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たこぼうずの我楽多呆告

とある事情から浜松市在住の医療関係者となった 風来坊の突発的日記

邪馬台国論争?

2025-06-04 14:59:00 | たこぼうずの曲学曲論
F-405
世の中には ずいぶん昔から「邪馬台国がどこにあるのか?」という
論争がある。今回はこのブログで真実に迫ってみたい(笑)

邪馬台国が 畿内にあるのか九州にあるのか・・・
そんな論争が延々と続いている。
ただし 最近は畿内説が優勢であって 九州説は分が悪い。

きょう たこぼうずが訴えたいのは どちらにあったかではない。
それ以前の問題だ。
そもそもたこぼうずは歴史学者ではなく 古代史の研究学者でもない。
市井の ぐーたら研究者である。落語のつもりで読んでくれ(笑)

何冊かの本を読んだだけの ニセ研究者である。

邪馬台国という国が歴史に登場するのは「魏志倭人伝」という書物である。
中国の本の一部で 2000文字くらいのボリュームで書かれた漢文だ。
そこに 中国からの使者が九州の北部に上陸して 現地の倭人から
聞き取った 昔の倭国の情報が書かれている。

なんで中国の本にのみ登場するかといえば 当時の日本には文字文化
がなかったからであり わずかな分量とはいえ 当時の日本を知る
唯一の文献である。貴重な情報だ。

その情報を どうとらえるかで 様々な異論が登場し 結論がでない(笑)

今から たこぼうずが語るのは 定説とは異なることなので 
説得されないように注意してくれ(笑)
たこぼうずは 明智 憲三郎 さんに本能寺の変について
すっかり説得されてしまっている(笑)

そもそも魏志倭人伝には「邪馬台国」なる文字は存在しない。
この一文だけで たこ説がデマだと思うのは当然のことである(笑)
しかし 魏志倭人伝には「邪馬台国」ではなく「邪馬壱国」と載っている。
旧漢字だと「台」「壱」とはよく似た漢字であるということだ。それは確認した。
それはデマでも何でもなく 学者も認識している事実である。

もちろん魏志倭人伝は 現在残っているものは「写本」であって「原本」は
伝わっていない。
別に驚くことではない「源氏物語」も現在あるものは「写本」のみである。

そこで現在 主に認められた学説では
写本の際に「台」を「壱」に書き間違えたものであるということになっている。
だから邪馬壱国ではなく 本当は原本には邪馬台国と書いてあったのだと(笑)

おいおい  ちょっと待ってくれ!
当時 写本をした中国の人は 文字の専門家であり 簡単に間違えるとは
思えない。似ている文字だといって その一文字だけ書き間違えるだろうか。

魏の使者は九州の言葉も通じない人から 聞き取りをしたのであって
倭の人の発音がしっかり聞き取れたとは思えない。日本にも
「ギョエテとは誰のことかとゲーテ言い」という川柳があるではないか(笑)

書き間違えた ということを許してしまえば「何でもあり!」である(笑)
それは学校の試験でも 現代に至っても許されないことである。

ではどうしてこのようなことが起こったかと言えば・・・
それは こうあってほしいという願望である(笑)
日本人が そうであってほしい という多くの人の強い願望である。
平和であってくれと 祈れば 平和になるという言霊思想である。

多くの日本人(非含たこぼうず)は この国の発生について幻想を抱いている。
邪馬台国 →  ヤマト王権 →  ヤマト朝廷 →  日本  という
キレイな図式である(笑) これが希望的 学説である(笑)

普通に考えて 常識で判断して こんなにうまく国の発生が進んでいくもの
であろうか? 古代 以来 このように流れてきたのであろうか。
そんな うまくはいかない!と考えるのが普通である。違うか?

たこぼうずの知識でも 出雲地方との対立、九州地方との対立、吉備地方
との対立など 国をまとめるのには 多くの障害があったようである。
神武 東征など そんな対立の克服を表したものではないのか?

