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たこぼうずの我楽多呆告

とある事情から浜松市在住の医療関係者となった 風来坊の突発的日記

27「チューリップのアップリケ」を唄う

2021-01-16 17:21:14 | たこぼうずのカラオケ百名山
Fー229
この歌は 岡林 信康 の「問題作」である。
岡林の曲としては「山谷ブルース」や「友よ」が有名であるが
「チューリップのアップリケ」は 放送局が自主的に放送を
しないことに決めたという いわくつきの楽曲だ。

岡林さんの楽曲というのは そもそも反戦フォークが基盤と
なっており、社会の矛盾を歌詞にしたものが多い。
だからこそ1960年代後半に多くの人に支持されたと思う。

この曲も「部落差別」の問題を歌にしたものであり、経済成長期
の当時に それから取り残された人たちがテーマである。
しかし「部落問題」というテーマはカラオケには重すぎる。
また最近では たこぼうずが子供の頃ほどは 部落問題が
社会の表面に出てくることは多くなくなった と感じる。

思うに 最近の若者は「部落問題」ということも語ることが
少なくなったと想像し、この楽曲をもう少し違う観点から解釈して
カラオケでも唄うことができる曲として推奨したい。

そこで
「チューリップのアップリケ」を以下のようにとらえたら
いかがであろうか・・・
1 資本主義の矛盾を指摘
2 家庭における父の存在の軽さ(母の重さ)
これならば カラオケでも唄っていいのではないだろうか(笑)

資本主義の矛盾というのは もちろん貧富の差・・・である。
どこまでいっても「格差」というのはなくならないとは思うが
富めるものはますます富み
貧しいものはそこから脱出できない というのは今も同じである。
歌は まだ子供の娘目線で 家のこと両親のことを 語るという
物語りになっている。

うちがなんぼ早よ   起きても
お父ちゃんはもう   靴トントンたたいてはる
あんまりうちのこと  かもてくれはらへん
うちのお母ちゃん   どこに行ってしもたのん

お父さんは靴の修理が生業であろうか、靴製造の下請けのような
仕事かもしれない。いずれにしても生活は苦しい。
しかも お母ちゃんは家出して行方がわからないらしい。

うちの服を 早よう持ってきてか
前は学校へ そっと逢いに来てくれたのに
もうおじいちゃんが  死んださかいに
誰もお母ちゃん  怒らはらへんで

おじいちゃんのことは二番の歌詞に出てくるので
そこで解説します(笑)
しかし 内容は尋常ではない!

早よう帰ってきてか  スカートがほしいさかいに
チュリップのアップリケ ついたスカート持ってきて
お父ちゃんもときどき 買うてくれはるけど
うち やっぱり お母ちゃんに買うてほし

たこぼうずも お父ちゃんの一員であるので
ここはせつない ところである。どんなに問題のある
母親でも 父親よりも 子供にとっては重い存在なのだ!
と思い知らされる歌詞である。無念!!(笑)
さて二番の歌詞であるが・・・

うちのお父ちゃん   暗いうちから遅うまで
毎日 靴を      トントンたたいてはる
あんな一生懸命    働いてはるのに
なんでうちの家    いつもお金がないんやろう
みんな貧乏が     みんな貧乏が悪いんや
そやで お母ちゃん  家を出ていかはった

努力がなかなか報われないのは 当時も今も一緒ではあるが
1960年のころの経済格差は現代よりも ずっと激烈な
ものだったと思う。たこぼうずの記憶では まだまだ経済的に
苦しい人が ひどい服で街中を何人か歩いていたものである。

おじいちゃんに   お金のことで
いつも大きな声で  怒られてはったもん
みんな貧乏のせいや お母ちゃんちっとも悪うない
チュリップのアップリケ  ついたスカート持ってきて
お父ちゃんもときどき  買うてくれはるけど
うち やっぱり お母ちゃんに買うてほし

ここでとうとう 死んだおじいちゃんのことが出てくる。
おじいちゃんはどういう人だったのだろうか?
嫁(お母ちゃん)のことが気に入らなくて 怒鳴っていたのだろうか
・・・嫁イビリというイやな言葉もある。
あるいは お母ちゃんは すぐにパチンコに行ってしまうという
ような 粗い金銭感覚の人だったのだろうか?
いずれにしても 娘からしたら いいお母ちゃんである。
ちっとも悪うない!である。

