語が出来てすばらしいか、さらに英語という言葉がどれだけ素晴らしいかを熱心に語っていた。
確かに英語が出来れば国際的には強い。
でも、英語自身がすごいわけじゃなくて、それぞれの言葉にはそれぞれの強さがあって、母国語が英語の人はそういうところをなかなか感じられないのかもしれない。
僕のやっかみかもしれないけど。

町でガイドのドルジが何か草のようなものを食べていた。
聞くと、一種の覚醒作用のある草らしい(コーヒーのようなもの?)
ドマ・バニーという。
草と実をミントと一緒に食べる。
食べると不思議と口の中が真っ赤になる。
ブータン人の口の周りが赤いことがあるのはこのためだ。
言い伝えでは、昔、人の肉を食べていたブータン人に仏教が伝わり、人の肉を食べる代わりにこの葉と実を食べるように勧められたと言う。
すなわち、葉は人の皮、実は人の骨、そして赤くなるのは人の血の代わりだという。
肝心の味のほうは、渋くて、口の中に残って、違う意味で目が覚める。
これをブータン人は日に3回、多い人は20回も食べるそうだ。

道の途中で、チベット仏教によくある大きな仏塔があった。
周りは霧に囲まれていて、視界は悪い。
その仏塔の周りで子供たちが遊んでいたので、車を止めて貰った。
何をして遊んでいるんだろうと思って覗き込むと、男の子が黒い袋を渡してくれた。
何が入っているうだろう。
口を下に向けて振って見ると、変な虫がいくつもぼとぼとと落ちてきた。
かなりびびって袋を落としてしまった。
こうして驚かすのが好きなようだ。

子供と遊ぶとき、二通りの遊び方があるように思う。
大人が主導権を握るのと、子供が主導権を握るの。
大人が子供を集めて何かをするとき、つい何をするか、ルールはどうするか、いつ終わるかなど全て大人が決めてしまいがち。
でも、子供はちゃんとそれら全てを決める能力を持っていて、子供にとっては大人よりも頭がいいはず。
子供が遊びも大人もリードしていく遊びの方法はいいと思う。

仕事ばかりでは、心が乾いてしまう。
旅行ばかりでは、心が浮いてしまう。
心を柔らかく、かつ根を張って、そして成長していく生き方のバランスが大切だと思う。

ブムタンの宿には、アメリカ人の30人くらいの団体客がいた。
大半がリタイア後の老人たちで、その中に若いヒッピーっぽい若者もちらほら。
各人の雰囲気もそれぞれで、ずっとしゃべり続けている人もいれば飲んだ暮れもいて、高貴な家柄のような夫婦から、突然泣き出す人まで。
これだけの人数で数週間行動をずっと共にするのは、なかなか忍耐が必要なんじゃないか。
お昼時に宿に戻ると、この団体が見当たらない。
もう、彼らは移動したの?と聞くと、宿の人は苦笑いで
「実は、彼ら朝からミーティングしてるんだ」という。
事の発端は、今日の彼らのスケジュールがハイキングで、運悪く天気は小雨だったことらしい。
彼らの予定では雨天中止となっているが、これくらいの雨なら行けるという人と、宿でゆっくりしたいという人に意見が真っ二つに分かれて決着をみないそうだ。
そこに、これまでの旅の中で積もっていたうっぷんが噴出し…
想像するだけでうんざりする。
いろんな年代、性格、嗜好、目的の人がたまたま偶然グループを作り、それで一つしかない旅を何日も共にするなんて土台無理な話だと思う。
それぞれが貴重な時間と高いお金を払って来ている以上、できるだけ自分のわがままを通したがる。
と、同時に人のわがままを我慢するために来ているわけじゃないわけだから、みんなの不満は募るばかり。
こういう団体旅行は、僕が旅に求めているものと対極にあるような気がする。
いくら安くても…。

香港

2009年08月09日 | Weblog
たまたま香港へ寄る機会がある。
そこで観光するか日本へ真っ直ぐ戻るか迷った。

香港、と聞いて想像するのは映画。
ジャッキーチェン。
同じ中国でありながら、まるで違う国のような大都市。

これまで香港が行きたい国の上位に来ることはなかった。
うーん、行くべきか、行かざるべきか。

試しにネットで香港を調べてみると、

「グルメとショッピングの香港」
「中国からの厳選された料理たちとアジア随一のブランドひしめきあう都市」

…この歌い文句からでは、なかなか日本から香港へ重い腰を上げるのは難しいかも。

それでも、日本の近くにあって、常に存在感の強い国。
一期一会、これも何かの縁、百聞は一見にしかず、グルメとショッピングの街ならそれはそれで見てみようと思い、ちょっとだけ行ってみる事にした。

