日本の主食は米と言い切れぬパンあり麵あり手抜きの技あり
(お米に関しての女の仕事は、昨今本当に無くなりました)

1918(大正7)年7月23日、富山県魚津の漁家の主婦たちが米の県外移出を阻止する集団行動を起こし、全国にまで広がった米騒動の始りとなった。
米の需要拡大に生産が追いつかなかったことや、米の輸入が自由化されなかったこと等により米価が急騰した。
また、民本主義の普及に伴って反政府的気分が高騰し、異常な米価の高騰をきっかけに全国的な騒動が激発した。
魚津の運動を皮切りに富山湾沿岸一帯で米価引き下げ・困窮者救済の要求運動が発生した。
これが新聞で報道されると、8月10日に名古屋と京都で大騒動が起こるなど全国に波及し、騒動は9月17日まで続いた。
警察だけでは鎮圧できずに軍隊まで投入され、30人の死者と多数の負傷者を出した。
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平成の米騒動:1993年の記録的冷夏は、20世紀最大級ともいわれ平成3年6月のフィリピン・ピナツボ山の噴火が原因で発生したと目されている。
夏の気温は平年より2度から3度以上も下回った。
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これは私も覚えています。
日本のお米が無くなり外米(タイ米)を買いました。
初めて食べましたがパサパサだったのが印象的です。
今日はスポーツの日(オリンピック開催日)という祝日ですが、この「TOKYOO2020」は本当に呪われたオリンピックというのが残念ながらピッタリ!
前日の昨日、開会式でのスタッフの解任もあり、最後まですったもんだとありました。
アスリートにはオリンピックは大きなイベントでしょうが、日本にとってはまるっきり国民不在のイベントになってしまいました。
コロナ禍が収まらないのは、政策の誤りもあると思います。
人々のコロナに対する想いも様々で、いろんな負の想いが重なった結果でしょう。
何故コロナが地球を覆ってしまったのか・・・?