F-393
最近 ネットを見ると 現在のNHK大河ドラマ「べらぼう」に関する批判を散見する。
曰く 遊郭の話しなど日曜夜の一家団欒にふさわしくない・・・
性描写が露骨である・・・など などである。
もちろん そのような意見も大切であると思うのであるが
ちょっと待ってくれたまえ
一つ前の「光る君へ」は不倫の話しではなかったのか?(笑)
覚えているだろうが 鎌倉殿は 浮気者として そんなシーンもあった。
有名な 「冬のソナタ」も 彼女を奪い合う話しであったし
「毎度お騒がせします」 も ずばりテーマは 性 であったし
「寺内 貫太郎一家」なども女湯の脱衣場シーンなど毎回あった。
こんな番組をリストアップしても 多すぎてきりがない(笑)
急に真面目な話しにはなるが
テレビだろうが 映画だろうが 芝居だろうが ユーチューブだろうが
「性的画像」はあふれれている。
何故だろうか・・・チコちゃんから質問されたら どう答える?(笑)
それは「性」に価値があるからであり
価値があるからこそ「性」は商品になりうるのだ。
これは いつのころからか知らないが 古来人間社会ではそうであった。
売春が人類最古の職業であるとさえ言われるくらいである。
では 「性」に価値のない時代とはどのような時代なのだろう。
それは いつでも 誰とでも 望めば性交渉ができるという時代である。
そのようになってしまえば 性 には価値がない(笑)
ただ そんなことになってしまうと 皆が困るかもしれない。
もう一つの可能性としては 心理学者の 岸田 秀 先生が言うように
「性は幻想であり 性交は趣味である」との主張が世界的に認識される
時代が来ることであろうか(笑)
性に価値があるとすれば それが 或る商業として成立するのは当然である。
吉原遊郭然り 岡場所然り アダルト画像然り 風俗然り キャバクラ然り
と きりなく出てくる。
ドラマや映画が 人を描く以上 性の描写が出てくるのは必然である。
今回の大河ドラマは 遊郭が舞台ではあるが 蔦屋 重三郎 の人生を
描くうえで 遊郭 遊女 を描くことになるのはやむを得ない。
銭湯が舞台ならば それなりの映像が出ても不思議ではないと同じことだ。
いずれにしても テレビを見たり 映画を見たり Yuチューブを見れば
子供にとって 不都合な場面がたくさん出て当然である。
それを どう切り抜けるかが 親の対応の見せ所ということになる(笑)
裸 も暴力も戦争も詐欺も裏切りも 子供にとっての不適切なところは
たくさん出てくるのだから どう説明するのか・・・親の教育力が試される(笑)
従って べらぼう を見て子供が何か質問してきたら なるべくわかりやすく
説明しなくてはならない。
親としての責任だ(笑)
特に男親が説明しないといけないのかもしれない(汗)
なぜ性産業が年々隆盛を極めるのか?
説明できるか?
性を規制すれば性の価値があがり 性を野放しにすれば社会が混乱する
そんな矛盾をどうすればいいのか・・・家族で話し合ってみるのもいい(笑)
それが べらぼう というドラマの狙いである。 ホント?
ともかく人間は「性」の問題から離れることはできない。
答えがなかなか見つからないのは 当然である。
この20万年ばかり前から 解決していないのだから簡単ではない。
そのひとつの解決の道筋が 岸田 秀 先生の
「性的唯幻論序説」であると たこぼうずは体験的に確信する。
人間は本能の壊れた動物であり、本能の代わりにつくったのが自我である
との主張は説得力があった。ぜひ ご一読あれ!
