Fー229
この歌は 岡林 信康 の「問題作」である。
岡林の曲としては「山谷ブルース」や「友よ」が有名であるが
「チューリップのアップリケ」は 放送局が自主的に放送を
しないことに決めたという いわくつきの楽曲だ。
岡林さんの楽曲というのは そもそも反戦フォークが基盤と
なっており、社会の矛盾を歌詞にしたものが多い。
だからこそ1960年代後半に多くの人に支持されたと思う。
この曲も「部落差別」の問題を歌にしたものであり、経済成長期
の当時に それから取り残された人たちがテーマである。
しかし「部落問題」というテーマはカラオケには重すぎる。
また最近では たこぼうずが子供の頃ほどは 部落問題が
社会の表面に出てくることは多くなくなった と感じる。
思うに 最近の若者は「部落問題」ということも語ることが
少なくなったと想像し、この楽曲をもう少し違う観点から解釈して
カラオケでも唄うことができる曲として推奨したい。
そこで
「チューリップのアップリケ」を以下のようにとらえたら
いかがであろうか・・・
1 資本主義の矛盾を指摘
2 家庭における父の存在の軽さ(母の重さ)
これならば カラオケでも唄っていいのではないだろうか(笑)
資本主義の矛盾というのは もちろん貧富の差・・・である。
どこまでいっても「格差」というのはなくならないとは思うが
富めるものはますます富み
貧しいものはそこから脱出できない というのは今も同じである。
歌は まだ子供の娘目線で 家のこと両親のことを 語るという
物語りになっている。
うちがなんぼ早よ 起きても
お父ちゃんはもう 靴トントンたたいてはる
あんまりうちのこと かもてくれはらへん
うちのお母ちゃん どこに行ってしもたのん
お父さんは靴の修理が生業であろうか、靴製造の下請けのような
仕事かもしれない。いずれにしても生活は苦しい。
しかも お母ちゃんは家出して行方がわからないらしい。
うちの服を 早よう持ってきてか
前は学校へ そっと逢いに来てくれたのに
もうおじいちゃんが 死んださかいに
誰もお母ちゃん 怒らはらへんで
おじいちゃんのことは二番の歌詞に出てくるので
そこで解説します(笑)
しかし 内容は尋常ではない!
早よう帰ってきてか スカートがほしいさかいに
チュリップのアップリケ ついたスカート持ってきて
お父ちゃんもときどき 買うてくれはるけど
うち やっぱり お母ちゃんに買うてほし
たこぼうずも お父ちゃんの一員であるので
ここはせつない ところである。どんなに問題のある
母親でも 父親よりも 子供にとっては重い存在なのだ!
と思い知らされる歌詞である。無念!!(笑)
さて二番の歌詞であるが・・・
うちのお父ちゃん 暗いうちから遅うまで
毎日 靴を トントンたたいてはる
あんな一生懸命 働いてはるのに
なんでうちの家 いつもお金がないんやろう
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや
そやで お母ちゃん 家を出ていかはった
努力がなかなか報われないのは 当時も今も一緒ではあるが
1960年のころの経済格差は現代よりも ずっと激烈な
ものだったと思う。たこぼうずの記憶では まだまだ経済的に
苦しい人が ひどい服で街中を何人か歩いていたものである。
おじいちゃんに お金のことで
いつも大きな声で 怒られてはったもん
みんな貧乏のせいや お母ちゃんちっとも悪うない
チュリップのアップリケ ついたスカート持ってきて
お父ちゃんもときどき 買うてくれはるけど
うち やっぱり お母ちゃんに買うてほし
ここでとうとう 死んだおじいちゃんのことが出てくる。
おじいちゃんはどういう人だったのだろうか?
嫁(お母ちゃん)のことが気に入らなくて 怒鳴っていたのだろうか
・・・嫁イビリというイやな言葉もある。
あるいは お母ちゃんは すぐにパチンコに行ってしまうという
ような 粗い金銭感覚の人だったのだろうか?