おじいちゃんが亡くなったから もう戻ってきてもいいよ
というのは 子供のリアリティーのある提案であり
涙なしでは語れない・・・

しかしながら この曲のトドメは
うち やっぱり お母ちゃんに買うてほし
と唄うところであって お父ちゃんは皆、ここで悲しくなるのだ(笑)

最初に述べたように この歌を あえて部落問題とリンクさせずに
単に
「社会格差」・・・経済格差未解決事件 として
あるいは
「家庭崩壊」・・・奥さんに逃げられた事件 として
さらに 母を想う娘の心情を表現した詩として
今後は唄うようにすれば 充分カラオケでも大丈夫と思われる(笑)

歌としては メッセージ性の強い すばらしい歌であり
歌詞もメロディーも こころに向かって迫る感じである。

たこぼうずが2度ばかり カラオケで唄ってみたが 皆から
称賛されこそすれ 非難など皆無であった。
たこぼうずは この曲を唄う 岡林 信康 の映像を所持している
のであるが そのコンサートでは 多くのおばあちゃんが
ハンカチで目を押さえておったぞ。

お母ちゃんに逃げられた たこぼうずとしては
涙なしでは唄えない曲である(笑)
また 笑いごとではない という気もする。

では では





26「タバコ・ロードにセクシーばあちゃん」を唄う

2020-11-03 18:27:47 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-213
この楽しい曲名はサザンオールスターズの楽曲である(笑)
たこぼうずは熱烈なサザンファンではあるが、この曲は
最近になるまで注目していなかった。

きっかけは サザンの40周年記念ライブのDVDを観ていて
これは 唄えたらおもしろい! と思ったからだ。

たこぼうずは ラブバラード を得意としているのだが
このような アップテンポな歌も歌えることは 
佐野 元春 の「サムデイ」をこなしていることでも
わかるところである。
マスターも
「これを うまく唄える人は少ないよ~」とほめてくれる(笑)

この言葉は 多くの人が聞いているような ・・・(笑)
さて この迷曲(笑) をどう唄うのか・・・
何回(何十回)か練習のために聴いてみたところ 意外にも
唄えそうな気がしてきた。得意の プラス妄想である。

軽快な前奏のあと

タバコ・ロードで逢った Sexyばあちゃん
夢多かりし 年ごろ
別れたじいちゃん どこにおると
見境なく Serchi'n for him

と 始まる 軽快なリズムである。メロディーは
複雑ではないが、唄い慣れた感じで唄うことが大切だ(笑)

今にも 泣きそうな Sexy ばあちゃん
あきらめず 耐え切れず
あまり無理をするほどには
いかずとも じいちゃんに 逢いたい


No! No! ふたりともに 夢からさめた時には
90years old 寄る年なみ
別れたまま このまま 死にきれず ばあちゃんは
Only one without Funky じいちゃん

この部分については 少々練習が必要である。
というのは すぐに 次の部分が接続されているからだ

心の夫よ C'mon C'mon C'mon C'mon in
恋して燃えて Solong Solong Solong Solong

さらに 間髪を入れず

She's gonna move She's gonna move
別れた人を今さら 忘らりょか
She's gonna die She's gonna die
これじゃ ばあちゃんもつらい oh yeah!

ここまでが一番の歌詞である。
そうとうな難易度とも感じられるが、実際に唄ってみると
リズム感さえ 維持できれば ゴマカスことができる!
と思われる(笑)

ふざけているようで、よく歌詞を読めば
ラブソング の一種とも考えられる。

確かに練習とテクニックが必要な曲であるが
たこぼうずのように しっとりとした ラブソングを得意
にしている人間が いきなりステーキ でこれを唄えば
喝采 間違いない(笑)

サザンの曲でも 皆がよく唄う曲は10曲以上あるので
2020年の現在では これくらい唄わないと 目立たない!

