F-403
「命の別名」は 中島 みゆき が唄う名曲である。
あるドラマの曲としてつくられたものだが 内容が少々重い(笑)
そのつもりで 読んでくれ。
そもそも 中島 みゆき さんの曲には 重い曲つまり内容の濃い曲が多くある。
「命の別名」「あした」「鳥になって」「友情」などは重い曲に分類される。
たこぼうずは好きである(笑)
一方 軽い曲というのも存在していて
「うそつきが好きよ」「世迷い言」「幸せ」「悪女」などがある。
これらもたこぼうずは好きである(笑) 曲は軽いが内容は軽くない。
ただし「世迷い言」は 日吉 ミミ に提供した楽曲だ。
「命の別名」は重い曲の代表だ。
ひとの命とは 何なのかを問いかけている。
ひとの命とは どう表現したらいいのかを唄っている。
こんな出だしだ
知らない言葉を 覚えるたびに
僕らは大人に 近くなる
けれど最後まで 覚えられない
言葉も きっとある
人は誰でも 勉強したり他から吸収したりして成長していくものであるが
結局は そんな知識や経験を積み重ねても 人生がわかるわけではない
特にたこぼうずは学習が苦手である(笑)
何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに 消えてゆく
ほとんどのひと(たこぼうずを含む)は 何かの役に立ったり
社会に貢献することなく ひっそりと生涯を終えることになる。
きっとそれぞれの自分もそうであろう。
結局は英雄など ほんの一握りの人に過ぎないからだ(笑)
僕がいることを喜ぶ人が どこかにいてほしい
誰かたこぼうずが存在することで 喜ぶような人が一人でもいてくれたら
うれしいことではあるが 自分の周囲を見渡しても 愕然とするばかりである。
ひとりくらいは 何とかいるのかもしれない(笑)
せめて たこぼうずなどは そう考えるのであった。
石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ 僕と生きてくれ
身近にある自然 そして自分と同じ平凡な人々と一緒に生きることを望むのみだ。
共感と連帯だけが 人生の孤独を癒してくれるのだ。
くり返す 哀しみを照らす 灯をかざせ
君にも 僕にも すべての人にも
しかしながら 人生にはいろいろな哀しみが付きまとうものだ。
そんな哀しみを 照らす灯(ともしび)が全ての人の頭上に輝いてほしい
命につく名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも
そんな ささやかな命ではあるが 「心」という灯があるのではないのか?
そう 「命」とは「心」のことである。
誰にでも 命を照らす 心というものが あるではないか!
そのように 中島 みゆき は断定したのだ(笑)
命の終焉とは 決して「脳死」や「心停止」のことではない。
結局 「心」を失くしたら 死んだということだろう(笑)
深い意味のある主張である。
ここまで読んで 分かってくれたと思うが これは哲学の歌である(笑)
哀しみを乗り越えるには 結局 連帯と共感しかないのだ。
「いのち」を言い換えると「こころ」である というのは新発見ではないか。
少なくとも J-POP 界では新説である。
たこぼうずはいたく感動した。
ただ この曲は 大勢の前で唄う曲ではない。
真面目な歌 真面目な人間というのは 敬遠されるものだからだ(笑)
では では
「命の別名」は 中島 みゆき が唄う名曲である。
あるドラマの曲としてつくられたものだが 内容が少々重い(笑)
そのつもりで 読んでくれ。
そもそも 中島 みゆき さんの曲には 重い曲つまり内容の濃い曲が多くある。
「命の別名」「あした」「鳥になって」「友情」などは重い曲に分類される。
たこぼうずは好きである(笑)
一方 軽い曲というのも存在していて
「うそつきが好きよ」「世迷い言」「幸せ」「悪女」などがある。
これらもたこぼうずは好きである(笑) 曲は軽いが内容は軽くない。
ただし「世迷い言」は 日吉 ミミ に提供した楽曲だ。
「命の別名」は重い曲の代表だ。
ひとの命とは 何なのかを問いかけている。
ひとの命とは どう表現したらいいのかを唄っている。
こんな出だしだ
知らない言葉を 覚えるたびに
僕らは大人に 近くなる
けれど最後まで 覚えられない
言葉も きっとある
人は誰でも 勉強したり他から吸収したりして成長していくものであるが
結局は そんな知識や経験を積み重ねても 人生がわかるわけではない
特にたこぼうずは学習が苦手である(笑)
何かの足しにもなれずに生きて
何にもなれずに 消えてゆく
ほとんどのひと(たこぼうずを含む)は 何かの役に立ったり
社会に貢献することなく ひっそりと生涯を終えることになる。
きっとそれぞれの自分もそうであろう。
結局は英雄など ほんの一握りの人に過ぎないからだ(笑)
僕がいることを喜ぶ人が どこかにいてほしい
誰かたこぼうずが存在することで 喜ぶような人が一人でもいてくれたら
うれしいことではあるが 自分の周囲を見渡しても 愕然とするばかりである。
ひとりくらいは 何とかいるのかもしれない(笑)
せめて たこぼうずなどは そう考えるのであった。
石よ樹よ水よ ささやかな者たちよ 僕と生きてくれ
身近にある自然 そして自分と同じ平凡な人々と一緒に生きることを望むのみだ。
共感と連帯だけが 人生の孤独を癒してくれるのだ。
くり返す 哀しみを照らす 灯をかざせ
君にも 僕にも すべての人にも
しかしながら 人生にはいろいろな哀しみが付きまとうものだ。
そんな哀しみを 照らす灯(ともしび)が全ての人の頭上に輝いてほしい
命につく名前を「心」と呼ぶ
名もなき君にも 名もなき僕にも
そんな ささやかな命ではあるが 「心」という灯があるのではないのか?
そう 「命」とは「心」のことである。
誰にでも 命を照らす 心というものが あるではないか!
そのように 中島 みゆき は断定したのだ(笑)
命の終焉とは 決して「脳死」や「心停止」のことではない。
結局 「心」を失くしたら 死んだということだろう(笑)
深い意味のある主張である。
ここまで読んで 分かってくれたと思うが これは哲学の歌である(笑)
哀しみを乗り越えるには 結局 連帯と共感しかないのだ。
「いのち」を言い換えると「こころ」である というのは新発見ではないか。
少なくとも J-POP 界では新説である。
たこぼうずはいたく感動した。
ただ この曲は 大勢の前で唄う曲ではない。
真面目な歌 真面目な人間というのは 敬遠されるものだからだ(笑)
では では