いずれにしても 娘からしたら いいお母ちゃんである。
ちっとも悪うない!である。
おじいちゃんが亡くなったから もう戻ってきてもいいよ
というのは 子供のリアリティーのある提案であり
涙なしでは語れない・・・
しかしながら この曲のトドメは
うち やっぱり お母ちゃんに買うてほし
と唄うところであって お父ちゃんは皆、ここで悲しくなるのだ(笑)
最初に述べたように この歌を あえて部落問題とリンクさせずに
単に
「社会格差」・・・経済格差未解決事件 として
あるいは
「家庭崩壊」・・・奥さんに逃げられた事件 として
さらに 母を想う娘の心情を表現した詩として
今後は唄うようにすれば 充分カラオケでも大丈夫と思われる(笑)
歌としては メッセージ性の強い すばらしい歌であり
歌詞もメロディーも こころに向かって迫る感じである。
たこぼうずが2度ばかり カラオケで唄ってみたが 皆から
称賛されこそすれ 非難など皆無であった。
たこぼうずは この曲を唄う 岡林 信康 の映像を所持している
のであるが そのコンサートでは 多くのおばあちゃんが
ハンカチで目を押さえておったぞ。
お母ちゃんに逃げられた たこぼうずとしては
涙なしでは唄えない曲である(笑)
また 笑いごとではない という気もする。
では では
この歌は 岡林 信康 の「問題作」である。
岡林の曲としては「山谷ブルース」や「友よ」が有名であるが
「チューリップのアップリケ」は 放送局が自主的に放送を
しないことに決めたという いわくつきの楽曲だ。
岡林さんの楽曲というのは そもそも反戦フォークが基盤と
なっており、社会の矛盾を歌詞にしたものが多い。
だからこそ1960年代後半に多くの人に支持されたと思う。
この曲も「部落差別」の問題を歌にしたものであり、経済成長期
の当時に それから取り残された人たちがテーマである。
しかし「部落問題」というテーマはカラオケには重すぎる。
また最近では たこぼうずが子供の頃ほどは 部落問題が
社会の表面に出てくることは多くなくなった と感じる。
思うに 最近の若者は「部落問題」ということも語ることが
少なくなったと想像し、この楽曲をもう少し違う観点から解釈して
カラオケでも唄うことができる曲として推奨したい。
そこで
「チューリップのアップリケ」を以下のようにとらえたら
いかがであろうか・・・
1 資本主義の矛盾を指摘
2 家庭における父の存在の軽さ(母の重さ)
これならば カラオケでも唄っていいのではないだろうか(笑)
資本主義の矛盾というのは もちろん貧富の差・・・である。
どこまでいっても「格差」というのはなくならないとは思うが
富めるものはますます富み
貧しいものはそこから脱出できない というのは今も同じである。
歌は まだ子供の娘目線で 家のこと両親のことを 語るという
物語りになっている。
うちがなんぼ早よ 起きても
お父ちゃんはもう 靴トントンたたいてはる
あんまりうちのこと かもてくれはらへん
うちのお母ちゃん どこに行ってしもたのん
お父さんは靴の修理が生業であろうか、靴製造の下請けのような
仕事かもしれない。いずれにしても生活は苦しい。
しかも お母ちゃんは家出して行方がわからないらしい。
うちの服を 早よう持ってきてか
前は学校へ そっと逢いに来てくれたのに
もうおじいちゃんが 死んださかいに
誰もお母ちゃん 怒らはらへんで
おじいちゃんのことは二番の歌詞に出てくるので
そこで解説します(笑)
しかし 内容は尋常ではない!
早よう帰ってきてか スカートがほしいさかいに
チュリップのアップリケ ついたスカート持ってきて
お父ちゃんもときどき 買うてくれはるけど
うち やっぱり お母ちゃんに買うてほし
たこぼうずも お父ちゃんの一員であるので
ここはせつない ところである。どんなに問題のある
母親でも 父親よりも 子供にとっては重い存在なのだ!
と思い知らされる歌詞である。無念!!(笑)
さて二番の歌詞であるが・・・
うちのお父ちゃん 暗いうちから遅うまで
毎日 靴を トントンたたいてはる
あんな一生懸命 働いてはるのに
なんでうちの家 いつもお金がないんやろう
みんな貧乏が みんな貧乏が悪いんや
そやで お母ちゃん 家を出ていかはった
努力がなかなか報われないのは 当時も今も一緒ではあるが
1960年のころの経済格差は現代よりも ずっと激烈な
ものだったと思う。たこぼうずの記憶では まだまだ経済的に
苦しい人が ひどい服で街中を何人か歩いていたものである。
おじいちゃんに お金のことで
いつも大きな声で 怒られてはったもん
みんな貧乏のせいや お母ちゃんちっとも悪うない
チュリップのアップリケ ついたスカート持ってきて
お父ちゃんもときどき 買うてくれはるけど
うち やっぱり お母ちゃんに買うてほし
ここでとうとう 死んだおじいちゃんのことが出てくる。
おじいちゃんはどういう人だったのだろうか?
嫁(お母ちゃん)のことが気に入らなくて 怒鳴っていたのだろうか
・・・嫁イビリというイやな言葉もある。
あるいは お母ちゃんは すぐにパチンコに行ってしまうという
ような 粗い金銭感覚の人だったのだろうか?
いずれにしても 娘からしたら いいお母ちゃんである。
ちっとも悪うない!である。
おじいちゃんが亡くなったから もう戻ってきてもいいよ
というのは 子供のリアリティーのある提案であり
涙なしでは語れない・・・
しかしながら この曲のトドメは
うち やっぱり お母ちゃんに買うてほし
と唄うところであって お父ちゃんは皆、ここで悲しくなるのだ(笑)
最初に述べたように この歌を あえて部落問題とリンクさせずに
単に
「社会格差」・・・経済格差未解決事件 として
あるいは
「家庭崩壊」・・・奥さんに逃げられた事件 として
さらに 母を想う娘の心情を表現した詩として
今後は唄うようにすれば 充分カラオケでも大丈夫と思われる(笑)
歌としては メッセージ性の強い すばらしい歌であり
歌詞もメロディーも こころに向かって迫る感じである。
たこぼうずが2度ばかり カラオケで唄ってみたが 皆から
称賛されこそすれ 非難など皆無であった。
たこぼうずは この曲を唄う 岡林 信康 の映像を所持している
のであるが そのコンサートでは 多くのおばあちゃんが
ハンカチで目を押さえておったぞ。
お母ちゃんに逃げられた たこぼうずとしては
涙なしでは唄えない曲である(笑)
また 笑いごとではない という気もする。
では では