日本の国の成立についてを言うならば 奈良時代の少し前あたりが妥当ではないか。
それでも この地球上においては 最も古くから存在している国である。
アメリカ合衆国は1776年 中国(中華人民共和国)は1949年建国である。

この「邪馬台国(やまたいこく)であってほしい」病は 広く日本社会に
蔓延しており。罹患していないたこぼうずなどは変人扱いされる始末だ(笑)

要するに 魏志倭人伝にあるように邪馬壱国を見つけることを研究すべきである。
このような古代史のちゃぶ台返しは 当然多くの人には認めてもらえないのだが
たこぼうずはすでに その方向で研究を続けている。

YAMAICHI と発音したかはわからない。 あるいは
YAMAI  YAMAIKKOKU  YAMAII YAMEIとかかもしれない。

たこぼうずは 因みに「北部九州説」である(笑)

日本国の発生について もし正しい表現をするならば
奈良時代の少し前からは 成立していると思われるが
「よく わかっていない」と発言するのが たとえエライ学者でも正しいであろう(笑)

そのうえで 仮説同士を 大いに戦わせようではないか!
たこぼうずが居酒屋で 塹壕を掘って待ちかまえているぞ(笑)

では では




 

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これからお米はどうなる

2025-05-28 14:52:23 | たこぼうずの曲学曲論
F-404
このところ お米の価格の問題でもちきりである。
しかし お米の本当の問題は別なところにあるような気がする。

去年5キロ2000円だった売価が 現在は倍にもなっている。
政府が どうにかしようと大臣を変えたりしているようだが・・・
本当に解決するかは未知数である(笑)

少し話しを変えるが
たこぼうずがスーパーで卵の値段を追っていて 卵もお米と同様に一年で
L玉10個が150円前後から 現在は320円前後にまで上がっている。
値段の動きはお米に似ていると感じていたので 
知り合いの卵問屋に訊いてみたところでは 養鶏業の人たちから
すれば 生産のコストを考えるとこのあたりの価格レベルは
決して不自然な値動きではないという(泣)

このことでも分かるとおり お米に関しても 生産コストに見合う
販売価格でないと 農家にしても そもそもお米を生産する意味はない。
作れば 作るほど赤字になる作物など作る意味はないからである。

従って お米を作るコストがどんなことになっているかを 
まず知る必要がある。それがはっきりしない。

K大臣が5キロ2000円にすると吠えているようだが
たとえ備蓄米がそうなっても 根本的な解決にはなっていないと思われる。
一部のお米が ある時期 ある場所で そのような値段になったとしても
大部分の国民が そのお米を購入できなければ 意味がない。

政府が強引に決めた価格を押し通したとしても それは備蓄米のこと
であり コメ全体の価格が今後どうなるかは未知数である

そもそも政府が 消費者の立場に立つか 生産者の立場に立つか
そのあたりはまだ曖昧である。

コメも商品であるから 市場の状態によって価格が上下するのは
当然のことと考えられる。
それが必然とすれば コメの価格が高くなれば 翌年の作付けは増えて
価格が落ち着くということになるのだろう。
結局 今年の新米がどれくらいの価格になるのか 見極めないと
これからの流れを予想できない。

それまでどうすかるか を考えたら
どう考えても 高いお米をなるべく買わないようにする くらいしか
庶民が防衛する手段はない。
買わないと農家やJAが困るからである(笑)
我々からしたら お米でなくても パンがあり うどんがあり そばがあり
スパゲッティーがあるのだから そこは工夫と我慢をして
お米を食べることを 控えるということにするしかない。

冷凍のうどんなど安く売っているぞ(笑)

そうなると 国民の米離れはますます進み 結局困るのは農家である(笑)

輸入についても もっと考えられていい。
アメリカがイヤなら韓国や台湾やインドネシアなどから どんどん輸入
すればよかろう。
要するに「臨機応変」という言葉の通りに政策を進めればいいだけである。

それができないのは 政府が生産者、JAを 守りたいためである。
なぜ守るかといえば 票田だからである(笑)

よく政府は「主食の米を守らなければならない」というが
今や コメ文化は どんどん衰退している。
この高値で 衰退も加速することであろう(笑)

解決策としては 結局 お米の自由流通を進めること以外ない。
JAを通さない流通を活発にすることで 国内の品質のいいお米は
それなりの 高価格で販売され、一方輸入品を中心に安く買えるお米を
設定することで 消費者に選んでもらう体制をつくることだ。

トイレットペーパーも パルプの比較的高いものがある一方で
再生紙による安いものもあって それぞれ消費者が選んでいるのだから
それでいいのではないかと考える。つまり両方売れている。

今度のK大臣によるパフォーマンスは それなりに評価するとして
要は お米の自由な流通こそ 解決する道だと考えられる。
農家も JAを通すことなく どんどん自由に販売すればよい。
輸入も必要なら民間企業が どんどんすればよい。

そして国産米が輸入米と戦うことで 価格も安定するに違いない。
要は 消費者が どんなお米を買うか という自由選択ができる
ようにすれば 全体として価格は落ち着いた値動きをするに違いない。

政治がからむと ろくなことがない!というのと
JAが圧力団体であれば ろくなことがない とは言えるのではないか。

農家も生産コストに見合う価格で売れなければ 作らないという
ことで よろしいのではないかと考えられる。
一方では おいしいと言われるブランド米は売れ続けることだろう。

そんな多くの選択肢がある市場になってもらいたいものだ。

では では


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消費税をどうする?

