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竹島

2017-01-21 22:15:58 | 韓国
 韓国が不法占拠している竹島(島根県隠岐の島町)をめぐり、明治時代に隠岐の住民が漁業組合の設置を計画していたことを示す資料が見つかり、同県が20日発表した。今回残された記録から、当時、県は設置申請を許可しなかったことが判明。専門家は「行政機関が法令に基づき『不許可』という行政権を行使した事実が、領有権を主張する上で重要だ」と評価している。

 新たに見つかった資料は、「竹島漁業組合」「竹島漁業組合之印章」「竹島漁業組合監事印」などの印を押した「印譜」。所有していた隠岐の島町内の関係者が同町に寄贈した。印は、西郷町(今の隠岐の島町)の印判店が明治39(1906)年に製作したとみられる。

 島根県竹島資料室の調査では、当時「竹島漁猟合資会社」を設立して竹島周辺でアシカ猟を手がけていた中井養三郎らが、竹島での海面専用漁業免許を得るため、漁業組合の設置を計画。背景には周辺ではびこっていた密猟があり、他者が竹島での同免許を取得し、中井らのアシカ猟を脅かすのを阻止する狙いだった。

 このため、中井らはこれらの印を作らせ、申請書類を作成。印譜には、その印影を残したとみられる。

 これを受け、県は、漁業組合設置に関する文書の存在を調査。県公文書センターに「竹島貸下(かしさげ)海驢(あしか)漁業」と題した竹島関連文書のつづりがあり、その中に、中井らが明治39年6月、県に提出した「竹島漁業組合設置認可申請」などの書類を確認した。

 当時、県はこの申請について国と協議し、国は不許可とする意見を伝達。県はこれを基に「住所を有しない竹島への出稼ぎ目的の出漁であり、漁業組合を設置すべきものではない」と漁業法に基づいて判断、不許可とした-などの経緯が、残された文書から判明した。

 隠岐の島町は、町内の「久見竹島歴史館」で、これらの資料の展示を検討している。

 県竹島資料室は「漁業組合設置の動きは、これまでほとんど知られておらず、貴重な資料といえる。結果的に申請は却下されたとはいえ、県が竹島をめぐって行政権を行使した証拠。こうした事実を積み上げていきたい」としている。

韓国・釜山の日本総領事館前に設置された少女像に黙とうする女性たち=6日(聯合=共同)

2017-01-17 19:55:54 | 仏教
慰安婦像の撤去が先だ 駐韓大使の「一時帰国」では韓国に伝わらない日本政府と国民の怒り
韓国・釜山の日本総領事館前に設置された少女像に黙とうする女性たち=6日(聯合=共同)
 日本政府が韓国・釜山の日本総領事館前に設置された慰安婦像への対抗措置として9日に一時帰国させた駐韓大使らについて、外務省を中心に早期に帰任させようとする動きがある。だが、早期帰任は各種世論調査で今回の措置を評価している国民感情からかけ離れている。第一、早期に帰任させても慰安婦像がすぐに撤去されることはないだろう。帰任は像が撤去されてからで十分だ。

 駐韓大使らを早期に帰任させたい理由とは何か。共同通信が13日夜に配信した記事は「韓国側の問題解決に向けた取り組みを促すためにも、駐韓大使の不在長期化は好ましくないと判断しているもようだ」と解説している。14日付の毎日新聞朝刊は「韓国内の混乱が深まっていることもあり、大使帰任によって事態打開に向けた韓国側との連絡を密にする」と説明する。

 「いまさら何を」と、ため息が出るような言い分である。

 韓国の尹炳世(ユン・ビョンセ)外相は平成27年12月28日の慰安婦問題をめぐる日韓合意で、ソウルの日本大使館前の慰安婦像撤去について「適切に解決されるよう努力する」と明言した。

 だが、事態は進展しないまま2つ目の慰安婦像が釜山の日本総領事館前に建った。そもそもソウルの慰安婦像が日韓合意の4年前の23年12月に設置されてから今まで、日本政府は何をやっていたのか。

 外務省幹部は駐韓大使らを帰任させて「北朝鮮への対応を協議する必要がある」とも説明する。慰安婦問題と安全保障問題は別次元の話だから切り離すべきだというのだが、理解に苦しむ。

 慰安婦像をソウルと釜山の日本公館前に設置した団体は北朝鮮と連携し、日韓関係を悪化させることを目的としている。ここで毅然(きぜん)と対峙(たいじ)することが、日韓の安全保障協力を確かなものにするとみる方が自然ではないか。

 本来であれば今回の大使らの「一時帰国」は、もっと厳しい措置である「召還」でもいい。あえて控えめな「一時帰国」にしたのは「釜山の像設置阻止には韓国外務省がかなりがんばった」(政府関係者)ことへの日本政府の配慮だろうが、もう配慮が必要な段階は過ぎた。いま大切なことは日本の怒りと慰安婦像設置が国際法違反であることを明確に示すことだ。

 現状のままで駐韓大使らを帰任させても、日本政府と国民の怒りは韓国に伝わらない。ここを理解させなければ、済州島の日本総領事館前に、新たな慰安婦像が設置されるニュースに接する日はそう遠くないことだろう。(田北真樹子)