カラオケ・・・唄いこんでる感 満載曲であるので
どうか 唄う場所とタイミングを間違えないように
してもらいたい。

特定の女性の前で唄う場合は特に注意である。
効果は大きいが 「劇薬」である(笑)

では では



25「慕情」吉田 拓郎 を唄う

2020-10-25 18:27:54 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-210
F-206で予告した通り、吉田 拓郎の強化月間として
「慕情」を練習した。

これは 民放の時代劇ドラマの主題歌として作られた
ものらしいが、少しも時代劇っぽくなく、今の自分の
歌として 充分に感動できるものである。

拓郎の歌としては 少し地味に扱われているようであるが
たこぼうず的には
「流星」「人生を語らず」「慕情」は 拓郎のベストスリー
なのである! 明らかに独断であるが・・・(笑)

力強い前奏とともに

あなたは どうして そんなに あざやかに見えるのだろう
あなたを遠くで 見つめているだけで 涙が浮かぶ

もうお分かりかと思うが 時代劇ドラマの主題歌ではない。
純粋に ラブソング である。
水戸黄門 や 銭形平次 の主題歌とは違うのだ(笑)
ただし、こちらは 有名である。

いくら知られていなくても 隠れた名曲というのは存在する。
この「慕情」がまさしくそれである。

幾度も 追いかける程 届かぬ夢
どこまで この想いを つのらせても

あなたが そばにいる ことは願わず
あなたが そこにいる ただそれでいい


ここまでが一番の歌詞である。
洒落ているとは思わんかね?
たこぼうずは グッときた(笑)

あなたは どうして そんなに 穏やかに 生きれるのだろう

これが 二番の出だしの歌詞だ!

あなたは どうして そんなに 美しく 微笑むのだろう

これが三番の出だしである。

三番には
私は 今まるで 魔法のなかで
恋する 少年のような 心になる

という部分があり、たこぼうずの好きなところである。

そして最後には
遠くを見つめている あなたが好き
遠くを見つめている あなたが好き

で終わるのであるが ここまで唄えば 隣の女性の
目が潤んでいることに気付くだろう。
しかし 見ないふりをしていてもらいたい。
彼女への思いやりである(たこぼうず妄想シリーズ)

なかなか 男っぽい歌であり
男気を感じさせる歌詞である

どうだろう・・・弱気な君にぴったりである(笑)
めったには唄われない歌なので、注目度も大きい。
ぜひ 君の秘密兵器にしてもらいたいものである。

ところで「慕情」という曲名であるが
検索すると15曲以上あるようだ!
山口 百恵、美空 ひばり、五木 ひろし なども
唄っているようだが・・・

たこぼうず的に言えば  この
吉田 拓郎 と
中島 みゆき
サザンオールスターズ  の 「慕情」が三名山であり
ベストスリーである。

現在の目標は この2020年のうちに この3曲を
連続して唄い 仲間の喝采を浴びることである(笑)
本当にそのような結末になるのかは 不明であるが
店のマスターは 商売上 大いにほめてくれるに違いない(笑)

では では

24 「人生を語らず」を唄う

2020-10-11 18:24:00 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-206
「人生を語らず」は 吉田 拓郎の名曲である。
おそらく彼が 20歳過ぎたころにつくった曲だと
思われる。若くして 人生を語らず などという
生意気な(笑)曲をつくれるのは すごい!としか
言いようがない。

なぜ 今回 この曲を・・・というと
知り合いのN子さん(美人)が
「たこぼうずは 徳永さんを唄うよりも
         拓郎さんを唄うのがステキ!」
と言ってくれたので・・・多少文言に脚色あり(笑)
今後は 吉田 拓郎 にチカラを入れることにしたのだ。

朝日が昇るから 起きるんじゃなくて
目覚める時だから 旅をする

と始まる歌詞は なかなかとがっていて、楽しい。

越えていけ そこを
越えていけ それを
今はまだ 人生を 人生を語らず

リズムとしても唄いやすいし、音もとりやすい
一定の迫力もあって いい曲である。
そもそもは 若者が唄うべき であろうが
たこぼうずのような年寄りが唄っても なかなか
干からびた感じ(笑)が出ていいし、一定の年寄りに
なって 「今はまだ 人生を語らない」と
「これからがある!」という感じを出して唄えるのも
ちょっといい気分である。

老年に至ってさらに意味深い人生 という雰囲気を
出して唄うと 若い人に感動?を与える・・・
と勝手な妄想を膨らませるたこぼうずであった(泣)