2025-05-14 15:08:30 | たこぼうずの曲学曲論
F-402
最近 減税の話題になるときに 消費税を減税するのがよかろう という
意見が多いように思う。

減税は誰にとってもうれしいし 増税は誰にとっても不愉快である(笑)

ただ ここで冷静に考えてみたい。
初めに 断っておくが たこぼうずは 税金の担当者でもないし 専門家でもない。
それをふまえて 読んでくれたまえ(笑)

たこぼうずは 消費税減税に反対である。
と ここまで読んで怒りを感じた人は これ以後は読まないでよろしい(笑)

理由はいくつかあるが・・・
まず税法の改正に時間がかかることが 問題である。
今現在 生活がピンチの人を助けられない。

もう一つは 一度減税すると 国の歳入が減り、次の増税のタイミングで
大反対が予想され、時の政府が 大幅に議席を減らすことになり 
それだけならいいのだが 変わって政権についた党が 国家運営に困ること。
どの政党が政権与党になろうと 増税の方針を打ち出したとたんに 
猛反発が予想され、政権を維持できないことになること。

そもそも 増税するのに 賛成する有権者などほとんどいないからである。

ただし 国にとっては税収がどうしても必要である。
国の運営ができないからだ(笑)

税金を払いたくない気持ちは たこぼうずも同じであるが
一定の税収があって国家が成り立っていることは 本当のことだ。
税収の不足分を国債というカタチで 税とは別に集金することは 限界がきている。

消費税の%を何らかのカタチで 改定するより
とりあえず 生活が困窮している人たちに現金を給付することが
迅速な対応と言えるのではないかと思われる。

ただし その所得によって 給付金額を変えなくてはならない。
こんなときこそ税務署に頑張ってもらい 税金の徴収金額によって
2~3段階の給付金額を決めて 早速実行するべきである。

消費税を減税するということは 福祉目的に使うという消費税の趣旨によれば
福祉事業の縮小を意味することであって 野党はそれを承知で減税を主張
しているのであろうか。そうだとすればお粗末である(笑)

税収は減るが福祉レベルは下げない など マジックではないのだから不可能だ(笑)

ここで たこぼうずは あえて主張するのであるが・・・
消費税の増税を提案する(笑)

まあ 怒らず読んでくれ(笑)

たこぼうずは 消費税を 例外なく すべて10%とすることを提案する。
無税の品目もなくす。

まずは税 徴収システムが簡略化され 特に小売業 飲食業にとって有意義である。
ある仕事などは ずいぶん楽になるであろう。また 経理担当者 税理士 レジ屋さん
小売業の店頭などは 助かるに違いない。
制度がシンプルならば その運用もまたシンプルなはずである。

この上がった2%について言えば 
まず1%を 上述した 低所得者への給付の原資にする。

もう1%は 国債の償還の費用にあてる。

たこぼうは 馬鹿者であるので このようなことを思いつくのであるが
専門家からみたら お笑いであろう。
しかし 全員が こうまで 減税 減税 と叫んでいるときには
反対意見を言ってみたいのもまた たこぼうずの性格である(笑)

減税は耳に心地よい言葉であるが・・・
なにも税金が悪いわけではなく その運用にアンフェアなところがあることで
皆が怒っているわけだから そこをしっかり修正していくことが
議員さんの大切な 仕事というものだろう。

特に税金を納めることが「損」であるという感覚は 
国民全体が戒めなくてはいけないと思うが いかがであろうか(笑)

では  では
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老後を豊かに過ごすには(3)

2025-05-02 15:03:25 | たこぼうずの曲学曲論
F-400  ついに400回(笑)
前2回で 老後を豊かに過ごすのに必要なことを
「言葉が豊かである」「感情が豊かである」とお伝えし
また 豊かに過ごすのに不必要なことを
「他者と比較する」「他者と同調する」 とお伝えした。
とりあえず反響はないが 満足している(笑)

さて3回目である・・・これで最後なので我慢してくれ。
後期高齢者になって 豊かに過ごすには やはり
「趣味を豊かにする」のが必要であろう。
そうでないと・・・することがないからだ(笑)
人類学的に言うと ひとには どうしても暇つぶしが必要である。