現在 べらぼう に描かれている遊郭は存在しないが
それに代わるものは 現代でも存在し 近年 ますます隆盛の一途をたどっている。
現代が「性的清潔」を強く求める時代になったからである。
どう進んでも闇 というのが性の世界であろうか。
たこぼうずは ようやくその闇を抜けたところにたどり着いたのであった(笑)
では では
最近 ネットを見ると 現在のNHK大河ドラマ「べらぼう」に関する批判を散見する。
曰く 遊郭の話しなど日曜夜の一家団欒にふさわしくない・・・
性描写が露骨である・・・など などである。
もちろん そのような意見も大切であると思うのであるが
ちょっと待ってくれたまえ
一つ前の「光る君へ」は不倫の話しではなかったのか?(笑)
覚えているだろうが 鎌倉殿は 浮気者として そんなシーンもあった。
有名な 「冬のソナタ」も 彼女を奪い合う話しであったし
「毎度お騒がせします」 も ずばりテーマは 性 であったし
「寺内 貫太郎一家」なども女湯の脱衣場シーンなど毎回あった。
こんな番組をリストアップしても 多すぎてきりがない(笑)
急に真面目な話しにはなるが
テレビだろうが 映画だろうが 芝居だろうが ユーチューブだろうが
「性的画像」はあふれれている。
何故だろうか・・・チコちゃんから質問されたら どう答える?(笑)
それは「性」に価値があるからであり
価値があるからこそ「性」は商品になりうるのだ。
これは いつのころからか知らないが 古来人間社会ではそうであった。
売春が人類最古の職業であるとさえ言われるくらいである。
では 「性」に価値のない時代とはどのような時代なのだろう。
それは いつでも 誰とでも 望めば性交渉ができるという時代である。
そのようになってしまえば 性 には価値がない(笑)
ただ そんなことになってしまうと 皆が困るかもしれない。
もう一つの可能性としては 心理学者の 岸田 秀 先生が言うように
「性は幻想であり 性交は趣味である」との主張が世界的に認識される
時代が来ることであろうか(笑)
性に価値があるとすれば それが 或る商業として成立するのは当然である。
吉原遊郭然り 岡場所然り アダルト画像然り 風俗然り キャバクラ然り
と きりなく出てくる。
ドラマや映画が 人を描く以上 性の描写が出てくるのは必然である。
今回の大河ドラマは 遊郭が舞台ではあるが 蔦屋 重三郎 の人生を
描くうえで 遊郭 遊女 を描くことになるのはやむを得ない。
銭湯が舞台ならば それなりの映像が出ても不思議ではないと同じことだ。
いずれにしても テレビを見たり 映画を見たり Yuチューブを見れば
子供にとって 不都合な場面がたくさん出て当然である。
それを どう切り抜けるかが 親の対応の見せ所ということになる(笑)
裸 も暴力も戦争も詐欺も裏切りも 子供にとっての不適切なところは
たくさん出てくるのだから どう説明するのか・・・親の教育力が試される(笑)
従って べらぼう を見て子供が何か質問してきたら なるべくわかりやすく
説明しなくてはならない。
親としての責任だ(笑)
特に男親が説明しないといけないのかもしれない(汗)
なぜ性産業が年々隆盛を極めるのか?
説明できるか?
性を規制すれば性の価値があがり 性を野放しにすれば社会が混乱する
そんな矛盾をどうすればいいのか・・・家族で話し合ってみるのもいい(笑)
それが べらぼう というドラマの狙いである。 ホント?
ともかく人間は「性」の問題から離れることはできない。
答えがなかなか見つからないのは 当然である。
この20万年ばかり前から 解決していないのだから簡単ではない。
そのひとつの解決の道筋が 岸田 秀 先生の
「性的唯幻論序説」であると たこぼうずは体験的に確信する。
人間は本能の壊れた動物であり、本能の代わりにつくったのが自我である
との主張は説得力があった。ぜひ ご一読あれ!
現在 べらぼう に描かれている遊郭は存在しないが
それに代わるものは 現代でも存在し 近年 ますます隆盛の一途をたどっている。
現代が「性的清潔」を強く求める時代になったからである。
どう進んでも闇 というのが性の世界であろうか。
たこぼうずは ようやくその闇を抜けたところにたどり着いたのであった(笑)
では では