仏教

2017-01-16 20:17:16 | 仏教
『自業自得 改訂』
 大学の合格発表の掲示板に自分の名前を見つけた時、思わず「あった!」と叫びます。
過去の苦労がよみがえってきます。
仕事がうまくいった時、
好きな人に告白された時、
周りから評価を受けた時、
成功した時は「努力が報われた」と喜びます。
努力や苦労が一通りでなければ、その喜びも一通りではありません。
 成功者に、「何故、あなたは成功したのですか」と水を向ければ、果てしなくしゃべりまくり、ゴーストライターに自伝まで書かせます。
ここが勝負時だと思ったとか、委細にわたり、時には針小棒大に熱く語ります。
「他人のやらないことをやったから成功できた。この成功は自分の努力と苦労の結晶だ」と自負します。
もちろん、その通り。
その言葉に偽りはない。
その時の決断とその時の行動が、その人を成功に導いたことに間違いはない。
 では、失敗した時はどうでしょうか。
それがわかるのなら、成功した時だけでなく失敗した時も、その時の自分の決断とその時の自分の行動に原因を求めなければならないのではないでしょうか。
成功したのが自分の力量であると言うなら、失敗したのも自分の力量不足であると言わなければ、一貫性がありません。
成功した時は、常に自分の手柄であり、失敗した時は、いつも「あいつのせいだ。環境のせいだ。俺は悪くない」では自己本意に過ぎるのではないでしょうか。
良い時はその原因を自分に求めて、悪い時は八つ当たりしたり犯人探しを始めるとしたら、あまりにもご都合主義であり、どこかの隣国のように身勝手過ぎるのではないでしょうか。
 すべては自業自得。
スイカの種からはスイカの芽が出る。
まいたタネしか生えない。
遅速はあっても、原因があれば結果は必ず現れる。
それだけのこと。
運命でもなければ、宿命でもない。
神の御加護でもなければ、悪魔の妨害でもない。
 釈迦はこれを因果の道理として、教えています。

タモリ引退か?

2017-01-15 21:34:33 | 芸能
まだまだ健在のタモリ 誕生会で「引退したい」発言の真意
2017年01月15日 09時26分 日刊ゲンダイDIGITAL
まだまだ健在のタモリ 誕生会で「引退したい」発言の真意

愛妻家としても知られる(C)日刊ゲンダイ

「笑っていいとも!」終了後も、「ブラタモリ」ほか3本のレギュラー番組を抱えるタモリは今年72歳になる年男。昨年8月の誕生パーティーの席上で「オレもそろそろ引退したい。疲れた」という趣旨の発言をしたと報じられ、一時は「引退説」が広がった。しかし、年末にはそんな噂を吹き飛ばす健在ぶりをアピールした。

 まずは、解散を控えたSMAPの冠番組「SMAP×SMAP」のビストロスマップの最終回のゲストとして出演。SMAPメンバーとのトークで名言を連発したばかりか、五芒星のクリスタルを各人に贈り、「さすがタモリ」と改めて評価を高めた。かと思えば、NHK紅白歌合戦にマツコ・デラックスとともに出演し、一度もステージに上がらず舞台裏を歩き回るという不可解な演出で、昨年の紅白における最大の話題となった。

「“引退したい”との発言は、親しい仲間に囲まれて、酒の勢いもあり、口に出てしまった本心だと思います。ただし、タモリさんの場合、字義通りの引退を望んでいると捉えたら間違ってしまいます。昔から『仕事が遊び、遊びが仕事』と言ってきたタモリさんにとっては、遊べない仕事、遊びの延長線上にない仕事こそ“引退したい仕事”です。つまり“もう、やりたいことだけをしていたい”ということ。そう考えれば、発言後の行動も理解できる」(芸能リポーター)

 とにかく多芸多才なタモリは、趣味の世界でも超一流。学生時代からの趣味であるジャズは、所有レコード1万枚超でジャズバーの経営にも関わるほど。料理も玄人はだしで、タモリレシピは主婦にも人気だ。ほかにもヨット、オーディオ、鉄道……と、どれも筋金入りだ。昨年は鶴瓶の新作落語に提供したネタが歌舞伎に翻案されて上演されるなど、趣味を仕事にしてしまう才能も光っている。

 前出の芸能リポーターはこう続ける。

「今、タモリさんのやりたいことのひとつが“女房孝行”なんです。今も大変な愛妻家で、福岡で会社員をしていた時代に結婚した奥さんと、昨年の7月には1週間仕事を休んで、予算数百万円の豪華客船の旅を楽しんでいます。しかし、それを引退の理由にはしないでしょう。やりたいことが仕事になる限り、引退はしないと思います」

 死ぬまで遊びを続けるはずのこの男に、引退の二文字はない。



日本は?

2017-01-15 16:30:11 | 経済
秋津島、秋津洲(あきつしま、あきづしま)
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A7%8B%E6%B4%A5%E5%B3%B6

1.日本の本州の古代の呼称。日本最古の歴史書『古事記』(712年献上)では「大倭豊秋津島」(おおやまととよあきつしま)、また、同じく歴史書『日本書紀』(720年完成)では「大日本豊秋津洲」(おおやまととよあきつしま)と、表記している。国産み#比較表

「国産み神話」に関しては、国産みを参照。
現代の呼称が「本州」であるこの「島」そのものに関しては、本州を参照。

2.転じて、日本の異名の一つ。日本神話においては、神武天皇が国土を一望してトンボのようだと言ったことが由来とされている。