動物園のチンパンジーがうつ病になるのも たいくつだからだ.
退屈は人類の大敵である。何としても戦わなくてはいけない。
考え方としては もうすぐ死ぬのにぼんやりする時間はない!ということだ。
ぼんやりするなら 楽しいことをしよう(笑)

趣味といってもいろいろとあるが 年よりは使える時間が多いので
複数の趣味を 連動させて あるいは 合体させて楽しむのがよかろう。

たこぼうずは 一部のひとから「趣味の人」と呼ばれるほどいい感じである。
ただし「立派な人」とは呼ばれたことはない(笑)
「自由な人」とは言われても「真面目な人」とは言われない。
仕方ない・・・その通りだからだ。

たこぼうずの趣味について語るならば こんな狭い紙面では無理である。
映像、音楽、スポーツ観戦、園芸、囲碁、飲み会、歴史、科学、政治、経済、性文化
など など 枚挙にいとまがない。
こうして下手な文章を書くのも 高校からの趣味である。
上手ければ 職業にできたであろう?
高校時代は芥川龍之介のファンであり「奉教人の死」が好きであった。

アドバイスできるとすれば ともかく興味本位でそれに関する情報に接することだ。
何か 趣味を増やすなどと 考えずに わずかでも興味を持ったことがあれば
それについて・・・昨今スマホやパソコンもあることなので 調べてみることが
スタートではないだろうか。

たこぼうずは中学時代 F-1 にあこがれてレーシングドライバーになるのが
夢であった。当時 ジム・クラーク  グラハム・ヒル  などが活躍していた。
ジムクラークが乗るロータス コヴェントリー・クライマックスにあこがれたものだ。
リッチー・ギンサーの乗るHondaがメキシコGPで日本車として初めて勝ったのを
知っている。インディー500の日本人初優勝は 佐藤琢磨に譲ったが・・・(笑)
今でもインディーカーレースは 毎回観ている。
パロウとディクソンは好きだが ウィル パワーは嫌いなドライバーだ(笑)

つい筆がすべった(笑)
ともかく どんな わずかなとっかかりでもいいので 関心が少しでも生じたら
すぐに 検索して その世界を知ろうとすることだ。
音楽など 少しでも 心が動いたら 早速 もう一度聴いてみることだ。
周囲の人からの情報も大切である。藤井 風 さんはイチゴさんから教えてもらった。

こうして タコの足 イカの足のようにニュルニュルと 足を広げていけばいいのだ(笑)
ジャンルは自由であるので 世界を広げていってもらいたいと思うのだ。

そして 豊かな暮らしを目指すならば 次のようなことは不要である。
それは「無理する」ことである。無理して頑張ると言い換えてもいい。
そもそも若いころとは違うのだ。
体力も 気力も 低下していて当然である。
いろいろな病気は 老化からくることが多い。
老化は病気ではない。しかし老いは受け入れることができる。

したがって どんなことでも自分の限界近くまで頑張ってはいけない。
若いころと違って のんびり過ごす時間も年寄りには必要である(笑)
だから 昔は縁側というものがあったのだ。
いつでも休息をとる いつでもウトウトする 眠れなければ起きている。
眠れないならば 哲学の本など読むといい(笑)
いつの間にか 眠っている自分に気づくだろう。
起きなければ 死んでいるということだ(笑)

年をとれば 時間に追われることなど ほとんどないのだから
きょう しなくてはならないことで あしたでいいことは
迷わず あしたにするべきである。

時間がもうそんなにないのだから 気持ちのいい人とだけ交流すべきだ。
一緒にいて気分のよくない人と時間を過ごすのは無駄である(配偶者を含む)
積極的に趣味をつくって一人で行動しよう(笑)
どんなレアな趣味でも仲間はいるものである。
仲間とは いっぱい話しをして 無理なく飲むことだ。
飲んだら寝よう 起きたら飲もう  と何かの本で読んだことがある(笑)

柏餅の みそあん好きは ごく少数派だと思ったが メロンさんがそうであった。
いるものである(笑)

しかし プロサイクル ロードレースの ヴィンゲゴー ファンは
今のところ お目にかかったことはない(笑)
昔は アルベルト コンタドール ペレスコ のファンであった。

では では
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老後を豊かに過ごすには(2)

2025-05-01 15:13:20 | たこぼうずの曲学曲論
F-399
前回 その(1)で 
老後を豊かに過ごすには「言葉が豊かであること」が大切と説いた。
また 豊かに過ごすためにしなくてよいことは
「ひとと比較することだ」と説いた。