同性愛者

2009年08月05日 | Weblog
今、出張という形で3週間くらいまたカタールに来ている。
前回とはまた違うプロジェクト。
プロジェクトが変われば、ルールも違えば雰囲気も違う。

このプロジェクトには、男の同性愛者が多い。
正確に言うと、同性愛者だと見てわかる人が多い。

調べると、ゲイという言葉は差別的用法ではないので、以降ゲイと呼ぶ。
ちなみに、ホモは差別的な意味合いが少なからずあるそうだ。

日本の僕の周りには、少なくとも僕が認識している範囲では、ゲイを知らない。
確かに、ゲイバーとかに行けばいるのは知っているが、身近にはいない。
でも、それは表に出していないから、もっと言えば出せない環境だからだと思う。

統計では平均として国民の2-5%はゲイだという。ある国で多くて、ある国では少ないというのも変な話なので、多分日本にもけっこうな人数がいるはずだ。
でも、このプロジェクトにそれと見てわかる人が多くて、日本では殆どわからないというのは、その地域、集団がゲイだということを表に出せる環境かどうかそれだけの違いだと思う。

なぜ、前のプロジェクトでそういう人をあまり見ることがなく、このプロジェクトで多く見るのか、はっきりしたことはわからないけど、多分、力を持っていた人がたまたまゲイで、その人がそれを表に出す人で、そのおかげで他の人も隠さなくていい雰囲気になった、というように予想する。

ある人がゲイだとわかっても、誰も(少なくとも仕事上は)差別するようなことはないし、気軽に話しかけられるし、たまたまかもしれないけど、彼らは明るくて楽しいし(人生に対して強くて前向きな人じゃないと、ゲイだということを外に出して生きていけないんだと思う)、この集団に溶け込んでいるように見える。

同性愛者だけではないけど、それぞれ個人の特徴を生き生きと外に出せる集団があって、方やそうでない集団があれば、やっぱり前者の方がいい集団なのかなと思う。

ブータン~1日目・下~

2009年08月01日 | Weblog
現在、Bhutanを旅するには1日200ドルを政府に払わなければいけない。
ブータンも国際化に伴って、このルールが次第に緩くなっていくのかと思いきや、来年からは1日250ドルに値上げされるようだ。
理由はいろいろあるんだろうが、ドルジが言うにはリッチでない人、いわゆる格安旅行をしている日本人学生のようなバックパッカーは、ブータンの文化やしきたりを守らず、民衆の信仰の妨げになりかねないからだそうだ。
1日200ドルを払える人ならば、紳士的な可能性が高いというわけだろう。
確かに、ブータンから1日250ドルのルールと旅行会社を通したガイドを伴わなければいけないルールを廃止したら、世界中から、特に日本からの若者バックパッカーが殺到するだろう。
その中で、今のブータンの文化を維持するのは無理だと思う。
一方で、ドルジは日本からの旅行者は老人ばかりだと嘆いているが、それは仕方のないこと。
僕も大学のときにブータンへ行きたかったが、上記の理由で諦めたのだから。

ブータン人は英語が堪能だ。
これが、ブータンに来て最初に驚いたこと。
ブータン人は一般にゾンカ語(中国語に近いように聞こえる)を話すが、英語も公用語。
多かれ、少なかれ、ブータン人は英語を話す。
学校では、理科と数学が英語を使って行われる。
これは、インドなど他の国では当たり前に行われていることだが、日本ではまだまだ一般的ではない。
このせいで、海外でエンジニアリング関連の仕事をすると、その手の言葉を英語で一から覚えないといけないため大変だ。
これに対して、インド人や東南アジアの人たち、アラブの人たちは元々英語で勉強しているため語彙が豊富でどうしても会議の場などで不利だ。
表現力豊かな日本語で考える力を養うのも大切だと思うが、「相対性理論」など、もともとなかった日本語をがんばって作って覚え、さらに改めて英語の言い方を学ぶというのは、二度手間で無駄があるようにも思う。
でも、日本が技術立国である所以の一つは、日本語でものを考えることにあるような気もするし…。

ブータンでは、大学進学率が上がっている。
ブータン内には数えるほどしか大学がないので、ブータンの大学にいけない人はインドやネパールの大学へ行く。
大学を卒業すると、そのプライドから農業に従事する人は少ないそうだ。
人気の職業は公務員。
次いでサラリーマン。
これらの職にありつけない人は、旅行ガイドや商店を営むそうだ。
そのせいで、農家の人口はどんどん下がる。
他の国と同様、ブータンという国も大きく変わろうとしている時期なんだ。

