今日ご紹介するのは、前回の「天使とプレゼント」をめくったページです。
いきなり目にするのは、ブロンドの少女・・。
しかし、目は見開いているものの瞳は描かれていない。
右手、左手は、何かをつかもうとするがつかむものなく必死にまさぐっているようだ。
そして、それは荒い筆致の黒い闇で覆われている。
さらに、口は開き何かを叫んでいるようだが、その声はこちらには届かない。
そんなクレーの絵です。
前頁はほんわかとした天使の絵から、真逆の姿が描かれていて目を奪われます。
私が悩みだしたのはもうずいぶん大人になってからです。
いや「悩みがあることを意識し始めた」と言い換えてもいいでしょう。
今、思い返すと子供のころからとても苦しかったのです。
しかし「苦しい・・」ということを意識してはいけないと強く信じていたがために
表面上の喜びを幸せと思おうとしていたようにも思います。
例えば、念願の大学に入ったとか、海外旅行に行ったとか・・。
「悩み始めた・・」というのは、今から思うと
成長の現れでした。
自分の本当の気持ちに気づき始めたからです。
いや「気づいてももう大丈夫だよ」と
自分にOKを出し始めたからでもあるのです。
そして、「その本当の気持ち」に辿りつくためには
自分が生きていくためには目を背けていなければいけないと固く信じていたものに
向かい合う準備が整ったという
魂からの知らせでもあったように思います。
それでは、そのクレーの絵にそえられていた谷川俊太郎の詩をここに記します。
天使、まだ手探りしている
わたしにはみえないものを
てんしがみてくれる
わたしにはさわれないところに
てんしはさわってくれる
わたしのこころにごみがたまっている
でもそこにもてんしがかくれている
つばさをたたんで
わたしのこころがはばたくとき
それはてんしがつばさをひろげるとき
わたしがみみをすますとき
それはてんしがだれかのなきごえにきづくとき
わたしよりさきに
わたしにもみえないわたしのてんし
いつかだれかがみつけてくれるだろうか
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