今回は(2)である。
老人(たこぼうず)を観察すると 年々 表情がうつろになり
ボーっとしている時間が多くなる。 楽しくなさそうだ(笑)

老後を豊かに過ごすのだったら どうしても
「感情が豊かである」ことが必要である。
人の 喜怒哀楽は 気持ちを表現するにのには 過剰なくらい出すことが
求められる。迷惑にならない程度にだ(笑)

皆も経験があるだろうが スポーツを見たり 映像を見たり 或るエピソード
に触れて 涙することがあるのではないか?
ファミリー ヒストリー でもいいし 音楽に触れたときでもいい。
その瞬間が大切ではないのか と たこぼうずは主張する

特に たこぼうずは一人暮らしであるので たとえ泣いても 見られて
いるわけではないので 遠慮なく涙することができる。
泣き虫老人である(笑)
「怒」は少し問題であるが「喜」「哀」「楽」については制限なく泣いていい。

この泣くという行為と場面を大切にしたい。
泣くということは 心が動くことであり むしろ積極的に感動を求めることが
心を豊かにし、気持ちを浄化し 生活を豊かに彩るのだ!

たこぼうずの経験では 音楽と接して感動し、泣くことが 最も多い。
ブラームスでも泣くが ユーミンでも泣く、吉田 拓郎でも ビル エバンスでもだ。
ボーダーソング、鳥になって、四月になれば、慕情(サザン)でも泣く。
泣き虫じいさんだ(笑)

何で泣いてもいいのである。大谷選手のホームランで泣いてもいいし
たこぼうずは ウェールズの国歌を聴いただけで泣いてしまう。
あはがり は何と言っているのかわからないが 最初からポロポロ泣いてしまった。
奄美の言葉は分からない(笑)

よく若さを保つ手段として 老人にも身体を動かすことが奨励されるが
たこぼうずに言わせると 心を動かすことが軽視されていると 断定する(笑)
70歳を超えたら 迷わず 泣き虫老人となろう!心のエクササイズだ!
これが感情が豊かになるということである。
たくさん泣いて 豊かな気持ちを 増幅させようではないか。

さて 老人になって豊かに暮らすには しなくていいことも まだ ある。 

それは「同調」である。
老いては子に従え  という格言があるように・・・
また 何かにつけて 年よりは黙っててくれ・・・
という圧力を感じることもあるだろう。

余計なお世話である(笑)
こちら(老人)には豊富な 失敗経験がある。それを活かすのだ。
周囲の若い衆の意見に流されて いいことはない。
特に 日本は同調圧力が 強い国として国連でも知られている(笑)

時流に逆らって 周囲の意見に逆らって 生きることで 活力を発する!
摩擦熱である(笑)
クルマならブレーキになることである。ただし 過熱に注意すること。
この過熱を認識できない 暴走老人も存在するのであるが・・・
老人のなかでは例外である。

キャッシュレス社会が進んでる?冗談じゃない!
VISA や JCB を儲けさせて君にいいことでもあるのか?
SNSでのフエイクニュースが多い、スマホでのオンラインカジノが大変だ!
60歳以下の人は全員アクセスできないようにすればよいのだ(笑)

老人にとって 自分の主張をすることが 孤独を招くとの意見もあるが
なあに 生まれるときも 死ぬときも一人なのだ。

とにかく息子や嫁の意見に従うのが いいおじいちゃんだというのは
相手の都合に過ぎない。
自分は こうしたい これがいい という主張は大いにするべきである。
その実現にむけて工夫するのが 豊かな人生に向かうことである。
あまのじゃく 変わり者 と言われて 名誉なことだと思うことが大切だ。
しかし 周囲の人との協調性は維持しなくてはならない。

たまに 超パワフルなスパー老人が威張っているが そんな人は単に我が儘であるので
その人には 周囲が無視するようにしてもらいたい。
迷惑だからだ(笑)

パワーの余っている老人は 周囲の迷惑になるので
エンジンブレーキを多用すべきである。頼むからアクセルから足を離してくれ。
このタイプの老人は 周囲に負の感情をまき散らす。過熱老人だ。
この老人はすぐ 自慢話しを始めてしまうからだ。過去の自分自慢だ(笑)
一番嫌われるタイプの老人は そんな人だ。
失敗経験は面白いが 老人の成功体験など 誰も聞きたくないのだ(笑)

しかし 今のところ自分の様々な失敗経験は活かされていない(泣)
まだ若いからだろうか(笑)

では では


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