本当は 重要なテーマなのであるが、この歌は実際に
唄うと そんな重さは感じられず、気持ちよく唄える
のがいいところだ。

ぜひ たこぼうずと 同年配の元気な男性諸君に
唄ってもらいたいものである。
横のボックス席にいる 若い女の子に
「ステキな歌ですね~」と言われますよ。・・・
個人の見解です・・・(笑)

では では




23 イムジン河 を唄う

2020-02-22 07:32:28 | たこぼうずのカラオケ百名山
F-200
記念すべき200回目のブログをどうしようかと考えたが
先日NHKで放映された アナザーストーリーズという番組で
「イムジン河」をとりあげていたので、今回のテーマは
これに決めさせていただいた。

この曲を先週 唄ったところだったからだ(笑)

「イムジン河」は フォーク・クルセダーズの名曲であり
たこぼうずの若いころ レコードが発売中止になったことでも
有名な曲である。
当時は その理由がわからず、官権による横暴と思い
友人たちと憤慨したことを覚えている。
発売中止となったのは 1968年だということで、ずいぶん
時間が経ったものだ!

確かに発売直前に 朝鮮総連(北朝鮮系の組織)から抗議が
あり、レコード発売中止になってしまったとのことだった。
ただし その理由については 官権の横暴 ではなかった!

もともと イムジン河 は北朝鮮の歌で、あまり本国では
唄われなくなったのであるが 作詞者の 松山 猛 が大阪
の朝鮮人学校で 生徒の合唱曲として耳にして 日本語の
歌詞をつけて 仲間のフォークルに伝えて、ライブで紹介
されるようになってから 広まるようになったとのことだ。

それに目を付けたレコード会社が
「これは売れる!!」と発売を決めた経緯があったらしい。

しかし 発売直前になって、
北朝鮮の作曲者も作詞者も存在しているのに レコードに
表記していないのは いけないのではないか という
抗議(指摘)があったので、急遽発売中止になったとのことだ。
 
たこぼうずは若いころ、政治的な問題から 北朝鮮から
横やりが入ったと思っていた。だから 憤慨したのだ!
当時は 朝鮮戦争停戦から まだ多くの年月が経過していなくて
南北朝鮮の関係も今以上に険悪であったからだ。
しかし 上記の事情であれば「著作権」の問題と言っていい
のではないか?だったら 正当な抗議である。

作詞者は 朴 世永 という人であり
作曲者は 高 宗漢 という人である
いずれも 読み方はわからない(泣) 朴 は パクだと分かる。
従って 今発売されているものには 訳詞 松山 猛
作曲 加藤 和彦 と併記されている。
加藤さんのメロディーは微妙に 原曲とは異なる、ただし
唄いやすい 音の流れである。

肝心の曲のことになるが・・・
聴いてみると 原曲のテンポは日本のものよりゆったりしている。

何回聴いても 唄っても 美しいメロディーであり
しかも唄いやすいメロディーである。
美しく 悲しい 望郷の歌であると言える。

全体の内容としては 南北に引き裂かれた朝鮮半島の軍事境界線
を流れる イムジン河 の美しい風景と その境界線を自由に
飛び越えて行き来する 鳥たち に望郷の想いを乗せた名曲である。

途中二番の歌詞に
だれが祖国をわけてしまったの!
という歌詞があり、そこは政治的問題だが、それ以外はほとんど
軍事境界線をこえて故郷に想いを馳せる気持ちを
美しいイムジン河の風景にのせて 素直に表現したものである。

わけてしまったのは 中国とアメリカであるが、そんな野暮な
歌詞は出てこない(笑)

イムジン河 水清く  とうとう と流る

という唄いだしはとても印象的である。
イムジン河を見たこともないのに 目に浮かぶ(笑)気がする。

たこぼうずの好きな部分は 特に三番のこの部分

ふるさとを いつまでも 忘れはしない

というところで、ふるさとを離れていないたこぼうずでも
ここを唄うときには 涙がこみあげてくるのだ。本当だ(笑)

カラオケでいいのは ほとんどの人が知っている歌なので
皆で合唱できることである・・・が
たこぼうずの 歌唱力が消されてしまうという不満もある(笑)

一度 一人で朗々と唄い、皆の喝采をあびたいものである。

では では
300回目指して頑張ります(笑)