あとりえちえ

Chie「表現アートセラピー」を生きる。

あの時、もう一冊手に取った本があった。

過去ブログ「愛は育っていくもの。自分を信じ続けて」で語った、若い頃(といっても30代になっていたが)の私の魂にヒットした名著エーリッヒ・フロムの「愛するということ」の他に、わたしは本屋の本棚からもう一冊手に取っていたのである。

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美大を卒業してから、教員になり毎日の授業の準備に追われ、授業から帰るといつもぐったりしてしていた私がいた。一方、大学時代にのめり込んだマンドリンアンサンブルに社会人になっても夢中になっている、休みになれば、日常の煩雑さから逃げるように、夏はハイキング、冬はスキーにと勤しむわたしがいて、それなりにヤングアダルトを謳歌しているようでもあった。

しかし、心の奥底ではいつも葛藤していた。私は高校時代は絵描きになると自分と約束した。が、心の奥の奥ではわかっていた。私は美術の先生にならなかったら、もう絵からはなれてしまっただろう。小さい頃から、図工や美術の成績が良かったから、生きる術としての位置づけでなかったのか?私は本当は絵のことはどうでもいいのではないだろうか?それでも美術に執着している私に対して戸惑いがあった。

また、働くと言ってもたまたま美術講師になっただけで、自分は社会人になるスキルがないことを自分に隠していた。「どう生きればいいんだろう?」心の奥底では誰かに教えてほしい怯えた小さいわたしがいたのだ。

自分も母も、わたしが生まれつき教えてもらわないと自分から学んでいく力が乏しいことを理解できるはずがなかった。小学校に上がるころから、私は誤解されるばかり、怒られるばかりであった。いつしか、私は怒られるのが嫌さに、質問することや自分の気持ちを表現できない人間になっていた。私は、自分を隠すことで自分を守っていたようだ。無論、無意識的にだが。

だが、これは「学び」の機会を自分で奪っていたということは、あの時の私はわかるはずもない。世の中というものは、本当の自分を受け入れてくれるところではないと幼い自分が判断してしまったからである。

ということで、自分は大学を卒業しても、恐ろしくものがわかっていなかった。

10年程講師を続け、私は一旦学校を辞めた。そして、旅に出た。3か月ほどイギリス、アイルランドを放浪してみた。それは自分を超えるひとつのプロセスにはなったが、もちろん、それが自分の生き様を決められる決定打になりようもなかった。

私は、アルバイトを転々としていった。心の中や頭の中はいつもぐるぐるしていた。そんな「迷い」のなかで、私は新宿の紀伊国屋に入り、心理学のコーナーに辿りつく。

クリーム色の小ぶりの本「愛するということ」という本を手に取りパラパラとめくった。そして、ふと上方に目をやると、大き目のハードカバーの緑色の本が目に留まる。

「表現アートセラピー」

「なんだろう?」手に取ると、重くてずっしりとした学術書であった。

 

「表現アートセラピー創造性に開かれるプロセス」

表現アートセラピーとは、絵画、ダンス、音楽などの様々なアートを自在に組み合わせ、人間の本来持つ内的な成長プロセスを育む総合的な独自のアプローチであり・・・

 

「いろんなアートをやるセラピーなんだ・・」

絵を描いたり音楽やったりの二兎を追う大学生活でどこか恥じていたわたしに、「私向きかもしれない」という直感が降りてきた。形も重さも価格も少し大きめの学術書、「迷い」の突破口がみつかったような想いで買い求めたあの日があった。

「表現アートセラピー」の提唱者・著者は、ナタリー・ロジャーズ。あのカウンセリングの祖クライアント中心主義を提唱した心理学者カール・ロジャーズの娘さん。

絵や立体、ダンスや音楽、詩など様々な媒体を使って、こころ、からだ、感情、スピリチュアリティすべてにアプローチするホリスティックな療法ということで、病院、学校現場、高齢者施設など多様な場面で可能性をもち、リラクゼーションから嗜癖者へのセラピーまで様々な段階があるようだ。

また、クリエイティブ・コネクションと呼ばれるアートの組み合わせは、セラピストの数ほど様々なアプローチがあり、一言でこういうものとは説明することができない。

活動形態は、セラピスト対クライアントという1対1で行われるものとファシリテーターと呼ばれる活動促進者対数名~数十名で行われるグループワークがあり、後者の方が多いようである。

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その後、私はかつての学校に復職した。再び美術の先生になった。

そして並行して、「表現アートセラピー」訳者のおひとりである小野京子先生が主宰するワークショップに初参加したのをきっかけに、様々な表現アートセラピーのワークショップにより自己探求の道を進んでいった。

また、催眠療法の先生のもとにも通いだし、自分が意識していない無意識という深海に潜っていくことになる。

ただ、心がいつも病的であったというわけではない。

冷静で打算的な側面もあり、ゆくゆくは、美大卒のアートセラピスト吉田エリさんのようなファシリテーターとして生計を立てたいという目論みもあった。つまり、自己投資的試算があったのである。

何年かのち、私はカウンセリング、アートセラピー、ヒーリングを手法としたサロンを立ち上げ数年活動をしたが、今はセラピーの日々は霞の向こうになっている。

 

自分が自分にリラックスできるようになること

 

この感情の為に、どれだけの道のりを歩いてきたのだろう。

絵描きになろうと一生懸命受験勉強した高校生のわたし、マンドリンアンサンブルで人と繋がれる喜びをえて夢中になった美大&ヤングアダルト時代、セラピー三昧の人生。

そして、近年になり、書道を始めアートで瞑想できる心地よさを覚え、同時に、ベートーベンの第九合唱に出会い、魂レベルの自分の想いを放出できたことで、こころが救われたセラピーのクライマックス。

 

振り返ると、私の人生そのものが表現アートセラピーなんじゃないかな・・

「クリエイティブ・コネクション」を歩んできたんだ。

アートセラピー:絵や工作は小さい頃からともにありました

ミュージックセラピー:かつてはマンドリン活動、今現在は合唱活動に夢中です

ダンスセラピー:上記には記してませんが、ジム通いしてヨガやエアロビクスもやりました。また、表現アートセラピーのさまざまなワークのなかで、自分の湧き上がる想いをからだで自由に表現するこのダンスセラピーがわたしは大好きでした

ライティング:まさしくこのブログです

そして、

ドラマセラピー:いつもドラマの主人公を生きているような感覚なんです。だからあまりうまくいかないことがあっても、面白くないと思われるような現実を生きていても次の展開はどうなるかな?と思ったり、思おうとするわたしがいます。

・・物語を生きるChieです。

 

 

 

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