どうやら、一人旅の楽しみ方をずいぶんと忘れてしまっていたようだ。
というよりも、二人旅の楽しさを知ってしまった。
以下、一人旅の利点と欠点。

<利点>
*何をするにも自由。
*何かをするとき、その結果失敗することに対して相手への影響や気持ちを考える必要がない。

<欠点>
*写真を撮るときや何かに参加するときなど、仲間がいたほうが積極的になれる。
*食事で、最初の一言「おいしい」を言う相手がいない。思いついたことを話す相手がいない。
*きれいなものを見たり、感動したりしても共有することができないため、つい写真に残そうと思い多く撮ってしまう。結果的に伝わらないことが多いのに。

僕は、写真が好きなんじゃなくて、自分がきれいだと思うものを作ることが好きなんだ、と思った。
バンコクである絵葉書を見てそう思った。
その絵葉書は、背景は白黒で中心にいる子供モンクだけがカラーになっている。
加工している写真なんだけれど、きれい。
写真家に言わせればそんなものは邪道なんだろうけど、「きれいなもの」という点で言えばこれはこれで一つの作品だと思う。
高校のころは、よく撮ったデータをパソコン上で加工したり、写真そのものを切った貼ったして画用紙に貼り付けたりして自分のきれいだと思うものを作っていた。
最近は、どうも写真そのものにこだわっていたように思う。
写真は写真。
それをどう扱おうが僕の自由。
帰ったら一枚の写真でいろいろ遊んでみようと思った。

そうだ。この旅行中、腹筋をがんばろう。

ブータン~1日目・上~

2009年08月01日 | Weblog
6月30日から7月10日まで、帰任後の休暇を利用してブータンを旅行してきた。
実際には、6月30日と7月1日は、タイのバンコクにおり、7月10日は一日中日本への帰国だったので、実質ブータンでの旅は8日間。

これまで、旅行後の感想はそれぞれテーマを決めてばらばらと書いていたけど、今回は少し趣向を変えて、日にちごとに追っていこうかと思う。
今回は一人旅だったこともあり、その都度思ったことをノートにひたすら書いていったので、テーマごとに書くと発散していきそう。

どこへ行って、何を見たのかを中心に書くつもりはないので、それは文頭にまとめようと思う。
ブータンとは直接関係のないことも、そのときにたまたま思ったという理由だけで書くかもしれないので、ブータン旅行の参考にはならないと思う。

それでは、一日目。
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夜中にバンコクで泊まっていたホテルから空港へ。
ブータンのパロ空港へ(ネパールのカトゥマンドゥ経由)。
ガイド(ドルジ)とドライバー(イッシ)と合流。
首都のティンプー経由、ウォンデイ・フォダンで宿泊。
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前にも書いたが、ブータンは他の国と大きく異なり、旅行が大きく制限されている。
その制限の中でも最も大きいものが、必ず旅行会社を通したガイドを常に伴わなければいけないことだろう。
そのために、生まれて初めて最初から最後までツアーという形態の旅行をした。
結果からみると、ガイドがいないととても自由に旅行できる国ではないと思ったし、ガイドがいたからこそ逆に自由に旅行できたという印象もある。
でも、慣れないガイドという存在が常にブータン旅行をしていつもと異なる緊張感と感情を伴わせていたことは否めない。

今回、ガイドになったのはドルジという長身の若者。
一緒に旅をする相手としてイッシというドライバーも。
偶然だが、ドルジが24歳、僕が25歳、そしてイッシが26歳と同年代同士であった。

車が突然止まった。
前後の車も止まっている。
渋滞でもないのにどうしたんだろうと思っていると、数台の黒塗りの車が通り過ぎた。
これらの車はロイヤルファミリーの車なんだそうだ。
どこまでがロイヤルファミリーに入るかわからないが、これらの車が通るときには緊急車両よろしく周りの一般車両は彼らが通り過ぎるまで止まってやり過ごさなければいけない。
どうやってロイヤルファミリーの車だとわかるんだろうと思ったが、ナンバープレートにBhutanと書いてあるのがそれなんだそう。
ブータンは民主化しているといっても、文化はしっかりとした王国なんだなと思った。
ちなみに、ナンバープレートにBPとあったらBhutan People、BGとあったらBhutan Governmentだそうだ。

建設途中の家の足場は、全て竹で組まれている。
中国や東南アジア式。
竹は軽いし、強度がなくても大丈夫なんだろうか、などと職業柄つい気にしてしまう。